2006年5月28日日曜日

小説 「きみよ きみよ」 (2)


 仕事から帰って来るなり眠ってしまう。そんな毎日になっていた。一日の仕事の終わりが見え始めると、もう、家に帰ることしか考えられなくなる。しかし、実際に家に帰って来てみると、することは何もなく、何かをしようという気さえ起こらなかった。部屋に入って、ベッドに横になり、煙草を吸った。二本目の煙草を吸い終わる頃には、眠りに落ちていた。目覚めると身体のあちこちが痒く、足首や腹、二の腕と肩の境界、それに一日中電石帽を被っていた頭がひどかった。ベッドの上に横になったまま、顔をしかめて自分の身体を掻きむしり、煙草を吸った。窓際かベッド脇の床に置いてある灰皿に手を伸ばして、灰を落とした。灰は時々外れたりこぼれ落ちたりして、窓辺や床を汚した。僕の部屋は灰だらけになっていた。
 休日になっても、やはりすることはなかった。外では雨が降っていた。僕はCDケースや本やスプレー缶やリモコンやプリント類などでごった返した机の上に、いつかの便箋があることに気がついた。空の色をした便箋には、一文だけ僕の文字が書かれてあって、その下の大きな空白部分に煙草の灰が落ちていた。脆く白々として、しかしまだらに崩れて黒い部分も見せているその円筒形を、僕は執拗に手で払った。灰は形としてはなくなったけれど、便箋の上で、今はほの暗い帯となって残っていた。
 春になろうとしていた。まだ肌寒い日がつづいていたけれど、それでも時々、思い出したようにあたたかい(と言うか、むしろ暑いくらいの)日がやって来て、僕を驚かせた。工場でぽたぽた汗を垂らしながら、明日からはもっと薄着で仕事に来なくちゃいけないな、とか思っていると、次の日また急に冷え込んだりする。暑さと寒さとがちぐはぐだった。札幌では昨日雪が降ったらしい。風が吹き荒れて、真冬を思わせる一日だったそうだ。僕はそのことを、ある人のブログを読んで知っていた。僕はその人のことが好きだった。もっと正確に言うと、その人の言葉と、そこから窺い知れると僕が思っているその人のことが、好きだった。そして、その人はあの人とは違っていた。僕の好きなその人の言葉を通して僕が感じた札幌の街中で、あの人はそんな言葉とは無関係に、けれど同じ寒さの中で、生きている。そんなことを考えると、何か不思議な感じがした。
 僕はそのことを手紙に書こうか、とも思った。しかし、やはり無理だった。ブログの言葉とそれを書いている人に感じる愛着も、冬に舞い戻ってしまったかのような札幌の街に感じる愛着も、さらには、そこで生きているだろうあの人に感じている愛着でさえも、僕が書きたいこととは違っていた。服を脱ぐのが上手になりました。かつて書いて、一度捨て、それからまた書いてそのままになっている言葉を、僕は繰り返した。本当に書きたい愛着は、そこにあった。僕の肌が服と離れてしまう、離れてしまうその一瞬にとても大切な、けれどどこにもない何かに肌が触れる、離れてしまいながら、離れてしまうまさにその合い間を通して一瞬触れている、そんな感覚の中にあった。服を脱ぐのが上手になりました。脱ぎ捨ててしまえば、その感覚はいつもすでに終わってしまっていた。服を脱ぐのが上手になりました。それより他にどうすることもできなくて、僕はその言葉をむなしく繰り返していた。服を脱ぐのが上手になりました。春になろうとしていた。外では雨が降っていた。

