バス乗り場には、まだバスが着いていなかった。サラリーマン風の男性が五、六人いて、うち二人が標準語で話しているのが聞こえてきた。あとは、家族連れ、カップル、等々。僕はバス待ちの列の最後に並んだ。運転手らしい格好をした男性が二人、列から少しはなれたところで話していて、「……ても、すぐ臨時のバスが来るべさ」と言った声が耳に一瞬焼きついて、僕はドキッとした。言葉はすぐに去り、ドキッとした感触だけが僕のみぞおちの方に重たく残る。 バス乗り場の向こうには、さっき飛行機の中から見たこんもりとした木々が横たわっていた。僕はそれを、何と呼んでいいのかやはりわからなかった。ぼんやり眺めていると、ますますそれが何だかわからなくなってくる。夕日は透明なカクテルライトで、外気は冷たかった。バスは、十分後くらいに来た。 バスが動き出しても、僕は夕方の光の中で薄ら寒さを感じるだけだった。窓の外には、マッチ箱を正方形にしたみたいな建物が見え始めていた。軍事施設だということは、すぐにわかった。きっと、雪や侵入にも負けないように頑丈に作ってあるのだろう。けれど、木がところどころに生えたなだらかな丘に立ち並ぶその建物の一群は、どういうわけか、どこまでもかるく儚げに見えた。風が吹くとすぐかき消えてしまいそうな壁、そして窓。軍事施設が果てて民家が見えてくるようになっても、その印象はますます強くなるばかりだった。切り拓かれ均された大きな敷地(あるいは空き地)の一端に、屋根の急な四角い家が辛うじて庭を押さえるかのようにして乗っている。 明治時代に本格的な「開拓」が始まった北海道は、西欧文化を取り入れることで近代化を成し遂げようとしたかつての日本の、最先端の実験場になった「内国植民地」でもあった。厳しい自然環境に立ち向かうために作られた西欧文化と日本文化の鬼子は、2004年の8月になってもまだ、どこにも自らのふるさとを見つけられないまま、空ろにそして頑丈に残り続けていた。 バスが交差点で大きく右折する。千歳市の車道は、よく整備されていて広かった。しかし、このアスファルトもまた、どこか地面からかるく浮き上がって見えた。大通りの上を走っていく車でさえ、書き割りか、あるいはモニターで上映された映像みたいだ。車道の右手に、敷地面積の広い建物が見えて、何か読めない漢字三文字の後に「自動車学校」との文字があった。ここも日本であるということを、僕は急激に実感してそんな自分にいまさらのように驚いた。けれど、そこにあるのはやはり、日本であって日本ではなかった。僕の知っていた日本はここでは根づくための土壌を見つけられず、薄く拡散してしまっていて、アイヌの呼び習わした土地の名の廃墟とともに、夕日の光の中にほの白い影を映すばかりだった。 外に植物しか見えないようになると、僕の沈黙はより深さを(あるいはどうしようもない浅さを)増した。本州ならば山と呼ばれるであろう斜面を覆う木々は、生い茂るというよりも、耐えているといった方がいい風情だった。太い幹を持ち、恐ろしい高さまで伸びながら、しかしどの一本もこの一本も、ある高さで押さえつけられているかのようにその生長を止めていた。空と大地の広さに対して、その窮屈なまでの停止は何か陰鬱なものを思わせた。そして、押さえつけられているあたりから湧き出しているかのような緑の葉は、本州のそれ(たとえば伊勢神宮の外宮)のように森林の深遠さを形作るのではなく、むしろ不揃いで原始的で、それゆえこんもりと迫り出し盛り上がっていて、混沌としたざわめきあるいは豊かなうめき声を抱えているようだった。そのせいもあってか、山は鮮やかに稜線を描くことなく、ごたごたとしていてなだらかに見え、その表面は丸く細かく波立っていた。 下草は、大きな葉をつけて水平に繁茂すると言うよりも、どちらかというと垂直に高く伸びていく植物が目に付いた。ここにも、セイタカアワダチソウが生えていた。細く細く伸びて穂をつけたイトススキが、夕日の中にほとんど溶け込んでしまいそうになりながら、かすかに風に揺られていた。僕は、先ほど見た民家の庭(空き地?)にも金色のイトススキがたくさん生えていたことを思い出して、切ないような透明な感情に急激に襲われた。「屈従の繁栄」。新千歳空港についてから初めてといってもいいくらいの言葉が、僕の頭をよぎる。認めたくない思いを感じながら、それでも僕はその言葉を何回も反芻して、窓の外の景色と重ね合わせ始めていた。 「屈従の繁栄」。