僕の詩は簡単な感情移入を拒絶する。ある時期までは、僕だって自由に歌っていたし、実際メモ帳などに残る断片・素材を見ると、恐ろしく感情的なもの、メロディーに満ちたなものもある。けれど、そういう詩をいつからか僕は自分の詩として認めなくなっていた。情感に満ちた詩集『一行目から書き始める、』と、「どうにも入りにくい」とか「抽象的」とか言われる詩集『寄せる波、世界へ、』とを分けるものが、その断絶だ。そして思い出す。この二つの詩集を分けることになったもの、それは桃井望の死(参考URL:http://awono-katei.blogspot.com/2004/11/blog-post.html)であったのだと。その時のノートに書いてある。「死者の言葉で語れ」と。 それ以降、僕の詩は明らかに異常をきたし始めた。だから僕の詩は、それがいいものであればあるほど、うかつに好きだと言うことができない。自分で書いたものとして愛してはいるのだが、けれど、自分でも好きだと言えない何かがある。 小詩集『無煙の海』(参考URL:http://awono-katei.blogspot.com/2004/11/blog-post_5791.html)は、死者の側から、無煙ヶ浜まで近づこうとした作品であったと今は思う。書いている当時は、そんなことはあんまり考えていなかったのだが、「遅れる。」に対してワタナベさんから「無機質な死の情景」というコメントをいただいたときに、僕は今僕を書かせているものの恐ろしさを知った。結局それは入院へと僕を誘ったし、「ZONEの「太陽のKiss」へのオマージュ」あたりからやばいことになってきているのには気づいていたので、『無煙の海』はタイトルまで決まっていながら、まとめなかった。 けれど、「新生」完成後5ヶ月ほど経ってから、不意に何かにせかされるようにして僕はそれをまとめ、ここに発表した。高校時代からの友人の父親が、ちょうどそのころに若くして亡くなったらしいことは、あとで知らされた。どうやら、悪魔祓いは上手くいかなかったようだ。 けれど、不思議なことだ。僕はまだ、無煙浜に魅せられ続けている。このあいだ小説でそこにたどり着こうとした時は、どうしても先に進めなくなってしまったけれど、また、挑戦するのかもしれない。なぜ? たぶん、そこに去来する死の闇の深さ、そこに現れる生のまぶしさを、見極めてみたいからだろう。死の側から交霊的な詩の作業を通してたどり着いた「無煙の海」へと、僕は今度は生きている側から、水平的なこの足の歩みで以て、すなわち小説で以て、たどり着いてみたいのだ。生み直しながら、生きていくために。生まれ直しながら、生きていくために。今度こそ。また、 (余談) 「新生」において書いた「亡くした人さえいなくなるひと夏」という景色を、僕は2004年のZONEの夏ツアーを通して見せていただいた。それには、新メンバーとして加入したTOMOKAさんの破壊的な成長があったことが大きい(むろん、ほかのメンバーもすばらしい成長を見せたし、彼女たちが新メンバーにいい働きを与えたことも、TOMOKAさんの成長に、そしてグループとしてのZONEの成長にも当然寄与したであろう。とにかく、彼女たちは2003年とはまったく違う光を放つ、ものすごいステージを見せてくれた)。 祖父の死と前後する形で脱退した元リーダー。そして、ZONEに加わり彼女たちが「新生」するための核にもなったTOMOKAさん。この前、ずっと18日だと思っていた祖父の命日が、9月19日だったと知らされて驚いた。それは、TOMOKAさんの誕生日でもあった。 |
2004年12月20日月曜日
エッセイ 「生と死と詩と小説と」 (終盤)
エッセイ 「生と死と詩と小説と」 (中盤)
祖父の死から生き直していく詩作の過程は、やがて生きることの不思議さへとつながっていき、「ナマナマしいはら」や「その気」などのバカっぽくもまぶしい詩も経て、「旅に病んで」(参考URL:http://awono-katei.blogspot.com/2003/12/blog-post_11.html)へとつながっていった。もともとはZONEの2003年夏のライブツアーにとっかかりを見つけて書き始めたこの詩は、自分では気がついていなかったのだけれど、如実に死の色を帯びていた。読んでいただいたオフラインの友人は皆「恐ろしい」と言ったし、祖父の死について話を聞いてもらったある人からは、次のようなことも教えてもらった。 「この、「箱から箱へ」の連が好きなんだよ。「夜の車体」の、ガガガガガ……って音まで聞こえてきそうで。これって、お祖父さんを抱いて乗った車でしょ?」 この言葉で、僕はこの詩の恐ろしさをはじめて知った。今読んでみても、この詩にはその底部で流れ続ける止まざるもの、その死の闇の深淵と、それに浸されながら駆け巡っていく「美しい」生の足が見えるような気がしている。そしてこの詩はさらに、2003年ライブツアーで僕を一番感動させた当時のZONEのリーダーが、この詩の中に書いてある言葉とほぼ同じ内容の言葉でもってZONE脱退を発表する、ということまでつながっていったのだった(むろん、この一致はただの偶然だろう。しかしもしかしたら、僕はライブツアーを見ながら、その時にはすでに固まっていたという彼女の意思をどこか感じ取ったのかもしれない)。 当時のリーダーのZONEとしてのラストシングルが、「僕の手紙」。そのプロモーションビデオの撮影された場所が、北海道厚田村の無煙海岸だった。「無煙」……。不思議な名前だ。この名前にはいろいろ謂れがあり、沖合いで石油の湧き出るこの海岸では、石油の臭いはするけど煙はあがらない、ということで「無煙」と呼ばれた、という説もあれば、この近辺で座礁した船から、潮流の関係でこの海岸にたくさんの遺体が打ち上げられた、ということから「無縁海岸」と名づけられ、それがあまりにも不吉であるため「無煙」になった、という説もある。 石油が、そもそも太古の植物の死体が地中で変質したものということまで考えれば、この海岸はひとつの死のイメージを僕らに思い描かせる。大きな時間を経て、光の元に湧き上がる真っ黒な奔流、あるいは、無名のものとしてある日浜に打ち上げられるいくつもの身体。この「無煙海岸」で撮られたプロモーションビデオでは、秋の儚い光の中で、酸欠状態で見る時みたいにまぶしい白い衣装を着て、メンバーは美しい夢、あるいは亡霊みたいだった。 僕がある時期以降、映画の下のスクリーンの白を問題にしてきたことは、ここに発表させてもらったいくつもの文章の中に現れている(参考URL:http://awono-katei.blogspot.com/2003/12/blog-post_31.html, http://awono-katei.blogspot.com/2004/11/blog-post_03.html)。僕にとって、祖父のお骨の白さと、あの台の平らさは、その生きることのゼロ地点、闇としての死ではなく光としての生でもない、絶対的な沈黙と空白の地点だった。また、ゼロは「O(オー)」でもあり、それは円環と空白と空虚ゆえの充実と自由な変転(ゼロからオーへ、オーからゼロへ)と拡散とを感じさせるものだった。そして、本の中のページの空白のように、この空き地は言葉と言葉を、輪郭と輪郭を、そして存在と存在を隔てながらつなげているものなのだ(参考URL:http://awono-katei.blogspot.com/2004/08/blog-post_11.html)。 僕はいつからか、この空白地点に、「無煙浜」へとたどり着こうとしていたのかもしれない。そして、その白さを通して、生きることのまぶしさと貴さ(とうとさ)とをもう一度照らし出してみたかったのかもしれない。しかし、それは言葉の果てる場所、言葉が散り散りになっていく場所、我々の存在が、真っ白な骨になり、砕かれて、砂浜の真っ白な砂の名もない一粒一粒へと帰っていく場所でもあったのだ。だから、それは映画の中からスクリーンの白にぶつかろうとする不可能な試みであり、それゆえ僕は、最終的にそのまぶしさを垣間見ることができたと思えた詩篇「新生」(参考URL:http://awono-katei.blogspot.com/2004/06/blog-post_25.html)のあとで(この詩について、今村知晃さんは「光を全反射する言葉」と言ってくれた)、神経がぼろぼろになって入院する羽目になってしまった。 |
エッセイ 「生と死と詩と小説と」 (序盤)
生きることと死を分けて考えることがわたしは嫌いだ。生は、死を抱き合わせにして生きている。誰の身体の中にも内蔵があるように、内臓の奥にどうしても見ることができない闇があるように、われわれは死と抱き合わせであるのだ。それは、海があるから陸があり、宇宙があるから星があるようなもので、そういう自分の背景となる沈黙――あるいは常に語り続けているもの、語り終えることも語り始めることもない何か。それを時間の外の時間といってもいいのだが――があるからこそ、われわれは輪郭をもってそこから浮き上がって「存在」している。浮き上がっているけれども、浸されている。逆に言えば、そうやって島があるからこそ、われわれはそれを取り囲む海の存在を予感するように感じ取れる、ということもできるのだが(だって、光のない闇は、本当にもうなんと言い表すこともできない闇でしかないし(いうまでもなく、言葉はある方向から闇に光を当てるものだ)、見るもののない世界のことを、われわれはどのようにしても思考することができない)。 僕の祖父が亡くなったのは、2003年9月19日のことだった(ずっと18日だと思っていたが、どうやら覚え違いであったらしい)。僕と祖父とは、高校受験や政治的思想、文学・映画についての考え方など、様々な場面で熾烈な争いを続けてきていて、その関係はかなり悪かったと思う。 その祖父が亡くなった。ほとんど最後まで意識を失うこともなく、看護師さんや医者の言葉にはどれだけ苦しくても律儀に対応し、自分の病気の原因や解決法を自分なりにいろいろと考えては提言し、そして、自分の乱れた姿を人に見せることを最後まで嫌った。親戚が見舞いに来た時も面会を拒否したし、我々にも極限の苦しさの中で「もうほっといてんか」という言葉を言った。自分のことは自分でしたいと願い、誰にも迷惑をかけまいとし、そのことで結果として周りを遠ざけながら亡くなっていった。けれど、その奥で、故郷や家族を慕う気持ち、愛情や責任感をどうしようもなく滲ませていたし、何より、最後の最後まで彼は踏ん張ろうとした。 それは、僕の知っている祖父の姿が、極限まで突き詰められた姿だった。学校を出ていない身分から、厳しすぎるまでの己の頑張りだけで異例の昇格を果たし、わが一家を作り上げてきた。彼とさほど仲がよくなかったと思われた祖母であっても、僕が祖父を冒涜する時には激しく怒った。祖父の苦労と頑張りを知っていたから。僕は、正直言ってそのあたりのことを知らなかった。知ってはいても、身をもって理解してはいなかった。 けれど、その一生を、死の床のお世話をさせていただいて、僕は祖父から見せてもらったように思う。見せてもらったというよりも、身をもって理解させていただいた。「人は、その死において最大の教育を施す」。僕は、祖父の生きることを、自分の身にまるごといただいたような気がしていた。 祖父が亡くなる前後のことを、僕は詩に書いた。それは、単に自分の悲しみを克服するためとかではなく、まして悲しいから言葉があふれて、とかいういわゆる自己表現でもなくて、祖父から見せていただいた彼の一生を、自分の中で一度砕き、自分の土壌にしていくための作業であった。 死の間際に彼がつぶやいた言葉をもとにした「あおに、帰る」。祖父の臨終の瞬間まで続いた「踏ん張り」をじっと見つめた詩「モルヒネ」。そして、祖父の遺体を抱いて叔母の車に乗り、家に帰るまでの夜道のことを書いた「後部座席にて」。今読んでみても、感情の発露が多い第一作から、静かなまなざしに満ちた「モルヒネ」、そして、もはや祖父のことではなく死んだ恋人のこととして、フィクションを取り入れながら書いている「後部座席にて」まで、この制作過程は自分にとって、祖父の死を潜り抜けて、その死を背負いながら、なお生きたものとして自分の詩を生みなおし、自分としても生まれなおしていく過程だったと思う。 ところで、この一連の詩は、本当は四作立てになるはずだった。けれど、最後の詩はついに書くことができなかった。書けなかったのは、荼毘に付された祖父のお骨を見た時のことである。それは、かなしくなるくらいに骨だった。箸の先でもろく崩れたそれは、僕とあれほど熾烈な争いをした祖父にしてはあまりにも白い、骨だった。煙は立っていなかった。平板な平板な素焼きの台の上で、祖父の骨はかすかに原型を残しながら、しかしもはやあらわ過ぎるほどに物として、しずかにそこに置かれていた。 祖父の身体を支えていたものの静かさと小ささ、そして軽さ。どれだけ生きても、どれだけ高く上り詰めても、人は結局、平らな台の上に転がる白い骨となってしまうのであり、逆に言うと、生きているということは、結局、この台の平らさと骨の白さ、その静かで穏やかな沈黙の上に繰り広げられる、必死の夢でしかないのかもしれない。そう思った。 (つづく) ※編者注 『「あおに、帰る」ほか一篇及び散文』 http://awono-katei.blogspot.com/2003/12/blog-post_09.html |
2004年12月14日火曜日
返詩 即興
(ふゆさんの「ここからはいつもうみがみえる」に) 「海はあちらです」 「海はあちらです」 「海はあちらです」 そう三回つぶやいて すべてがうそになっていく 大きなつむじ風に巻き込まれた人たちが 今日 しずかな陽になってテレビの上で 寝返りを打つ 何も燃え上がらない こんな朝には 抜けた前歯を 屋根の上に投げ上げて その屋根が 他人の家の屋根であることに もう なんの笑いもこぼれない そんな喜び シニカルなシニカルな 弟たち 先生たち の あおぞら どんな歯が 生えるだろう すべての道しるべは屈折し 矢印は 世界の人の数だけの 方角をさし 動きを止める 「海はあちらです」 「海はあちらです」 「海はあちらです」 そんなこと わかっているさ ここからはいつも海が見えるんだ 白い砂浜で いつまでも矢印は砕け散り 散り続け ほら 菫色の妹たちの遠足は 声もなく 突堤を踏み切る 二〇〇四年一月二十三日 注)この詩の第四、五、六連には、入沢康夫さんの詩「遐い宴楽」からの引用と替え歌が混じっています。 |
「帰り道」(異稿と作品)
無題 (『千と千尋の神隠し』へのオマージュ 6) 見えない。 見えない。 ふり返ることのできない、 草深き道を、行く途中。 干上がった小川を飛びこえて、 残された石のまるさに、 しずかに呼吸をとめる 十歳の少女。 しかしふり返ることはできず、 立ち止まることさえできず、 すぐにまた、あるきだす。 いきをしながら。 目に映る景色を、 次々、後ろに追いやりながら。 見えない。 見えない。 (未完) 無題 (『千と千尋の神隠し』へのオマージュ 6 『害虫』へのオマージュ 1) 見えない。 見えない。 振り返ることのできない、 草深き道を、行く途中。 干上がった小川を飛びこえて、 残された石のまるさに、 しずかに呼吸をとめる 十三歳の少女。 しかし、振り返ることはできず、 立ち止まることさえできず、 すぐにまた、 あるきだす。 いきをしながら。 目に映る景色を、 次々、後ろに追いやりながら。 見えない。 やっぱ見えない。 駆け抜けていく少女の頭上で、 空の青さが、 白くかすれていく。 かすかに磁気を帯びた、 花びらが、流れているせいだ。 (未完) 無題 (『害虫』へのオマージュ 1) 空の青さは、 白く、かすれ始めていた。 かすかに磁気を帯びた花びらが、 風に乗って、何枚も流れていくせいだ。 切り裂いていく、 鉄の花びら。 前髪をゆらしつづけている、 なまあたたかな、風。 草深い、九月の川の堤から、 少女は立ち上がる。 夕暮れ。 制服のスカートからのびた、 少女の、十三歳の、まっ白な二本の足は、 すでに、光にさらされていた。 たくさんの切り傷を負いながら、 その足は、白く、立っていた。 そして、靴と靴下だけを履いた、その足は、 家にむかって、また歩き出す。 軽やかな足音を立てて、 少女の帰り道は、 日に日に家から遠ざかっていった。 帰り道 (『害虫』へのオマージュ 1) 空の青さは、 白く、かすれ始めていた。 かすかに磁気を帯びた花びらが、 風に乗って、何枚も流れていくせいだ。 川原に舞い降りてくる夕暮れは、 どこか、鉄のにおいがした。 わたしの前髪をゆらして、 なまあたたかい風が、 遠くから、吹きつづけていた。 むこう岸の空で、 鳥が、 手紙のように千切れていく。 白く。 白く、横切っていく。 (「宛テ名ノ、モジガ、 マチガッテイルヨウデス。」) 青空の底のほうに、 屋根の低い家々が見える。 この叢で、 わたしは、十四歳になろうとしていた。 ひとりで鼻歌を歌いながら。 制服のスカートから、 切り傷だらけの二本の足を、さらけ出しながら。 のろしのように、 錆びたドラム缶を叩く音が聞こえる。 沈んでいく夕日に合わせて、 わたしの帰り道が、 キリキリと、その角度を変えていった。 |
自由詩 「メモ帳」
二〇〇二年十月二十二日 ワタシタチノ カラダ ニ コンナニモ〝いろ〟! ガ アッタトハ シラナカった った ノデス デシタ タトエバ 脳ニハ アオイ〝ハン〟ガ アルソウデス 世界ニアオイバラハアリマセンガ ソラハ アオイ 二〇〇二年十二月一日 はばた、け はばた、け ひかりの、 小鳥。 はばた、け はばた、け ひかりの、 小鳥。 二〇〇二年十二月二十六日 ・沖縄へ飛ぶ。 予定していた上空三万九〇〇〇フィートは〝交通渋滞〟のため、 しばらく三万五〇〇〇フィートをとぶ、とのこと。 「ごめんね、そら、いたいだろ」 片方のつばさに、日の丸。 ・こんなに高い所に、さすがに言葉はないように思う。ここまで 来ると、ぼくたちのことばは皆内向き(下向き?)になってい くようだ。しかし、それでも〝交通渋滞〟。(乗客の僕は、こ んなに高い所をとびかっているらしいことばたちを、想像でき ない。仕方がないので、眠ることにする。 寝て、起きて、まだ空。 ・雲の上であやとりする姉妹。 二〇〇三年二月三日 風呂屋では湯女が浴客の垢かきをするのは七ツ時(午後四時) までで、暮方からは板の広間を金屏風などをめぐらした座敷に模 様替して遊客を集め、湯女は美しく着飾って三味線囃子に小唄な どで興を催し、望みに応じて春を売った。この湯女風呂は明暦三 年(一六五七)に厳禁された。(国史大辞典 吉川弘文館 一九 九一年 注)「ごめんね、そら、いたいだろ」は、谷川俊太郎「ひこうき」より 形を変えて引用しました。 |
2004年12月8日水曜日
無煙浜まで(4)
どれだけ立ち止まっていただろう。空はいつの間にか、深くて暗い青紫色に変わっていた。僕は、とにかく歩き出すことにした。横断歩道を渡って、曲がり、真っ直ぐ歩いてはまた曲がって横断歩道を渡った。そうするうちに、コンビニが通りの向かい、横断歩道の少し右手に見えてきた。伊丹空港で昼食を摂って以来何も食べていないことを思い出し、僕はその横断歩道を渡ることにした。信号はすぐに変わった。通りを渡りきり、コンビニに向かって右折した。その時だった。僕が「それ」を見たのは。 黒々とした重さだった。「それ」は、黒々とした重さだった。その重さにしばらく魅入られていた僕がいた。目を下に移していくと、「それ」はほとんど同じ太さのままで、けれど地面近くでぐっと広がってアスファルトに根――そうだ、これは根だ――を張っていた。少し離れると、視界の上の方に、大きく広がった枝と緑の葉らしきものが辛うじて入ってくる。首を上に向けても、全貌はつかめなかった。また、何歩か後ろ向きに下がって、僕はやっと、それが大きな針葉樹であることを理解した。 その木は、車道側、つまり僕の右手に立っていて、左側にあるビルと比べてみると、三階をぶち抜いて四階の床から頭を出しそうなくらいの高さがあった。幹が太く、黒々としていて、枝葉の部分は美しい二等辺三角形を描いている。他には木など見えないその通りにおいて、その木は一本だけ、何ものにも揺るがされない姿で立っていた。その黒々とした樹皮のむこう、太い幹の内奥には、生きているものの底知れぬ深さがあって、たしかにあって、僕は伝わってくる重量感にただもう沈黙することしかできなかった。 僕はこの時、一気に思い知らされた。自分が、なんと失礼なことを考えていたのだろう、と。屈従の繁栄? どこでもない場所? かき消えていく輪郭? たしかに旅行客としての目からは、そのようにも見える。しかし、ここにあるのは他でもない、命だ。重さと深さと傷と歓びとを抱き合わせた、何ものもゆるがせにできない確かな命だ。自転車を漕いでいた女子高生のあの力。誰が忘れたとしても、誰が見なかったとしても、あの力はあり、たしかに存在した。そして、その力の中に現れているのもまた、厳しい自然条件の中で泥の汗を流しながら、この土地を切り拓いて来た人々のたしかな命であり、彼らがここに来る前からこの場所に住み、この場所に「Sapporo」と名をつけたアイヌの人々の、命でもあるのだ。それを見たからこそ、僕はあれほど驚いたのだろう。 あの時、じっと見つめていても彼女は消えなかった。当たり前だ。もし彼女が消えたとしても、そこに見えてくるものは観念的に語られるばかりの「無」なんかではない。そこにあるのは、ここにあるものすべての輪郭の中へと流れ込み、あるいはそこから流れ出し、さまざまに交わり変形し結節点を描く、止まらない流れ、その、風のような百年だ。そしてその百年が宿るのは、今目の前にあるような、たしかな重さの中においてだけなのだ。 何歩か前に進み出て、黒々とした重さに手を伸ばす。硬い樹皮に触れていると、北海道に着いてから初めて、名前を知りたい、と思った。この木の名前を知りたい。今こそ、この木の名前を発音できる。そう思った。 「おおきに」何に気を遣うこともなく、伊賀弁でお礼を言った。沖縄で陥った失語は、もはやどこにもなかった。僕はもう、旅行者ではないのだから。ただ、伊賀の百年を背負って、この島の百年に向かい合う――僕はただそれだけの、それだけの一人の人間だった。「おおきに。あんたに会えてほんまうれしいわ」 その瞬間、僕の脳裏で、いつからかずっと忘れていたあの真っ白な頭の少女が振り返って、消えた。 誠に勝手ながら、「無煙ヶ浜まで」はここで一旦中断とさせていただきます。 もともと、この小説は、僕が自分の小説を見つけ直すために始めたものでした。目指すべきゴールも従うべき設定も決めず、ただこの文章の旅を旅として持続することで、その先に見えてくるものを見てみたい、という思いがあったのです。 けれど、別のところで小説を書いたことや、卒論の執筆などを通して、この旅で見つけ直したかったものが先に見えてきてしまった。もう、旅をつづけることはできません。この旅を書き続けていくためには、もう一度この文章の地点に戻らなければならず、それは今の自分にとっては、逆戻りになってしまいそうな気がするのです。 コメントをいただいた方へのお返事などもあり、なんとか前半部分だけは書ききりましたが、ここまでとさせていただきたく思います。旅の動機の種明かしすら終わっていない状態での誠に半端な終わり方ですが、ご深慮いただけると幸いです。 読んで下さったみなさま、本当にすみません。そして、ありがとうございました。 |