 交差点をわたる手前で、赤紫色の看板のある小さな建物があった。交差点の向こうには、黄色やらピンクやらの看板が入り乱れていて、ちかちかと回るネオンサインが建物の余白を彩っていた。すでにして、僕はすすきのの中心に含み込まれていた。信号が青になる。僕や何人かの人が一緒に歩き出し、雪が平らに踏み固められた広い道の向こう岸から、足を滑らさないように、同じように何人もの人が渡ってくる。夜とそれを映し出す照明の中で、僕らはすれ違った。交差点を渡った所で右折していく人たちもいて、真っ直ぐ歩く僕と別れていった。僕は一人で(しかし、他の何人かの人と同じように)街中を大股で歩いていった。
 道の脇には焼き鳥屋や風俗店などが立ち並んでいた。奥に引っ込んだ建物もあったけれど、ほとんどの建物は道の上に一直線に壁を連ねている。それぞれに外壁を変え、照明を変え、そうすることで表情を変えながら、どこまでも横に並んでいた。一軒一軒に視線を投げかけながら、その前の道を僕は歩き過ぎていった。次の交差点の角には風俗の無料案内所が赤い看板を出していた。信号待ちをしていると、茶髪でスーツを着た若い男が話しかけてきて、僕は「いや、とにかく今はご飯が食べたいので」と断った。嘘だった。僕のお腹はホテルに帰る前に食べたラーメンで満たされていた。その上、ラーメンと一緒にジョッキで飲んだビールのおかげで、僕は酔ってさえいた。「飲み屋の案内もしてますよ」と男は言ったが、僕はその言葉を後ろに置いたまま、交差点を渡った。
 道を挟んで左側には、巨大なビルが見えていた。大衆居酒屋の名前が緑のネオンで書かれてあって、その隣には、「北海の味」と白抜きになった青い看板が出ていた。ビル自体は夜の中で黒々としていて、四角く聳えていて、たぶん、八階分くらいの高さがあった。右手には、焼肉屋の赤い看板。その隣に、ラーメン屋の木造の壁がつづいている。少し先の方では、青いベンチコートを長々と身にまとった若い男女が、雪の中で談笑していた。僕は前だけを向いて、その男女の脇を通り過ぎた。何か言葉をかけられたが、無視した。僕が通り過ぎた後、再び、男女の談笑する声が背中越しに聞こえてきた。
 その次の交差点を左に渡り、雪に埋もれた車道の端まで足を踏み出して、そこで信号が変わるのを一度待った。僕の隣に、白いコートを着た若い女性が進み出てきて、僕と並んだ。信号が変わると、僕と女性は同じ速度で歩み始めた。すれ違う人々を間に挟んで、僕らの歩みはいつしか離れていた。気がついて振り返ると、女性はもうどこにもいなかった。雪は激しく降りつづいていた。僕の服の上の雪はすでに分厚く、平らになっていた。
 そちらの道沿いには、キャバクラがたくさん看板を出していた。淡くまぶしい背景色の上、キラキラした女性が何人も写真になっていた。僕は、プリクラで撮られた様々な顔のことを思い出した。しかしもちろん、目の前の写真はプリクラのように小さくはなかった。個々に切り離されることもなく、一面につながって、淡くまぶしい背景色の中にうつろに広がっていた。「五十分九〇〇〇円(飲み放題)」の文字が見えた。蛍光灯の白い光が歩道上まで越え出してきている案内所の前で、普段着の若者の集団がどうやら相当酔っているらしくて、もっと若い客引きたちと上機嫌で盛り上がっていた。その背中側、腰の辺りの高さの所で、香港式マッサージの店が小さな看板を出していた。
 「すすきのの優良店は、客引き行為等を一切行っていません。話しかけられてもついて行かないように、ご注意下さい」
 立ち止まらないことが重要だった。次の交差点では、右の斜向かいに落ち着いた雰囲気のカフェが見え、その隣に蛍光イエローの看板が出ていて、ソープランドだった。向かいの筋には、ジンギスカン屋が薄暗い電球を吊り下げていた。小さな街灯が僕の頭上で孤独な星みたいに光っていた。僕はその角を左折した。立ち止まらないことが重要だった。思いつくままに交差点を渡り、思いつくままに区画の角を曲がった。全部込みで一五〇〇〇円。ナースステーション。元祖札幌ラーメン。信じる者は救われる。まりこ。会員制パブ。路肩の雪。必死でビラを配るカラオケ屋の店員(あるいはただのバイト)。本場の蟹料理。ライラック通り入り口と、その向こうのピンク地に青色の文字。街灯。街灯。炭火焼肉。パチンコ屋。ロビンソン。大衆居酒屋。北海の味。キャバクラ。五十分九〇〇〇円(飲み放題)。すすきの無料案内所。香港式マッサージ。夢のようなひと時を……。本日オープン、創作中華料理。交差点の角でタクシーに乗る上司と部下。すすきの観光ビル。真っ赤なバーの灯り。ビデオ販売。地下の飲み屋街の暗い看板。湧き出す湯気。客引きたち。中年男性の一群。アンティークショップ。炉辺串焼き。談笑しながら雪の上を歩いていく若い女性の三人連れ。ビールと一緒に餃子はいかがですか。インターネット、マンガ、カフェ。ライラック通り入り口で客引きと話す一人の男性。僕とすれ違う二人のサラリーマン。
 僕は立ち止まっていた。僕の前には、一棟のビルがあった。そこは暗い裏通りで、客引きもいず、歩いている人も少なかった。広い道幅いっぱいに、雪が白く延べられている。ビルの横には、奥に引っ込んだ所にゲームセンターがあるだけで、その入り口の前にも、客と思しき男が二、三人見えるだけだった。他の建物と同じで、そのビルにも窓がなかった。外壁には真っ黒な札が整然と並び、各階の店の名前とコピーが白い文字で書かれあった。そこにあるのは下世話なくらいに扇情的な文句ばかりで、そのことが逆にしずかに、清潔に思われた。痴漢だとかヌキ処だとかヘルスだとかの文字を眺めながら、僕はそれらの言葉をすすきのに来てから初めて目にしたことに、気がついた。ビルの一階は殺風景で、灯りも暗かった。本当に営業しているのかどうかもわからなかった。僕はそのビルの前でしばらく立ち尽くした後、また歩き出した。ゲームセンターのオレンジの照明に照らされながら通り過ぎ、また暗い路地を、白く輝く街灯と先の雪とに向かって進んでいった。雪は激しく降りつづいていた。区画の角まで来て、左に曲がると、入り乱れながら光るいくつもの看板と建物とが見えた。たくさんの人がそこで歩いていた。


2006年5月25日木曜日

小説 「きみよ きみよ」 (1)


   その風、その春、きみよ、きみよ、
   いま、ぼくは、どこに、いますか?


   第一楽章


 服を脱ぐのが上手になりました。と僕は書いた。そして、自分の文字を見つめた。その後はつづけられなかった。空の色をした便箋の上の文字を、僕は二重線で掻き消した。掻き消した後で、それはたぶん、こんな手紙を送られてもあの人は困るだろう、と思ったからだと考えた。たしかに、僕は服を脱ぐのが上手になった。その日、お風呂に入ろうと服を脱いだ時にふと実感して、だから僕は、手紙を書こうと思った。そして、お風呂から上がってから、実際に書き始めた。けれど、たぶん、服を脱いだ時に僕が感じたことは、それではなかった。僕は便箋を丸めて捨てた。しばらくたった。それから、またペンを手に取って、手紙を書き始めた。服を脱ぐのが上手になりました。その後はやはりつづかなかった。空の色をした二枚目の便箋の上、並んでいる文字を見つめていた。その文字は消さなかったし、便箋を丸めて捨てることもしなかった。