北海道にあるのは、よく言われているような雄大な自然などではなかったのだ。たしかに、山々のスケールは大きい。木の幹も太い。しかしそれらは、思いのままに繁茂するというわけではなく、かといって調和の下に美的に構築されていくというわけでもなくて、むしろどこかで押さえられ、今にもかき消えそうになりながら、耐えていた。建築物だけではない。木々や草花でさえも、ここでは厳しい自然環境の中でのびのびとした居場所を見つけられないまま、冷たく澄み切った空に屈従することを通して、その屈従によって辛うじて赦されまた力を蓄えることで、広大な大地の上に自らの繁栄を繰り広げていたのだった。 僕は、何を探してここまで来たのかわからなくなった。この八月の旅を通して見えてきつつあったもの、旅の最終地であった北海道できっと見つかるだろうと思っていたもの。それが何だったのか、思い出すことさえ困難になっていた。バスの中で、窓に頭をつけて少し眠った。目覚めると、バスはもう札幌の市街地に近い所まで来ていた。 北海道に実際住んでいる方に対して結構失礼なことを書いてありますが、 これ以降の部分で訂正されていくはずです。ごめんなさい。 |
2004年11月24日水曜日
無煙浜まで(2)
2004年11月13日土曜日
無煙浜まで(1)
飛行機が降下を始めて、目の前のモニターに映る灰色の滑走路が大きくなってくる。僕はそれをじっと見つめていたが、通路を挟んで隣の席にいたサラリーマンは依然退屈そうに雑誌を読んだままで、どんなにアナウンスが繰り返し流されようがシートベルトを一向に締めようとはしなかった。来年から僕もサラリーマンの端くれになる予定で、そうなると僕も飛行機の中で不遜そうな顔をして雑誌をにらみつけるようになるのだろうか、と他人事のように考えた。伊丹でともに乗り込んだ時にはさんざんうるさく喋りながら野球カバンを行き来させていた滝川第二高校の生徒たちはいつからか黙っていて、彼らの目は静かに前を向いていたような気がする。機内の明かりは夕暮れ時の薄暗い部屋のような色をしていて、滝川第二の沈黙の向こう側に、降下をつづける飛行機とたしかに近づいてくる大きな風土とを僕は感じていた。 灰色の滑走路はどんどん迫ってきて、押しつぶされそうに感じた途端モニターの映像に虹色のノイズが横様に走り、その次の瞬間には映像は滑走路の先の光景に切り替わっていたはずだが僕はもうその時には滝川第二の肩越しに小さな窓のむこうのこんもりした緑を見つめていた。それは木々だった。木々のくせに地平線みたいに果てしなく平らにつづいていて、夕日に照らされてじっと耐えているのがそれもまた地平線みたいで、それにしても地平線にしては木の一つ一つの集まりがこんもりとしていて海のように波打っていて、波立つというよりもやっぱり丸くこんもりとしていて、緑で、木々だった。 モニターの映像の中で、小さく映っていた人が次第にはっきり見えるようになり、かといって近づきすぎもしないあたりでその人がピカピカ光る誘導棒をクロスさせて、少しの余韻を残して飛行機は止まった。その余韻のただなかからどうやって立ち上がっていいかを考えるともなしに考えているうちに、高校生たちはもう立ち上がって鞄を下ろし始めていて、隣のサラリーマンは座席の間で窮屈そうに半分立ったまま依然不機嫌だった。 滝川第二の高校生たちは、降りる途中で五十代くらいの顔の丸いおじさんに捕まって、「いやあ、あれ、テレビで見てたよぉ」と、今年の甲子園の選手宣誓の話などをされていた。高校生もよく聞こえなかったが何か小さく笑いながら言葉を返してしていて、僕は通路で立ち往生しながらその言葉の交わし合いをのんびり眺めていた。機内でそうやって滞っていても、窓越しの光景などから外の空気がずいぶん涼しいことはひたひたと感じられて、大阪で日焼けした高校生たちの顔とこの八月末の北海道の光景との間にさしはさまれるわずかな時間のずれが、僕にはとてもいとおしかった。この八月を、僕らは皆、それぞれに旅してきたのだ。外から差し込む肌寒くもなつかしい光が、機内のいたる所でやわからかく砕けている。 飛行機から降り、ずっと柱に寄りかかったままで荷物が出てくるのを待った。ベルトコンベアーの近くで押し黙って待っている人たちもいたし、荷物を誰かに任せてトイレを探しに行く人たちもいた。内側から見る空港は白く大きくて、その壁際いっぱいにまで広がって僕らを包む空気は澄んでいてかすかに肺に痛かった。