無煙浜まで(3)
「清田新栄」。たしかそのようなバス停の名前がアナウンスされていたような気がするが、それが目覚めてすぐのことだか、それとも目覚める前のことだか、いまいち記憶がない。誰も、ボタンを押さなかった。穏やかでさびしげな夕焼けの中、バスはしずかに走り続けていた。かすかな振動が、ずっと身体に伝わっている。 外の景色は、まばらな町並みになっていた。遠くの方になだらかな丘があり、そこに何軒かの家が見える。大きな木が、丘のそこここに二、三本だけ立っていた。車道の近くには、大型のホームセンターやガソリンスタンド、釣具店などが並んでいて、どの店も駐車場が広かった。そして、丘と店との間に、何軒もの住宅が集まって建っている。 それは、僕が生まれた本州とあまり変わりのない景色だった。たしかに、駐車場の広さなどから、ある種の拠り所のなさを感じることはある。けれど、そのむこうに見える住宅地、あるいはそこへと伸びていく曲がりくねった細道などは、そこにたしかに生活が息づいていることを感じさせて余りあるものだった。 「屈従の繁栄」。僕は、さっき思いついた自分の言葉が、この町の景色から少しずつずれていくのを認めざるを得なかった。窓に額を押しつけるようにして、流れていく町並みをじっと見つめる。やがて、バスは赤信号で止まった。 止まったバスからじっと見ていると、やはりそこは本州ではなかった。外は寒そうだった。何本かの木々は大きく、けれど夕映えの中で、今にも拡散してしまいそうだった。熱もない夕焼けにしずかに燃やされている、あるいは燃やされる時を待っている木々、町並み。そしてそれらを燃やす空もまた、わびしささえかき消えてしまうほどのわびしさで満たされている。やはりそれが北海道なんだと、僕は思おうとした。その時だった。 窓の向こう側を、一人の女子高生が自転車に乗って通り過ぎていった。寒そうな風を受けて長い髪をなびかせながら、それでも彼女は、一こぎ一こぎ力強くペダルを踏みこんで進んでいった。僕は、その姿をじっと見つめていた。千歳で見た時には紙細工だとさえ思った町の中で。ゆるやかな傾斜を上っていく彼女は、いつまでも消えなかった。 信号が青に変わったのか、バスは再び走り出した。僕は今さっき見たものが一体なんだったのか、整理できないままでいた。いや、自転車に乗った女子高生だってことぐらいはわかっている。問題は、それになぜ僕がこれほどまでに驚いているのか、ということだ。それはちょうど、空港で「……べさ」を聞いた時の驚きと似ていた。あの女子高生の姿に、僕はきっと何かを見たのだ。自分でもよくわからない、何かを。それが何なのかわからないまま、バスに運ばれて僕は今日の目的地へと近づいていく。 外の建物は、いつしか巨大なビルがほとんどになっていた。今年の夏、名古屋で見たのと少し似ていると思った。けれど、名古屋のそれが道路に沿って統一された景観を作っていたのに対し、ここのビル群はそれぞれ形が不揃いで、その輪郭は洗練されているというより、大味だった。ビルとビルとの間の空間に目が行って、空はやっぱり寒々としていた。そこから目を戻すと、車道沿いの比較的新しいビルの一階に、錆だらけの古い商店が見える。北海道には、様々な土地から来た人々の文化がモザイク状に生きているらしくて、そのことなら大学でレポートを書いている時に本で読んで知っていたけれど、実際には時間までもが、ここではモザイク状になっているのかもしれない。北海道と言う巨大な平面の上で、どの文化もどの時代も、確たる根を晴れないまま併行に存在し、せめぎあっている。そしてそれぞれがそれぞれのまま、この厖大な空の下で震えているのだ。 やがて、僕は「すすきの 南3西3」でバスを降りた。今晩泊まるのは、南5条西7丁目にあるビジネスホテルだった。区画に名前がついているのでわかりやすい。けれど、バスを降りた途端どこを向いたらいいのかわからなくなって、その場で360度回転して辺りを見回してしまった。交差点が見えたので、とりあえずそちらに進んでみることにした。 バスから降りて見てみると、やはり建物は圧倒的に大きかった。赤いネオンサインなども光っていて、大阪梅田のがんこ寿司を思い出した。けれど、そこはやはり大阪ではなくて、通りの彼方へ目を移すと、たちまち薄ら寒い気分がよみがえってくる。空は平坦で、果てしなく伸びていた。ビルは統一されてどこかに昇りつめていく、という風ではなく、広大すぎる大地の上に、ごろり、ごろりと転がっているみたいだった。まっすぐに伸びる通りをどこまでも歩いて行けそうで、けれどそうやってたどり着くのは、ただ何もない地の果てでしかないことが感じられた。そこから先には、何もない。 沖縄の海も、平らに伸びていた。けれどもそれは、周囲に対してどこまでも開かれていた。その外にまだ見ぬ世界があること、そこから何かが海を渡ってうちなーにやってくること。各地に残るニライカナイの拝所から見ると、海を通じて世界に開かれていることの希望と不安がともに感じられた。鏡のように平らで、青くうつくしい海。その彼方に明るいものを見晴るかしたからこそ、琉球びとは海を渡って世界をかけめぐり、また、海を渡ってくる客人をどこまでももてなしたのだろう。めんそーれ、くゎっちぃーさびたん、いちゃりばちょーでー。実際にそのむこうからやってきたものが、やまとゆー、あめりかゆー、望まざる戦乱と蹂躙と支配であったとしても、なお、拝所から眺める海はうつくしくてしずかなまま、外の世界へ開かれていた。 北海道の空と大地に感じたのは、それとは反対のものだった。そこには、外がなかった。どこかへ渡っていこうとしても、否応なしに地の果てとぶち当たってしまう場所。果てがあるということで、広大な大地はその広大さを増していた。 どこかにつながっていると感じられるからこそ、僕らはあらゆる広さに耐えられる。どんなに大きな大陸であっても、それが世界とつながりその中で位置を持っているとわかった瞬間、その広大さは相対化され、僕らは自分の立っている場所がたしかにある、と実感できるのだ。しかし、どこにもつながっていない、この場所より他にないと知らされると、そこがどんなに小さい場所であっても、たちまち広大無辺なものになってしまう。自分がどこにいるのかわからなくなって、僕らは居場所を見失う。僕が札幌の街中で感じたのは、生きていくことのそんな途方もなさだった。 本州でもよく見かけるような、若い人たちが通りを何人も何人も歩いていく。沖縄のように顔立ちに特色が見えないからこそ、却ってその光景は異様に思えた。陽が落ちてきて、がんこ寿司みたいなネオンサインはいよいよその赤さを鮮やかにしている。ここはどこなんだ。僕のその問いも、もはや明確な形をとどめることが出来なかった。ここはどこなんだ。漫然と問いが繰り返されてはたちまちのうちに消える。自分が日本の北にいることはわかっている。わかっているけど、ここはどこなんだ。ここはどこで、僕は一体、一体どこにいるんだ。ここにいるのは、そもそも僕なのか。誰なんだ。 まだ明るい夕闇の空へと、輪郭もろともかき消えてしまいそうだった。 |
2004年11月24日水曜日
無煙浜まで(2)
バス乗り場には、まだバスが着いていなかった。サラリーマン風の男性が五、六人いて、うち二人が標準語で話しているのが聞こえてきた。あとは、家族連れ、カップル、等々。僕はバス待ちの列の最後に並んだ。運転手らしい格好をした男性が二人、列から少しはなれたところで話していて、「……ても、すぐ臨時のバスが来るべさ」と言った声が耳に一瞬焼きついて、僕はドキッとした。言葉はすぐに去り、ドキッとした感触だけが僕のみぞおちの方に重たく残る。 バス乗り場の向こうには、さっき飛行機の中から見たこんもりとした木々が横たわっていた。僕はそれを、何と呼んでいいのかやはりわからなかった。ぼんやり眺めていると、ますますそれが何だかわからなくなってくる。夕日は透明なカクテルライトで、外気は冷たかった。バスは、十分後くらいに来た。 バスが動き出しても、僕は夕方の光の中で薄ら寒さを感じるだけだった。窓の外には、マッチ箱を正方形にしたみたいな建物が見え始めていた。軍事施設だということは、すぐにわかった。きっと、雪や侵入にも負けないように頑丈に作ってあるのだろう。けれど、木がところどころに生えたなだらかな丘に立ち並ぶその建物の一群は、どういうわけか、どこまでもかるく儚げに見えた。風が吹くとすぐかき消えてしまいそうな壁、そして窓。軍事施設が果てて民家が見えてくるようになっても、その印象はますます強くなるばかりだった。切り拓かれ均された大きな敷地(あるいは空き地)の一端に、屋根の急な四角い家が辛うじて庭を押さえるかのようにして乗っている。 明治時代に本格的な「開拓」が始まった北海道は、西欧文化を取り入れることで近代化を成し遂げようとしたかつての日本の、最先端の実験場になった「内国植民地」でもあった。厳しい自然環境に立ち向かうために作られた西欧文化と日本文化の鬼子は、2004年の8月になってもまだ、どこにも自らのふるさとを見つけられないまま、空ろにそして頑丈に残り続けていた。 バスが交差点で大きく右折する。千歳市の車道は、よく整備されていて広かった。しかし、このアスファルトもまた、どこか地面からかるく浮き上がって見えた。大通りの上を走っていく車でさえ、書き割りか、あるいはモニターで上映された映像みたいだ。車道の右手に、敷地面積の広い建物が見えて、何か読めない漢字三文字の後に「自動車学校」との文字があった。ここも日本であるということを、僕は急激に実感してそんな自分にいまさらのように驚いた。けれど、そこにあるのはやはり、日本であって日本ではなかった。僕の知っていた日本はここでは根づくための土壌を見つけられず、薄く拡散してしまっていて、アイヌの呼び習わした土地の名の廃墟とともに、夕日の光の中にほの白い影を映すばかりだった。 外に植物しか見えないようになると、僕の沈黙はより深さを(あるいはどうしようもない浅さを)増した。本州ならば山と呼ばれるであろう斜面を覆う木々は、生い茂るというよりも、耐えているといった方がいい風情だった。太い幹を持ち、恐ろしい高さまで伸びながら、しかしどの一本もこの一本も、ある高さで押さえつけられているかのようにその生長を止めていた。空と大地の広さに対して、その窮屈なまでの停止は何か陰鬱なものを思わせた。そして、押さえつけられているあたりから湧き出しているかのような緑の葉は、本州のそれ(たとえば伊勢神宮の外宮)のように森林の深遠さを形作るのではなく、むしろ不揃いで原始的で、それゆえこんもりと迫り出し盛り上がっていて、混沌としたざわめきあるいは豊かなうめき声を抱えているようだった。そのせいもあってか、山は鮮やかに稜線を描くことなく、ごたごたとしていてなだらかに見え、その表面は丸く細かく波立っていた。 下草は、大きな葉をつけて水平に繁茂すると言うよりも、どちらかというと垂直に高く伸びていく植物が目に付いた。ここにも、セイタカアワダチソウが生えていた。細く細く伸びて穂をつけたイトススキが、夕日の中にほとんど溶け込んでしまいそうになりながら、かすかに風に揺られていた。僕は、先ほど見た民家の庭(空き地?)にも金色のイトススキがたくさん生えていたことを思い出して、切ないような透明な感情に急激に襲われた。「屈従の繁栄」。新千歳空港についてから初めてといってもいいくらいの言葉が、僕の頭をよぎる。認めたくない思いを感じながら、それでも僕はその言葉を何回も反芻して、窓の外の景色と重ね合わせ始めていた。 「屈従の繁栄」。北海道にあるのは、よく言われているような雄大な自然などではなかったのだ。たしかに、山々のスケールは大きい。木の幹も太い。しかしそれらは、思いのままに繁茂するというわけではなく、かといって調和の下に美的に構築されていくというわけでもなくて、むしろどこかで押さえられ、今にもかき消えそうになりながら、耐えていた。建築物だけではない。木々や草花でさえも、ここでは厳しい自然環境の中でのびのびとした居場所を見つけられないまま、冷たく澄み切った空に屈従することを通して、その屈従によって辛うじて赦されまた力を蓄えることで、広大な大地の上に自らの繁栄を繰り広げていたのだった。 僕は、何を探してここまで来たのかわからなくなった。この八月の旅を通して見えてきつつあったもの、旅の最終地であった北海道できっと見つかるだろうと思っていたもの。それが何だったのか、思い出すことさえ困難になっていた。バスの中で、窓に頭をつけて少し眠った。目覚めると、バスはもう札幌の市街地に近い所まで来ていた。 北海道に実際住んでいる方に対して結構失礼なことを書いてありますが、 これ以降の部分で訂正されていくはずです。ごめんなさい。 |
2004年11月13日土曜日
無煙浜まで(1)
飛行機が降下を始めて、目の前のモニターに映る灰色の滑走路が大きくなってくる。僕はそれをじっと見つめていたが、通路を挟んで隣の席にいたサラリーマンは依然退屈そうに雑誌を読んだままで、どんなにアナウンスが繰り返し流されようがシートベルトを一向に締めようとはしなかった。来年から僕もサラリーマンの端くれになる予定で、そうなると僕も飛行機の中で不遜そうな顔をして雑誌をにらみつけるようになるのだろうか、と他人事のように考えた。伊丹でともに乗り込んだ時にはさんざんうるさく喋りながら野球カバンを行き来させていた滝川第二高校の生徒たちはいつからか黙っていて、彼らの目は静かに前を向いていたような気がする。機内の明かりは夕暮れ時の薄暗い部屋のような色をしていて、滝川第二の沈黙の向こう側に、降下をつづける飛行機とたしかに近づいてくる大きな風土とを僕は感じていた。 灰色の滑走路はどんどん迫ってきて、押しつぶされそうに感じた途端モニターの映像に虹色のノイズが横様に走り、その次の瞬間には映像は滑走路の先の光景に切り替わっていたはずだが僕はもうその時には滝川第二の肩越しに小さな窓のむこうのこんもりした緑を見つめていた。それは木々だった。木々のくせに地平線みたいに果てしなく平らにつづいていて、夕日に照らされてじっと耐えているのがそれもまた地平線みたいで、それにしても地平線にしては木の一つ一つの集まりがこんもりとしていて海のように波打っていて、波立つというよりもやっぱり丸くこんもりとしていて、緑で、木々だった。 モニターの映像の中で、小さく映っていた人が次第にはっきり見えるようになり、かといって近づきすぎもしないあたりでその人がピカピカ光る誘導棒をクロスさせて、少しの余韻を残して飛行機は止まった。その余韻のただなかからどうやって立ち上がっていいかを考えるともなしに考えているうちに、高校生たちはもう立ち上がって鞄を下ろし始めていて、隣のサラリーマンは座席の間で窮屈そうに半分立ったまま依然不機嫌だった。 滝川第二の高校生たちは、降りる途中で五十代くらいの顔の丸いおじさんに捕まって、「いやあ、あれ、テレビで見てたよぉ」と、今年の甲子園の選手宣誓の話などをされていた。高校生もよく聞こえなかったが何か小さく笑いながら言葉を返してしていて、僕は通路で立ち往生しながらその言葉の交わし合いをのんびり眺めていた。機内でそうやって滞っていても、窓越しの光景などから外の空気がずいぶん涼しいことはひたひたと感じられて、大阪で日焼けした高校生たちの顔とこの八月末の北海道の光景との間にさしはさまれるわずかな時間のずれが、僕にはとてもいとおしかった。この八月を、僕らは皆、それぞれに旅してきたのだ。外から差し込む肌寒くもなつかしい光が、機内のいたる所でやわからかく砕けている。 飛行機から降り、ずっと柱に寄りかかったままで荷物が出てくるのを待った。ベルトコンベアーの近くで押し黙って待っている人たちもいたし、荷物を誰かに任せてトイレを探しに行く人たちもいた。内側から見る空港は白く大きくて、その壁際いっぱいにまで広がって僕らを包む空気は澄んでいてかすかに肺に痛かった。振り返れば、この巨大な箱型には明らかに不釣合いな、細長いゲートが見えて、荷物を拾って肩に担ぎながら手続きを済ませてそれをくぐると、僕は北海道に来たという実感を、急激に襲ってくる冷涼な自由さとともに味わうことになった。 僕は一昨年の末、旅先で言葉を失うという経験に冬の沖縄本島でぶち当たったことがある。あの時は、曇り空の下でゆれている棕櫚の木や、アスファルトで固められた道路の脇から零れ落ちている赤っぽい土を見ているうちに、自分がこの場所でどのような言葉を吐いていいものやら急にわからなくなった。詩の言葉とかはともかく、我々が日常使っている言葉は、あらゆるものから独立して抽象的に存在しているわけではなくて、生まれた土地のリズムやその言葉が経てきた様々な具体物の影などをどうしようもなく背負い込むことで、初めて言葉として僕らのもとにやってくることになる。それゆえ、言葉が発せられるためには当然そのリズムと影にそぐうだけの外郭というか空間というかが必要で、それがない時僕らの言葉は発せられてもどこにも場所を占めることが出来ないから、たちまち路頭に迷い出す。僕が沖縄で感じたのは、そのような感覚、つまり言葉を発しようとしても、それが拠り所とするものが沖縄の景色の中に見つからなくて、結果声が喉から外に出てこない、という感覚だった。では、かわりに沖縄のリズムや沖縄の影がその時感じ取れたかというと当然そんなわけはなく、そんなものはどうやったって見えてこなくて、僕はただ、何と呼ぶことも出来ない圧倒的な光景を前に絶句するばかりだった。 大和民族である自分を意識しないまま、「どこに行ったらおいしいもん食べれますのん?」とか「せっかく沖縄来たのに天気悪くて残念やわあ。それに、こんなに寒いもんなんですなあ。こんな天気では、きれいな海とかも見れませんやろ?」などといけしゃあしゃあと関西弁(いや、伊賀弁だが)でまくし立てるような、そんな観光客気分には少なくとも僕はなれなかったし、かといっていきなり知った風な沖縄言葉を喋り出すのも、沖縄にいる関西人(いや、三重県が関西であるかは至極微妙な所だが)である自分を手軽にごまかしているようでやはりいやな気分がした。その沖縄旅行は母が得点を集めて当てたパックツアーだったのだが、バスガイドさんが僕ら他「お客様」に向かって仕方がないとは言え慇懃な標準語で喋るのも何だか気持ちが悪かったし、彼女がアトラクションとして教えてくれた琉球語を「変な言葉あるんやなあ」といって面白半分に使っている同乗者にも吐き気を覚えた。僕はずっと不機嫌にバスの外の光景を眺めたまま、そこを通り過ぎていく人々の顔立ちや歩み方、さらには風にしなっている木々や空で砕けていく雲のリズムなどに、バスガイドさんや運転手さんが時々漏らす現地の言葉が重なっていく瞬間を待っていた。景色と言葉が重なり合うところにある回路というか、秘訣みたいなものを見つけることが出来れば、その時僕も自分が吐くべき言葉を見つけられるだろう。そのように思っていた。 ゲートをくぐると、「祝! 駒大苫小牧高校甲子園優勝!」とかなんとかいう垂れ幕がかかっていて、新千歳空港は通路もホールも少し薄暗くて寒かった。駒大苫小牧の優勝は、華々しかった今年の甲子園の最後を締めくくるにふさわしい一大トピックで、これまではどうしても白河の関を越えることができなかった真紅の優勝旗が、激闘の末にいきなり津軽海峡を越えたのだからその感動はただの観客の身にも計り知れないものがあったし、むろん、北海道びいきの僕としてもこの優勝はこの上なくうれしかった。けれど、現にこうやって初優勝の喜びを我がこととして喜んでいる人たちの空間を通り抜けていると、自分がやはり結局は違う土地の人間であることが切々と感じられて、僕は他人の景色の中を横切っていく旅行者にしか過ぎなくて、その足は何も切り拓かないままリニアモーターみたいに水平移動をしていくだけだから、それまでたしかだった自分の輪郭がうっすらと消えていき、「バス乗り場」という案内板にしたがってエスカレーターを降りる頃には僕は言葉もろとも肌寒さの中に拡散していた。 |
小詩集 『無煙の海』
あなたの笑顔 あなたの笑顔に 場所があるならば わたしにください 傷だらけの腕で 癒し系なんて呼ばれて 消費されていくあなたの一瞬 の やわらかい経血 穏やかな穏やかな中音で また 笑う その笑顔の場所を ください行き過ぎず 切り拓いていく足になるから 部屋ではなく 無煙の海 わたしのさまよう原野のむこう 夏のひと日がくず折れていく 波のように ベースのように あなたはそこで弾(はじ)かれて また 笑う 痛む腕の 跡形もなく 違うところへ もうほほえんでいる 遅れる。 遅れてきた子が、 一人、棒になって傾いでいく海辺で、 僕らは何度も、 何度も波をくぐり抜けよう。 夕焼け色に染まった、 髪の短い、あなたの頭が、 うなづくみたいに、 しずかに沈む時 絶望なんていらない。 名前も知らない棒きれを起こして、 やさしくかついで、 さあ、一緒に帰ろう。 覚えられない家までの道を、 二人と一人で、 どこまでも遅れながら。 次のしぶきまで。 ZONEの「太陽のKiss」へのオマージュ かづく朝に また飛び込んで 青 夏のど真ん中 やどかりが かりそめの境界線の上 石舟のように 這う と 二人で作った砂の城が (しかし、誰と誰とが?) そこで何度も生まれ直しては また 濡れる 足跡ばかり駆けていく 掴める夏 太陽のKiss ザクロみたいな夕空が降るまで 新生 脱ぎ捨てた空 懐かしい傷さえ残さずに 肌はさらにやわらかく おどる まわっている風が 幾重にも剥がれていく そのあい間に宿された ひと夏 わたしたちは笑っている 青くゆれているハンモックから 起き上がってダッシュする 海辺の砂の上 焼けた骨よりもまぶしい 真っさらな白い板を抱く 刻まれた名前は見えない 亡くした人さえいなくなるひと夏 (2004年5月18日~6月25日) |
長編連作詩 「焔(ひ)、千鶴」(往路)
