入院中は、ずっと空ばかりを見ていた。雨を含んだ灰色の曇り空にむかって、鳥が二羽、飛んでいくのが見えた。そして見えなくなった。どこに行ったのかはわからなかった。ベッドに戻ると、もう朝食が届いていた。湯気でくもった蓋を外す。すると冷め始めた肉じゃがが、初めて歩く街並みのように転がっている。 三叉神経の奥底、眼球の裏側辺りから発症した帯状疱疹だった。結構珍しいケースだったらしい。通常は眼球か顔面、あるいは胴体の皮膚上に、発疹を伴って発症するのだ。 そのため発見は遅れに遅れ、左眼強膜炎として入院した眼科病棟で鼻先と左眉に発疹が確認された時には、既に発症後五日を経過していた。激痛のために三回吐いていた。食事も摂れない状態のまま、目薬ばかりを注す五日間だった。 退院した時、僕の部屋は二週間前と何も変わっていなかった。ただ、かじったままで放ってあったバターロールが、袋の中でどす黒いどろどろとした何物かに変わっていた。正視もできないまま、半透明のゴミ袋に入れて口を縛った。窓の外では、干したままだった洗濯物が、何回も雨に濡らされては乾き、乾いてはまた濡らされた結果、変な形で固まっている。 そういえば、退院した頃、平井堅の「瞳を閉じて」が流行っていた。「あれは目蓋を閉じてだよね」と、当時の彼女は僕に呟いた。ほほえむ彼女を移す僕の左眼は、(彼女は気づいていたんだろうか、)瞳孔が閉じなくなっていた。世界が片目分だけまぶしい。 目蓋を閉じれば、目の前で見えていたものが見えなくなり、見えなかったものが見えてくる。それは嘘だ。帯状疱疹の痛みは、目蓋を開こうが閉じようが、ずっと続いていた。結局退院後わずかで別れることになった彼女の今日は、目を閉じようが見えてこない。目を開くと、彼女がそこにいない、という僕の今日が見えている。それだけの話だ。痛みは今日も、ずっと続いている。 そういえば、昔、台所に放置されてあった寸胴鍋を覗き込んだことがあった。ステンレス製のピカピカする筒の奥底で、煮崩れた肉のようなものが黒く滞っていた。それが蠢いているように見えたのだ。僕が幼かったからだろうか。それは生まれたての子どものようだった。こちらを見つめる無表情な眼球が、僕にはたしかに見えた気がした。 あの時は、蓋が見つからなかった。どこを探しても、鍋を覆うべき蓋が見つからなかった。僕は目を逸らして目蓋を閉じた。それしか出来なかった。そして恐る恐る目蓋を開けると、僕は二十二歳で京都に立っている。 昨日、道路上に落ちて死んでいる一羽の鳥を見つけた。あの時の鳥だと思った。見上げた空は青かった。もう一羽はこの空の下、どこに墜落しているのだろう。 覆われた空の下だ。僕らは今日も、痛い。 |