 ホテルの自動ドアをくぐって外に出ると、雪が渦を巻いていた。道路を挟んで小さな月極め駐車場があり、その向こうと横とにベージュ色のビルの壁が見えていた。雪はその手前もその向こうも関係なく広がる夜を覆い、覆いながら、隠すことはできなかった。細かな粒は生き物のようにしずかにうねっていた。けれど隙間だらけで、そこでいつまでも踊りつづけている。小山のように積み上げられた雪の上、一粒一粒がさらになだらかに降りつもっていく――いつまでもつづくその景色を、駐車場の白すぎる電灯が斜めに照らし出していた。
 足元に敷かれた薄茶色のタイルのところにも、雪は吹き込んで、積もっていた。すでに凍てつき始めているその固まりを踏みしめて、僕は道の上に歩み出て行った。ホテルの軒下から身体が出るとたちまち、一面の白く厚い壁の中で僕が掻き乱されてしまう。その中で僕は歩いていた。僕に雪が降りかかっているのか、それとも、目の前の白い乱舞と向こうに見えている建物や道などが僕なのか、僕が歩いているのか、誰が乱れ舞っているのか、わからない。道を渡って駐車場の角を左に曲がり、進んでいった。視界の左側には身の丈を越える雪の山が連なり、その傾斜や脈絡は不規則で、険しく、それでいてなめらかな曲線を描いていた。
 すぐ近くに店を閉めた後の弁当屋があった。庇の下に取り付けられた蛍光灯が、暗くなった店の窓とその前の道の一部とを明々と照らしていた。そこには誰もいなかった。夜の闇を挟んでそのはるか先では、パチンコ屋のオレンジの照明が、取り残された夕焼けのように淡く宛てもない光を投げていた。雪を避けるためなのか、それともパチンコを終えて出てきたところなのか、そこにはスーツ姿の男が四、五人、まばらに立っていた。その向こうには大きな交差店があって、信号と小さな街灯と、その先にまだつづいている建物の白い明かりとがそれぞれに瞬いている。僕は歩いていた。途中、こちらへと歩いてくる二人の男の姿が見えて、分厚いコートを着込んで膨れた二人の全身は、自動販売機の前を通る時に明瞭に見えるようになり、そこを過ぎるとまた、曖昧になった。僕と二人はすれ違った。自動販売機の光の前で見てみると、僕の上着は雪で真っ白になっていた。しかしそれが見えたのも一瞬だけのことで、すぐにまた、僕には自分の手も顔も服さえも見えなくなった。目の前の雪と、その向こうの建物と道だけがあった。それが僕なのかもしれなかった。僕は歩いていた。交差点を真横に横切っていく路面電車の、鉄のレールが長々とつづき、つづきながら、そこで冷たく沈黙していた。


2006年5月22日月曜日

報告と告白と次回予告 (2006年5月20日、21日のこと)


 2006年5月20日、21日、私は四回目の北海道を経験しました。
 一回目は、2004年の8月終わり頃。二回目は、2005年1月終わり頃。三回目は、同じく2005年の12月終わり頃。これまで、夏(初秋)、冬、冬と経験してきて、初めて春(初夏)の北海道に降り立ちました。
 北海道に行くこと(往くこと、あるいは還ること)が私の創作に与える影響は、計り知れないものがあります。これまでの三回も、その度ごとに、とても大きなものを得て内地に帰ってきました。今回もそうでした。

 今回の目的でありきっかけでもあった、ZAQ初のワンマンライブ。これが私に大きな力でもって迫ってきたことは、そしてその力を糧にまた私が書いていくことは、語るまでもないでしょう。
 今回のライブでは、ZAQ自身にとってもライブで演奏するのは初めて(か二度目)の曲、「ゆう」も聴くことができましたし、特に大好きと言うわけでもないのに、なぜかこの曲が無性に大切に思える私としても、このことは限りなく幸せなことでした。初めて演奏された新曲群もそれぞれに素敵で、特に「離さないで」は胸の暗く深いところに突き刺さりましたし、今年三月のベッシーホール以来、ZAQ自身二度目となるバンドサウンド(通常のボーカル、アコギ、ピアノに加えて、サポートメンバーとしてドラムとベースが入った形態)で演奏された「淋雨」も圧倒的で、同じくバンドサウンドでの「Box」「Krokos」などのハイスピードナンバーでは、ヘドバンのしすぎで意識が白く焼ききれました。本編最後の「君へ・・・」に打たれ、さらにアンコールの新曲「日曜日」は、もんのすごく楽しかった。

 しかし、私にとって北海道に行くことは、いつだって、このような目的に関したことだけには留まりません。初めて見る(歩く)春(初夏)の北海道の風景、建物、そして人々。それらから得たものは、今回もまた、大きかった。
 それに加えて、今回の滞在で、私はこれまでにないくらいに、話しました。これまでだって、むこうで見つけた同年代の若者や、売店などのおばさん、それに冬の石狩ですれ違った人などと、それなりに話してきたつもりです。でも、今回は、それにも増して、いっぱい話しました。