振り返れば、この巨大な箱型には明らかに不釣合いな、細長いゲートが見えて、荷物を拾って肩に担ぎながら手続きを済ませてそれをくぐると、僕は北海道に来たという実感を、急激に襲ってくる冷涼な自由さとともに味わうことになった。 僕は一昨年の末、旅先で言葉を失うという経験に冬の沖縄本島でぶち当たったことがある。あの時は、曇り空の下でゆれている棕櫚の木や、アスファルトで固められた道路の脇から零れ落ちている赤っぽい土を見ているうちに、自分がこの場所でどのような言葉を吐いていいものやら急にわからなくなった。詩の言葉とかはともかく、我々が日常使っている言葉は、あらゆるものから独立して抽象的に存在しているわけではなくて、生まれた土地のリズムやその言葉が経てきた様々な具体物の影などをどうしようもなく背負い込むことで、初めて言葉として僕らのもとにやってくることになる。それゆえ、言葉が発せられるためには当然そのリズムと影にそぐうだけの外郭というか空間というかが必要で、それがない時僕らの言葉は発せられてもどこにも場所を占めることが出来ないから、たちまち路頭に迷い出す。僕が沖縄で感じたのは、そのような感覚、つまり言葉を発しようとしても、それが拠り所とするものが沖縄の景色の中に見つからなくて、結果声が喉から外に出てこない、という感覚だった。では、かわりに沖縄のリズムや沖縄の影がその時感じ取れたかというと当然そんなわけはなく、そんなものはどうやったって見えてこなくて、僕はただ、何と呼ぶことも出来ない圧倒的な光景を前に絶句するばかりだった。 大和民族である自分を意識しないまま、「どこに行ったらおいしいもん食べれますのん?」とか「せっかく沖縄来たのに天気悪くて残念やわあ。それに、こんなに寒いもんなんですなあ。こんな天気では、きれいな海とかも見れませんやろ?」などといけしゃあしゃあと関西弁(いや、伊賀弁だが)でまくし立てるような、そんな観光客気分には少なくとも僕はなれなかったし、かといっていきなり知った風な沖縄言葉を喋り出すのも、沖縄にいる関西人(いや、三重県が関西であるかは至極微妙な所だが)である自分を手軽にごまかしているようでやはりいやな気分がした。その沖縄旅行は母が得点を集めて当てたパックツアーだったのだが、バスガイドさんが僕ら他「お客様」に向かって仕方がないとは言え慇懃な標準語で喋るのも何だか気持ちが悪かったし、彼女がアトラクションとして教えてくれた琉球語を「変な言葉あるんやなあ」といって面白半分に使っている同乗者にも吐き気を覚えた。僕はずっと不機嫌にバスの外の光景を眺めたまま、そこを通り過ぎていく人々の顔立ちや歩み方、さらには風にしなっている木々や空で砕けていく雲のリズムなどに、バスガイドさんや運転手さんが時々漏らす現地の言葉が重なっていく瞬間を待っていた。景色と言葉が重なり合うところにある回路というか、秘訣みたいなものを見つけることが出来れば、その時僕も自分が吐くべき言葉を見つけられるだろう。そのように思っていた。 ゲートをくぐると、「祝! 駒大苫小牧高校甲子園優勝!」とかなんとかいう垂れ幕がかかっていて、新千歳空港は通路もホールも少し薄暗くて寒かった。駒大苫小牧の優勝は、華々しかった今年の甲子園の最後を締めくくるにふさわしい一大トピックで、これまではどうしても白河の関を越えることができなかった真紅の優勝旗が、激闘の末にいきなり津軽海峡を越えたのだからその感動はただの観客の身にも計り知れないものがあったし、むろん、北海道びいきの僕としてもこの優勝はこの上なくうれしかった。けれど、現にこうやって初優勝の喜びを我がこととして喜んでいる人たちの空間を通り抜けていると、自分がやはり結局は違う土地の人間であることが切々と感じられて、僕は他人の景色の中を横切っていく旅行者にしか過ぎなくて、その足は何も切り拓かないままリニアモーターみたいに水平移動をしていくだけだから、それまでたしかだった自分の輪郭がうっすらと消えていき、「バス乗り場」という案内板にしたがってエスカレーターを降りる頃には僕は言葉もろとも肌寒さの中に拡散していた。 |
小詩集 『無煙の海』