千鶴 千鶴 焔が ふるよ 千鶴 千鶴 焔が ふるよ お前の生まれた半島を辿って 帰ってきた 六月が お前の生まれた十一月に こんなにつめたい 焔をふらすよ 眠ったままのお前 梅雨かもしれないね 千鶴 今はもう 梅雨かもしれない 千鶴 千鶴 焔が ふるよ * 雪をかぶる、 何体ものお地蔵さんに、 手を合わせ、 拝む 一瞬。 幼かったわたしの、 止まっていた、足音が、 お寺の門から、 後ろ向きに遠ざかっていく。 わたしの頭上、高い梢からは、 しずく。 またしずく。 ひかり そうしてわたしは目を開き、 初めてあなたを、 見つけたのでした。 遠くから、 雪玉を投げてよこす、 あなた。 笑いながら、 わたしは逃げます。 どこまでも、 あなたに対して背を向けながら。 (痛くない (痛くない そして、 粉のような雪の中、 ころぶ 雪の上に寝そべって 空を見る、 わたしの頬で、 雪のカケラが、 溶けていきます。 白いかすかさから、 しずくの輝きへと。 そうしてわたしは、 笑っていた口を、閉じられないまま、 ときどき森を見遣りつつ、 息をしつづけます。 ここで ひとりで 「見えますか? そこからは、見えますか? わたしの口の中の、 この、何本もの小さな歯が。 そしてそれは、 この雪と同じように、 白く 見えているのでしょうか? あなたから * 千鶴 千鶴 焔が ふるよ お前の着物の 緋い 袖から こんなにさびしい 波 足跡 * ひじ を見せて、 女(少女?)は歩く 緋い着物が、 風に流されている。 冬の海辺。 下駄の歯が、 湿った砂を食む。 白い日が開く水平線 に、 女は背を向けて立ち止まり、 風の中、 孤独な、 海を想う。 広がっていく、 さびしい海の上、 どこまでいっても、 船は見つからない。 誰も待っていない、 そんな海を眺めながら、 彷徨う 女は 砂にくだけていく。 (細いうたごえ 高い青空 の見下ろす、 半島の、冬の海辺で、 女は下駄を脱ぎ捨て、 岩に背をつけて丸くなる。 足袋は汚れ、 着物の裾も汚れ、 しかし女は、 湿った砂を払おうともしない。 ただじっと、目をつぶったまま、 岩に背をつけて丸くなる。 白い日に晒されたまま、 女(少女?) は、 一本一本の、 髪の輝きへと、 一本一本の、 歯のかたさへと、 うすく開いた唇へと、 そして、緋い着物の胸元にのぞく、 まだ幼さの残る、乳房へと、 見つめられていく、 風の中、 ひかりの中で、 (細い足首 (細い指先 (海 湿った砂浜に残る、 女の、緋い足袋ごしの足跡。 ここには冷たい風が吹くから、 打ち寄せる波の、ほんの近くまで、 まだ、雪が とけないままで、残っている。 * 千鶴 千鶴 お前は どこなの? わたしの娘であり わたしの母である人よ 千鶴 今日も空から お前の名前が ふるのです けれど そこにはお前の 手が 見つからない 千鶴 千鶴 お前は どこなの? どこの世界の縁側に お前は腰かけて いるのでしょう いま 千に裂かれていく ひとつの名前 * 犬 二匹。 わたしは縁側に腰かけて、 ふた所からの僕らの視線に、 ちょっと 興味ないみたいにして、 首を傾げてみる。 足を投げ出して。 (宙ぶらりんの足もとを、 風 が吹いていると思う。) くもり空。 さむい空。 (ここからは見えないけれど。) わたしは正座しなおして、 犬の一匹と、 戯れる。 その手からエサをもらおうと、 犬が 縁側の上で立ち上がり、 その様子を、 はるか遠くから見つめている、 もう一匹の、 僕。 (澄んだ黒の瞳。) 紫の着物を着た、 少女 は、 立ち上がり、 流れるように歩き出す。 光の射し込む手水場で、 溜めてある 暗い水を、 柄杓でかきまわす。 ごぽごぽと、 ごぽごぽと、 かきまわす わたし。 (水を掬い上げ、 また流し落とす。 最後の一滴が落ちた瞬間、 少女の顔は、 まるで死んでいるみたいで。 青ざめた光の中、 じっと 柄杓を見つめている。) 手水場から帰ってきた、 あなた は、 僕らに柄杓で水をくれる。 柄杓を下から押し上げてくる、 犬の舌。 零れ落ちた 何滴かのしずくは、 石の地面を、 黒く濡らす。 わたしの差し出した、 白いただむきを、 かみつく。 そして覆いかぶさっていく、 金色のけもの。 少女は笑う。 埋み火を拾い上げる火箸、 それを繰る両腕のように、 笑う。 息 を吹きかけている。 (今は閉められたガラス戸のむこう、 あなたは 死んでいるみたいだ よ。 ガラスに息を吹きかけて、 灰のように 白くして、 文字を書いている。 その指も、 そのまなざしも、 書かれてゆく 文字さえも、 みんなみんな、 幽霊みたいだね わたし。 ねえ……。 そこはどこなの? * 雪のひかり の 窓 に開いて お風呂 オレンジの 火照り 白い浴衣に 淡く 牡丹の 描かれていて それを着たまま 湯舟に沈んでいく あなた つかる あなた 流木のよう 湯の中を漂って あごを乗せる 湯舟の縁(へり) 目をつむる ハミング 文字もなく ゆらめいていく 雪のひかり オレンジの 火照り 露わになる あなたの背中 に 傷はない 水をはじく腿 なだらかな肩 指先 やがて 湯舟のまん中で 丸くなる あなた ひかりと火照りの 間で しばらく そのしばらくの 後 湯舟から出る 火照りのほうへ 開けた胸元の なだらかな肌 忘れえぬ女の 笑み それはまた 忘れられていく 少女のような しかし 白い浴衣は その裾は なお つながっているのだ あたたかな湯と 濡れて よじれて まるで臍の緒のように (二〇〇三年六月二十四日~七月三十日 以降中断) |
2004年11月3日水曜日
映画的世界に対する文学 後編
「前編」http://awono-katei.blogspot.com/2004/11/blog-post.html 「中盤」http://awono-katei.blogspot.com/2004/10/blog-post_21.html 映画的世界において、外にでることが不可能ならば、その中でどうにかリアリティーを生むしかない。たとえそれが本当は自分の死とともに消える幻想であっても、その幻想を肯定しそこに何らかの意義を見出さなければならない。このことに対する映画の登場人物からの真摯な問いが、黒沢清の『ニンゲン合格』の例の台詞「おれ、存在した?」だったのだ。そして、世界にリアリティーを生む試みとして、『蹴りたい背中』のようにギリギリの所での身体の復活を目指すものなどが生まれてくる。 しかし、『蹴りたい背中』のやり口、すなわち身体感覚(それを感受性といっても多分いい)を乗せた言葉を世界に対して打ち返すという方法は、もともとは詩(特に抒情詩)が得意とするものであった(とはいえ、無論いつでも詩がそのような形をとっていたわけではなく、感受性の代わりに思想を乗っけたりと色々としていたわけなのだが)。そして現在において、刹那的な皮膚感覚と言葉と現象としての世界とがぴったり張り付きつつ、それが主体や思想にまとまられるのではなく分散している、という詩が多くなってきていて、しかもそれが自分たちの表現として受け入れられている、という事実はその点からも注目に値するだろう。 ただ、分散も下手なやり方でやってしまうと日常雑記に近くなってしまう、という危険があって、小説はもともと無形式で散漫に書きつづけていくものにエンジンをぶち込んで読者とともに連れだっていくというジャンルなのだから、日常雑記風でもどうにかなるだろうが、詩ではそうも行かないだろう。そのあぶなっかしさに無自覚な詩が時々見られるようで、そういうのを見るとどうなんだろうなあ、と勝手に心配したりしている。 一方、歴史を前提として自分を語るのではなく、自分とそれに近い物を前提として語り始めて、それによって連綿と続いていく時間や空間を映像平面上に生み出す手法というものもある。『介護入門』では「記憶」という個人的なものを媒介にしてそれを行っていたし、保坂和志『カンバセーション・ピース』では、話者の住んでいる家という空間が、ここに「ない」もの(単純に言って、死者とか)と話者とを触れ合わせて繋げている。ただ、『カンバセーション・ピース』は時にハイデガーとあまりにも接近しすぎていて、それが少し危なっかしさを感じさせたりもする。 しかし、そのあぶなっかしさを差し引いても、保坂の「世界を肯定する哲学」は、映像である世界に対するものとして非常に示唆的であるだろう。彼は、映像であり幻想であるかもしれない世界に対して、その外に出ることで世界を回復しようとのではなく、あくまで世界の内側にいながらその上に、ここに「ない」ものや、具体と抱き合った形での抽象などを引き込むことによって、事実上「外」を回復しそれを媒介にして「世界」を回復するのである。 さらに、詩で面白いのは、話者が希薄であること、すなわち話者がもはや主体としての一貫性(アイデンティティー)を奪われた「目」でしかないということを逆手にとって、話者の括弧つきの「人間」的な感覚・感情を言葉からどんどんなくしていく、という手法が出てきていることだ。これは、映画的世界に対して、映画の映画たるあり方を上手く利用したやり方と言ってよく、このタイプの詩において、言葉は他者としてそこに立つ。 といっても、その他者というのは、もはやレヴィナス的「外」の存在ではなく、そこに確かにあるのだけどどうすることもできないみたいな感じ、すなわち物質性を帯びた存在であるに過ぎない。そしてもちろん言葉には意味的側面と情動的側面があるわけで、その両者は「どうすることもできないみたいな」という物質性の中で失われるわけではない。むしろ、言葉は「人間」の手を離れることによって、普段「人間」の感情や意図に従属するために小出しにしている意味的・情動的側面を、自らの輪郭の内に充実させるのである。すなわち、言葉がより括弧のない人間的な真実を宿すのだ。 さらに、話者について言えば、生身レベルではもはや一貫性を持ち得ない存在であるのだが、今回話題にしている場合のようにほぼ無化してしまうと、その語りの中に一貫性を持ち込むのは容易になってくる。しかし、そのような一貫性は形式的なものであって、語っている主体はそもそもほぼ非在なのだから一貫していて当然だし、並べられている言葉はというとそれぞれが物質性をもった他者であって、一見一貫性があるように見えても実際の所はそれぞれ自分のうちに意味的・情動的側面を秘めているのだ。 そして、その他者としての言葉の、あるんだけどどうしようもないという存在感、さらにはそれらがかち合った時におこる軋轢やエネルギー、そこにリアルが生まれるのである。しかし、これはもはや「人間」的な感情を表現するという次元からは遠く離れていて、僕らを脅かす。さらに、詩を語っているのがそもそもほとんど非在に近い話者であるために、その言葉に耳を傾けているうちに、僕らが今でも信じているような近代的「人間」像は砂粒のように解体されてしまうだろう。そこにあるのは、劇的でもなんでもない静かな死だ。あるいは、死と生の灰色の中間帯、主体が限りなく散乱していく空き地。しかしその死の中に崩れ落ちることで、僕らはスクリーンの白、すなわち、映画に担保された唯一の「外」(しかしそれは、厳密に言えば外にあるのではなく、僕らのそれぞれの世界とともにいつだって横たわっているものである)に、触れることが出来るのだ。 解体の方に賭けるか、それとも言葉の組み合わせの方にかけるかは人それぞれだし、そのどちらにするかで作品の趣きは大きく変わってしまうのだが、このようなあまりにも映画的な話者(それは時には自己喪失とも呼ばれるだろうし、亡霊とも呼ばれるだろうし、異星人とも呼ばれるだろうしアトムとも呼ばれるだろうし(いや、それはないか)あるいは離人症とも呼ばれるかもしれないけど)が現在のように日常ミニマリズム全開の時代にどのように詩を書いていくか、僕は今でも興味深く眺め続けている。 |
映画的世界に対する文学 中盤
綿矢りさ『蹴りたい背中』が芥川賞を取った時には、様々な騒動が起こって、僕の友人の中にも彼女の受賞に対してキレている人がいたが、それはともかく、今年はモブ・ノリオ『介護入門』が同賞を受賞した。この二つを並べてみた時(すんません、金原さんのは読んでません)、気づくことはそこに描かれている世界が小さい、ということだ。このことについては、綿矢りさが受賞時の記者会見の時に自分で言っていて、それを聞いて僕は何だかうれしくなってしまったのだが、その時彼女は自分が「小さな世界のことしか書いていない」と言ったのだった。 もちろん、『蹴りたい背中』が小説の伝統的な形態を崩していないのに対し、『介護入門』がそういう意味で破格なものであること(この小説を、こんなのエッセイじゃん、という人も当然いると思う)、さらに『蹴りたい背中』が小説世界とその展開に沿った言葉で構成されているのに対し、『介護入門』が小説世界だけでなく現実世界に言葉を投げつけようとする姿勢を見せている点など、違いは認められるだろう。しかし、いくら『介護入門』が現実世界の方に攻撃的に言葉を投げようが、その視点は三十歳無職麻薬常習者で祖母の介護をしているという人物の世界から離れることはないし、同様に『蹴りたい背中』のストーリーを組み立てている語りは常に話者たる女子高生から発せられているもので、小説を巨大な「世界」に対応するひとつの物語とするような意志は感じられない。 「映画的世界に対する文学 前編」において、僕は世界が映画化されていることを述べた。それは簡単に言って、我々がいる世界が、その外部たる真実の世界を想定しにくくなった、ということだった。そのような世界の中で、かつて確固としていた身体は映像あるいは幻想の中に拡散してしまい、個人が背負うパーソナリティーはロマン主義的な「真実の自己」にかぶせられた仮面ではなく、拡散した世界に貼りついてもはや剥がすこともできない映像になってしまった。 上に述べたことは前編でも述べたことであるのだが、ここにもうひとつ付け加えるのなら、世界が映画化されたことで、我々は「我々」ではなくなった、ということができる。 僕らは個人で生きていて、自分の世界の外には出られない。そのような僕らを自分の世界から括弧つきの「世界」へと繋げるものが、あるときは神話でありある時は歴史でありある時は「真実」であった。これらを拠り所にすることによって、僕らは、自分が生きている世界がこれまでも存在してきたしこれからも存在し続けていく、ということをリアリティーとして受け取ることができたし、その中にいる自分というものを想定しやすかった。だから、「世界」は自分の視点をも超えた大きな時空として存在できたし、その中にいる他の人々のことも自分に対するのと同じリアリティーをもって「我々」と呼ぶことが出来た。 しかし、映画としての世界は、このような拠り所としての「真実」を失ってしまった。モンスター映画の中の主人公は、自分の映画の外に別の世界があることなどは考えられない。彼は、自分の映画の中で生きていくだけで、映画が終わればその世界はたちまち白いスクリーンに戻ってしまう。そこには、彼の存在を引き受けてくれる歴史も真実の世界も何もないのだ。結局はすべて幻想であって、自分もその一部分として躍っていただけになってしまう。 かつて『ラストアクションヒーロー』というハリウッド映画があって、少年がアクション映画の中に入ってヒーローと言葉を交わしたり現実世界にヒーローを連れてきたりして大冒険するのだが、実際に映画の中に入ったとしたなら、映画から自立して行動することなどできず、登場人物の一人として映画に取り込まれてしまうのがオチだろう。実際、そもそもその映画の中に入り込む少年にしたって、すでに『ラストアクションヒーロー』という映画の中に取り込まれ映像に貼りついてしまった存在であって、結局その外には出られないのだから! ここにおいて、「我々」という視点が立てにくくなることは、明白であろう。なぜなら映画的世界において、僕らは自分の見ているものが本当にあるものかどうかに対して決定的な確証を得ることが出来ないからだ。そして、自分の視点を超えた「世界」にしろ、他人の視点を自分の視点と同等に受け入れる「我々」にしろ、そのリアリティーを失ってしまうことになる。 しかし、このような世界でも、デカルトではないがとにかくそれを見ている自分が存在することだけは確実だ。デカルトはここから神の回路を通ったが、それは我々には許されていない。しかも、デカルトは「我思う」と言ったが、その思惟自体が与えられた範疇の中での動作に過ぎない場合もあるわけで、そうなってくるとどこまでも確実なのは刺激を受けている自分、端的に言って「見る自分」がとりあえずはある、ということでしかない。それゆえ世界は、ただそれを見ている自分の存在を担保にしてしか成り立たなくなってくる。だから必然的に、世界は小さくなってくるのだ。 ここで補足的に付け加えるならば、この世界の不安定さは、そのまま自己にも跳ね返ってくる。映画を見ている自己、というものが映像の中に拡散した存在であることは前編で述べた。それが本当に自分であるかどうかなど、自分にもわからない。歴史や神が、自分が自分であることを保証してくれるわけではないし、「見ている自分」の存在も、ただ自分が存在することだけは何となく感じさせてはくれても、自分が自分であることを保証するには力不足だ。そうなると結局自分を位置づけるには自分の世界にいる他人の目に頼るしかないのだが、確固たる自分がないまま他人の目に依存することは、自分がさまざまな場面や役割などによって引き裂かれてしまう、というアイデンティティークライシスにまでつながってくる。しかも、その他人の目ですら究極的には幻想であるのかも知れないのだ。 かといって、その映像世界の外側に出ようにも、映像世界を成り立たせているのがもはやそれを見ている自分しかないのだから、結局の所死んでしまうしかない。しかし、死んだら外にいけるかと言うと、それでおしまいになってしまうかもしれない。その真実であり同時に終局でもある死と、幻想との狭間で僕らは生きていて、結局その人生の中で自分なりの確信みたいなものを自ら見つけていかなければならないのだ。 では、『蹴りたい背中』や『介護入門』が、その世界の矮小化に対して甘んじているだけの文学かといえば、そうではない。それならばそもそも賞など取りはしないだろう。それでは、何が違うのだろうか、というと、一言で言って語り口が違うのだ。語り口といって曖昧ならば、言葉の出して来方が違う、と言えばいいだろうか。彼らは、すべてが幻想かもしれない世界の中で、唯一の拠り所である「見る自分」の場所から語っている。そしてそれは、思惟する自分よりもより原始的・動物的な次元での反応であり、事物が自分の基にやってきた時に思わず返してしまう反射的な反応としての言葉である。そして、この動物的次元に戻ることで、映画的世界で拡散したはずのの身体が何とか復活を果たすのだ。 この点については、『蹴りたい背中』の方が過激だ。女子高生言葉を有効に使いながら、筆者は現実を恐ろしい速度で、そして身体の実感を伴った言葉で、切り取り同時に打ち立てる。それは、世界を切り取ると言うより、世界の方から来たボールを打ち返す、と言った感じかもしれない。そして、普通ならきれいに当てにいくバッティングが多い所で、彼女は自分のスピードで、身体の芯からバットを出す感じで打ち返すのだ。こちら(読者側)に飛んでくるボール、すなわち言葉には、その彼女の一瞬の身体捌きが宿っていて、それが僕らにユニークさとそこに他人がいるということの不思議なリアリティーを感じさせる。そうか、このように世界に反応する身体があるのか、と。 『介護入門』の方は、田舎の旧家の息子という自分の出自と記憶に、ロックの最底辺で使われている言葉や世界観を重ねていて、いささか戦略的ではあるが、やはり生きるものとしてのギリギリのところでの(すなわち、「世界」に対応する「思想」などが瓦解した地平での)リアリティーを感じさせる語りになっている。さらに彼は、そこで自らの「記憶」を基にして、祖母の生を自らの生のようにリアル化して引き受けてみせる。そしてそれは広がって、自分を生かしているこれまでのその土地の歴史らしいものを物語の中に息づかせることに成功している。これは、この後述べることにも関わってくる。 これらの作品の語り口というのは、服装とか肉とかがギリギリまで削り落とされた先に見えてくる骨格の違いのような、いわば極限の個性の形である。それは一般的に考えられている個性というものがもはや信頼のおけるものではなくなって、流通する記号のようなものになった現代において、なおも文学に個性を求めていった先で現れたギリギリの地金なのかもしれない。 |
2004年10月27日水曜日
壊れちゃった、とか