 まず、今回私は、初めてすすきのの飲み屋に入りました。これは、実は前の旅の時から目標にしていたことでしたが、前回はすっかり忘れていて、無理でした。ですから、旅に出る前から、今回こそはという思いがあったのです(とはいえ、今回もなんだかんだで忘れていて、ようやくその目標を思い出したのは、新千歳空港からバスに乗っている最中のことでしたが)。すすきの中を歩き廻って選びに選んだ末、ようやく決めた店だったにも関わらず、地下に下っていってドアを開けるとお客さんはいなくて、ご主人がカウンターに座って新聞を読んでいました。
 最初はご主人も奥さんも私もぎこちなく、無言の飲食がつづきましたが、お料理のまぎれもなく確かな味わいと、お酒の美味しさにやられて、いつしか私から話しかけていました。最初は店の手作りミックスピザにイカを乗せてくれ、という私のわがままでしたが、そこからいつしか話はふくらんでいき、釣りのこと、音楽のことや芸術のこと、北海道のこと、私のふるさとである東海地方のこと、さらには親と子のことまで、三人で語り明かしました。ご主人もビールを持ってカウンターに座り、笑ったり興奮したり、しんみりしたり、とにかく、いろんなことを話しつづけた。ご主人の奢りでビールをいっぱいサービスしてもらったり、さらには「お酒だけじゃあれだから」と奥さんも一品料理をサービスで付けてくれたり、そんな優しさと和やかさに包まれた、三時間でした。たくさんの味と一緒に、たくさんの言葉を、そしてたくさんの表情と感情と呼吸とを、この身に頂きました。

 私にとって旅行の目的は、ひとつには、風景や建物や人々を見ること(歩くこと、感じること)にあります。そして、もうひとつ、人と話すこと、そこに生きている人の言葉や表情や呼吸をこの身に頂くこと(あるいは盗むこと)。これが、本当に大事だった。ですから、これまでだって、バスに乗っていても人々の仕草や会話に耳を澄ましていたし、店などに行ったら必ず、何でもいいからそこの人と話そうとしてきました。
 その点で、今回の滞在は、この飲み屋での三時間だけで、すでに大きすぎるくらいの成功を収めていたといっても過言ではありません。しかし、私は良くも悪くも愚かな人間です。「これでもう満足だ」と思う自分を振り切って、もうひとつの目標に向かって、私は夜のすすきのをさまよい始めました。
 そうです。夜のすすきのを歩くこと四回目にして、私は初めて、そこの風俗店に足を運んだのです。実際の話、私は風俗店に行ったことは、それまで一回しかありませんでした。それも、京都にいた時分、cさんやIさんと作る予定だった同人誌の第一号の企画に「ピンサロに言った後で鼎談して詩を書こう」というものがあって(当時、私もまだ詩人の一人でした)、その兼ね合いで行ったものです。むろん、それは京都のお店でした。ですから、私にとってはすすきのの風俗店に入るのも初めてなら、自発的にそういうお店に足を運んだのも初めてのことだったのです。
 ぼられたり無駄に終わったりすることのないように、いろいろ歩き廻って探した挙句、私は香港式マッサージのお店に入りました。お店の様子とか、そういうことは書かないことにしておきます。とにかく、私は普通に普通のマッサージを受け始めました。話しかけたのは、私が先だったのか、あの人が先だったのか。とにかく、飲み屋の時のように、いつしかまた、話は広がっていました。拙い日本語に時々中国語も交えつつ、私たちは会話をつづけました。故郷のことや仕事のことなど、話しに来たのか何しに来たのかわからないくらい、二人の話はつながっていき、その途中で、あの人が涙ぐんでいたこともあったのだと思います。
 商売の上のことだったのかどうだったのかわかりませんが、とにかく、帰る時にはいっぱい頭を撫でられて、キスまでしてもらい、この後もつづく仕事のこと(これから外に出てお客さんを呼ぶのだということ)を言ってもらったり、「ホテル帰って寝る」「また仕事頑張る」「彼女ツクル」「あなたはイイ子。おとなしくて、心配」「私はあなたのお母さん」(そこまで年も離れてなかったし、赤ちゃんプレイとかは断じてしてないし、それどころか甘える言葉のひとつもかけなかったのですけど)などいっぱい応援もいただいたりしながら、私は店を出ました。

 その後、言われたとおり、私はホテルに帰って寝ようとしました。しかし、やはり私はイイ子ではなかったようです。良くも悪くも、やはり愚かなのです。私はまた、夜のすすきのに出かけていきました。そして、(私にとって)二軒目の店に入りました。そこでは、最初の間はイメプレと言うか、ロールプレイングというか、とにかく相手もこちらも役に入り込んでしまわなければならなかったのですが、それが終わると、唐突に、相手もこちらも普段着の自分になりました。その人がまた、とてもさっぱりした性格の人で(少なくとも、とてもさっぱりしたリズムで話をしてくれる人だったので)、私は助けられました。かつてここでも書いたように、私は風俗で働いている人などに自分の幻想を重ねるのがとても嫌なのですから。
 何の飾り気もないシャワー室で、あるいは白のタオルケットがかぶせられた平たいベッド(というか、敷布団)の上で、私たちが話したことはとても他愛ないことばかりで、実際、その人にとっても、商売上のありふれたトークがほとんどだったかもしれません。けれど、そのところどころに、なんともいえず大切なものがよぎることがあって、それを見てしまった(見た気がしてしまった)私はもう、そこにあったそれについて、この散文で書くことはできません。私にとってはそれは小説でしか書けず、もっと言えば、それこそが小説であり、詩でした。
 そこでの時間が終わった後、私は冷たいお茶をもらってから、やっぱり最後にキスしてもらい、店を出ました。それからはもう、他の店には行きませんでした。ホテルに帰って、眠りました。

 翌日、私は石狩に行きました。三度目にして、初めての春(初夏)の石狩。そこでのことも、また、ここに書くことはできません。言語を絶するとは、あのようなことを言うのでしょう。何気ない景色の、ものの、風の、空の、そして人の、どうしようもないくらいのまぶしさと尊さ。「ここで死にたい」と、私は思いました。冬に来た時も思ったことでしたが、それと同じことを、それでいてまったく違うことを、私は心の底からもう一度経験したのでした。「ここで死にたい」と思い、そして私は歩き、ただ歩きながら、いつしか泣いてしまっていたのでした。