あなたの笑顔 あなたの笑顔に 場所があるならば わたしにください 傷だらけの腕で 癒し系なんて呼ばれて 消費されていくあなたの一瞬 の やわらかい経血 穏やかな穏やかな中音で また 笑う その笑顔の場所を ください行き過ぎず 切り拓いていく足になるから 部屋ではなく 無煙の海 わたしのさまよう原野のむこう 夏のひと日がくず折れていく 波のように ベースのように あなたはそこで弾(はじ)かれて また 笑う 痛む腕の 跡形もなく 違うところへ もうほほえんでいる 遅れる。 遅れてきた子が、 一人、棒になって傾いでいく海辺で、 僕らは何度も、 何度も波をくぐり抜けよう。 夕焼け色に染まった、 髪の短い、あなたの頭が、 うなづくみたいに、 しずかに沈む時 絶望なんていらない。 名前も知らない棒きれを起こして、 やさしくかついで、 さあ、一緒に帰ろう。 覚えられない家までの道を、 二人と一人で、 どこまでも遅れながら。 次のしぶきまで。 ZONEの「太陽のKiss」へのオマージュ かづく朝に また飛び込んで 青 夏のど真ん中 やどかりが かりそめの境界線の上 石舟のように 這う と 二人で作った砂の城が (しかし、誰と誰とが?) そこで何度も生まれ直しては また 濡れる 足跡ばかり駆けていく 掴める夏 太陽のKiss ザクロみたいな夕空が降るまで 新生 脱ぎ捨てた空 懐かしい傷さえ残さずに 肌はさらにやわらかく おどる まわっている風が 幾重にも剥がれていく そのあい間に宿された ひと夏 わたしたちは笑っている 青くゆれているハンモックから 起き上がってダッシュする 海辺の砂の上 焼けた骨よりもまぶしい 真っさらな白い板を抱く 刻まれた名前は見えない 亡くした人さえいなくなるひと夏 (2004年5月18日~6月25日) |
長編連作詩 「焔(ひ)、千鶴」(往路)
千鶴 千鶴 焔が ふるよ 千鶴 千鶴 焔が ふるよ お前の生まれた半島を辿って 帰ってきた 六月が お前の生まれた十一月に こんなにつめたい 焔をふらすよ 眠ったままのお前 梅雨かもしれないね 千鶴 今はもう 梅雨かもしれない 千鶴 千鶴 焔が ふるよ * 雪をかぶる、 何体ものお地蔵さんに、 手を合わせ、 拝む 一瞬。 幼かったわたしの、 止まっていた、足音が、 お寺の門から、 後ろ向きに遠ざかっていく。 わたしの頭上、高い梢からは、 しずく。 またしずく。 ひかり そうしてわたしは目を開き、 初めてあなたを、 見つけたのでした。 遠くから、 雪玉を投げてよこす、 あなた。 笑いながら、 わたしは逃げます。 どこまでも、 あなたに対して背を向けながら。 (痛くない (痛くない そして、 粉のような雪の中、 ころぶ 雪の上に寝そべって 空を見る、 わたしの頬で、 雪のカケラが、 溶けていきます。 白いかすかさから、 しずくの輝きへと。 そうしてわたしは、 笑っていた口を、閉じられないまま、 ときどき森を見遣りつつ、 息をしつづけます。 ここで ひとりで 「見えますか? そこからは、見えますか? わたしの口の中の、 この、何本もの小さな歯が。 そしてそれは、 この雪と同じように、 白く 見えているのでしょうか? あなたから * 千鶴 千鶴 焔が ふるよ お前の着物の 緋い 袖から こんなにさびしい 波 足跡 * ひじ を見せて、 女(少女?)は歩く 緋い着物が、 風に流されている。 冬の海辺。 下駄の歯が、 湿った砂を食む。 白い日が開く水平線 に、 女は背を向けて立ち止まり、 風の中、 孤独な、 海を想う。 広がっていく、 さびしい海の上、 どこまでいっても、 船は見つからない。 誰も待っていない、 そんな海を眺めながら、 彷徨う 女は 砂にくだけていく。 (細いうたごえ 高い青空 の見下ろす、 半島の、冬の海辺で、 女は下駄を脱ぎ捨て、 岩に背をつけて丸くなる。 足袋は汚れ、 着物の裾も汚れ、 しかし女は、 湿った砂を払おうともしない。 ただじっと、目をつぶったまま、 岩に背をつけて丸くなる。 白い日に晒されたまま、 女(少女?) は、 一本一本の、 髪の輝きへと、 一本一本の、 歯のかたさへと、 うすく開いた唇へと、 そして、緋い着物の胸元にのぞく、 まだ幼さの残る、乳房へと、 見つめられていく、 風の中、 ひかりの中で、 (細い足首 (細い指先 (海 湿った砂浜に残る、 女の、緋い足袋ごしの足跡。 ここには冷たい風が吹くから、 打ち寄せる波の、ほんの近くまで、 まだ、雪が とけないままで、残っている。 * 千鶴 千鶴 お前は どこなの? わたしの娘であり わたしの母である人よ 千鶴 今日も空から お前の名前が ふるのです けれど そこにはお前の 手が 見つからない 千鶴 千鶴 お前は どこなの? どこの世界の縁側に お前は腰かけて いるのでしょう いま 千に裂かれていく ひとつの名前 * 犬 二匹。 