(まえがき)というかなんというか、「映画的世界に対する文学」の後半が書けなくてそれなのにこんなものを書いている俺を許してほしい気がするが、何より小説「ZONEのことなど」であれだけ書いたのに一晩のた打ち回って悩み抜いた結果、「CRYSTAL LIVE X」(長瀬実夕さんや天然色の出る東京のライブ)に行かないことにした自分がやりきれない。恩返しできなくてごめんねランタイムさん及びレッドワーカーズさん! さて、「クラッシュは、床に落としたら壊れちまったって感じだ」ってのはクラッシュのギター・ボーカルだったジョー・ストラマーがクラッシュ解散後(解散後どれだけ経っていたかは知らんが)のインタビューで言っていた言葉だが、その精神に今頃になってとても魅力を感じている。バンドをかっこよく終わらせるっていうのはそれこそかっこいいことだし、だからこそピストルズは今でも伝説なんだろうけど、やりきるだけやりきった結果というか床に落としちまうところまでやってしまってその結果、あっけなく壊れてしまった、というのも思い切りというか無謀さというか残酷なまでに無邪気なエネルギーというか、そういうものをあっけらかんと感じさせて素敵だ。 俺はそもそも記憶を形に残すことが嫌いで、だから記念写真とかもあんまり撮らないしビデオとかその手のものも割合苦手だ。いや、そんなことを言って黒沢清が出たトップランナーのビデオとかZONEが出た番組のビデオとか家には山盛りになっているのだけど、そういうのはなんとなく録ってしまうのであって見て記憶を確かにするためのものでもないし、実際あんまり見ることはない。そして、自分がナマで経験したものは、やはり思い返せるように形に残してほしいと思いながらもそれが与えてくれるものが結局、自分の記憶の流動と生成が与えてくれる独特のまぶしさに届かないことも知っている。だからこそ、俺はこれまで自分の中の思い出というものを大切にしてきたし、大切な思い出ならばそれは画然と他のものから区切られて存在してほしいと思っていた。 で、まあ今回のCRYSTAL LIVEなんだが、なぜ俺がのた打ち回るほどそれに惹かれているんだろうということを実際のた打ち回っている最中にふと考えた。そして気づいたことに、それはあのライブが少なくともZONEにとってまさにZONEを床に落とそうとする運動であるからだった。今年の彼女たち四人の夏ツアーは、特にバンドとしての強力な一体感と決して妥協しない気迫とを感じさせてあまりに感動的だったので、俺は例によってそれをきちんと区切って覚えておこうとしていたのだが、ツアーが終わった途端にヴォーカルの中心であったMIYUという人が長瀬実夕としてZONEとは一線を画するソロ活動を開始、所属スタジオ主催のCRYSTAL LIVEに出ることになった。そのライブにはもともとZONEからもう一人MAIKOという人が特別ゲストが出ることになっていたのだが、その人もZONEの代表としてではなくあくまで一人のアーティストとして、天然色という自分のユニットを率いての参加だということが後になってわかった。 もともと四人の音楽性も個性もバラバラで、その上メンバーの自由度を優先するグループだったし、いつかこういう形になってくるだろうとは薄々思っていたが、まさかツアー直後(といっても、ファイナルからもう二ヶ月たつのだが)にやってしまうとは思わなかった。そしてそのことの重さに気づくことよりも早く、怖いものみたさや単なるショックから来る懐古的な気分とは全然違う衝動が俺を動かしていた。彼女たちは、ツアーで作った自分たちを床に落とそうとしているのかもしれない。それを見ることによって俺の持つ夏ツアーの思い出は確実に輪郭をぼろぼろにされるだろう。それでも俺は見てみたいのだ。床に落ちこれまでの形が壊れたところに見える現在進行形の彼女たちの、前に進んでいくその姿が見てみたい。 11月19日には今年の夏ツアーのツアー写真集が発売されることになっていて俺ももう既に予約までしてしまってあるが、それがなんだかどうでも良くなってきた。なぜって三ヶ月前ライブだったものが写真になって出る時には、彼女たちはもうそんな場所からはずっと遠い所にいるのだから。そのことを彼女たちが今現在明確に、その姿でもって示してくれているのだから。違う所というのがどういう場所なのかはわからないけれど、彼女たちはもうすでにそこを目指して自分たちの破片をくぐり抜け、他でもないただ一人の身体で歩みつづけている。 んで、ここからは短い<本編>なんだが。現代文学はもう、壊れることを生業にしてきているんじゃないかしらと高橋源一郎『あ・だ・る・と』を読みながら思った。そういえば、カミュの『ペスト』も、なんかヒューマニスティックなように見せて最終的にはなんか解決できないというか収集できてない、もうちょっとましな言い方をすれば、語り手が一人で物語を背負うしかない状況になってるのに明らかに背負いきれていず、結果語り手が小説のドデカさに引き裂かれてしまっていてそれによって事実上小説自体も破綻している。これを不条理だとか正義の不在だとか簡単な言葉でわかった振りするのは簡単だけど、そんなやつは自分で実際に物語を背負って壊れちまえ!と俺なんかは思う。あ、でも、そもそもそれができないからわかった振りするのか。しまった。 で、壊れている文学といえば、小島信夫なんかすごいわけで、語り手がなし崩し的思考(この場合、なし崩れ的思考か)をしていて俗に現実的とか客観的とか言われる一貫した視点がそもそも作れていない。それをいかにもアバンギャルドっぽくやるんじゃなくて(というか、今日において行われるアバンギャルド的壊し方は、「落としたら割れちまった」的壊れ方ってのとは根本的に違っているような気がする)ものすごくよくわかる開かれた文体で、とっても親しみやすくそのぐるぐるしながら奇妙にずれていく思考を見せてくれるんだからたまんない。バカみたいに笑えて、楽しくて怖い。 この壊れるということは、ひとつにはシミュラークル化したといわれる世界を脱臼させる上でちょっと面白いんじゃないかと思う。壊れることは必ずしも僕らを映画としての世界の外には出さないが、逆に映画自体を限りなく瓦解させてその底辺部にできる空き地によってリアルを見せてくれる。「床に落としたら」というのは高度差のある運動であって、床っていうのは普段意識されてないしはっきりと見ることはできないけど、落としたものが砕けることによって初めて視線が向けられ意識されるものだ。それは、最終的にいかなる映画も犯せないスクリーンの白に似ている。あるいは、黒沢清の映画に、映画自体ですらわかってないようなシーンが入ることと同じようにして、引き裂かれたり収まりきらなくてはみ出したりした先に外側を感知させてくれる場合もある。さらには小島さんよろしくシミュレーションの世界の中で飽きずにぐるぐるやっているうちに、シミュレーションの中に変にリアルが生まれてくることがある。それは、小説の文章が生の時間を孕み出す感じ、あるいは青山真治監督の映画『ユリイカ』でのアホみたいに長い長回しが、映画の中にたしかに空間があるという妙な実感を僕らに与えるのと似ているのかもしれない。 じゃあ、詩ではだれが壊れてるんだろうって考えたら、不勉強ゆえ出てきませんでした。ただ、その潮流はやっぱりある気がしていて、身近な様々なものを歌いながら、歌っているのは主体とかではなくてもう刹那的な皮膚感覚でしかなくて、その皮膚感覚自体も詩の中で拡散していく、というのはなみさんとかみいさんの詩とかちょっと前のちょりさんのとか読んでて感じるのだけど。ああ、あと今村知晃さんも。まあ、それぞれ特徴はあって、たとえば今村さんのは落として壊れるその速度自体で突き抜けようとしていたり、割られるものの放つ光の多彩さ加減でそのむこうに光源としての野生の太陽を感じさせたり、さらにいいときにはそこに廃残者的自意識が絡んできて詩を独善から解き放つばかりか自分が割った破片をどうしようもなく抱えてしまって(当然ぐさぐさ刺さる)それでも自分が招来した太陽に向かっていく、という姿が見えて単純にカッコイイと思ったりする。 まあ、他にもいっぱいいるんだろうけど、たとえば中途半端に頭がいい人は壊れていく感じを出そうとして壊れている言語を取り入れようとし、実際うまく取り入れるけど自らの批評性と詩の逃れがたい形式性ゆえ空回りというか何と言うか、その壊れていく感じがすぐに一篇の中で定式化してしまうというつまらなさがあるように俺は感じている。っていうか、俺もやった。 詩は必然的に形式への意志をもつだったかそういうことを聞いたことがあって、もしそれを抜け出せないなら、壊れていくことではなくて別のルートで探してもいいんじゃないの、ということも思う。だって、小説はもともと形式のないこと、中途半端であることを特長として生まれたんであってそれを現在生かしているだけだし、詩は小説の真似みたいにならなくても別のやり方でだって現在の世界に立ち向かっていけるはずだ。たとえば、いとうさんや最果タヒさんの詩がすごいと思うのはそういうところで、散文詩にしろなんにしろ詩としての形式性を活かしながら、それでもって小説とかが壊れていかざるを得ないこの世界に潜むものを見事に描ききっている。 で、結局何が言いたかったかというと、MAIKOさん実夕さん頑張ってね、ということです。 |
2004年10月25日月曜日
小説 「ZONEのことなど」
Mステで初めて見た時はタモリが彼女たちの年齢の小ささに驚いていて、たしか当時は平均年齢十四・五歳だったはずだけどそれは僕が今計算しただけでその時タモリが言っていたかどうかは覚えていないし、どっちにしたって僕はテレビを眺めながら特にその幼さに驚くこともなかった。けれどというか何と言うか僕はそもそも驚くも驚かないもない状態だったわけだが、「それなのにしっかりした歌をうたうんだよねえ」と感心したようにタモリが言った時には「へえ」と少し気持ちがそちらに惹かれて画面を見ていた。それまでテレビを見ていなかったのかと言われると一応見ていたはずだし、見えていた記憶もかすかにあるのだがそれは水の中で写真を見ているように茫洋としていてしかも声も聞こえなくて静止している、あるいはとっても緩慢にゆらゆら動いている。僕の覚えている映像はタモリの言葉とともに唐突に始まっているのだ。テレビの中では、長い椅子に座って彼女たちは他の大人の「アーティスト」たちに囲まれタモリの横でこぢんまりと埋没していた。埋没していたようなんだけれども、それは決して押しつぶされる感じではなくて、四方からの圧力を背負うことで彼女らの内から満ち押し返してくる力が画面の真ん中でじっと腰かけていて、その静かさが逆に怖かった。小さな輪郭と白い肌、意志の強そうな黒い瞳で四人並んでかけていて、一番小さな子の長い髪はまっすぐ下に落ちていた。 Mステのステージで彼女たちは当時のヒット曲を歌い、僕は切実で澄み切ったその歌声も歌詞を丁寧に胸のうちに置いていってくれるその歌い方も四人それぞれの個性が出ている楽器の演奏も全部それぞれに悪くないと思ったし、それどころかこれはいいとも思ったがそんなことは努めて思わないようにした。いいと自分を納得させられなかったのは楽器の音が小さいとかたしかそんな理由で、僕はたしかに彼女らの楽器の音が小さいことが不満だったのだけど、それは僕自身が必死になって音を小さく聞こうとしていたのかもしれないと今思い出すと思えた。というか、むしろ鳴っていた音がうまく思い出せないくらいだ。何かドでかいガラスを一枚隔てているみたいで、歌っている彼女たちに向けてそのガラスを懸命に押し付けているのはたしかに僕の力だ。当時大好きなバンドが解散したばかりで僕は彼らの代わりに自分の心を引っ張り出してくれる人たちを求めていたし、漫然と音楽番組を眺めては代わりの人たちを探しながらその実在を求めていなかった。 あとになってから、彼女たちを見るのはその時が初めてではなかったことがわかるのだが、それはまた別の日の話でこの時のこととは関係ない。とにかく僕は後味の悪い思いをしながら、彼女たちの名前を覚えておいた。それがやがて、彼女たちのことを間違いなく好きになるまでにはいろいろと段階があって、今は引っ越した友達の下宿でCDTVを見ていて新曲で踊っている彼女たちの姿を偶然見かけて、その友人からダンスも踊れるということを聞かされた時は冬だったけど部屋の中はほのかに温かくて、Mステで初めて見た時は帽子をかぶっていてぱっとしなかった髪の短い子のダンスが挑むような目つきでカッコイイというか怖いくらいででも彼女のやわらかな人柄も一緒に滲み出していたから、今はない友人の部屋のカーペットの柄やコンポの鈍い銀の光などと一緒にぼんやり覚えているし、次の年の六月にポップジャムでその子が片足をぐっと前に出した姿勢でベースを弾きながら大サビを歌う時、客席の心持ち高くてずっと遠いところを真っ直ぐ見つめながら高音部を眉をしかめて歌ってふとその目のままで笑った、その時のはっとしたような感動も彼女のあたたかくナイーヴでたくましい声もその時の白い衣装ときれいになった顔立ちとともに覚えているのに、それらはもう驚きでもなんでもなくて僕を大きく包むばかりだ。 いろいろな段階を踏んで僕らが今ここにいるのはたしかなはずなのだし、その到達の喜びみたいなものも当然こうやって物語る時にはあっていいはずなのだけれど、でも正直なところ段階が今ここにいる僕らの背中の方、振り返って目をこらさなければ見えないような辺りを遠巻きに流れていっているだけのような気がして、それはさびしいといえばさびしいのかもしれないけれど、たとえば夜、橋の下の川が立てつづけるせせらぎの音を思うなら、まるで子守唄に包まれながらそれにも気づかずに眠っている子どもみたいで僕はやはりしあわせだ。 長瀬実夕、そして天然色。ソロのR&Bシンガーとして明後日のステージに立つ髪の長いあの人と、同じくそのステージに立つ髪の短いあの人のおそらくアコースティック中心になる特別ユニットと。それぞれの名前を思うと、僕はそれだけでまだ来てもいない段階に包まれているような気がするけれども実際にライブを見る時の気持ちは当然そのようなものとはまったく違っていて、かつて自分を取り囲んでいた「アーティスト」たちと同じくらいの大きさにいつしか成長していた彼女たち一人一人の輪郭は今でも、自分が切り拓いていく新たなステージの中で凶暴な緊張をいっぱいに湛えているわけだし、そこで他でもない真っ直ぐな髪はゆれて他でもない挑むようなまなざしはふとそのままで笑うだろうから、僕はその度に驚きに殺されてしまうだろう。そして、こんなことは予想したってどうしようもないことで、ライブにしろその後のことにしろ僕は結局その場にいるしか仕方がない。ただ、その場に向かいたいなあと思っていてそのために努力までするであろう自分というかなんというか変なものがあること、それが夜を越え昼を越えなぜかここまで続いていて、自らを打ち砕く驚きに向かってまたここから流され歩み出そうとしていることに、今、心から感謝したい。 タモリのあの言葉で始まったこの僕の時間は今でも傷口を開きつづけていて、血が、そこから滔々と流れ出しつづけている。 |
2004年10月23日土曜日
詩の邪道その4 詩作中の考えの巻
詩を書くとき、作者は一体どのようなことを考えているのだろうか。よく言われることは、感動のあまり自分を失っているとか、彼我の区別がなくなって全的感興の中にいるとか、無我になっているとか、意識が消失して無意識の力に支配されているとか、なんかそういうものだ。 実際、僕もそのような状態になって書こうとしていた。ところが修行不足ゆえ、なかなか上手くいかない。感動のあまり自分を失ってその状態で書いたつもりでも、出てくるのは結局巷にゴマンとあふれているような言葉ばかり。というか僕の場合、感動に身を任せれば任せるほど詩の言葉はありきたりなものになっていった。「目は姿を見、/心を見、/美点を見、/肉体(からだ)を眺める//目は心を見、/汚点を見、/怒りに曇り、/そして落ち着く。/目は君を見る//愛とはつまり、この繰り返し/それでも僕は、愛を放さない/だって、君が好きだから……」。んー、われながらコメントに困ります(苦笑)。自分が浸っている日常や習慣をふりほどくことはなかなか容易ではないのだ。 では、意識をフル活用して書けばいい詩になるか、というとそうでもない。先の詩の邪道1~3で「面白い言葉」ということを書いたが、別に奇天烈な言葉や奇天烈なイメージを並べればそれでいい詩になるわけでもない。「まあ、こうしきゃあ面白いんじゃないの?」という程度で組み合わされた言葉には、そりゃまあ面白みは多少あるかもしれないがそれ以上のものは宿らない場合が僕の場合は多かった。 じゃあ、詩を書く時、どのようなことを考えればいいのだろう。修行足らずゆえ無意識になれない僕は、ある時期以降、意識と無意識を両方使って書くことにした。言葉が出てくる瞬間は間違いなく無意識に没入しているのだが、それが出てくる前にはこれまでの展開を分析しこれからの展開の計画を練り、さらに言葉が出てきた後にはその言葉をどういう表記で書くか、どのように続けていけばいいか、などの判断などを行った。その意識的作業で、無意識がよこす言葉を導き、かつ、やすりがけしていったのだ。逆に言えば、そのような分析、計画、構成、続行(あるいは中断)などは割合意識的に行うが、言葉が出てくる瞬間だけは無意識のために空けておく、そこには計画などを立ち入らせない、という方法を取ったのだ。正直言って、詩を書けない僕にとっては、この邪道的な方法が一番確実だった。 邪道詩を書くことは、ある意味で嘘をつくことと一緒だ。嘘をつくことを計画通りの作業のように行ってしまうと、嘘に人をだませるだけの力がなくなってしまうし、かといって自分が嘘つきとしてどう振舞うかに気を配らないと、どんなに嘘自体が迫真のものであっても変なところでボロが出てしまう。では、冷静と情熱のちょうどド真ん中で愛をさけべばいいのかというと、多分そういう二次元的な問題ではない。言葉を吐く瞬間の自分はもう言葉の中に没入させながら、その自分を絶えずチェックしかつ方向付ける冷静な自分も保ち続ける、ということがおそらく嘘にも邪道詩にも大切なのだ。そして、これはケンカやレースなどの時に、誰もが普通に行っていることなのである。 (これ以降は、実作編ですので、不要な方は読まなくて大丈夫です。) では、この方法によって、詩は具体的にどのように書かれるのだろう。 たとえば、「風物詩」という言葉が、就職活動中に受けた入社試験の問題文の中にあったとしよう。そして、なぜか自分はそこに気がひきつけられたとする。引きつけられる時点で、すでに無意識は発動している。なぜ、そんなに引きつけられるのだろう、と考える。この考える、ということは意識的な作業だ。「風で物で詩、だろ? 動いては消える風が詩を歌っている。動かない物が詩を歌っている。そこに聞こえてくる詩ってなんだ?」みたいな感じで考えが進む。その時どのような風景を感じるかも大事で、夏の夜の静けさ、汗ばむようなむっとする暑さと、漆黒の闇、風鈴の放つかすかで涼しげな光、などなど。こうして考えたことと感じたことの両方がそろうことで、大体の下地が出来てくる。 で、ほっとく。そこで考えや思いの奔放さに任せて「風物詩/動いては消える風のうた/動かぬ物から染み出る言葉/ああ 夜の闇の中空に懸かって/風鈴が涼しくつぶやいている」とか書き出したら、「それでも僕は、愛を放さない/だって、君が好きだから……」の二の舞だ。下地が出来たら、そこで無理に詩を書き始めようとせずに、ほっとく。これに限る。時が満ちたら、自然とどこかで詩の一行目(あるいは一節)に行き当たるのだ。「風がふいて、/しがきこえる。/風がやんで、/しがながれている。」 この行き当たるというのは、純粋に無意識の作業である。で、それをどう書くかを判断することも大切で、これは意識的作業といっていいだろう。ここでは準備段階で感じていたのが夜の景色であるため、「風」以外をすべて平仮名にしてやわらかで闇に溶けていくような感じにした。 一行目が出てくると、修行の足りない僕らはすごく浮き足立ってしまう。勢いに任せて、自分が無意識に没入していると思い込んで、すぐにずらずら詩を続けていってしまう。ところが、詩が書けない僕らは、大体にして続けていくに連れて無意識じゃなく意識になっていくのだ。どんなに自分が感興の中に没入しているつもりでも、知らず知らずのうちにいつもどおりのぐずぐずの言葉がでてくる。結果、どんどん息切れして最後はとりあえずまとめてみました的なオチで締めざるを得なくなる。だから、テンションが下がりだしたな、と思ったら、適当な所で中断して、それまでを見直してみるのが肝要だ。 見直しの作業の中で、これまでの展開を分析する。例の場合なら、対句を使っていて、音もリズミカル、ということがわかる。そして、「詩」を「し」と書いたことで、そこに死の意味合いもこもっていることがわかる。 そういうことがわかったら、次の展開を考える。対句的なリズムはこれからも活かしていきたい。死の意味合いは、最初に風物詩について考えている時に感じた「夜」ともよく合うから、合わせて出してきたい。「風物詩」の「物」が全然書かれていないので、それを次には持ってきたい。風鈴も出来たら使いたい。そういえばZONEの「H・A・N・A・B・I ~君がいた夏~」のPVは最高だったな。あそこから何かいい素材が手に入らないかな、などなど。 こうやって考えをまとめていると、色々次の行の案が出てくるだろう。その時に、安易に次の一行を選んではいけない。自分の考えに合っているというだけでは、その行で続けていくことは出来ないのだ。自分の考えをうまく説明している、自分の考えの中に収まってくれるというものではなく、その考えを超えているようなもの、自分自身が刺し貫かれたみたいにドキッとしてしまうようなもの(このようなものを僕は単純に「面白い言葉」と呼ぶ)を選ぶのが肝要だ。そういうものは、一行目が出てくるのと同じく、こちらが意識的作業によって作った下地の上に(あるいはそのはるか上空に)、無意識的にむこうからやってくる。いくら頑張ってもそういうのが出てこなかったら、しばらくまたほっておいたらいい。 そして、やってきた言葉を構成していくのはむろん意識的作業である。句読点をどう打つか、改行をどうするか、などの工夫は必要である。さらに例の場合だと、(これは構成の他に中断や計画の要素もあるが、)僕は結局第二連を三行で切り上げ、第三連は二行でいいかな、なんて思いながら、その二行のうちの第一行目がやってくるのを待つことにした。 第三連一行目は、ここまで風鈴が出てきていなかったこと、前の行(第二連最終行)が人のことであったこと、そして例のPVの印象から「風鈴のように思い出している。」が出てきた。これはびびった。わけのわからん比喩。しかし、これはたしかに思い出というもののあり方を表していて、そのあり方が夜の闇の中で脈々と生き続けて来た(それこそ、一般人が詩という言葉に実感をうしなっても、風物の形で我々の無意識の中に引き継がれ続けてきた)「風物詩」とも重なってくる。この行が懐古的な内容であったことと例のPVの印象が混じり、対句的な処理が(意識的に? 無意識的に?)働いて二行目は「ゆれる花火に照らされている。」になった。 上で分析といった時にはなにやら形式上のことばかりに注目したが、もちろん内容解釈も行う。全体を通して読んでみると、どうやら切ない景色が見える。この話者は「し」を蝶番のようにして、風物詩とある人を思い出しているらしい。けれど、その切なさは湿っぽいものではない。「涼しげな笑み」にしろ、「風鈴のように」にしろ、基本的にはさっぱりしている。だから、泣きで終わる感じにはしないだろう。で、第三連を読んでみると、「風鈴」から「ゆれる花火」への移行が見られる。明るくなっているが、同時にゆらいでいる。さらに言えば、「思い出している」から「照らされている」への移行は、話者の視点が思い出の中に戻っていっていることを示している。 こんなことを考えている時に、これまた例のPVの景色を通路にして最後の一行が出てきた。「追いかける紙はぬれて金魚はキラキラと逃れつづけた」。これは一番のサプライズだった。明るさ、ゆれがここに極まっているだけではない。風物詩=思い出を眺めている視点ではなく、風物詩=思い出そのものの中に入り込んだような光景であり、同時に、現実の視点からの心情をも表している。さらにここには思い出と生きている我々との関係のあり方も現れているように思えた。予定調和ではなく、そんな予定なんかをはるかに超えたコスモスを切り拓き、完成させてくれた最後の一行。 しかし、まだここで終わるわけには行かないのだ。もう一度全体を見て、内容と形式を確認し、必要ならば手直しする必要がある(時には出だし以外を全部消してふたたび書き始めることも必要だ)。そして、詩全体としてちょうど最初の一行目のように「これしかない!」というものにならない限りは、最後の最後までペンを置いてはいけないのである。 |