 私は、今回のことを、また小説にするでしょう。たぶんそれは、「無煙浜まで」「Ishkar」につづく、三回目の挑戦になると思います。いつ書けるのか、果たしてそれが書けるのか、自分でもわかりませんし、もしかしたらそれを完成させる前に、この私が死んでしまうかもしれません。しかし、願うならば、この小説を書いてから、私は死にたい。いや、この小説を「ここで死にたい」と思えるような小説にして、そこからまた、歩いていきたい。
 今日は月曜日なので、二軒目の風俗店で会ったあの人は仕事をしているのでしょう。あの人とまた夜のすすきので会い、他愛のない言葉を交わしたい。今回の言葉を、今回のわたしたちを、あの人(あの人たち)が覚えていてくれるなら、どれだけ幸せなことか。そして、春(初夏)の石狩を、二人で(一人で/パレードみたいに)歩きたい。そんな夢を春のように見晴るかしながら、今はここで、筆を置こうと思います。
 お読みくださった皆さん、ありがとうございました。



   (2006年5月22日 あをの過程 増田考志)


2006年5月14日日曜日

小説 「ゆう」


 夕暮れの砂浜を、パレードが歩いていく。波に打たれてはまた現れる平らな砂の上、音もなく、けれど楽しそうに、見えないパレードが歩いていく。海のむこうで、陽は赤く濡れながら燃え盛り、今も大きく揺れながら、穏やかに沈んでいる。黒々とした巨大な水の表面を、結ばれては掻き消える神経みたいな泡の波打ちを、夕焼け色の光が薄く果てもなく照らしている。
 タカシは何も言わなかった。私の隣で、しずかに海を見ていた。中学時代とはうって変わって長くなった髪が、透明な陽の光の中へと、今にも溶け出していきそうだった。けれど、髪も頭もやっぱりそこにあり、いつまでもありつづけていた。ひょろっと伸びた身体のてっぺんで、顔は海の方を向きつづけていた。
 わたしも、海の方へと目を戻した。風は吹いていなかった。風は吹いていなかったけれど、どこか、(どこまでも、)わたしはすずしかった。深呼吸をしても、何も吸い込んでないみたいだった。そのことが、不思議とうれしくって仕方なかった。
 (ほら、何もない。何もない。)
 何もない夕暮れの海辺に、夕日があって、海があって、砂浜があって、タカシがいて、(けれど今は見えなくて、)砂浜の上を、音もなくパレードが歩いていく。これが見せたかったの?とわたしはタカシに訊きかけたけど、パレードはわたしにも見えていないのだし、今、わたしの横にしずかに立ちながら、タカシが何を見ているのかわたしにはわからないのだから、訊いても仕方がなかった。
 海へと向かう車の中で、タカシはずっと無口だった。ハンドルを握ったまま、目の前に伸びる細長い道や、その両側の民家や商店、歩道や山なんかを黙って見ていた。ラジオからは最近流行っているらしい音楽が流れていて、中ごろまで開いた窓から風がごうごうと吹き込んでくる。わたしはシートを少し倒していた。ときどき脚を組み換えた。そんな時、自分の履いてきたお気に入りのスニーカーが目に入り、わたしはなにか、不思議な気分になった。
 「見せたいものがあるんだ」タカシからわたしの家に電話がかかってきたのは、三日前のことだった。家の電話で友だちの声を聞くなんて、何年ぶりのことだっただろう。「大崎の墓参りに一緒に行って、その後、車で海を見に行かないか?」タカシは楽しそうでも悲しそうでもない声で、淡々とそう言った。
 「うん。いいよ」
 タカシとわたしとは、中学二年生の頃、同じクラスだった。みんなはわたしを名字で呼んだり「ひろこちゃん」と呼んだりしたけれど、タカシだけは、「ゆう」と呼んだ。最初はただの漢字の読み間違いだったんだと思う。裕子を「ゆうこ」と読み間違えて、それをさらに略して「ゆう」と呼んでしまった――たぶん、そんなことだったんだろう。目の前で呼びかけられながら、わたしは最初、それが誰のことだかわからなかった。わたしの方を見ながら、タカシがここにはいない誰かを呼んでいるようだった。
 ようやく自分のことだとわかった時は、わたしは笑ってしまった。「なんだよ、俺がどう呼んだって、それがゆうのことだったらいいじゃないか」タカシは真っ赤になりながら、そう意地を張った。その時以来、タカシはずっと、わたしのことを「ゆう」と呼びつづけている。ただの読み間違いが意固地になって、いつしか空気みたいに習慣になった。
 お互いのことを「タカシ」「ゆう」と呼びつづけながら、わたしたちは中学三年生になった。クラスはもう、離れ離れだった。それでもときどき、一緒に遊びに行ったりした。周りからは付き合っているとか何とか噂されていたけれど、わたしには、タカシとは別に好きな人がいた。タカシにもそのことは言ってあった。相談もした。タカシはその人を誘い出してくれて、わたしが連れてきた優と四人で、遊びに行くことが何回かあった。わたしが「タカシ」と呼ぶとタカシもその人も一緒に返事して、(その人は、大崎貴志という名前だった、)タカシが「ゆう」と呼ぶと、わたしも優も一緒にそちらを振り向いた。
 優は、タカシのことが好きだった。わたしは、貴志くんのことが好きだった。貴志くんとタカシが、それぞれどう思っていたのか、わたしは知らない。やがて、高校入学とともにわたしたちはばらばらになり、それ以来、四人で会うこともなくなった。
 車の中で、わたしは組んでいた脚を揃えて伸ばした。大学に入ってから買ったスニーカーの、蛍光グリーンの紐が落ち着いている。もう、三年もこれを履いてきたのだ、と思った。つま先や底の近く、それに踵の部分などは、履いてきた時間相応に傷ついていて、ところどころ、うっすらと黒い汚れがついている。
