あおに、帰る 「夢はかなえるものだ」 なんて、 いったい、誰が言い出したのか。 テレビのないテレビ台と、 垂直に片付けられたままのワープロ。 乾いたままの採尿容器に、 自力では酸素を取り込めない、 冒された肺の、大きな呼吸。 「夢はかなえるものだ」 なんて、 いったい、誰が言い出したのか。 しずかな病室と、 浅すぎる汗ばんだ眠り。 わずかな親族のわずかな看病に、 ノートへと書き連ねられてゆく、 血圧、脈拍、酸素吸収率。 そして言葉。少しだけの。 「普通の人ならば、」 九月の陽を受けて、 ビニールチューブはなめらかにギラついている。 「普通の人ならば、」 宙吊りになって止まっている、 何本もの管をかいくぐって、 近づいた僕に、 「普通の人ならば、 尿が止まってから、 二十四時間の命だと 言われています。」 薄く目覚めた祖父は、 誰にも聞き取れない言葉で、 教えてくれた。 「帰る夢、見たわ。」 「わえやな、あおに、帰るねん。」 (あお―― それは僕たちが暮らしていた、 山と空の美しい、 小さな町の名前なのだ。) 祖父よ。 あおには、家があるのでしょう。 あおには、家族があるのでしょう。 犬を連れて散歩した、 僕たちの知らない道があり、 それは細く曲がり、次第に入り組みながら、 あの、山の上の青空へと、 つづいているのでしょう。 あなただけのあなたと、 あおのみんなのためのあなたが、 しずかに手を繋いでいる。 祖父よ。 あおには、あおが、 あるのでしょう。 「わえやな、あおに、帰るねん。」 昼下がりの病室に、 苦しい熱を帯びた呼吸音が、 ふたたび、おおきく鳴り始める。 「わえやな、あおに、帰るねん。」 「夢はかなえるものだ」 なんて、 いったい、誰が言い出したのか。 かなえられないからこそ見る夢の、 美しい、その片袖は、 ビニールチューブに絡まって、 陽の光の中、 宙吊りになっている。 (二〇〇三年九月二十六、二十七日) 右の詩は、祖父の急逝から七日後に書き始められた。祖父がなくなったのは、この詩に書いた言葉をポツリともらした、その日の深夜のことだった。尿が止まってから、大体三十六時間。徹夜で看病していた僕と母が、医者に呼び出され、詩に引用した死亡宣告を聞かされた時から、二十二時間後だった。 この詩を書くにあたり、直接のきっかけとなった一行目は、とあるテレビCMに対して感じた反発から、書き始められた。なお、書き進めていく際、僕はこれから書きつけようとしている過去作のことを、まったく参照しなかった。というより、以下の詩のことなど、まるで念頭になかったのだ。それなのに、このようなことになったことについて、僕は改めて詩をうたうということの恐ろしさを感じざるを得ない。 以下の詩は、祖父が肺炎で入院する、じつに四ヶ月以上前に書き付けられていたのである。 ZONEの「true blue」へのオマージュ 僕達(ぼくら) の目は、 重ならない。 どこまで行っても。 僕達は、 いつも、 同じものを見てはいないから。 でも、 だからこそ、 僕達はいっしょに歩いていける。 このうたを歌おう。 それぞれの声で、 遠い青空のむこう、 飛び立っていこう。 どこにたどり着いたとしても、 ひとりの痛みは消えないだろう。 そして僕達は、 それを分け合うこともできないんだ。 君が悩んでいる時も、 どうすればいいか、 それさえ僕にはわからないけれど、 ひとりの僕にできること。 君が道に迷うときは 僕が先を歩くよ 完成しないパズルを抱えて、 嘆くためだけの夜は終わったんだ。いまは、 不完全な海を、 そして不完全な青空を、 飛んでいこう。いっしょに。 それぞれの声で、 このうたを歌いながら。 埋まらないピースのむこうでは、 空と海とが、 手をつないでいる。 そこではきっと、名もない雑草が、 名もない花をいくつも咲かせ、 たくましく、 風にゆれているだろう。 一輪、 また一輪、 うたになって、 あおになって、 僕達は、 そこに帰っていくんだ。 遠い空越えて 僕達は飛び立つ きっとそこにある それが君の夢・・・ 「永遠だよ 僕達は・・・」 作者註 1マス下げたところは、原作の歌詞からの引用部分 である。ただし、改行を少し変えたところがある。 また、「true blue」とは、今は使われていない昔 のアメリカの言葉で、「親友以上の友だち」を意味 する言葉であるそうだ。なお、この詩の原作は、テ レビアニメ「アストロボーイ 鉄腕アトム」の主題 歌でもある。 (二〇〇三年四月二十六、二十八、二十九日) 夢がかなえるためのものでないのなら、それは、何のためのものだろうか。その問いの答えが、この詩に帰って、少し、わかったような気がしている。 |