詩の邪道その3 邪道比喩の巻
でも、ホントに普通の人ができないようなことをたくさんできたし、すごく貴重な経験ばっかりで……。一生のうちにこんな濃い時間はもうこないかもしれないな、って……なんて思っちゃったらそれは悔しいけど(苦笑)。だけど、それぐらい今の時点では……思い出が詰まり過ぎてて……なんか、閉まりきらない引き出しみたいで。(竹内美保 『ここから』) 冬休みが始まると同時に、直歩(なほ)の病状は急変した。何も言わず、弱々しい笑みを浮かべるだけの彼女は、冬の空の雲に似ていた。(増田考志 「Smile Several Smiles」) 詩とは何か、と聞かれた時に、「詩とは比喩を使って自分の気持ちや考えを表現する芸術である」みたいなことを言う人がいるかもしれない。そして、比喩は実際、自覚していない人大勢も含めて、詩の根本原理だと思われているようだ。 このことはたとえば、僕が今年教育実習をさせていただいた某高校の国語の教科書においても、見開き2ページの小コーナー「詩を書こう」の中で比喩を書かせる部分があるところからも感じられるだろう。それに、僕が所属する体育会系のサークルで詩(「アルバイト」)を読んでもらった時(っていうか、インターネットラジオで下手な朗読をやったのが聞かれた)、「神様って何のこと? 何を主張し何を批判しようとしているのかわかんないんだけど」というご指摘を受けたことからも、詩は比喩を使いながら何かを主張し批判するもの、という考え方が一般的であることを物語っている。 でも、考えてみると、比喩は何も詩だけのものではなく、小説でも普通の会話でも使われている。上に引いた二つの文章も、前者はある人がインタビューに答えて喋ったものが書かれたもので(語り手はTAKAYO。竹内美保さんは聞き手で書き手だ)、後者は小説だ。両方とも詩作品ではないが、「閉まりきらない引き出し」も「冬の空の雲」も、ちゃんと比喩であることが感じられるだろう。 「でも」と人は言うだろう。「でもやっぱり詩にとって比喩は命綱でしょ」と。僕は個人的には「それは違うんじゃない?」と思うのだが、そもそもこの「詩の邪道」は、僕の考え方云々よりもとにかく詩が手っ取り早く書ける卑怯な裏技をご提案する連載なのだから、ここは黙って比喩のうまい作り方をご提案させていただこう。 ずばり、「比喩だと思うな! オモロイもんを書け」これである。大体から、比喩っていうと、最初になんか書くべきものがあって、それをうまく説明するために使われる道具、という印象が普通である。たとえば、「頼りなくて今にも消えてしまいそうだった」って書くとわかりにくいから、ここはそれに似たものを使って「冬の空の雲に似ていた」にしてみよう、って感じで比喩が作られていると普通は思われている。つまり、書くべき対象がもう既に先にあって、それを言い表すために、その対象の特徴と似たものを探してくるっていうのが比喩だと思われているのだ。 けれど、それでは比喩が、書くべき対象より小さくなってしまう。というか、書くべき対象の下に従属してしまう。「へえへえ、私はあなたを導き出すための踏み台で、それだけのために書き付けられたんです。へえへえ」みたいに。ところが、実際我々がうまい比喩にぶち当たった時に感じるのは、そのようなものではないと僕は思う。我々が感じるのは、その比喩によって対象がうまく説明されていてわかりやすい、という感心なんかではなく、その比喩が本来の対象なんかよりもより生々しく迫ってくる、比喩自体が自分の存在感を語り自分の世界を広げていく、という感覚ではないだろうか。 逆に言うと、うまい比喩とは自分の世界を広げていけるものなのだ。そもそもは対象を説明するために考えられたものでありながら、結果としては対象を越えてこちらに迫ってくるもの。「閉まりきらない引き出し」のようにそこ(引き出しという外郭)からあふれ出しはみ出してくる始末に終えない、けれどどこかしあわせでもある何かを感じさせてくれるもの。そのようなものであることが、うまい比喩の十分条件である。必要条件はもちろん、それが対象の何がしかと共通点を持っている、ということになる。でなきゃ、そもそも比喩でもなんでもないからね。 で、だ。普通の会話だと、必要条件である共通点の方が意識される。その比喩が何のどういう部分を語っているか、ということがどうしても大事になってくる。そして我々は、そういう部分だけが比喩の役目だと思い込んでいる。ところが、実際詩で大事なのは、むしろ比喩自体の存在感の方だ。共通点の方は、もうガンガンに少なくてもいい。自分にもよくわからんくらいに曖昧な共通点でも、そこにとにかく何かしらつながっているものがあると確信させてくれるなら、それでいいのだ。詩の比喩の上手い下手は、説明の鮮やかさよりもむしろ比喩がそれ自身で広げる世界の鮮やかさにかかっていると言っていい。比喩の対象になっているもののことを一瞬忘れてしまうくらい、心の目を奪っていってくれる比喩が理想的だ。 だから、詩で比喩を使う時は、それが普通いわゆる「比喩」なんだとは思わずに、つまり対象の特性を選んだ上でそれとの共通点をもった何かを探る、という手順を踏むのではなしに、ただ単純にそれに関連して思いつく言葉の中で自分に迫ってくるものを探せばいいのである。それが「これしかない!」という感じで迫ってくる時、そしてその言葉自身が何らかの世界を切り拓いてくれる時、どんなに説明としては変なものであっても、それが多分その詩にとって一番的確な比喩なのだ。 最後に、なぜ「比喩は詩の命綱でしょ」という意見に僕が異を唱えるか、というと。端的に言って、詩はおろかすべての言語芸術にとって、比喩は「これが比喩です」と名指せるような特別なものではない、むしろ言ってしまえば言語芸術は全編これ比喩なのだ、と考えているからだ。しかもそう言った場合の比喩の対象なんてものは、先にこれこれこういうものとして存在すらしていない。だから逆にいうと、俗に言われている意味の「比喩」なんて本当はどこにもない、とも言えるのかもしれない。 |
2004年10月21日木曜日
映画的世界に対する文学 前編
桃井望が死んだ時は驚いた。もう、自分の見てきた世界が一気に崩壊したようなショックを受けた。といっても、僕は別段桃井望が好きだったわけでもなく、初代Minxもユニットのあり方としてすげーなあと思ったくらいで特にこれといって興味もなかったし、その中であえて一人を挙げるなら比較的堤さやかが好きなぐらいだった。だから、彼女が死んだことによるショックは憧れの対象の消滅から来るものではなかったといえる。 そうではなくて、あのような存在は死なないと思っていたのだ。死ぬとしたら、引退してビデオ上の存在から普通の人になってから死ぬと思っていた。それなのに、彼女は人気の絶頂期に、ビデオ上の存在でもありながらそのまま死んだ。2002年10月19日の個人ノートより。「わたしが知っている幻想と、わたしが知らない一人の生身の人間が、同時にひとつの無惨な死を遂げた。その、ことの複雑さに、そして単純にそのショックに、僕はめまいを覚えた」。 ビデオに映っているのは、元はといえば間違いなく一人の人間である。しかし、それがビデオとして我々の元に届く時、その人間はもはやその生身っぽさを失っている。我々は、ブラウン管の映す幻想のただなかに没入し、拡散し、その幻想の中で自らも幻想としてひとつの幻想を愛するに過ぎない。 しかし、ブラウン管のこちら側に、幻想上の自分とは明らかに別の生身の人間がいるように、ブラウン管の向こう側にも、幻想上の存在(「桃井望」とか「堤さやか」とか)とは明らかに別の生身の人間がいる。そして、そのような生身の人間に対しては、いかなる妄想でも手を届かすことは出来ないのだ。いわば、幻想世界の臨界点、あるいは外側に生身の人間は存在している。彼女らに手を届かすことができるとすれば、まあ握手会とかがそれなのだろうけど、そういう機会を通して部分的にも生身の人間である相手を感じることは、幻想を良くも悪くも打ち砕くものである。そこでもまだ自分の幻想を相手に重ね合わそうとする人もいるだろうが、そういう人を私は一番嫌悪する。 桃井望の死は、この幻想と生身が同時に死んだからこそ僕に驚愕を与えた。決して埋めがたい懸隔をもつ二つの存在の、懸隔を挟んで抱き合った形での同時の死。映画のように時間的間隔をあけてキャラも様々にリリースされるものではなく、ほぼ間断なくしかもどれも桃井望としてリリースされる作品であったがゆえに(実際、彼女の死後も彼女の作品は続々発売されていた)、映画俳優の死などとはくらべものにならないショックがあったものだと思われる。 丹生谷貴志は、その著書『ドゥルーズ・映画・フーコー』の中で、世界は映画になってしまったという趣旨のことを述べた。つまり、ある時期まではシェイクスピアもいうように世界は演劇であった。世界は、生身の人間が仮面(ペルソナ=personalityの語源)を被り、自分の役を演じている舞台であった。この舞台で観客が対峙するのは、仮面を被って役を演じている生身の人間であり、そこには役と生身との二重性が発生している。人々は、その二重性としての世界を感受していたのである。そして彼らはそのペルソナを剥いで、真実の顔を、真実の世界を見ようとした。それが、形而上学などによる本質や真理の探究であったともいえる。 ところが、映画において我々が見るのは、たとえばダーティー・ハリーを演じるクリント・イーストウッドではない。撮影されて画面に貼り付けられた時点で、ダーティー・ハリーはダーティー・ハリーでしかなくなる。そこには演じている生身の人間自体がすでに消失している。仮面が生身の人間の顔に被られるのではなく、まさしく仮面が本来的な主人公として画面の上で動き回るのである。生身の人間は、映画が撮影される度ごとに、この仮面の中に拡散し、その拡散がそのまま画面の上に上映される。 そして、ここからが大事なのだが、たとえば舞台上で藤原竜也がマジで血を吐いてぶっ倒れたら、演劇を見ている人はその舞台が『身毒丸』だったとしても、途端に藤原竜也演じる身毒丸の幻想から覚め、今死にそうになっている藤原竜也彼自身をそこに見るだろう。観客自身としても、『身毒丸』の世界に没頭していた「観客」から、喀血にびびる生身の人間に戻るだろう。そして彼が入院でもしようものなら、その間藤原竜也演じる身毒丸は事実上この世からいなくなってしまうのだ。だって、藤原竜也が舞台に立てないのだから。 でも、それでも藤原竜也が演じた『バトルロワイヤル』の主人公の男の子は、そんなことには無頓着だ。藤原竜也が健やかなる時も病める時も、例の男の子は島に隔離されて時々は泣き言を言いながら、それでも殺し合いを元気に生き抜いていく。ここには、引き剥がすべき仮面はどこにもないのだ。生身とは関係なく、半永久的に存在し続ける映画。そしてそこには、はっと気づいて振り返るべき生身の人間はどこにもいないのである。その奥に到達すべき真理を持たないような、身体性をうしなった幻想の物語群が錯綜する世界。それが、新しい我々の世界のモデルだと丹生谷はいうのだ。 このことを考える時に、いつでも思い出すことがある。それは、映画についての映画監督ともいえる黒沢清のヒット作『CURE』の中のワンシーンだ。その映画では殺人者が人を殺した後その人の首をX字状に切り裂くのだが、この時の殺人者はいつも放心状態である。そして、ある時放心状態のままで引き寄せられるように、このX字状に切り裂いた皮膚を持って顔の皮をぺらっとめくるだ。その時、顔の皮は本当に他愛なくぺらっとめくれ、しかもその下から現れたのは、余りにも普通に血のついた肉だった。スプラッタ映画みたいに派手な演出なんかは入ってない。画面は静かで、余りにも普通に肉なのだ。その普通さが僕を戦慄させた。 ペルソナの下には何かしら大事なものがある、と我々は今でも思っている。ただ、それがはがれなくて、だから苦しいのだ、と。ところが黒沢は映画の中でペルソナを剥いでみて、その下にはもはや何もないんだ、ということをあっけなく映してしまう。だからショッキングだったのだ。 もはや、はがれるものとしてのペルソナも、その下の真実の顔もない。世界は平面なのだ。そこには舞台のように息をし汗をかき時にはフェロモンやら加齢臭やらを漂わす立体的な人間も、空間としての奥行きもない。それはまさしく、一枚の顔の皮でしかないのだ。そして我々は画面に貼りついた一枚の顔の皮として、スクリーンの外には当然出ることも出来ずに生きている。 では、そのような世界の中で、我々は観念して映画としての一生を送るしかないのだろうか。否、である。この映画的状況の中でのさまざまな努力が、実に昔から様々に行われてきた。これについては、後編で取り上げる。 黒沢清自身も、単にその不気味さをあおるだけではなく、映画の中に生身を取り戻させるために様々な試みを行っている(と僕は思う)。たとえば、「いくら考えたって(画面には)映らないんですよ」という彼のお得意の言葉。そしてそこから導き出される彼の独特の演出技法。これらは下手したら生身の人間を完全に映画の中に取り込んでしまうようなものでありながら、まさにそのような過剰なものであるがゆえに、フィクションとしての嘘くささ、はがせない仮面の息苦しさとは真逆の絶大なる肯定性を画面上に生み出している。 『ニンゲン合格』の最後で、死にゆく主人公が藤森さんに聞く「俺、存在した?」という台詞、それに藤森さんが答える「ああ、お前はたしかに存在した」という台詞は、我々が思っている以上に重大な意味を秘めているのだ。 桃井望はそれを演じていた人の死後も女優として、あるいは素人やら女子高生やらなにやらとして、ビデオ屋に並び続けている。それを借りていく人一人一人に、僕は問いかけて見たい気がする。「その人、死んでますよ?」と。「あなたが今晩そのビデオで興奮して射精するとして、それは一体何に向けられて出てきたものなんでしょうね?」と。 その時、彼らがいかに映画的世界に馴致されているかが明らかになるだろう。あるいは、彼らが、その映画的世界の外側にあり少なくとも現時点では計り知れない存在であるはずの生身の人間を、いかに捏造しているかがわかるだろう。 いうまでもなく、桃井望に限らずすべてのAV女優、すべての映画俳優は、その死んだ姿しか映画やビデオで見られないのだった。そして、下手したら僕らは自分自身についてもその生身に触れることはできず、ただそれを捏造しているだけなのかもしれない。もし、本当に生身の相手、生身の自分に触れたいと思うのなら、握手会に行って謙虚にびっくりするしかないだろう。 |
2004年10月20日水曜日
詩の邪道その2 実践邪道恋愛詩の巻
この間実家に帰った時に、高校以前の書き物をクローゼットから引っ張り出して読んだのだが、中学時代に書いたものの中に自分で思っていた以上に詩が多かったことと、それがあまりにも下手くそであったことが印象的だった。当時の僕には好きで好きでたまらない人がいたらしく、といっても今その時の気持ちを思い出すのはなかなか困難になってしまったのだが、とにかくその人に対する「想いをそのまま書きます」なんてわざわざ詩のためだけに買った横書き用原稿用紙の上の余白部分に書いてあったりするわけで、その下に繰り広げられる詩というのがこれがとてもここでは書けないくらいしょうもない代物だった。 その時のエピソードとして、絶対に詩には書いていたし小説にも何回も登場していたものがある。それは、めずらしく大雪が降った朝、僕が学校にやってくると教室にはその好きな人しかいなかった、というエピソードだ。その時僕は、挨拶を交わしてからすぐ、自分の席に向かってしまった。僕の席は彼女の席のずっと前だった。彼女に背を向けたまま、僕は鞄の中身を机へと移し変えたりノートをパラパラとめくったりしていた。頭はものすごい速さでぐるぐる回るけど、話しかけることが何も出てこない。息苦しいような沈黙の中で。自分が入ってきた教室のドアを見ると金属的に白かった。ドアとは反対側の窓からは、薄くバラ色がかった朝の光が、厚く降り積もった雪に反射して僕の目をやわらかく射つづけている。雪が音を吸収してしまうから、澄み切った窓ガラスが時々軋む音以外、何も聞こえないような朝だった。 で、だ。それを実際に「あの時の朝の光はばら色で……」とか「雪が音を吸収してしまうから」とか書いたら、それはなかなか詩にしにくい。上のはあくまで小説の書法でかいたもので、こういう細々としたものを詩の中にそっくりそのまま持ち込もうという発想自体が間違っている。いや、ふつうはそれでいいのかもしれないが、詩の邪道としてはもっと邪道な書き方をこっそり教えたのだった。 雪の朝の教室で二人 二人だけだった 小さなあいさつが 震える アルミ製の僕の弁当箱 その朝空っぽだったから 楕円形の軽さが机の上で ピカピカとまぶしい 凍てついたはるか北の海で 氷の下から僕を見つめている 鰯の群れが白く積もっていた 弁当箱の傷に気づいた時 あなたが椅子を引いた ただそれだけの 朝 これは、「詩の邪道 その1」を書いた後大体二時間くらいで書いたものだ。あくまで実例程度のものとして書いたので、自分としては結構納得がいってないところもあるし、いつも僕がこういう風に書いていたと思われては滅茶苦茶遺憾なのだが(大体ふつうは三日くらいかけて書くし。「その時の気持ち」なんて僕はふつう考えないし。実体験に基づくことも滅多にない)、まあ例としては十分だろう。 見てのとおり、第一連の内容は実体験。で、ここで立ち止まって考えた。ここから「自分の気持ち」をずらずら書いていくことも出来るのだが、それでは大体はつまらなくなってしまう。だからその時の自分の気持ちっていうものをじっと見つめ、それが何であるか耳を澄まし手探りしていると、アルミ製の弁当箱が鰯やらドラえもんやらと一緒に出てきた。 ここで間違えてほしくないのが、この第二連で行われた作業は、自分の気持ちがこうこうこういうものだったから、それを的確に比喩できるものを探した結果それが弁当箱だった、というものではない。むしろ、自分の気持ちってやつからいっぺん言葉とかシチュエーションとかを奪ってみて、名づけられないそいつをじっと見つめているうちに、出てきたものがアルミ製の弁当箱だったのだ。出てきたというか、見つけたというか、名づけられない気持ちの向こうからこれしかない!という速度でそれは僕の元にやってきた。だから僕はとりあえず採用してみて、それから先を書いていくことにした(ちなみに、この頃僕が使っていた弁当箱は実際はプラスチックだ。そういう所の齟齬なんて邪道詩の上ではどうでもいいことだ)。 恋している時の気分を感じながら同時にさらにその弁当箱を感じ続けていると、その弁当箱が空っぽであるような気がした。空っぽであるくせにその中で鰯みたいな秋刀魚みたいな魚が泳いでいてその目に見つめられているような気がした。そしてその鰯の向こう側の弁当箱自体に目を向けると、そこにかすかに傷が見えた。 イメージは大体いくつも同時にやってくる。それらの中からすべてを書くことはできない(いや、うまい人はまさにそれをやるんだが)。だから、ひとつを選んで書いていく。今回はアルミの弁当箱とそれが空っぽという部分を使って書いていった。 鰯については、透明で弁当箱の中を泳いでいて、とイメージどおりに書いてもよかったのだが、説明的で書いている方もだるいしスケールが小さくなって読んでる方もつまんないだろうと思って、北の海から見つめてくれているようにした。というか、弁当箱の中にいる鰯はどんな感じの鰯だろうな、と考えた時にふと、鰯の透明さが北の海の凍えるような寒さに変わって僕のもとに戻ってきたのだ。これは、その時の窓の外が広大な雪景色であったことにも即している。さらに、第一連で出てきた雪をきちんと活かしたいなと考えたので、鰯と雪を「白く積もっていた」で無理矢理まとめてみた。 (もちろん、一発できれいにまとめるのは難しい。最初は「鰯の群れが透き通っている」だった所から、「そういえば雪がねえなあ、詩としてのまとまりもねえなあ」と推敲段階で色々試行錯誤しているうちにこの形になった。書いてみたら、本当はこういうことを自分はイメージしていたんじゃないかっていうぐらいにしっくり来たし、詩がそれまでは見せてくれなかった一貫性を初めて明らかにしてくれた。逆に言うと、しっかり感じて出てきたイメージなら、推敲で頑張ればなんとかまとめられるってことだ)。 鰯のまま突っ走ってもよかったのだが、最後は弁当箱の傷を出してみた。すると、その傷と重なるものとして女の子が椅子を引く音が聞こえた。それだけだった。で、それはその時の沈黙の中での気持ちをうまく現しているな、と思ったので採用してみた。 まあ、あくまで実例として書いたものなので多少不自然ではあるのだが、この詩では恋愛詩が弁当箱を経て北の海の鰯にまでたどり着いているのだ。そしてその鰯がいやにリアルだ。でも、それは単なる奇想ではなく、その時の気持ちや外の雪景色などというものに即した結果でもある。「その時の気持ち」を「そのまま」書くためには、このように「その時の気持ち」から一旦言葉を奪って「気持ち」を「そのまま」から遠ざけることで、より生々しくかつエンターテイメント的に「気持ち」に近づけるのである。 |
詩の邪道その1 邪道恋愛詩の巻