 貴志くんが来るとタカシから聞くと、わたしは居ても立ってもいられなくなった。デートの当日はいつも早起きで、すぐにでも出て行きたい自分をどうすることもできなかった。赤く入ったラインとピンクの紐がかわいい、お気に入りのスニーカーを履いて外に出た。そのスニーカーを履いて出かけるのは、一人で買い物に行く時か、貴志くんが一緒に来る時だけだった。タカシと二人の時は、履いたことがなかった。玄関のドアを開けて外に出ると、まだ朝早い陽の光はやわらかで、やさしかった。
 地元の友だちが作った掲示板やミクシィなんかで、貴志くんの消息についてはときどき聞いていた。東京の大学に行ったことは知っていた。体調を崩して地元に戻ったということも、何ヶ月か遅れでわたしの耳に入った。そして、二年前、実家からケータイに入った電話で、貴志くんが死んだことを知らされた。赤く入ったラインとピンクの紐がかわいい、中学時代のお気に入りのスニーカーは、大学受験の頃にすでに捨ててしまっていた。
 わたしは、また脚を組み直した。ラジオからは、今年の六月末に発売されてヒットしたサマーソングが、まだ流れていた。タカシの方を見てみると、タカシはやっぱり前を向いたままで、楽しくも悲しくもないような顔をしている。車の中には、風が吹き込んでいた。
 やがて車はカーブを曲がり、盛夏の光にまぶしく照り返っている緑の木々が、ゆるやかに視界から消えていった。タカシとわたしの前にあるフロントガラスを越えて、下り坂がまっすぐ伸びていて、その両側から、背の低い民家が沁み出すみたいに広がっていた。きらきら光る屋根と道のむこうに、海が、見えた。「もうすぐだな」と、タカシは言った。
 海の近くの喫茶店の前で、タカシは車を止めた。タカシとわたしは、そこでかき氷を食べた。店を出てからはもう、車には乗らず、わたしたちは海まで歩いていった。白っぽいセメントで塗り固められた堤防の階段を昇り、昇りきって、降りると、そこに夕暮れの海があった。足跡の見えない砂の上に、わたしのお気に入りのスニーカーが軽く沈んで、砂を蹴立てた。
 一体、誰のために履いてきたのだろう、とわたしは思った。蛍光グリーンの紐が通ったスニーカーを、わたしはタカシのために履いてきたのではないし、ましてや貴志くんのためでもない。かと言って、わたし自身のために履いてきたわけでもなかった。誰のためでもなく、三年間履いてきたお気に入りのスニーカーで、今、砂浜の上に立っている。
 あれから二年になる、三年になる、十年になる。
 十年前、関西地方で起きた大きな地震で、たくさんの人が亡くなった。北海道で住んでいたわたしは、当時十一歳で、その時亡くなった人の多さや、ひとりひとりの大きさのことを、よく理解できなかった。学年が変わって小学校六年生になった頃、児童会活動の一環として、被災者のための募金をした。これで何かが終わるわけではない。わたしはまだ十一歳だったけど、そのことだけは漠然と知っていた。
 胸が大きくなり始めたばかりだった。男子のことがすごくうとましく感じられた。男子を見下すようでもあったわたしたちの態度は、男子からも嫌われていて、ある男子に運動靴を遠くに放り投げられたこともあった。拾いに行くこともできず、(靴下が汚れるのがいやだった、)わたしが下駄箱で困っていると、貴志くんが何も言わずに歩いていって、靴を拾って帰ってきた。貴志くんはわたしの前に靴を揃えて置いた後、そのままわたしに背を向けて、グラウンドの男子の輪の中に駆け戻った。あの時のことを覚えていたのかどうか。タカシや優と一緒に何回も会いながら、わたしは結局、貴志くんに訊くことができなかった。
 あれから十年になる、三年になる、二年になる。
 「なあ、ゆう」久しぶりにそう呼びかけられたので、わたしにはそれが、誰のことだかわからなかった。「一年後も、また、ここに来ないか?」
 「うん。いいよ」
 タカシに「ゆう」と呼ばれるのが、わたしは好きだった。タカシのことを「タカシ」と呼ぶのも、わたしは好きだった。わたしたちがわたしたちじゃないみたいで、かと言って優や貴志くんでもないみたいで、どこにもいない誰かみたいで、だからこそ、どこにでもいる、いつまでもいる、見えない誰かみたいで。わたしたちみたいで、好きだった。
 夕暮れの砂浜を、パレードが歩いていく。波に打たれてはまた現れる平らな砂の上、音もなく、けれど楽しそうに、見えないパレードが歩いていく。海のむこうで、陽は赤く濡れながら燃え盛り、今も大きく揺れながら、穏やかに沈んでいる。黒々とした巨大な水の表面を、結ばれては掻き消える神経みたいな泡の波打ちを、夕焼け色の光が薄く果てもなく照らしている。
 パレードの列に加わることもできず、けれど拒まれることもないままに、わたしたちは砂浜に立っていた。砂浜に立って、海を見ていた。やがて、日は沈み、わたしたちは海に背を向けて、帰って行った。車に乗せてもらうことは遠慮した。海の近くの喫茶店の前で、わたしとタカシは手を振って別れた。タカシの車にエンジンがかかる音が、背中越しに聞こえた。タカシの車はわたしを追い越して走っていった。
 わたしとタカシの、そして見えないわたしたちの日々は、背中合わせでつづいていく。夏の夕空は夜へと向かい、しずかですずしい薄墨色が、地面まで一面に降りていた。わたしのスニーカーの蛍光グリーンの紐は、一歩踏み出すたびに他愛なく揺れた。足が地面につく瞬間、紐は靴の脇腹に当たって、軽い音を立てた。


2006年5月12日金曜日

詩はロックだ! かかって来い!