わたしは縁側に腰かけて、 ふた所からの僕らの視線に、 ちょっと 興味ないみたいにして、 首を傾げてみる。 足を投げ出して。 (宙ぶらりんの足もとを、 風 が吹いていると思う。) くもり空。 さむい空。 (ここからは見えないけれど。) わたしは正座しなおして、 犬の一匹と、 戯れる。 その手からエサをもらおうと、 犬が 縁側の上で立ち上がり、 その様子を、 はるか遠くから見つめている、 もう一匹の、 僕。 (澄んだ黒の瞳。) 紫の着物を着た、 少女 は、 立ち上がり、 流れるように歩き出す。 光の射し込む手水場で、 溜めてある 暗い水を、 柄杓でかきまわす。 ごぽごぽと、 ごぽごぽと、 かきまわす わたし。 (水を掬い上げ、 また流し落とす。 最後の一滴が落ちた瞬間、 少女の顔は、 まるで死んでいるみたいで。 青ざめた光の中、 じっと 柄杓を見つめている。) 手水場から帰ってきた、 あなた は、 僕らに柄杓で水をくれる。 柄杓を下から押し上げてくる、 犬の舌。 零れ落ちた 何滴かのしずくは、 石の地面を、 黒く濡らす。 わたしの差し出した、 白いただむきを、 かみつく。 そして覆いかぶさっていく、 金色のけもの。 少女は笑う。 埋み火を拾い上げる火箸、 それを繰る両腕のように、 笑う。 息 を吹きかけている。 (今は閉められたガラス戸のむこう、 あなたは 死んでいるみたいだ よ。 ガラスに息を吹きかけて、 灰のように 白くして、 文字を書いている。 その指も、 そのまなざしも、 書かれてゆく 文字さえも、 みんなみんな、 幽霊みたいだね わたし。 ねえ……。 そこはどこなの? * 雪のひかり の 窓 に開いて お風呂 オレンジの 火照り 白い浴衣に 淡く 牡丹の 描かれていて それを着たまま 湯舟に沈んでいく あなた つかる あなた 流木のよう 湯の中を漂って あごを乗せる 湯舟の縁(へり) 目をつむる ハミング 文字もなく ゆらめいていく 雪のひかり オレンジの 火照り 露わになる あなたの背中 に 傷はない 水をはじく腿 なだらかな肩 指先 やがて 湯舟のまん中で 丸くなる あなた ひかりと火照りの 間で しばらく そのしばらくの 後 湯舟から出る 火照りのほうへ 開けた胸元の なだらかな肌 忘れえぬ女の 笑み それはまた 忘れられていく 少女のような しかし 白い浴衣は その裾は なお つながっているのだ あたたかな湯と 濡れて よじれて まるで臍の緒のように (二〇〇三年六月二十四日~七月三十日 以降中断) |
2004年11月3日水曜日
映画的世界に対する文学 後編
「前編」http://awono-katei.blogspot.com/2004/11/blog-post.html 「中盤」http://awono-katei.blogspot.com/2004/10/blog-post_21.html 映画的世界において、外にでることが不可能ならば、その中でどうにかリアリティーを生むしかない。たとえそれが本当は自分の死とともに消える幻想であっても、その幻想を肯定しそこに何らかの意義を見出さなければならない。このことに対する映画の登場人物からの真摯な問いが、黒沢清の『ニンゲン合格』の例の台詞「おれ、存在した?」だったのだ。そして、世界にリアリティーを生む試みとして、『蹴りたい背中』のようにギリギリの所での身体の復活を目指すものなどが生まれてくる。 しかし、『蹴りたい背中』のやり口、すなわち身体感覚(それを感受性といっても多分いい)を乗せた言葉を世界に対して打ち返すという方法は、もともとは詩(特に抒情詩)が得意とするものであった(とはいえ、無論いつでも詩がそのような形をとっていたわけではなく、感受性の代わりに思想を乗っけたりと色々としていたわけなのだが)。そして現在において、刹那的な皮膚感覚と言葉と現象としての世界とがぴったり張り付きつつ、それが主体や思想にまとまられるのではなく分散している、という詩が多くなってきていて、しかもそれが自分たちの表現として受け入れられている、という事実はその点からも注目に値するだろう。 ただ、分散も下手なやり方でやってしまうと日常雑記に近くなってしまう、という危険があって、小説はもともと無形式で散漫に書きつづけていくものにエンジンをぶち込んで読者とともに連れだっていくというジャンルなのだから、日常雑記風でもどうにかなるだろうが、詩ではそうも行かないだろう。