恋愛を適度に盛り込めば客はとりあえず席を立たない。これは、少なくとも詩系以外のジャンルでは、当たり前の知識みたいになっている。映画でも演劇でも小説でも漫画でも、適度に恋愛を織り込むことでどれだけ興味を引くことが出来るだろう。実際少年漫画誌を開いてみると、冒険の根本に恋愛があったり、冒険の最中に仲間内でほのかな恋心が芽生えたり、といったことばかりだ。もちろん映画でもそうだ。この間『マトリックス・レボリューションズ』を見に行った友人が、開口一番トリニティーが誰と結婚したかということを話題にした時に、私は恋愛の便利さを再認識した次第だ。 なぜ恋愛がそれほど便利かというと、まず何より単純でワンパターンだ、ということが挙げられる。極端なことを言えば、離れているのがくっ付いていくか、逆にくっ付いているのが離れていくかの2パターンしかない。だから初心者でも簡単にストーリーを作ることが出来る。しかも、簡単なくせにその効果はけっこう大きいのだ。本来ならば一緒にいたいと思っている二人が引き離されていること、あるいは引き離されていきそうになることにより、生まれる緊張感。この緊張感だけで、ドラマを動かすのに十分なだけの原動力を生み出してしまうのである。 だから、恋愛はバテてきた長編漫画にちょっとしたスリルと将来性を生む意味でも、あるいはどうやって始めたらいいか困ってしまう小説のとりあえずのとっかかりを作る意味でも、非常に使い勝手のいいアイテムとなっている。 しかし、逆に恋愛だけを書くとなるととても難しい。なにせ、基本的にはワンパターンであるからだ。初めから恋愛を描くためのものなら客もそのつもりで見るから、ワンパターンっぷりが簡単に見破られてしまう。 そこで、作家は様々に工夫を凝らすことになる。一番基本的なのは、時代状況などの外的状況と絡めるタイプ。映画で言えば” You’ve got a mail”とか、『(ハル)』とかのような、ストレートな恋愛映画に時代的なものを絡めてどうにかしようとしたタイプだ。でも、中心として描かれている恋愛そのものがどうしてもお約束の域を出ないので、ちょっと手を加えて焼き直しました程度のものにしか思えない。 で、より頑張ったな、と思えるのが、恋愛そのものの概念をずらして使っているもの。あるいは、恋愛を掘り下げてその奥底にあるものを出して来ているもの。谷崎潤一郎とかの小説がユニークなのは、ここに起因しているだろう(今ではフォロワーの出現等により、彼の小説に描かれている恋愛はそれ自体としてはさほど珍しいものではない。しかしそれでもなお彼のいくつかの小説が新鮮なのは、そのような恋愛の奥にあるものまでしっかりと我々に感じさせてくれるからである)。さらに、目立つ所ではないが、恋愛を語る語り口自体を変形しているものというのがあって、恋愛を語るはずなのにやたらと冷めていたり、登場人物自体がなんか恋愛に無頓着だったり、そういうのを見るとユニークだなって思う。 で、だ。現代詩フォーラムを見る限り、結構恋愛詩を書かれている人はいっぱいいるみたいで、けれど僕なんかは詩で恋愛を書くのは何より難しいと思っていて、その考えは恋愛詩を書く人にとってはどうなんだろうと最近気になっている。世間一般のTVやら映画やらで恋愛が氾濫しているのは、それがお手軽ということもあるからで、なぜならそれがとりあえずでもストーリーを前に進めてくれる力になるからだと僕は思う。ところが、詩はストーリーを前に進めてどうこう、というものではないし、むしろその原動力である緊張感そのものについて書かなければならないようなジャンルであって、オカズや薬味にするならまだしも主食にするにはあまりにもワンパターンな恋愛を取り上げてそれで詩を書くというからにはそれ相応の工夫も必要になってくるはずだから、恋愛詩を書くことはもしかしたら恋愛なしに群像映画を撮ることよりもさらに困難な道なのかもしれない。 僕が出会ったあの人はこういう人で、その人のこういうところが素敵で僕にはその人がこう見えて、といっても、それがストーリーの出発点ならまだしも詩の一部分になってしまうとたちまちどうでもいいことになってしまう。「こういう人に恋をした」の「こういう人」とはどんな人か、その後あなたたちはどうなっていくのか、と問うのが小説なら、「恋をした」とはどんなことかと聞くのが詩だからだ。もちろん、「わたしの胸ははりさけそうで」とか言っても、問題は一緒。それは「恋をした」ではなく「恋をしたわたし」について語っているに過ぎない。 で、客を引き寄せられる恋愛詩とはこれまでの流れから必然的に、書かれている恋愛のあり方それ自体が尋常じゃなくすごいか、あるいはたとえ恋愛が平凡であれそれを書き付けていく書き方がどこか良いのか、またあるいは恋愛を書こうとした結果どっかに突き抜けちゃってぶっちゃけもう恋愛詩じゃねえじゃん、っていうものになる(つまり恋愛を書こうとして恋愛詩から遠ざかる)かのどれかしかない。 そしてもちろん。ありえないような恋愛のあり方を考えつく想像力もなければ、平凡なものを非凡に書き表す表現力も持たない人のために詩の邪道はあるのであり、そのような詩の邪道としては恋愛を突き抜けてしまう第三の道をお薦めするわけである。隣に座った少女にペンを借りた時にドキッとなっちゃってなんとかかんとか頑張って付き合い始めた男の子が、彼女と海にデートに行ったりなんかしちゃったりしているうちになぜか小説の終わりごろには浜辺に打ち上げられた自分の水死体を発見することになってしまうのとちょうど同じみたいに、恋愛をとっかかりにし、恋愛について考えることを通して、どっか違う所に出ちゃうのが一番手っ取り早くて面白いのかもしれない。恋愛モードで一、二行目を始めているのに気づいたら水死体ドパーン!みたいな。この水死体が単なる奇想ではなく、恋愛を真剣に掘り下げた結果だとしたら、それこそまさに恋愛詩だ。 こうやって恋愛詩の話をしようとする度に、僕はいつも次の一節を思い出す。「ああ、きみに肉体があるとはふしぎだ!」(清岡卓行「石膏」)。ここまでいえたら、恋愛詩もしめたものだと思う。 |
2004年10月9日土曜日
忘却
三角形だった。三本の黒い棒で出来ていた。未確認鉱物の類かと思って突っついてみると、雪だるまに使う備長炭だった。鳥取の砂浜まで来て暇なやつがいるもんだ。ちなみにここは砂丘ではない。しかも七月だ。中学生の哲夫がそう思ったかどうかは定かではない。火星人は今日もやってこない。はるか沖合いで、不自然な誰かがしきりに手を振っているが、哲夫も豊次郎も、宮崎あおいですら気がつかない。ボーボボは少し前に焼死している。残り火を村上春樹がかき立ててそ知らぬ顔だ。彼の鼻毛は死んでも伸びつづけている。 その時だった(いつだ)。三角形は右側の頂点を軸にゆっくりと一辺を動かし、口を開けた。絵の中の沈没する船から脱出するフナムシのように、噂話のロス・エンジェルスから出血する砂金のように、あるいはこの間の台風で松山で起きた土砂崩れのように、砂が少しそこから流れ出て、止まった。いま、何人死んだ。空は今日も砕かれた鉄のように青い。 |
2004年10月6日水曜日
祖母の降る浜 (二〇〇五年二月八日改稿)
「紅白に選ばれたと聞いて、今のお気持ちは?」 「もう、信じられませんっ!」 斉藤さんの答えは、ほとんど怒っているかのような勢いで発せられた。その後すぐ、照れ隠しのためか、あり余るエネルギーが漏れたのか、「なはは」という笑い声がつづく。 「紅白は毎年、コタツに入っておばあちゃんと見てたので。そうそう、みかんとか食べながら、の~んびりと」 そしてまた笑う。 「では、紅白出場のことを誰に一番伝えたいですか?」 「もちろん、おばあちゃんです!」 この時から、二年半もたっている。今年の夏休み、斉藤さんは長い長いライブツアーの真っ只中にいた。見知らぬ地方から、また見知らぬ地方へと、彼女は歌いながら旅をつづけていく。一ヶ月以上も自分の家に帰れない日々。それが、十七歳の身にとってどれだけ辛いものであるか。僕には到底想像できそうになかった。僕は二十歳で、大学二回生になっていた。 帰ろうと思えばいつでも帰られる。その余裕が、逆に故郷を遠ざけていたのかもしれない。今年の夏休みは、三日間しか実家に帰らなかった。それも、祖父の初盆という止むに止まれぬ事情があって、仕方なく帰った格好だ。僕の祖母は、そのことをいたくさびしがった。僕はさすがにすまないと思い、二日目の晩、祖母とじっくり話をすることにした。 摺りガラスのはまった、木枠の引き戸を開ける。薄暗い台所兼食堂で、僕の祖母がいつものように日記を書いている。長年の生活の汚れから、台所のタイルが茶色く黄ばんでいて、窓の外は真っ暗だった。そして、何もない食卓に着き、一人で筆を進めている祖母。ここに住んでいた時には見慣れていた光景だった。けれど、久しぶりに見る祖母の姿は、記憶よりもずっと遠い。 「なんやあ?」祖母が軽く目を上げて、笑う。 「何も」僕も小さく笑い返していた。その笑顔の素直さと小ささに、自分で驚いて、かなしくなった。外からは蛙の声がやかましいくらいに聞こえている。網戸越しに吹き込んでくる、山里の夜の風は冷たい。 ずっと座っていると、祖母は日記を書きながら話を始めた。最初は、僕の大学生活への問いかけであり、それに答えているうちに、話題は僕が斉藤さんの「フアン」であることに移っていた。 「あんたも好きやなあ」 そう言って、入れ歯をはずした口で笑う。僕が覚えているよりも、ずっとしわくちゃで、ずっと丸くて、ずっとずっと小さい笑顔。かつては、この人の腕で張り飛ばされたこともあるのだ。それなのに、いつからこんな顔で笑うようになったのだろう。 亡くしたばかりの祖父の話が始まっていた。気がついた時には、祖母は筆をおいていた。日記帳はどこかに片付けられていて、テーブルの上には牛乳が入ったカップだけがある。 その時、祖母は旅行の話をした。祖父に、様々な場所に連れていってもらったこと。「おじいさん、ハイカラやったさけなあ」二人は、四国へも九州へも沖縄へも旅をした。けれど最後まで、北海道には行けなかった。 「おまん、あの斉藤なんとかっていう子を見に、北海道にいくんやろ?」 「うん。ツアーの最終日やし、彼女の地元やから」 「ご苦労やなあ。ほな、頼むわ」 「ん? 何を?」 「北海道がどんな所か覚えてきて、おじいさんに教えてくれへんか?」 しわだらけのほほの上で、黒々とした瞳が急に深さを増す。もう、自分では行けないことを知っているのだ。それに今は、連れて行ってくれる祖父もいない。 「うん、わかった」 僕は、できるだけ自然にそう言った。 「おおきに。よろし頼むで、おまんは忘れやすい子やからな」 歯のない笑顔。僕も笑う。自分の笑顔が、濡れた紙のように頬に貼りついて、いつまでたっても剥がれていかない。 僕が笑顔のままで目を伏せていると、祖母は、ふと思い出したように弟の話をし始めた。僕は、意表を衝かれて顔を上げた。彼女に弟がいたこと自体、初耳だった。 「なんせ昔のことやさけな、顔もよう思い出せへんねん。でもな、とにかく海が好きな子やったわ。夜になっても帰ってこおへんので、よう呼びに行ってん。その時の、膝抱えて浜に座ってる後ろ姿だけ、ようよう覚えてるわ。和歌山の外れでな、それはそれは静かな海やってんで。ああ、そうや。あそこなあ、星の砂がようけ降るんやわ」 祖母は三重県の山村で生まれて、そこで育ってきたはずだった。それに、和歌山県の海辺では、星の砂も見つからなかったように思う。祖母は一体、何の話をしているのだろう。僕は突然、山里の夜の深さに気づいた。外では依然、蛙がうるさく鳴きつづけている。 僕が北海道に上陸したのは、それから半月後、八月も終わりの頃だった。この夏には初めて三十度を超えたという札幌市も、さすがに涼しくなっていて、夕空も既に、秋のさびしさをその横顔に映している。 札幌の街並みは、雄大で不揃いだった。真っ直ぐに伸びる大通りの両側に、巨大な建物がごろり、ごろりと並んでいた。その輪郭が持つ大味さと、すずしく拡散していきそうになる広々とした隙間とに、僕は目を奪われた。 ずっと、歩きつづけていた。空はどこまでも平らにのびていて、景色はいつでも開けていた。大きな建物を見上げながら、何回も曲がり、何回も曲がり、それでも僕はずっと、どこかに腰かけているような気分だった。とても落ち着いている。見えないはずの海が、遠くでゆったりと揺れていた。街が浜だった。 その時、僕は思った。祖母の覚えている幼い後ろ姿は、僕なのかもしれない、と。あるいは祖父。そしてそれは、祖母自身でもあるのだ。僕らはそれぞれ旅を続けながら、でも本当は、ただひとつの浜辺で繰り返す波を眺めている。そして、腰かけている僕らをさらに後ろからまなざしてくれている、ひとりの祖母がいるのだ。打ち寄せる波に骨を削られながら、祖母は老いていく。大きなふるさとは砕かれて、夜空から砂みたいにして降ってくる。歯の抜けた口の暗くあたたかな笑い。夜。平台の上でもろくもろく崩れ落ちた、焼かれたばかりの祖父の白骨。…… その夜、僕は暗い客席の中に立っていた。ステージが、貝殻のように白い光で照らされている。そこには斉藤さんがいた。長旅で疲れきった身体を抱えながら、彼女はステージ上でのびのびとした笑顔を見せていた。 「昨日は本っっ当に久しぶりに家に帰ってねえ……」いつも通りの元気な声。しかし、彼女は不意にトーンを落として、しみじみこう言った。「家で寝てても虫の声が聞こえて。……ああ、帰ってきたな、って」 ……、しばらくの沈黙。その時、僕には聞こえたのだ。暗い客席のはるか上空から、北海道の虫の声と、故郷の虫の声とが降ってくる音が。かすかにずれ、時には交わり合いながら、ひとつの空から二重に螺旋を描いて、落ちてくる。それは、砕けては降る星の砂の音だった。僕らの浜辺に、祖母が降る音だった。 「みんな、ただいま」斉藤さんが、言った。 |
2004年10月3日日曜日
今日も、痛い。
入院中は、ずっと空ばかりを見ていた。雨を含んだ灰色の曇り空にむかって、鳥が二羽、飛んでいくのが見えた。そして見えなくなった。どこに行ったのかはわからなかった。ベッドに戻ると、もう朝食が届いていた。湯気でくもった蓋を外す。すると冷め始めた肉じゃがが、初めて歩く街並みのように転がっている。 三叉神経の奥底、眼球の裏側辺りから発症した帯状疱疹だった。結構珍しいケースだったらしい。通常は眼球か顔面、あるいは胴体の皮膚上に、発疹を伴って発症するのだ。 そのため発見は遅れに遅れ、左眼強膜炎として入院した眼科病棟で鼻先と左眉に発疹が確認された時には、既に発症後五日を経過していた。激痛のために三回吐いていた。食事も摂れない状態のまま、目薬ばかりを注す五日間だった。 退院した時、僕の部屋は二週間前と何も変わっていなかった。ただ、かじったままで放ってあったバターロールが、袋の中でどす黒いどろどろとした何物かに変わっていた。正視もできないまま、半透明のゴミ袋に入れて口を縛った。窓の外では、干したままだった洗濯物が、何回も雨に濡らされては乾き、乾いてはまた濡らされた結果、変な形で固まっている。 そういえば、退院した頃、平井堅の「瞳を閉じて」が流行っていた。「あれは目蓋を閉じてだよね」と、当時の彼女は僕に呟いた。ほほえむ彼女を移す僕の左眼は、(彼女は気づいていたんだろうか、)瞳孔が閉じなくなっていた。世界が片目分だけまぶしい。 目蓋を閉じれば、目の前で見えていたものが見えなくなり、見えなかったものが見えてくる。それは嘘だ。帯状疱疹の痛みは、目蓋を開こうが閉じようが、ずっと続いていた。結局退院後わずかで別れることになった彼女の今日は、目を閉じようが見えてこない。目を開くと、彼女がそこにいない、という僕の今日が見えている。それだけの話だ。痛みは今日も、ずっと続いている。 そういえば、昔、台所に放置されてあった寸胴鍋を覗き込んだことがあった。ステンレス製のピカピカする筒の奥底で、煮崩れた肉のようなものが黒く滞っていた。それが蠢いているように見えたのだ。僕が幼かったからだろうか。それは生まれたての子どものようだった。こちらを見つめる無表情な眼球が、僕にはたしかに見えた気がした。 あの時は、蓋が見つからなかった。どこを探しても、鍋を覆うべき蓋が見つからなかった。僕は目を逸らして目蓋を閉じた。それしか出来なかった。そして恐る恐る目蓋を開けると、僕は二十二歳で京都に立っている。 昨日、道路上に落ちて死んでいる一羽の鳥を見つけた。あの時の鳥だと思った。見上げた空は青かった。もう一羽はこの空の下、どこに墜落しているのだろう。 覆われた空の下だ。僕らは今日も、痛い。 |
2004年9月28日火曜日
ディスプレイ
どこかでロウソクが燃えていた。揺らめく明るいそのひかりが見え、ロウがじりじりと減っていく音が聞こえていた。 わたしは冬の街中で振り返った。街灯はすでに街のあちこちを華やがせ、その隙間から、凍えるように深い夜空が見えていた。ライトアップされたショーウィンドウの中でポーズをとるマネキン。濃いブラウンにベージュのラインが一本入ったセーターを着て、頭部のない白い首をそこから覗かせていた。白い光の中で誇らしげに立っている。その前で、何組かのカップルが立ち止まり、彼を眺めながら言葉を交わした。そして、彼らもまた、そこから離れて歩き出していく。 風が吹いて、寒い。わたしは、前に向き直ると待ち合わせ場所に急いだ。 今日のデートは、笠木さんから誘ってくれたものだった。わたしにとっては初めて、男の人と過ごすクリスマス・イヴ。お母さんには、友達とケーキを食べてくると言った。早く帰ってこられるかどうか。それはわたしにもわからなかったし、結果がどちらであれ、わかりたくない気持ちの方が強かった。 笠木さんが作ってくれた地図を見ながら、アルタの階段を降りていく。どこかのアイドルのクリスマスライブを、生中継しているのだろうか。噴水前広場に特大のテレビが設置されていて、女性の歌と、取り囲む男の人たちの重くくぐもった歓声が聞こえてくる。 わたしは、密集している黒い人だかりの後ろを通り抜けると、広場の西側にあるお店の前に立ち止まった。壁に背をつけ、テレビの方を眺めながら、待つ。笠木さんの地図の上、何回も曲がりながら続いてきた矢印は、そこで突き当たって止まっていた。 アイドルが何かをする度に、それに合わせて動作を取る男の人たちが滑稽だった。怒号のような歓声が方々から繰り返される。アイドルは、忍というらしい。わたしと同じ名前。少し、親近感がわいた。男の人に囲い込まれた画面上の忍さんと、ただ一人の男の人を孤独に待っているわたしとの間を、幾人もの人々が横切り、通り過ぎていく。 遠くで叫ばれているわたしの名前を数えているうちに、時計の針は待ち合わせ時刻をずっと後ろに置き残していった。一時間と十分待って、わたしは地上に出ることにした。気合を入れて着てきた白いコートが、蛍光灯の光をみすぼらしく弾いている。 アルタの階段を昇っている最中に、わたしはふと、笠木さんの硬い手の甲を思い出した。そして気づいた。わたしは、笠木さんの顔を見たことがなかった。 どこかで銃声が聞こえた。一発。そして、もう一発。ショーウィンドウの割れる音がした。悲鳴は聞こえなかった。 振り返ると、忍さんはまだ踊り続けていた。男たちは必死の表情のまま、その真似をしている。外に出るとロウソクが燃えていた。冬の夜空だけがただ、何も見ずに黙っていた。 |
2004年9月20日月曜日
( くもりガラス。 ) ほか一篇
いる兄 いない兄 「YEAH! どこまでだって 生きていってやるぜ YEAH! そうさ もっと もっとうそをつきながら YEAH!」 「うなづきながら ほほえむ人々と 首を横にふりながら ほほえむ人々が すれ違う交差点を見ました 何本も並んだ ガラスのビル群がきれいでした」 「すべてが真であることと すべてが偽であることとが ともに成り立ちうるならば それは 普通のことである 私の娘は 今日もランドセルを背負って 小学校への道を 歩いていって見えなくなった」 「おかあさん いるよ おかあさん ほら いるよ」 「肯定しなさい いのちを込めて 肯定しなさい 鋭い剣を絶つように うすものの六月の青空を 裸足で駆け抜けていくように たとえそれが 悲しい嘘だとしても 肯定しなさい あなたが生きている限り 肯定しつづけなさい それこそが あなたが生きている うたごえなのですから 証 なのですから」 「おかあさん いるよ おかあさん ほら いるよ」 「つい先日母から聞いた話だが、わたしには、 生まれてこなかった兄がいるらしいのです。 父母の都合で堕胎させられた兄は、その後、 しばらく母の腰のあたりにしがみついていた らしいのですが、ちゃんとご供養した後には、 守護霊となって、わたしを守ってくれている のだそうです。 だから、今夜も母は仏壇に向かい、今夜も、 わたしは布団で眠りにつくのです。名前も知 らないわたしの兄に、言葉にならない、お礼 を言いながら。」 「おかあさん いないよ おかあさん ほら いないよ」 「わたくしたちは なんとあえかな鏡のあい間を あるいていく 水面(みなも)であるか 言葉にはならぬ空無に向けて 静かなうなづきを返しながら わたくしたちは あの海へと 向かう」 「YEAH! どこまでだって 生きていってやるぜ YEAH! そうさ もっと もっとうそをつきながら YEAH!」 ( くもりガラス。 ) うなづいている人の、 横を 過ぎていく。 そんな小雨を、 僕は歩きながら聞いている。 平坦につづく大通り。 やわらかに、 つつまれて ……うん、 ……うん、 あたたかな雨だった。 視界をおおっていく、 春色の水のけぶり。 (こんなにやさしい、 くもりガラスなんだね。) と、 小さなつぶやきが、 したたっていく。 窓枠はない。 平坦すぎる大通りで、 音もなく回転している、 一年 雨の そして僕は、 去年の僕に追いついて、 「おはよう」 と、 声をかける ことはできないから、 まるくつつまれている、 平坦につづく大通りを、 歩いていく。 ただまっすぐに。 視界を遮るくもりガラスのむこう、 彼の背中は、 もう消えたけれど 小雨の中の会話。 どこかで、誰かが、 遠いだれかにうなづいている。 (二〇〇三年五月、六月) |
2004年9月19日日曜日
もぐもぐさんの呼びかけに応える4 ――裏ダンショウ(2)の2(後半)