初出『BIRDMAN』http://birdman.serio.jp/内の特集
「詩を初めて読む人に捧げる詩」。かれこれ、三年くらい前の
文章になりますし、阿呆な大学生の若書きにしか過ぎませんが、
改めて、現代詩を難解だと感じておられる人々に捧げます。


詩を普段お読みにならない方、はじめまして。増田考志と申します。
もう、かれこれ三年以上詩を書いています。今の僕は、詩なしでは
語れません。しかし、ここで告白しておきたいことがあります。
それは、高校のある時期まで、僕は詩が大っっ嫌いだった、
ということです。それこそ、吐き気がするくらいに嫌いでした。
どうして嫌いだったかというと、理由は二つ思い出せます。

1.「比喩って何やねん。 言いたいことがあったら正直に言えさ。」
2.「言いたいことはわかった。で? だから何やって言うの?」

一点目について言うと、僕には、比喩を使う意味がわからなかった
のです。なんかもったいぶったような、見た目すごそうな言葉が
使われていて、みんなでそのすごさを競い合っている風なのが、
気色悪かった。「「緑の髭の生え初めた平野」やと? それで何か
すごいことを言ったつもりなんかい? センス自慢なぞいらんわ」
といった感じでしたね。

二点目について言うと、これはもう詩が書かれるということ、
そのものの意味を否定していて。たとえば、有名な「山のあなた」
なら、「山のあなたの空遠く/「幸」(さいはひ)住むと人のいふ」
に対して「で? だから?」となるわけですね。「山のむこうに
幸せが住んでいるらしくて、あなたたちはそれを尋ねていったけど、
泣きながら帰ってきたのね。で? それがどうかしたの?」と。
こんなこと言われたら、詩人はブチ切れるしかないですよ(笑)。
しかし、それが僕の本心だった。

学校の授業でも、詩はとことん面白くなかった。
比喩が何を指しているか、とか、作者は何を言おうとしているか、
とか、そういうのは教えてもらえるのです。でも、それを知っても
「ふ~ん、そうだったの」という納得以外、特に得るものはない。
結局、すべては「だから何やねん」に行き着くばかりでした。

そんな僕を変えたもの。それは、次の言葉でした。

 象徴の効用は、象徴の助けをかりて詩人の観想に類似した一つの
 感情を読者に与えることにあって、必ずしも同一の概念を伝えよ
 うと勉めているのではない。だから、静かに象徴詩を味わう者は、
 自己の感興に応じて、詩人もいまだ説くに至っていない言葉にな
 らない妙趣を楽しみ、めで、手に入れるべきである。 (上田敏
 『海潮音』 の序文(?) ただし、増田が勝手に現代語訳した)

「なるほど!」と思いました。つまり、詩に言われているのは、
なんらかの「概念」ではなくて、何ともいえない「妙趣」であり、
それを感じ取ればいいのか、と。そう納得したのです。
こうなってくると、「で、何やねん」(この文であなたはどういう
「概念」を我々に主張しているか)は大事ではなくなって、
むしろ、その手前にあるもの(この言葉から、我々がどのような
情感を受け取ることができるか)が大事になってきますよね。
けれど、その「妙趣」を、どのように感じればいいのか?
それが、僕の次の問題として出てきました。

結局、僕がとった方策は、「何でやねん」を極力留保して、
作者の言葉どおりに思いをはせることでした。「山のあなた」なら、
山のむこうの空遠くに、何かよくわからへんけど「幸」がある、と、
とりあえず思い描いてみるのです。そうすると、不思議なことに、
それが気持ちよかったのですね。「山のあなたの空遠く」っていう
のが、すでに広々とした景色を僕の胸のうちに広げてくれますし、
そこに住んでいるが「幸」ですから、その広がりが何とも言えず
美しいものに感じられる。とてつもなく広い青空と、その向うの、
なにか透明で水玉みたいにきらきらしているような「幸」が、
僕の心を満たしました。「なんだこれは!?」と思いましたね。
小説でストーリーにジンと来てるのとは、全然違う魂の充実感。
それが、僕が詩にはまり出すきっかけでした。

ちなみに、比喩の問題も、上の方策によって解決されました。
「緑の髭の生え初めた平野」なら、実際の風景、すなわち
芝かなんかが生え始めた平野を想像しつつ、その芝が髭だと
想像してみる。すると、芝が何かすごく生々しいものに思えて
きますよね。しかも、髭を生やしている人のあごなり何なりが
あるはずで、それが「平野」なのです。なんと広大なあご(笑)。
普通ならば曲面を描くはずのあごが、平野なのですよ。その、
言い知れぬ広大さ。それならば、その平野は神様のあごみたいな
ものとして、永遠に広がっているのかもしれない。そして、
そこに生えたばかりの髭のか弱さ、やわらかさ、さらには
希望に満ちた若さなども、「生え初めた」から感じられる
(実際に髭が生え始めた頃のことを思い出していました)。
それらを、自分が今その平野にいるようにして、時にはそこに
寝転がっているみたいにして、五感全部を使って感じること。
それが、詩の言葉が僕に与えてくれる独特の心地よさでした。