そのあぶなっかしさに無自覚な詩が時々見られるようで、そういうのを見るとどうなんだろうなあ、と勝手に心配したりしている。 一方、歴史を前提として自分を語るのではなく、自分とそれに近い物を前提として語り始めて、それによって連綿と続いていく時間や空間を映像平面上に生み出す手法というものもある。『介護入門』では「記憶」という個人的なものを媒介にしてそれを行っていたし、保坂和志『カンバセーション・ピース』では、話者の住んでいる家という空間が、ここに「ない」もの(単純に言って、死者とか)と話者とを触れ合わせて繋げている。ただ、『カンバセーション・ピース』は時にハイデガーとあまりにも接近しすぎていて、それが少し危なっかしさを感じさせたりもする。 しかし、そのあぶなっかしさを差し引いても、保坂の「世界を肯定する哲学」は、映像である世界に対するものとして非常に示唆的であるだろう。彼は、映像であり幻想であるかもしれない世界に対して、その外に出ることで世界を回復しようとのではなく、あくまで世界の内側にいながらその上に、ここに「ない」ものや、具体と抱き合った形での抽象などを引き込むことによって、事実上「外」を回復しそれを媒介にして「世界」を回復するのである。 さらに、詩で面白いのは、話者が希薄であること、すなわち話者がもはや主体としての一貫性(アイデンティティー)を奪われた「目」でしかないということを逆手にとって、話者の括弧つきの「人間」的な感覚・感情を言葉からどんどんなくしていく、という手法が出てきていることだ。これは、映画的世界に対して、映画の映画たるあり方を上手く利用したやり方と言ってよく、このタイプの詩において、言葉は他者としてそこに立つ。 といっても、その他者というのは、もはやレヴィナス的「外」の存在ではなく、そこに確かにあるのだけどどうすることもできないみたいな感じ、すなわち物質性を帯びた存在であるに過ぎない。そしてもちろん言葉には意味的側面と情動的側面があるわけで、その両者は「どうすることもできないみたいな」という物質性の中で失われるわけではない。むしろ、言葉は「人間」の手を離れることによって、普段「人間」の感情や意図に従属するために小出しにしている意味的・情動的側面を、自らの輪郭の内に充実させるのである。すなわち、言葉がより括弧のない人間的な真実を宿すのだ。 さらに、話者について言えば、生身レベルではもはや一貫性を持ち得ない存在であるのだが、今回話題にしている場合のようにほぼ無化してしまうと、その語りの中に一貫性を持ち込むのは容易になってくる。しかし、そのような一貫性は形式的なものであって、語っている主体はそもそもほぼ非在なのだから一貫していて当然だし、並べられている言葉はというとそれぞれが物質性をもった他者であって、一見一貫性があるように見えても実際の所はそれぞれ自分のうちに意味的・情動的側面を秘めているのだ。 そして、その他者としての言葉の、あるんだけどどうしようもないという存在感、さらにはそれらがかち合った時におこる軋轢やエネルギー、そこにリアルが生まれるのである。しかし、これはもはや「人間」的な感情を表現するという次元からは遠く離れていて、僕らを脅かす。さらに、詩を語っているのがそもそもほとんど非在に近い話者であるために、その言葉に耳を傾けているうちに、僕らが今でも信じているような近代的「人間」像は砂粒のように解体されてしまうだろう。そこにあるのは、劇的でもなんでもない静かな死だ。あるいは、死と生の灰色の中間帯、主体が限りなく散乱していく空き地。しかしその死の中に崩れ落ちることで、僕らはスクリーンの白、すなわち、映画に担保された唯一の「外」(しかしそれは、厳密に言えば外にあるのではなく、僕らのそれぞれの世界とともにいつだって横たわっているものである)に、触れることが出来るのだ。 解体の方に賭けるか、それとも言葉の組み合わせの方にかけるかは人それぞれだし、そのどちらにするかで作品の趣きは大きく変わってしまうのだが、このようなあまりにも映画的な話者(それは時には自己喪失とも呼ばれるだろうし、亡霊とも呼ばれるだろうし、異星人とも呼ばれるだろうしアトムとも呼ばれるだろうし(いや、それはないか)あるいは離人症とも呼ばれるかもしれないけど)が現在のように日常ミニマリズム全開の時代にどのように詩を書いていくか、僕は今でも興味深く眺め続けている。 |
映画的世界に対する文学 中盤