(承前) さあ、やっと最後の段階に来ました。この、「本当/にせもの」の枠組みの転倒の最も先端にある考え方であり、同時に上のような時間の逆転を倫理に結びつけるための媒介でもあるものが、「出来事」というものなのです。これについては、もぐもぐさんの「あをの過程さんの時間論-「存在の彼方へ」を読んでみる12」に対するコメントとして、簡単に書かせていただきました。引用します。 わたしがあえて(比喩ではなく、文字通り)時間軸を逆転させたのは、まさに「解釈」を無に返す「出来事」の存在を出してきたかったからです。だから、われわれの人生というのは、死の時に至ってその意味が全て明らかになるものではない。逆に全てが明らかになると思われるほど、あらゆる解釈を経てきた死の時から人生はスタートして、逆に解釈不可能なものとしての出来事それ自体に向かっていくのではないか、ということです。(中略)事件が起こったまさにその瞬間、事件は一つの出来事です。その一瞬(0地点)だけはわれわれの解釈を拒み、自足しています。しかし、当然様々な人から様々な解釈が出てくるから、事態は紛糾する。で、コナンが見つける真相とかも、結局はそんな解釈のうちでその時点で最も妥当性をもち共有されやすいものにしか過ぎず、出来事それ自体では決してない。 たとえば、コンビニでアルバイトをしている増田考志(仮名)くんが、バイト中に店の時計を落として割ってしまったとしましょう(このお話はフィクションです)。この時、「時計が割れた」はひとつの出来事です。で、この出来事からの距離によって、様々な解釈が生まれうる。 増田くんにとっては「ああ~! 俺、またやっちまったよぉ。この前はガチャポンをしまい忘れたし、今度こそクビになるかもしれへん。就活もうまいこといってへんし、ほんま最近の俺はダメダメやわ。あかん、泣けてきた」(このお話はフィクションです)ということになりえますし、いや、もっと単純なところでは「店の時計を自分不注意ゆえに落として割った」というのが、彼にとってのこの出来事の意味、出来事の解釈になるでしょう。 一方、その場にいなくて、店の奥で何かが割れるドデカい音だけを聞いた店長にとっては、「時計が割れた」という出来事は、そのときはまだ「ドデカい音が聞こえた」というものでしかありません。しかし、これも「時計が割れた」に対する、彼の位置からの一つの解釈であるのです。そして増田くんからの内線電話を受けた時点で、彼にとっては「自分の店の時計が、増田によって割られてしまった」という新たな解釈が生まれうる。 さらに、時計を割って呆然としている増田くんの後姿を垣間見たコンビニの客にとっては、「何が起こったんやろう? どうでもいいけど、早くレジ打ってほしいわあ」であるかもしれませんし、また、ここに全然違う人がいて、たとえば、店の向かいから「時計が割れた」の一部始終を見ていて、そのことに神の啓示を見る、ということもあるかもしれません。 で、ここで言いたいことは、その解釈のどれもこれも、出来事それ自体ではありえない、ということなんですね。けれど、それでは解釈は全部にせものか、というと、決してそうではない。解釈はたしかに出来事そのものではないにしろ、かといって「時計が割れた」という出来事について語っていないわけではないのです。つまり、みんな「時計が割れた」という出来事としっかり関わりながら、それについて語っている。結局、解釈は出来事それ自体ではなくても、しかし出来事に対してにせものとは決していえない、その解釈のどこにも出来事はないように見えて、けれど全部に「時計が割れた」はしっかり存在している、ということなんです。 この「出来事」が、「本物/にせもの」の図式を崩すものであることは容易に理解できるでしょう。「本物/にせもの」の図式は、特にそれが目的論的人生観にドライブをかけるような場合には、「本物」をなにか「にせもの」の<奥>にあるもの、探し出す価値のある真実、と見ることによって成り立っていました。けれど、ここにおいて、「出来事」は奥ではなく<表面>にあります。そしてそれは、探し出すべきものでもなんでもない。「時計が割れた」という、それだけでしかないのです。 少しここから脱線しますと、この出来事の考え方のゆえに、フィクションといわれるもの(小説とか、詩とか)にも、何らかの意味づけが出来るのです。それは、あたかも本物のように語られたにせもののお話なのではない。あるいは、本物の世界に対する比喩としてしつらえられた虚像などではない。そこに書かれた言葉は、まさに言葉という出来事なのであって、それが関わる世界の位相の違いによって「現実」とは区別されるかもしれませんが、決してにせものではないのです(このことによって僕は、一般的に受け入れられている「詩とは比喩によって何かを説明する芸術だ」という考え方、あるいは詩を比喩として作者の心情という「本物」を読み取ろうとする考え方に、真っ向から反対する)。 映画の中の出来事もそう。映画が終わってしまえば真っ白なスクリーンに還ってしまうとはいえ、真っ白なスクリーンが「本物」でそこに映された映像が「にせもの」なのではない。そこにはたしかにそのような映像が流れた、という出来事があり、その出来事の存在は決して否定されえないのです。(とはいえ、出来事は多重構造になっていて、決して外側にある出来事の方が真実である、とはいえないにしろ、その区別は非常に大事になってくるのですが。) さて。もう一つここで重要なことを言いますと。先の例で、「時計が割れた」という出来事が起こった理由はたしかに、一般的に説明すると増田くんの不注意に寄ります。けれど、それが完全に出来事自体を説明しきれるか、というと、そうでもない。だって、増田くんがいかにがさつであり不注意でものを壊しまくっているといえ、壊れていないものもあるのであり、実際その時計も壊れなかったかもしれなかった。だから、出来事は理由といえるものを持つことは出来るが、同時に無根拠でもありうるのです。まさにそれは、「出て来た事」、「あらら、こんなことが起こっちゃったわね」という驚きと共にしか接しえないことなのです。 もっとも、あらゆることが出来事です。それのいちいちに僕らは驚いてはいられないし、実際いろいろと理由をつけ(疲れていたんだ、とか)簡単に解釈し納得して済ませてしまうこともあるでしょう。けれど、忘れてはならない。解釈は出来事の出来事性を取り払うことは結局出来ないのです。そして、出来事は理由や解釈のうちで消化されなくなるものではなく、いつまでたっても異物のようにそこに存在しつづけるのです。 そして、我々の人生にとって一番の出来事は何か。それが、自分の誕生なのですよ。なぜなら、「時計が割れた」とかについては、ある程度理由とかをつけて噛み砕くことも出来ますし、そのことによって、我々は自分の人生にそれを引き受けることができる。ある程度までその出来事に対して責任を持つことができる。けれど、誕生については、誰も自分でその責任を負うことが出来ないのですから。 それゆえにこそ、殺人が許されえないことになります。理由づけることは、出来事から出来事性を取り払い、その操作を可能にする行為です。たとえば、「時計が割れた」ことを僕の不注意ゆえに起こったこととして理由づけることは、それによって「時計が割れた」という出来事を把握した気にさせますし、その出来事が起こってしまったことに対する驚きをなくさしめます。そして、「時計が割れた」はある程度まで出来事ではなくなり、僕という者の下に位置づけられることさえ出来るのです。僕はそれを引き受け、責任を果たすことが出来る。だから「時計が割れた」に対して、その理由付けに応じた(とされる)処罰を受けてもなかなか文句が言えない。 けれど、いかにも理由づけえないはずの「自分が生まれてここに在る」という事に対して、誰が責任を負えるでしょう。いかなる理由づけも不可能な出来事に対して、一体どのような正当な理由がそれを解釈し、操作可能に出来るでしょう。誕生の否定、存在の否定、そして(いかなる理由のもとでも)殺人が罪でありつづけるのは、それが誰にも理由づけできないものを操作することであるからです(もちろん、遺伝子操作などの問題も最近ではあるでしょう。ただし、自分が生まれる前にどのような操作が施されたにせよ、それは自分の人生の外側にあるのであり、生まれた当人にとっては責任の負いようもありません。それゆえに、遺伝子操作によってできた存在だから自由に殺していい、ということにはならないのです。それは、作った側からのあまりにも稚拙で愚かな理由づけです)。 僕は自分の「世界は下手したら、自分ひとりの幻想かもしれないのだ。」という考え方が、だから「俺はこの世界で好き勝手にやっていいのだ」というものにつながることを恐れてきたのです。だからこそ、自分の幻想であっても幻想としての世界の中の出来事は全て出来事として「在る」のであって、それを否定することはできない。それゆえにこそ、少なくとも殺人行為は許されえない、ということを考えようとしたのです。 なぜ僕が目的論的考え方を嫌うか。それは先に言ったように、それがいまここにあるものの存在を否定するからです。そして、人を殺すためのあらゆる理由づけは、それに属します(ただし、自分が殺されそうで、相手を殺さなければ自分が死んでしまう、という場合がもしあったとすれば(多分ないとは思うけど)どうすればいいか、というジレンマがそこには残ってしまいますが。これについてはまだこれから考えていきたいです)。そして、この二つをともに否定するのが、ダンショウ(2)第二節のレベル3だったわけです。 だから、先にもいったように、究極僕には時間がどちらに流れていようが、そんなことはどうだっていい。本物とにせものの枠組みを空虚化させて転倒させ、出来事と存在の貴さ(無根拠さとそれゆえの不可侵さ)を見つめることを可能にし、そしていかなるものも「在る」と言うところから出発しようとする考えが、どうにかして成り立ちさえすれば。 以上のことは、僕がその誕生以降抱え続けてきた問題ともいえるわけであり、本当に僕の根本にあるものですので、書くのがものすごく怖かった。今でもそうです。だから、もしかしたらわかりにくい所もあるかもしれません。どうかその場合は、まだ書くべき時にはないんだな、と大目に見ていただけるとうれしいです。 どうしましょう。最後にいつものように、ふざけたふりして少し軽い話をしましょうか。なぜ、ダンショウ(2)が「ZONEに関する」なのか。この時間の逆転について述べた第二節についてだけ、ネタ晴らしをさせてもらいますね。 「ZONE」というグループ名は、彼女たちの音楽がその領域を広げていくように、という考えから出たものでもあるそうなんですが(そしてそれは、容易に推測されることなんですが)、どうもそれだけではなかったらしいんですね。ある時期までは公式HPのプロフィール欄に書かれていたことなんですが、「ZONE」にはもう一つの意味があったのです。それは、「一番最後から始まって、ONEになる」、という意味だったそうです。 そこにあるのは何も、オリコンチャートのドン尻からスタートして、いつか一番になろう!というような単純な図式ではないように、僕には思えた。「Z」はアルファベットの順番の最後、そして「ONE」は、数字の順の一番最初。このアルファベットと数字の間にある見えないねじれが何か、とてつもないものを語っているように思えた。また、「ONE」はある意味でオンリーワンという考え方もできるし、アルファベットの順番を考えるとそこから抜け出た存在でもある。それを考えているうちに、今回のように時間の逆転という考えが僕の中に芽生えてきたのです。 ここからさらにZONEの他の要素へのリンクもあるのですが、それはあまりに大部になるので省略します。まあ、このネーミングの件は、ちょっとした小噺として流して置いてください。それではー。 |
もぐもぐさんの呼びかけに応える3 ――裏ダンショウ(2)の2(前半)
これは、前回投稿させていただいた「もぐもぐさんの呼びかけに応える2 ――裏ダンショウ(2)」の続きになります。前の部分を読まれていない方は、そちらからお読みいただくことをお薦めします。 さて。前回の裏ダンショウ(2)で僕が言ったことは、大きく言って次の三つになると思います。その一、僕が裏ダンショウで言った「時間は、未来から過去へと流れているのではないか」ということは、特に(常識から遠ざかる順に三つ挙げてあるレベルの)レベル3においては、単なる解釈の転換ではなく本当に未来から過去へ流れる時間を想定して書いていた、ということ。その二、僕の時間論は、もぐもぐさんがおっしゃっているような、ある決定された結末を想定して人生をそこに到着するために進んでいくものとする「目的論的人生観」に落ち込むものではなく、むしろそれを拒否するためのものであった、ということ。そしてその三。これは、裏ダンショウ(2)から引用しましょう。 僕の議論の基調は、上のレベル1にも出ていたように、誕生と死の瞬間を特別な瞬間、人生にとって極めて意味のある瞬間としながら、同時にそれを人生の外に置くことです。もちろん、どこにどう生まれるかは人生にとって非常に重要であり、「終わりよければ」ではないにしろどう死ぬか、が人生を意義付ける度合いはとてつもなく大きいでしょう。しかし、それは誕生と死を点ではなくある程度の幅を持つ線と考えた場合のことであり、点としての誕生と死は、やはり当事者の人生に対してある意味で無責任な一つの出来事でしかありません(「出来事」については(2)の2で)。 ここで出てきた「出来事」の理解が、レベル3を読み解く上で必要になってくるものと思われます。しかし、今は急がず、そもそもなぜ僕が時間を逆転させてみようとしたのか、そこから話し始めてもいいような気がします。 別に、個人的には時間が過去から未来に流れようが、未来から過去に流れようが、そんなことはどうだっていい、と思っています。だから、僕が時間を逆転させてみたことは、それ自体としては別に意味深いことでも何でもありません。少なくとも僕にとっては。では、なぜ時間を逆転させたのか。それは、そこから派生する様々な事態に期待して、でした。 高校時代から僕には、抗うべき一つの考え方がありました。それは、本当の何々、真実の何々というものを想定して、それに対する到達度で自分を位置づける、という考え方でした。僕自身がこの考え方をしていて、僕はとりわけ理想が高い人間でしたから、理想どおりになれない自分が苦しくて苦しくて、何回も自殺を諮っていました。小学校六年生の時から、首にはロープの跡が見え隠れし(みんなには皮膚炎と言っていました)、鞄には自分をいつでも殺せるようにナイフが潜ませてありました。 でも、ある時気づいたのです。なぜ、自分がこれほど苦しいのか。それは、自分が宙吊りだからである、と。理想を設定しそれに向かっていくことはたしかに素晴らしい。しかし、階段は今立っている段がないと、そもそも上がってもいけません。ところが僕は、理想という究極の目的地だけを見て、自分が今いる足場を否定していたのです。現在の、完璧ではなかろうが何者かの自分がたしかにある、ということを認めず、そんな自分を消し去ってしまっていたのです。だから僕は苦しかった。宙吊りだった。それを、やめようとある時思った。 勘違いはして欲しくありません。別に僕は、理想をもつことを否定しているわけではありません。ただ、ある理想、ある「本当の自分」を目指すあまり、現在の自分を文字通り無き者にしてしまう考え方から、身を離そうとしたのです。それは、「然り」ということ。本当のものが実在していてそれ以外は無きものあるいは虚像である、という考え方に対して、あらゆるものの存在を肯定すること、つまり、「在る」ということ。 僕はずっと、この考えから出発してきました。ダンショウ(2)にも書いた「世界は下手したら、自分ひとりの幻想かもしれないのだ。自分が死んだらそこでおしまいになる、わたしが主人公の一つの映画なのかもしれない。」というのが僕の思考の根本的出発点だとしたら、この「在る」ということは、映画的人生観と密接に絡まりあった僕の倫理の根本的出発点として、本当に重要な位置を占めているのです。(さらに言えば、僕の存在の根本的出発点として、「生を光が当てられている側面として考えるならば、光が当てられていない所で眠っているわたしもどこかにいるはずである。(中略)われわれは、わたしが生の舞台に上がった瞬間に、分かたれたのだ。しかし、死の後に再び分かちがたい二人として戻るだろう。(中略)「わたし」は「彼」がいるからここに生まれて、ここに生きている。」(ダンショウ(2)より)というものがあります。そして、この三つ(本当はそれ以上)が重なりあう地点に、僕にとってのZONEがあるのです。) とにかく、僕にとっては「本当の/にせものの」という区別に「本質としての有/実在しない虚像としての無」という区別を重ね合わせる思考法が第一の敵だった。そして、このような思考法が導き出す、「虚像から本質へ」というドラマツルギー、さらに言えばそれが人生観に反映されたものである目的論的人生観が大っ嫌いだった。それに反発するために僕が取り得るひとつの手段が、時間を逆転させることだったのです。 一見すると、時間を逆転させることは、起源としての誕生に重要な意味を与え、我々の人生を、その誕生以前の理想状態(イデアっていうんですか?)へと立ち戻るためのもの、と規定することのように思えます。これでは単に、「本当」としての意味づけを終局ではなく起源の方に移したのように思えます。 それは、たしかにそうであって、実際僕の論法の上でもイデア的なものは出してきています(「分かちがたい二人」というものがそう)。しかし、ここで一番重要なのは、僕にとってそのイデア的なものは恋焦がれるものではあるにせよ、人生の過程では絶対に到達できないもの、とされている、ということです。つまり、たしかにそれは「究極の目的地」なのですが、それは「点」として、人生の端にありながら人生の中で面積をもちえないものなのです。イデアがやってくるのは、人生を線として描いた場合、人生の中にありながら同時に我々が責任を持ち得ない人生の外でもあるその「点」においてなのです。それは人生が到達する場所ではなく、よってそれを目指して進んでいくことは根本的には無意味です。 では、どうするか。ただ、その呼びかける力に駆り立てながら、しかしそれを目指すのではなく(なぜならその力は根本的に無方向であるから。「幼児期はそれ自身としては実在しない」(フロイト))常に自分のこの身体から、自分の道を歩んでいくだけです。そして我々の人生が果てる時、目指したはずでもなかった目的地が、我々のもとにやってくるのでしょう。「時には遠く離れながらしかしともに歩み続ける二人の呼び合う声は、すべて、どちらかの頬を流れそしてもう一方がそれを忘れないと誓ったいつかの涙のように、二人の関係の真ん中を流れ落ちて、基地に流れ着くのだ。そして、そこで待っているのだろう。二人がそこにたどり着くのを。二人が基地に帰ってくるのを。」(ダンショウ(2))この「基地」は、そして「二人」は、人生に活力を与えるドライブであり、人生が最終的に流れ着く場所でありながら、目指すべき場所ではない。そして何よりそこに流れ込むためには、我々は「二人」を理想として孤独を思い悩むのではなく、今自分が一人であるこの道を歩んでいくしかないのです。 少し話が横にそれました。ええっと、時間を逆転させることの戦略について語っていたのですね。そのことについて、改めて語ってみます。 我々は、実感としては紛れもなく誕生から死へと生きています。そして、死ぬ時には何らかの目的地に辿り着きたい、という願いも持っています。それが時代によって作られた感性であるとしても、正直そこから抜け出すことは難しい。アンチを唱えることは簡単だけれども、そのアンチですら、結局は同じ時代的土壌の上での堂々巡りになってしまうことだってあるのです。だから僕は、異を唱えてぶつかっていくのではなく、あえて反対すべき思想の内にいながら、そこに少しのズレを生もうとしたのです。そのわずかなズレのせいで、反対すべき思想がそれと気づかぬうちに重心を崩し、転倒してしまう、そのようなものを目指していたのです。 時間を逆転させること、もっと繊細にあのダンショウ(2)のように時間を捉えることは、上のような願いに、ある種の救いを与えます。つまり、あなたの人生はそれが終わる瞬間(実感の上では死の瞬間)に辿り着くべき場所を、ちゃんと(実感の上では)前もって持っているのだよ、と。それと同時に、それは目的論的人生観にかすかなズレを生みます。その辿り着くべき場所を人生の結果とするのではなく、始点とすること。しかもそれを人生の内にありながら外にある場所とし、人生が目指すことができないものとすること。このことで、目的への到達度によって自分の人生や現在を価値づける、ということが不可能になるのです。そしてこれは、ニヒリズムに対する拒否にもなりうる。なぜって、この考え方は目的地(イデア)を「本当」として自分の人生を「にせもの」とするのではなく、むしろ「本当/にせもの」の枠組み自体を取り払って、目的地も人生も全部ありって言っちゃう考え方なんですから。 (長くなりすぎたので一旦きります。後半へつづく) |
2004年9月16日木曜日
部屋 フラグメンツ (ケータイについて)
何回もお世話になったケータイショップだった。今使っている暗緑色のケータイも、そこで買った。深夜一時に前を通り過ぎた時、「機種変更10分で出来ます」という横断幕の下で、店は真っ白な立方体になっていた。崩れ落ちた壁土のようなものと、いやに薄っぺらな光を放っている銀色の脚立。それだけがあって、あとは何もない部屋だった。 「へえ、最近のケータイはすごいんだな」と、僕の友人の妹背は言った。僕が着うたを聞かせてやった時の話だ。「本当に歌ってるじゃん」 自分のケータイから、自分の好きな人たちの好きな歌が流れる。このことの喜びに僕は一時期虜になった。暇な日には、家でごろごろしながら着うたを際限なく流した。といっても、聞きたい曲数は限られているから、同じ曲を何回も流すことになる。いつまでも断続的に続く喜びの中で、次第に無感情になっていく自分の眼を他人の眼のように感じた。そうこうしているうちに外の光は色づき始め、僕はまた出かけそびれたことを気だるく後悔するのだった。 着うたを聞いているのに飽きると、僕はケータイで自分の部屋の写真を何枚も撮った。洗面所や、窓や、冷蔵庫。それにガラス越しの物干し台など。一度、それらの写真を妹背に見せたことがあったが、彼は一言「怖いな」と言っただけだった。単純な、本当に単純なあの部屋の写真の、何が怖かったのか。僕には今でもよくわからない。 僕はそのあと、着ムービーなるものを知っていくつかダウンロードした。着信画面に設定すると、電話やメールがあった時に僕の好きな人たちが小さな画面の上で躍動し、歌を歌う。唐突に始まるその短い時間が、僕にとっては一日で一番幸せだった。映像は、いまいち良くない画質のせいでどこかノスタルジックで、15秒間で断ち切られては何回も繰り返された。ふと気づくと、着信をほったらかしにして映像に見とれている自分が何回もいた。そんな時の僕はまるで、フラグメンツ化されたデジタルデータみたいだった。 「ふーん」着ムービーを見せると、妹背はディスプレイを眺めながら無感動な声をもらした。そして、僕の方に睫毛の長い目を向けて、不意に笑いかける。「俺には正直、便利かどうかわからんなあ」 妹背の歯並びは悪かった。唇の形は野蛮で、その声はいつも大きかった。けれども彼がカモシカのような目で笑う時、その口元はどんな原生林よりも暗くてしずかだった。僕はいつも深夜に歩き回る大通りの、さびしく澄んだ建物の沈黙を思い出した。僕が毎晩探しているものは、たとえばこの動物的に暗い口の中にこそあるのかもしれない。 僕は目を逸らした。ちょうど初めて参加した握手会で、痛々しいほどに透き通ったあの人の肌に生傷を見た気がした時のように。 「俺なら彼女たちに会いに行くよ。このケータイで電話かけてさ」妹背はそう言った。 僕はそれからも着ムービーを愛しつづけている。ディスプレイの中で躍動するあの人たちのリピートと、僕の喜び。ケータイショップが真っ白な立体に戻り毀れ落ちた今でも、僕が撮る自分の部屋の写真は、どんどん増えていくばっかりだ。 |
2004年8月20日金曜日
海抜0メートルの午後(Remixed Ver.)
