バス乗り場には、まだバスが着いていなかった。サラリーマン風の男性が五、六人いて、うち二人が標準語で話しているのが聞こえてきた。あとは、家族連れ、カップル、等々。僕はバス待ちの列の最後に並んだ。運転手らしい格好をした男性が二人、列から少しはなれたところで話していて、「……ても、すぐ臨時のバスが来るべさ」と言った声が耳に一瞬焼きついて、僕はドキッとした。言葉はすぐに去り、ドキッとした感触だけが僕のみぞおちの方に重たく残る。 バス乗り場の向こうには、さっき飛行機の中から見たこんもりとした木々が横たわっていた。僕はそれを、何と呼んでいいのかやはりわからなかった。ぼんやり眺めていると、ますますそれが何だかわからなくなってくる。夕日は透明なカクテルライトで、外気は冷たかった。バスは、十分後くらいに来た。 バスが動き出しても、僕は夕方の光の中で薄ら寒さを感じるだけだった。窓の外には、マッチ箱を正方形にしたみたいな建物が見え始めていた。軍事施設だということは、すぐにわかった。きっと、雪や侵入にも負けないように頑丈に作ってあるのだろう。けれど、木がところどころに生えたなだらかな丘に立ち並ぶその建物の一群は、どういうわけか、どこまでもかるく儚げに見えた。風が吹くとすぐかき消えてしまいそうな壁、そして窓。軍事施設が果てて民家が見えてくるようになっても、その印象はますます強くなるばかりだった。切り拓かれ均された大きな敷地(あるいは空き地)の一端に、屋根の急な四角い家が辛うじて庭を押さえるかのようにして乗っている。 明治時代に本格的な「開拓」が始まった北海道は、西欧文化を取り入れることで近代化を成し遂げようとしたかつての日本の、最先端の実験場になった「内国植民地」でもあった。厳しい自然環境に立ち向かうために作られた西欧文化と日本文化の鬼子は、2004年の8月になってもまだ、どこにも自らのふるさとを見つけられないまま、空ろにそして頑丈に残り続けていた。 バスが交差点で大きく右折する。千歳市の車道は、よく整備されていて広かった。しかし、このアスファルトもまた、どこか地面からかるく浮き上がって見えた。大通りの上を走っていく車でさえ、書き割りか、あるいはモニターで上映された映像みたいだ。車道の右手に、敷地面積の広い建物が見えて、何か読めない漢字三文字の後に「自動車学校」との文字があった。ここも日本であるということを、僕は急激に実感してそんな自分にいまさらのように驚いた。けれど、そこにあるのはやはり、日本であって日本ではなかった。僕の知っていた日本はここでは根づくための土壌を見つけられず、薄く拡散してしまっていて、アイヌの呼び習わした土地の名の廃墟とともに、夕日の光の中にほの白い影を映すばかりだった。 外に植物しか見えないようになると、僕の沈黙はより深さを(あるいはどうしようもない浅さを)増した。本州ならば山と呼ばれるであろう斜面を覆う木々は、生い茂るというよりも、耐えているといった方がいい風情だった。太い幹を持ち、恐ろしい高さまで伸びながら、しかしどの一本もこの一本も、ある高さで押さえつけられているかのようにその生長を止めていた。空と大地の広さに対して、その窮屈なまでの停止は何か陰鬱なものを思わせた。そして、押さえつけられているあたりから湧き出しているかのような緑の葉は、本州のそれ(たとえば伊勢神宮の外宮)のように森林の深遠さを形作るのではなく、むしろ不揃いで原始的で、それゆえこんもりと迫り出し盛り上がっていて、混沌としたざわめきあるいは豊かなうめき声を抱えているようだった。そのせいもあってか、山は鮮やかに稜線を描くことなく、ごたごたとしていてなだらかに見え、その表面は丸く細かく波立っていた。 下草は、大きな葉をつけて水平に繁茂すると言うよりも、どちらかというと垂直に高く伸びていく植物が目に付いた。ここにも、セイタカアワダチソウが生えていた。細く細く伸びて穂をつけたイトススキが、夕日の中にほとんど溶け込んでしまいそうになりながら、かすかに風に揺られていた。僕は、先ほど見た民家の庭(空き地?)にも金色のイトススキがたくさん生えていたことを思い出して、切ないような透明な感情に急激に襲われた。「屈従の繁栄」。新千歳空港についてから初めてといってもいいくらいの言葉が、僕の頭をよぎる。認めたくない思いを感じながら、それでも僕はその言葉を何回も反芻して、窓の外の景色と重ね合わせ始めていた。 「屈従の繁栄」。北海道にあるのは、よく言われているような雄大な自然などではなかったのだ。たしかに、山々のスケールは大きい。木の幹も太い。しかしそれらは、思いのままに繁茂するというわけではなく、かといって調和の下に美的に構築されていくというわけでもなくて、むしろどこかで押さえられ、今にもかき消えそうになりながら、耐えていた。建築物だけではない。木々や草花でさえも、ここでは厳しい自然環境の中でのびのびとした居場所を見つけられないまま、冷たく澄み切った空に屈従することを通して、その屈従によって辛うじて赦されまた力を蓄えることで、広大な大地の上に自らの繁栄を繰り広げていたのだった。 僕は、何を探してここまで来たのかわからなくなった。この八月の旅を通して見えてきつつあったもの、旅の最終地であった北海道できっと見つかるだろうと思っていたもの。それが何だったのか、思い出すことさえ困難になっていた。バスの中で、窓に頭をつけて少し眠った。目覚めると、バスはもう札幌の市街地に近い所まで来ていた。 北海道に実際住んでいる方に対して結構失礼なことを書いてありますが、 これ以降の部分で訂正されていくはずです。ごめんなさい。 |