綿矢りさ『蹴りたい背中』が芥川賞を取った時には、様々な騒動が起こって、僕の友人の中にも彼女の受賞に対してキレている人がいたが、それはともかく、今年はモブ・ノリオ『介護入門』が同賞を受賞した。この二つを並べてみた時(すんません、金原さんのは読んでません)、気づくことはそこに描かれている世界が小さい、ということだ。このことについては、綿矢りさが受賞時の記者会見の時に自分で言っていて、それを聞いて僕は何だかうれしくなってしまったのだが、その時彼女は自分が「小さな世界のことしか書いていない」と言ったのだった。 もちろん、『蹴りたい背中』が小説の伝統的な形態を崩していないのに対し、『介護入門』がそういう意味で破格なものであること(この小説を、こんなのエッセイじゃん、という人も当然いると思う)、さらに『蹴りたい背中』が小説世界とその展開に沿った言葉で構成されているのに対し、『介護入門』が小説世界だけでなく現実世界に言葉を投げつけようとする姿勢を見せている点など、違いは認められるだろう。しかし、いくら『介護入門』が現実世界の方に攻撃的に言葉を投げようが、その視点は三十歳無職麻薬常習者で祖母の介護をしているという人物の世界から離れることはないし、同様に『蹴りたい背中』のストーリーを組み立てている語りは常に話者たる女子高生から発せられているもので、小説を巨大な「世界」に対応するひとつの物語とするような意志は感じられない。 「映画的世界に対する文学 前編」において、僕は世界が映画化されていることを述べた。それは簡単に言って、我々がいる世界が、その外部たる真実の世界を想定しにくくなった、ということだった。そのような世界の中で、かつて確固としていた身体は映像あるいは幻想の中に拡散してしまい、個人が背負うパーソナリティーはロマン主義的な「真実の自己」にかぶせられた仮面ではなく、拡散した世界に貼りついてもはや剥がすこともできない映像になってしまった。 上に述べたことは前編でも述べたことであるのだが、ここにもうひとつ付け加えるのなら、世界が映画化されたことで、我々は「我々」ではなくなった、ということができる。 僕らは個人で生きていて、自分の世界の外には出られない。そのような僕らを自分の世界から括弧つきの「世界」へと繋げるものが、あるときは神話でありある時は歴史でありある時は「真実」であった。これらを拠り所にすることによって、僕らは、自分が生きている世界がこれまでも存在してきたしこれからも存在し続けていく、ということをリアリティーとして受け取ることができたし、その中にいる自分というものを想定しやすかった。だから、「世界」は自分の視点をも超えた大きな時空として存在できたし、その中にいる他の人々のことも自分に対するのと同じリアリティーをもって「我々」と呼ぶことが出来た。 しかし、映画としての世界は、このような拠り所としての「真実」を失ってしまった。モンスター映画の中の主人公は、自分の映画の外に別の世界があることなどは考えられない。彼は、自分の映画の中で生きていくだけで、映画が終わればその世界はたちまち白いスクリーンに戻ってしまう。そこには、彼の存在を引き受けてくれる歴史も真実の世界も何もないのだ。結局はすべて幻想であって、自分もその一部分として躍っていただけになってしまう。 かつて『ラストアクションヒーロー』というハリウッド映画があって、少年がアクション映画の中に入ってヒーローと言葉を交わしたり現実世界にヒーローを連れてきたりして大冒険するのだが、実際に映画の中に入ったとしたなら、映画から自立して行動することなどできず、登場人物の一人として映画に取り込まれてしまうのがオチだろう。実際、そもそもその映画の中に入り込む少年にしたって、すでに『ラストアクションヒーロー』という映画の中に取り込まれ映像に貼りついてしまった存在であって、結局その外には出られないのだから! ここにおいて、「我々」という視点が立てにくくなることは、明白であろう。なぜなら映画的世界において、僕らは自分の見ているものが本当にあるものかどうかに対して決定的な確証を得ることが出来ないからだ。そして、自分の視点を超えた「世界」にしろ、他人の視点を自分の視点と同等に受け入れる「我々」にしろ、そのリアリティーを失ってしまうことになる。 しかし、このような世界でも、デカルトではないがとにかくそれを見ている自分が存在することだけは確実だ。