君の名前が 道に消えてく 君の言葉も いま 風に消された 君の仕草を 海が忘れた 君の歌声だけ 空に涼しく満ちた 海面と同じ高さだけの この道の上 抱かれたまま 陽の光だけ 音もなく錆びてく二人の夢 水平な日々 つながれた海 つむがれてく意味 白すぎる糸 命を囲み 風だけを見て ひとり散歩する君 聴こえないその歌を繰り返す波 君の名前が 道に消えてく 君の言葉も いま 風に消された 君の仕草を 海が忘れた 君の歌声だけ 空に涼しく満ちた 「この町は海抜0メートルなんですよ」と、部屋に案内してくれた仲居さんが言 った。「だから、あの白い堤防が、わたしたちの命綱なんです。あの白い堤防が」 荷物を下ろしてしまうと、僕は外に出て、バスで来た道を自分の足で歩いてみた。 日の光がアスファルトの上で行き場を失っていた。堤防はたしかに他の海岸よりも 圧倒的に高く、そして、いやに白かった。僕は骨みたいだと思った。去年の九月、 祖父はあのセメントよりも幾分茶色がかった骨になって、長い箸の先でもろくもろく 崩れたのだった。 君のふるさとを訪ねているんだ。 君のふるさとを訪ねているんだ。 こうつぶやいているとき、僕は、 君って言うのが自分の祖父なのか、 もう会えないかもしれない愛しい あの女性のことなのか、知らない。 誰だっていいんだ。僕は君に会いたい。 誰だっていいんだ。僕は君に会いたい。 「海はどこですか?」そう尋ねた僕に、通りすがりの老婆は笑って指をさした。「ほ れ、そこにあるわして」 その指は黒くて、肌がしなやかで、海風に吹かれて生きていくことの厳しさとたくま しさを無言で語っていた。老婆は笑っている。指は、堤防よりも少し上空、入道雲が湧 き出しているあたりを指していた。 「あそこ……ですか?」問い直した時に、老婆は黙ってうなづいた。その顔が、誰か に似ていると僕は思った。しかしそれが誰だか、結局思い出せなかった。東からの雲が まぶしい。指差したままで、老婆は誰かのように笑っていた。 君の名前が 祖父が死んだ日のことを、僕はよく覚えていた。 道に消えてく あの女性と最後にあった日のことを、僕はよく覚えていた。 君の言葉も いま だからこそ、僕は探したかったのかもしれない。 風に消された ぜんぶ浜辺に打ち捨てて、もう一度、 自分の足で拾い集めてみたかったのだ。 君の仕草を 砂浜はきれいだった。波に何度も濡らされていた。 海が忘れた 宝石みたいな、白い貝殻が転々と、 君の歌声だけ 正確には、貝の死骸のきらめきが転々と、 空に涼しく満ちた 転々と、まるで足音のように落ちていた。 君のすべてを 僕は忘れた 君を探して いま 僕はこの道を行く 僕はこの道を行く 海抜0メートルの午後 海鳴りはどこからも聞こえない |
2004年8月11日水曜日
O(オー)
(ZONEのアルバム「O」に) O(オー) まるく O(オー) とじているのです O(オー) なにもない の、数字みたいだけど O(オー) アルファベットでは じつは十五番目なんです O(オー) 血液型は、O型です O(オー) 驚いたときには いつも声を上げてしまいます O(おおお) おおざっぱだなんて あまり言われないけど O(オー) まるくとじている 瞳 この手で触れるものって 世界にどれだけあるんだろう わたしにはわかりません まだ十五歳だから もう十五歳だから まぶしい朝のひかり を、どうやってこの手のひらでかたどっていけばいいか わたしは知らないのです でも こんなにまぶしい朝のひかり わたしは、今日も、目を覚ます ねえ、雪が降ってきました ちらちら ちらちら はいいろの雲の、もっと高くから ゆれながら 舞いながら わたし あんな歌声に なっていきたい そうか 世界は、きっとO(オー)なんです 吐くいきがこんなに白いから わたしの瞳の手のひらが 雪になって 散っていく ひかりを、いま つかまえましたよ (二〇〇二年十二月十日) (詩集『寄せる波、世界へ、』より) |
2004年8月9日月曜日
もぐもぐさんの呼びかけに応える2 ――裏ダンショウ(2)
僕が前回投稿させていただいた「ダンショウ(2) ZONEに関する」について、もぐもぐさんから以下のようなご論考を頂きました。「あをの過程さんの時間論-「存在の彼方へ」を読んでみる12」 僕は平素このようにして文章を取り上げていただく機会がそれほどないもので、まずしっかりと読んでいただけたこと、そして真摯に言葉を返していただけたことについて、大変うれしい思いをしました。もぐもぐさん、ありがとうございます。 ただ、僕の書き込み不足もあって、僕の平素の考えとは異なるものが、あの文章には現れてしまっていたようです。そこで今回は、もぐもぐさんの書いて下さった論考を引用させてもらいながら、前回の自ら訂正と解説を加えつつ、自分の考えをより掘り下げて書いてみたいと思います。 あをの過程さんは、その中で時間について次のような論点を提出している。 もぐもぐさんの論考は、僕が提示した考えを、ハイデガー的文脈で解釈されています。しかし、僕の考えはそのような高尚なものではなく、本当に文字通り僕らは最後から生きているのではないか、時間軸上を過去から未来へ移動していくのが普通の考え方なら、僕らはその逆の移動を実はしているのではないか、と考えていたのです。映画でいうと逆回しです。 ただ、一時期リワインドムービーなるものが流行りましたよね。『メメント』とか、『ドニー・ダーコ』とか、主人公が過去の真相へと遡っていくやつですが、僕のイメージはこれとは微妙に違ってます。なぜなら、僕のイメージする「最後から生きていく」には誰も「これ、巻き戻ってるね」と思いながら見ている観客がいないからです。リワインドムービーで逆回しの果てに見つかる真相は、あくまで観客が受け取る真相であって、逆回しを生きている本人には未来の記憶が当然ないわけですので、過去に遡ってもそれは真相でもなんでもないわけですよね。このことは、(2)の2でもう一度出てきます。 とにかく、僕にとっては文字通り時間軸が反転したもの、をイメージして出した「最後から生きていく」という考えだったのですが、あまりにも突飛だったことと、そのイメージを具体的に示さなかったことのせいで、解釈の転換という意味で伝わってしまったようです。これは反省しています。 実際、僕が挙げた三つの例のうち、二つは、解釈の転換としてとらえることもできます。っていうか、多分そうです。ですから僕は、「ダンショウ(2)」中に次のような文章を書きました。 次に、レベル2。先の考え方は、(…)いわば言葉の上での言い換えに過ぎなかった。要するに、「過去にあったことを人生の最終目的って言い換えてるだけでしょ。それって結局過去のある時期を別の名前で呼んでるだけで、わたしたちが過去から未来に生きていくっていうベクトル自体は変わらないわけだよね」という批判が可能な考え方なのである。そして、そのことはこのレベルでも同じである。 ただし、上のような批判が可能なのもレベル2までで、三つ目の例、一般的な考えからは最も離れてしまっているレベル3の例においては、上のような批判自体が成り立たないものだと思っていました。そういう想定のもとで、僕はレベル3を出したのでした。 しかし、上のような批判が成り立たないものとしてレベル3を出すことを、僕は文章中に明記し忘れました。そのこともあってか、もぐもぐさんの文章の中では、これもまた解釈の転換というか、解釈学的問題というか、つまり時間軸はそのままで発想を転換しているだけ、という例に留まってしまっています。 過去の出来事は私の生の場合と違って、成長したりその状態が変化したりすることは本来ないはずなのだが、「解釈」というレベルで言えば、そのようなことはなく、一定の意味内容を持つ出来事として最終的に「確定」するまで、様々な変遷を辿る。 「未来から、遡及的に生きていって、その出来事がまさに一つの出来事であった時期に帰ろうとしていっている」というのは、もう少し普通の表現をすれば、複数ある解釈の「可能性」(未来)が、確定されて一つの「事実」(過去)になる、ということである。何らかの事件が起こったとき、情報が少なく、噂話が錯綜するとき、その事件の真相は様々なものである「可能性」を持っている。だが、次第に事態は明らかになっていき、外堀は埋められて、真相はこれこれのものであった、と「確定」される。確定された解釈は、その後は「解釈」ではなく、「事実」として扱われるようになる。これをアフォリズム的に表現すれば、「解釈とは、未来から過去へ遡及する運動なのだ」(解釈により、可能性は絞り込まれて一つの事実として確定される)と言うことができるだろう。 ここで我ながらしまった、と思ったのが、僕が書いていることがそもそも気が狂っているようなことなので、「普通の表現」にはなかなかできない、ということを自分の文章に書いておかなかったことです。ただ、もぐもぐさんは気を使って引用されなかったみたいですが、僕はレベル3の冒頭で、「さあ、レベル3。ここに来ると、もう気が狂っているとしか思われないだろうが、書く。」ということを述べてます。僕もいくら勉強していないとはいえ、解釈は常に現在から行われ、解釈が過去を作り出す、といった風な(「といった風な」というあたりがいかにも阿呆ですが)議論は知っています。最近は物語論も大流行ですし。その上で「気が狂っている」と使うくらいだから、本当に狂ってるんです。なかなか哲学の索引がつけにくいようになっている。それが伝わらなかったのが残念だな、と。 さて、もぐもぐさんは僕の議論について、それは最終的にヘーゲル的な目的論に通じるもので、そこには遊びがない、という風なことをおっしゃっています。レベル2までのところでそれが言われるなら致し方ないかな、と思っていたのですが、レベル3まで通じてそう解釈されたのは、我ながら不徳のいたすところでした。なぜならば、僕があの文章で目指していたものは、ドイツ観念論的な形而上学、その根幹に見えるキリスト教的世界観、およびその裏面であるに過ぎないニヒリズム的な思考、これらをなで斬りにして無化してしまうことだったのです。 しかし、レベル3について述べるのは次回においておいて(長くなりますから)、レベル1、2について反論という形で少し説明を加えたいと思います。 まず、レベル1ですが。まず、もぐもぐさんは以下のように解釈してくださってます。
ここでもぐもぐさんは「死」をメタファーとして読み解いてられますが(そしてそれはレヴィナスとかバタイユとかの見方からするとまるで当然なのですが)、僕の挙げたのはほんまもんの「死」でした。とはいえ、分かりにくいと思います。 今見直していて自分の文章のミスに気づきました。以下のように訂正すれば伝わるかな、と思います。 「その空白を埋めるものは結局、時間軸を想定すれば過去の一時期にマッピングされるものでありながら、人生の究極の目的地となるものである。そしておそらく、人はそれを手に入れながら、死んでいく。つまり、われわれは自らの死、自らの最後に来るはずのものを過去に持ち、まさにその地点から生をスタートさせているのである。」 → 「その空白を埋めるものは結局、時間軸を想定すれば過去の一時期にマッピングされるものである。それでいてそれは、人生の究極の目的地となるものである。なぜか。おそらくそれは、生きている人間を駆り立てる空洞でありながら結局生きているうちには手に入らない、そのような類の記憶であるからだ。それが手に入るのは死の瞬間のみなのだ。つまり、われわれは自らの死のその瞬間に来るはずのもの、自らの最後にくるはずのものを過去に持ち、まさにその地点から生をスタートさせているのである。」 こうなった場合、結局「究極の目的地」は目指すことのできない場所になります。人生を数直線化してその両端にまさに点として誕生と死の瞬間をおいてみる場合、点がそもそも定義としてそうであるように、この誕生と死は人生の中にありながら、人生の中で幅をもたないものとなるからです。そのような点、そのようなまさに一瞬に現れるものは、ある意味ですでに人生の外にあるといってもいいと思います。人生を駆り立てる機会にはなっても、人生に豊かさを支払う存在にはならないからです(つまり、努力に対する報酬としてこの「回復」はあてに出来ないのです。だって、取り戻す瞬間は死の瞬間とぴったり重なり合ってますし)。しかも、それはもはやすでに決まってしまっている。そして最後にはきっとやってくる。となれば、その間の人生の長い幅をどう生きるか、に問題は集中してくるでしょう。 そして、この誕生と死の二つの点の間で、いくらでも人や社会は変化すると思います。生と死の二つの点だけは変わらのないですが、それは人生の中できわめて重要でありながら、まさにその一瞬に幅がなくかつ決定されていることで、もはや人生の外といってもよい。こう考えると(というか、もとよりその考えですが)、もぐもぐさんの「この解釈においては、実は私の生は、殆ど最初から定まってしまっていると言ってよい。「取り戻す」べき「記憶」は既に「与えられて」しまっており、私はその内容を「変更する」術を持たない。私にできることは、それを「忠実に」「取り戻そう」とすることだけである。」という批判も、克服できるように思います。 あと、レベル2について。これだけは、もぐもぐさんが丁寧に読んでくださらなかったな、と思っているところですが。僕は、「ダンショウ(2)」のほかの文章との兼ね合いもあり、ここで「誕生の直前、わたしたちにとってはすべてのことが未来である。」と書きました。しかしもぐもぐさんは、「生まれたての赤ん坊は全ての「可能性」を持っている」、「若い頃(特に青年期)には、自分には全ての可能性が開けており、何にでもなり得るように感じられる訳だが、」としてしまっていて、このことで僕の議論の骨格が揺らぎ始めてしまいます。 僕の議論の基調は、上のレベル1にも出ていたように、誕生と死の瞬間を特別な瞬間、人生にとって極めて意味のある瞬間としながら、同時にそれを人生の外に置くことです。もちろん、どこにどう生まれるかは人生にとって非常に重要であり、「終わりよければ」ではないにしろどう死ぬか、が人生を意義付ける度合いはとてつもなく大きいでしょう。しかし、それは誕生と死を点ではなくある程度の幅を持つ線と考えた場合のことであり、点としての誕生と死は、やはり当事者の人生に対してある意味で無責任な一つの出来事でしかありません(「出来事」については(2)の2で)。 誕生の直前は、すべての可能性がまさに実現できるかもしれない可能性として光り輝きます。それに対して、誕生の直後は、すでに可能性はかなりその領土を減らし(たとえば、僕がこの時代にこの国で、三重県の片田舎に生まれた、というだけで、すでに僕の人生はある種の方向性を持ち始めます)、そこからの人生に対してある種の責任を持って生きていかなければなりません。そのあい間で、誕生の瞬間はまさにすべての可能性が一番光を放つと同時に失われる、いわば完成と終末が背中合わせになっている瞬間といえるかもしれません。 そして、死の直前、人は他のいかなる可能性もない一人の人間となります。すべての可能性を失う瞬間、人はたとえ世界からなんと言われようともたとえ人生がどんなにボロカスでも、その人の中ではもうどう変わることもできないという、動かぬ一個の事実となるのでしょう(あとの人が彼をどう解釈するかは、また別の話です)。そしてその事実化が完成しかつ失われる瞬間こそが、死の瞬間なのです。 さて。少し先回りをしてしまいましたが。戻ります。もぐもぐさんのように、「生まれた後も人は全ての可能性を持っている瞬間がある」、と考えた場合、「可能性」の危険性はかなり薄まります。僕の考えだと、たとえば僕は源平合戦の時代にオーストラリアでオポッサムとしてうまれてもよかったわけです。ある日起きたら虫になってしまっていてもいいし、9・11でビルに突っ込む飛行機の中に合成樹脂としてとして乗って(?)しまっていてもよかったわけです。われわれに開けている可能性は、魅力的であるとともにそれほど危険なものなのです。 そして、その可能性が0になる、ということ。それは決して、自分がどういう人間になるか、ではありません(「人間」という概念自体、すでに他の存在その差異化によって生じている。そのため、他の何かになる可能性があったのにならずに「人間」になった存在、という可能的な響きがそこには生じる)。自分が自分にとっても手出しの出来ない、ゆるぎない一つの点(点については上参照)になること。一つの出来事になること。そのことを、僕は書いたのでした。 こう考えた場合、これも目的論からはずれてしまうのではないでしょうか。「自分のすべきことが何なのか、経験し、否定を重ねるなかで、最後にようやく見出していく。所謂ビルドゥングスロマンである。やや理念化・パターン化されやすい嫌いはあるが、人生の真理の一面を鋭く突いたものであると思われる。」ともぐもぐさんは仰られていますが、僕の考えにおいて人生の主人公が最後に見出すものは、あまりにも自分であるがゆえにもはや自分ではない点にしか過ぎません。それはあらゆる教養小説的・目的論的人生観を無に返す、石壁のような結果の顔をしているのです。 (つづく) |
『あをの過程さんの時間論-「存在の彼方へ」を読んでみる12』に対するコメント
『あをの過程さんの時間論-「存在の彼方へ」を読んでみる12』 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=17191 読み込んでいただいたことに感謝の意をこめて。しかし、絶対これだけは取り違えて欲しくなかったこととして、一つだけ書かせていただくと。わたしがあえ て(比喩ではなく、文字通り)時間軸を逆転させたのは、まさに「解釈」を無に返す「出来事」の存在を出してきたかったからです。だから、われわれの人生と いうのは、死の時に至ってその意味が全て明らかになるものではない。逆に全てが明らかになると思われるほど、あらゆる解釈を経てきた死の時から人生はス タートして、逆に解釈不可能なものとしての出来事それ自体に向かっていくのではないか、ということです。吉本隆明の「存在倫理」に考えの基礎を置いていま す。そしてこの出来事とは、バルト辺りが仮想した純粋なテクスト、読者(下手したら作者さえも!)のいないテクストに似た概念です。 だから、もぐもぐさんの文章の事件と解釈の例は、僕の意図した所と順番が全く逆でした。事件が起こったまさにその瞬間、事件は一つの出来事です。その一 瞬(0地点)だけはわれわれの解釈を拒み、自足しています。しかし、当然様々な人から様々な解釈が出てくるから、事態は紛糾する。で、コナンが見つける真 相とかも、結局はそんな解釈のうちでその時点で最も妥当性をもち共有されやすいものにしか過ぎず、出来事それ自体では決してない。 ここからは余談ですが、わたしは目的論を嫌っています。目的的、教養小説的人生観は大ッ嫌い(笑)。わたしの死生観が目的論的だとしても、それは結果と しての目的論を語っているに過ぎません。なぜ、それを語るのか。目的地を一つの結果に返してしまうこと(つまり、たどり着いたところがその人の目的地で あったんだろう、と悟ること)で、過程を目的から解き放ち、そこに遊びを作り出すためです(「終わりなんて気にしなくても 走れるだけ走れば分かる」 ZONE「Come to Myself」より(作詞・作曲:町田紀彦))。 追記:結局、カントよろしく物自体と現象界を分けているだけじゃねえの?と思われるかもしれませんが、そうです。ただ、カントがなぜ物自体を作り出して それを括弧の外に置いたのか、そのことの意味が坂部恵あたりによって再考されています。僕は、それの延長線上で思考しています。本質ではなく、フーコーに おける「外」のような物自体。のような出来事(特に誕生)。そこに生まれてくるのは、自由さと、キリスト教的思考からの生の奪回と、そして他者に対する倫 理だと思っています。 |
2004年8月6日金曜日
ダンショウ(2) ZONEに関する
時間は過去から未来へ流れている、という考えにわたしは常々違和感を抱いている。時間を過去から未来への川の流れとして考えてみよう。世界のあらゆるものは時間に晒される、とするならば、世界のあらゆるものは川の流れにそって自らも流れていくことになる。それでは、この川が流れていく空間、川を受け入れる今だ見たこともない陸地は、一体何なのだろうか。陸地もなく、川は流れているということはできない。 それに対して、わたしが高校生の時から持っている時間感覚は、雪、あるいは雨の比喩でもって表せる。いまだ来たらざるものを曇天に見立て、既に過ぎ去ったものを足元の地面に見立て、そこに立っているわたし、そしてはるか上空から降ってくる雪。雪は、もちろんわたしだけに降るのではない。地面の上に立つ者すべてに降り注ぐ。そして、雪に降られている世界の広大さ、それを包み込む雪の途方もない広がりを、立っている一人のわたしがもてあまし気味に、圧倒されながら感受する。時間軸のように平面に表すことは出来ない。なぜならそこにあるのは、直線的に配置可能な未来や過去ではなく、わたしの皮膚が雪とふれあい続ける絶え間ない現在だけだからだ。この現在が立つ場所として、私に触れた雪がしみこんだ大地、すなわち過去はあり、この現在がぶつかる未知にして、いずれわたしに雪という欠片でもって触れてくる曇天として、未来がある。 さて、この場合、地面というものが、わたしの肌に触れて溶けて伝った雪だけでなく、世界に同時に降ったあらゆる雪を吸い込み、それを循環させているものであることに気づく。さらに、わたしが地面のある地点に立つ前に、そこには誰かが立っていたのであり、その人の肌を伝った雪やその人の体重などにより、その地面は既にわたしが立つ前に形作られている、ということも知ることができる。これらのように考えることは、われわれの同一性と自由、差異と反復、生前や死後、風土や遺伝子、歴史や同時代に対する責任の問題、そしてもちろん詩についての様々な問題を考える上で色々な示唆があると思う。 * * * われわれは、本当に日付どおりの順番で生きているのだろうか。このこと自体、考えてみれば疑わしい。われわれは、初めからではなく最後から生きているのではないだろうか。ここで、一般的な考えから遠ざかる順に三つのレベルを立てて考えてみよう。 まず、レベル1。わたしたちは、胎児の時期、あるいは幼少の時期をほとんど覚えていない。その空隙は、われわれにとって非常な不安定感とそれゆえの求心的な作用(ある種のノスタルジー)を生じさせる。埋めようのない空白を埋めるものを探し、帰られるはずのない場所に帰ることを願い(普段は意識していないにせよ)、われわれは生きていく。その空白を埋めるものは結局、時間軸を想定すれば過去の一時期にマッピングされるものでありながら、人生の究極の目的地となるものである。そしておそらく、人はそれを手に入れながら、死んでいく。つまり、われわれは自らの死、自らの最後に来るはずのものを過去に持ち、まさにその地点から生をスタートさせているのである。 次に、レベル2。先の考え方は、人生の最終目的と同じものが過去に現れてくるところをとらまえて、過去のその「同じもの」に「人生の最終目的」を代入しただけの、いわば言葉の上での言い換えに過ぎなかった。要するに、「過去にあったことを人生の最終目的って言い換えてるだけでしょ。それって結局過去のある時期を別の名前で呼んでるだけで、わたしたちが過去から未来に生きていくっていうベクトル自体は変わらないわけだよね」という批判が可能な考え方なのである。そして、そのことはこのレベルでも同じである。 レベル2。誕生の直前、わたしたちにとってはすべてのことが未来である。すなわち、すべてのことが自分に起こりうる可能性をもつのである。しかし、生まれてしまえばそんなことはなくなり、可能性は両腕の間から次第に零れ落ちていく。大人にもなると、かろうじて想像力の迂回路を通ることで、「あの出来事は自分に起こったことかもしれない」という可能性を身に引き受けることができるだけである。 すなわち、誕生の直前の時点で、わたしたちはすべてを持っている。つまり生きることは、その持ち物をなくしていって、最終的にこれ以外ない、という一人の自分になることだとも言えるのである。もちろん、そのむこうに、一人の自分をさらに無に帰す死があるわけだが。普通の考え方において、手に入れていくことが人生だと言えるならば、われわれはすべて手に入れてしまっている、というまさに最後の段階から、スタートしているとも言えるのである。 さあ、レベル3。ここに来ると、もう気が狂っているとしか思われないだろうが、書く。われわれの生きていく中で出会う出来事というのは、事後にさまざまな解釈を呼び起こす。しかし、それが起こった瞬間は、まさにそれは一つの出来事であって、他ではない。では、もしかしたらわたしたちは、事後の解釈によって悶々としている未来から、遡及的に生きていって、その出来事がまさに一つの出来事であった時期に帰ろうとしていっているのではないだろうか。そしていうまでもなく、最大の出来事は誕生である。われわれは、自らの死から出発して、さまざまな解釈を出来事に返しつつ、自らの起点となるたったひとつの出来事である誕生に向かって生きているのではないだろうか。誕生から死へと老いていくように思うのは、単にわれわれが順番を逆向きに把握しているだけなのかもしれない。 これらの考えは実際おかしなものかもしれない。しかし、時間と生きることの問題は非常に取り組むことが困難な問題である。なぜならそこには生と死をどう捉えるか、という問題が絡んでくるからだ。これがさらに、詩とも密接に絡んでくるのは、途中でさりげなく持ち出した「想像力」のことなどを考えてみても明らかだろう。われわれはどこからどこへ生きているのか。何を抱き何に憧れているか。瑣末なようだが、実はこれは非常に根本的な問題だと思うのだ。 * * * 簡単に納得しないこと。自分の信念に関わる場合は、特に。その一方で、常に自分からの意見を発信していくこと。そうしなければ、結局力ずくで押し流されるか、あるいは逆に自分がすべてを堰き止めてしまうことになりかねない。それは、苦痛しか生まない。 * * * 臓器の襞、その内に宿る闇は、生の襞に宿る底なしの闇と通じている。人を根本的に打つ声は、そこから誰のものともつかないものとして湧き上がる。しかし、忘れてはならない。それが世界に発せられる時、そこには必ず声を発する者の身体の震えも共に宿っている、ということを。 * * * 「~でもない、~でもない、何か」、としての存在のあり方。ただ自分である、という存在のあり方。世界と向き合う一人の身体、その名前。それらが背負う重みと、貴さ。 * * * 演じられたわたし、演じるわたし、その外側の何気ないわたし。この区別に対する感覚と、この壁を貫くパッションとをともに持ち得ないと、パフォーマンスを成り立たせることは困難ともいえる。もちろん、壁の厚さはその時々によって変わるだろうし、それを変えてみせることも重要な芸の一つだろうが。 * * * クレバーであること。それは、バカであることとある点で近い。さまざまな出来事に対して、従来の定式に当てはめて簡単に答えを導き出してしまうのではなく、そこに潜む問題の困難さを敏感に感じ取り、それに対して自らの存在を賭けて立ち向かうこと。自分に本気に生きること。それが結局、如才ない処世術などを超えた、生きること自体の叡智に人を導くのだろう。 * * * 光があれば影がある。昼があれば夜があり、陸地があれば海がある。ここにわたしがいる、ということ。その時、ここにいることも出来た他の人がここにいない、ということも同時に起こっていると言える。 生を光が当てられている側面として考えるならば、光が当てられていない所で眠っているわたしもどこかにいるはずである。光が当てられる瞬間、それまでは文字通り円満であった球は、照らされる側面と照らされない側面に分かれてしまう。われわれは、わたしが生の舞台に上がった瞬間に、分かたれたのだ。しかし、死の後に再び分かちがたい二人として戻るだろう。 物語の主人公と作者との関係。日常を生きるわれわれと、読書の時間を生きるわれわれの関係。二重身の問題は、様々なものにあてはめることが出来る。絶えずどちらかが舞台に上がり続け、その背後でもう一方が影として光を支え続ける(いや、実際、この両者はずっと役割が固定されているのではなく、交代可能なのだろうが)関係。さて、では、わたしと言う物語を生きているもの(すなわち、この「わたし」)の背後には、誰がいるのだろうか。 「わたし」は「彼」がいるからここに生まれて、ここに生きている。 * * * わたしの死後をわたしは想像できない。なぜならば、そこには見るものとしてのわたしがいないからだ。わたしが触れてきた世界には、必ず見るものとしてのわたしがいた。それがいなくなった時、もしかしたら世界はもはや姿を変えてしまうかもしれない。それどころか、なくなってしまうことも考えられる。世界は下手したら、自分ひとりの幻想かもしれないのだ。自分が死んだらそこでおしまいになる、わたしが主人公の一つの映画なのかもしれない。そして、人間も地球も草木も青空も、ただ「わたし」という映画を作るためのCGのごとき創造物かもしれない。作者は外にいるのかもしれない。このことを考えると、わたしはいつも耳鳴りがするような暗闇に直面して、暗澹たる気分になる。 このような場合、わたしのことを誰かが覚えていてくれる、と考えることは一つの救いになる。その人の存在のおかげで、わたしの見ていた世界がある程度ではあれ存続できるからだ。しかし、記憶はいずれ消えるだろう。その時、やはりわたしの存在は消えてしまうのだろうか。 それは違う、と今は考えている。もし「わたし」という映画の外にも何かの世界があるならば、その世界がどんなにわたしの世界と異なっていて、そこでわたしがどれほど笑いものにされていたのであっても、ただわたしが生きたという事実だけは、そこに響き続けるだろう。だれが覚えていなくとも。どんな形であれ世界が存在する限り、わたしが存在したということだけは、ただその事実だけは、消されることがない。宇宙の中で、やまない波のようにめぐりつづける。 * * * この不確かな世界で、誰かと関わり合うという奇跡。ましてやその人が、ちょうど自分の背後にいる「彼」のように、わたしを支えてくれるということの心強さ。「わたしたち」の間に生まれる「関係」は、その時、一体どのような言葉で現されるだろう。その、体温の交わし合いにも似た感触は、自分の単なる妄想でない場合、一体誰のものなのだろう。相手のものだろうか、「わたし」のものだろうか。そしてそれは、どこに流れていき、どこで保存されるのだろう。 「関係」がたどり着くのは、たぶん二人が共にある場所だと思う。二人しか知らない(もしかしたら二人すら知らないけれど)二人だけのための秘密基地のようなもの。そこから出発して、お互いに分かれていくけれど、結局最後はそこにたどり着く、基地(baseは、基地であり基礎であり基点でもありうる。われわれはそこから戦地に旅立って、戦いの後で疲れを癒しにそこに戻ってくる。そしてまた旅立っていく。何度でも)。時には遠く離れながらしかしともに歩み続ける二人の呼び合う声は、すべて、どちらかの頬を流れそしてもう一方がそれを忘れないと誓ったいつかの涙のように、二人の関係の真ん中を流れ落ちて、基地に流れ着くのだ。そして、そこで待っているのだろう。二人がそこにたどり着くのを。二人が基地に帰ってくるのを。 * * * 一般的には話者からの一方的な解釈・表現であることが多い言語芸術において、他者との双方向的というか、どちらのものやら分からないというような、上に書いた「関係」それ自体が作品の中に結実している奇跡を、われわれは時に目撃する。 * * * |
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