たとえば、音楽を聴く時に、誰も音に「で、何やねん?」とは
言いませんよね。イングヴェイの壮絶な速弾きを聴いた後で、
「それで、何が言いたいの?」とは誰も聞かないわけです。
「「Ace Of Spades」の出だしの恐ろしいエネルギーはわかった。
レミーもすごい勢いでベースを掻き鳴らしてるね。で、何?」
なんて言ったら、逆にその人が聞き返されるわけです。
「何って、何? あんたは一体何を期待しているの?」

ロックを聴くことは、そういうことじゃない。ごつい音に包まれ、
身体中の血が騒ぎ肉が踊り出すような、そういう感覚に浸ること。
それが、ロックの楽しみであるのです。詩も、これに近いのです。
向うから飛んできた言葉を、ノートに整理して他人事のように
眺めているのではなくて、自分の身体ひとつで受け止めること。
その言葉の世界の中に身体全体で巻き込まれていくこと。
詩で想像するとは、そういうことではないでしょうか。

結局我々は、トニー・アイオミのリフを聴いて「おお! 渋い!」
と叫ぶのと、同じことをすればいいのです。音に頭を振るように、
言葉に魂を打たれればいいのです。もちろん、これは極論です。
戦後詩がそもそも思想と対峙できるような詩を目指して築かれた、
ということを考えれば、上の主張は詩を野蛮さの中に戻すことに
他なりません。けれど、詩の思想性も何もかも、結局最後は
この「おお、すげえ!」に行き着くものであり、あるいは
そこから出発するものであるのではないでしょうか。

いわば、詩の当然の前提として、この「おお、すげえ!」があった
わけです。その前提の上で、思想による統御や詩法の洗練などが
行われた。今の我々は、その当然の前提を教えてもらえないし、
詩を見ても「おお、すげえ!」を生む装置が複雑化しているから、
今日では詩がそもそもそうやって楽しめるものだってこと自体、
わかりにくくなってきている。結局はそういうことだと思います。

言葉はえげつない相手です。我々の想像力がどんなに頑張っても、
言葉が言おうとしたことに追いつくことはできないのでないか。
そう思います。その、不可能なギリギリのところまで、自分の
想像力を広げていく試み。そして、単に想像しているだけでなく、
自分の身体全体でその想像した世界、言葉の世界を感じること、
巻き込まれていくこと。それこそが、詩の何よりの楽しみであり、
その楽しみを知ることで、あなたはもう詩なしではいられなくなる。
僕は、そう期待しています。なんていったって、この感覚の解放は、
想像力の充溢は、他のジャンルではなかなかないことですから。


 7 庭園

 館の前庭に茂りに茂った人工の植物の一本一本の茎に、海緑色のバッタがとまって、みな一様に館の戸口をうかがっている。だが、その茂みの一ばん奥には、体長二メートルあまりの、ひとの顔した肉食のバッタがひそんでいて、月の出時に、その顔が館の窓からほの白く見えることがある。(それから、そのひときわ長い脛も)

   (入沢康夫 「『マルピギー氏の館』のための素描」より)

この詩にぞくっとしたなら、なにかおどろおどろしいものを
感じたら、それがすなわち詩のヘビーメタルの一撃ですよ。
その一撃の強烈さ・ガツンと来る感じをいま感じられたこと、
これからも、きっと大事にしてくださいね。

2006年5月7日日曜日

自由詩 「メモ帳 2」


   二〇〇五年七月?日


 虫を見ながら、元AV女優が言う(生まれた時から虫。こせこせ動き回って、生き、そして死ぬ)。
 「生き物って、どうして生きてるんだろ?」
 生き物が誕生したわけとは何か。なぜ、最初の生き物は生きようなんて思ったのか。生き物でないものから生き物になった最初の生き物にとって生きるとは、一体なんだったのか。生きないこととどのように異なっていたのか(「Ishkar」=「神様の作った河」にテーマ的につながる?)



   二〇〇五年八月十一日


 scene 10 千歳市
・栄さんからのメール(九月づけ)
・(暮れゆく時間、刻一刻、
・過去と今とをつなぐ風(飛行機の中の、甲子園帰りの高校球児(?))
 (作者に作られてある自分に対する「怒り」を感じながらも、「風」に可能性を見つけつつある)
・鮮やかな色に変わりゆく
・封筒の鳴らない現在を、受け止められるように。
・耳を、澄ます



   二〇〇六年四月?日


そして、手紙はいなくなる。
長びいた春は終わらないまま、
つづいていくあしたの花びらばかりが、
窓枠に吹きだまり、

そして、手紙はいなくなる。



   二〇〇六年五月七日


 贖罪? 我々は罪を負わされているのか? もしそうだとしたら、その負債はどこで、どういうものとして、誰に返せばいいのか。晴れ上がった大通り。重くもない空を仰いで、一人で歩いていくしかない私、また私。

 「神様、神様」

 わたしはわたしがどうしてそんな言葉をつぶやいていたんだろう。英美と一時に待ち合わせをして、アーケードの下で座って待っている間も日向はよく晴れていて気持ちよさそうで、陽の色に満たされた街並みがあたたかくふくらんだ風に吹かれて穏やかに渦を巻いているように思えたその風は、さっぱりとした肌触りで時々吹き抜けた、何筋にも枝分かれしていくうちの幾筋かが見えない曲線を気まぐれに描いては、座っているわたしの所に届いたり届かなかったりした。





今回の「メモ帳 2」は、「メモ帳」と同じように実際のメモ帳からの抜粋・引用を基本としたが、一部、あまりにも意味不明になる部分には言葉を補った。また、二〇〇六年四月のものは、ノートとしてのメモ帳ではなくケータイの「メモ帳」に記録されていたものを使った。
 二〇〇五年八月十一日のメモにおける「鮮やかな色に変わりゆく」は、ZONE「glory colors ~風のトビラ~」からの引用