デカルトはここから神の回路を通ったが、それは我々には許されていない。しかも、デカルトは「我思う」と言ったが、その思惟自体が与えられた範疇の中での動作に過ぎない場合もあるわけで、そうなってくるとどこまでも確実なのは刺激を受けている自分、端的に言って「見る自分」がとりあえずはある、ということでしかない。それゆえ世界は、ただそれを見ている自分の存在を担保にしてしか成り立たなくなってくる。だから必然的に、世界は小さくなってくるのだ。 ここで補足的に付け加えるならば、この世界の不安定さは、そのまま自己にも跳ね返ってくる。映画を見ている自己、というものが映像の中に拡散した存在であることは前編で述べた。それが本当に自分であるかどうかなど、自分にもわからない。歴史や神が、自分が自分であることを保証してくれるわけではないし、「見ている自分」の存在も、ただ自分が存在することだけは何となく感じさせてはくれても、自分が自分であることを保証するには力不足だ。そうなると結局自分を位置づけるには自分の世界にいる他人の目に頼るしかないのだが、確固たる自分がないまま他人の目に依存することは、自分がさまざまな場面や役割などによって引き裂かれてしまう、というアイデンティティークライシスにまでつながってくる。しかも、その他人の目ですら究極的には幻想であるのかも知れないのだ。 かといって、その映像世界の外側に出ようにも、映像世界を成り立たせているのがもはやそれを見ている自分しかないのだから、結局の所死んでしまうしかない。しかし、死んだら外にいけるかと言うと、それでおしまいになってしまうかもしれない。その真実であり同時に終局でもある死と、幻想との狭間で僕らは生きていて、結局その人生の中で自分なりの確信みたいなものを自ら見つけていかなければならないのだ。 では、『蹴りたい背中』や『介護入門』が、その世界の矮小化に対して甘んじているだけの文学かといえば、そうではない。それならばそもそも賞など取りはしないだろう。それでは、何が違うのだろうか、というと、一言で言って語り口が違うのだ。語り口といって曖昧ならば、言葉の出して来方が違う、と言えばいいだろうか。彼らは、すべてが幻想かもしれない世界の中で、唯一の拠り所である「見る自分」の場所から語っている。そしてそれは、思惟する自分よりもより原始的・動物的な次元での反応であり、事物が自分の基にやってきた時に思わず返してしまう反射的な反応としての言葉である。そして、この動物的次元に戻ることで、映画的世界で拡散したはずのの身体が何とか復活を果たすのだ。 この点については、『蹴りたい背中』の方が過激だ。女子高生言葉を有効に使いながら、筆者は現実を恐ろしい速度で、そして身体の実感を伴った言葉で、切り取り同時に打ち立てる。それは、世界を切り取ると言うより、世界の方から来たボールを打ち返す、と言った感じかもしれない。そして、普通ならきれいに当てにいくバッティングが多い所で、彼女は自分のスピードで、身体の芯からバットを出す感じで打ち返すのだ。こちら(読者側)に飛んでくるボール、すなわち言葉には、その彼女の一瞬の身体捌きが宿っていて、それが僕らにユニークさとそこに他人がいるということの不思議なリアリティーを感じさせる。そうか、このように世界に反応する身体があるのか、と。 『介護入門』の方は、田舎の旧家の息子という自分の出自と記憶に、ロックの最底辺で使われている言葉や世界観を重ねていて、いささか戦略的ではあるが、やはり生きるものとしてのギリギリのところでの(すなわち、「世界」に対応する「思想」などが瓦解した地平での)リアリティーを感じさせる語りになっている。さらに彼は、そこで自らの「記憶」を基にして、祖母の生を自らの生のようにリアル化して引き受けてみせる。そしてそれは広がって、自分を生かしているこれまでのその土地の歴史らしいものを物語の中に息づかせることに成功している。これは、この後述べることにも関わってくる。 これらの作品の語り口というのは、服装とか肉とかがギリギリまで削り落とされた先に見えてくる骨格の違いのような、いわば極限の個性の形である。それは一般的に考えられている個性というものがもはや信頼のおけるものではなくなって、流通する記号のようなものになった現代において、なおも文学に個性を求めていった先で現れたギリギリの地金なのかもしれない。 |
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