2004年9月16日木曜日

部屋 フラグメンツ (ケータイについて)


 何回もお世話になったケータイショップだった。今使っている暗緑色のケータイも、そこで買った。深夜一時に前を通り過ぎた時、「機種変更10分で出来ます」という横断幕の下で、店は真っ白な立方体になっていた。崩れ落ちた壁土のようなものと、いやに薄っぺらな光を放っている銀色の脚立。それだけがあって、あとは何もない部屋だった。
 「へえ、最近のケータイはすごいんだな」と、僕の友人の妹背は言った。僕が着うたを聞かせてやった時の話だ。「本当に歌ってるじゃん」
 自分のケータイから、自分の好きな人たちの好きな歌が流れる。このことの喜びに僕は一時期虜になった。暇な日には、家でごろごろしながら着うたを際限なく流した。といっても、聞きたい曲数は限られているから、同じ曲を何回も流すことになる。いつまでも断続的に続く喜びの中で、次第に無感情になっていく自分の眼を他人の眼のように感じた。そうこうしているうちに外の光は色づき始め、僕はまた出かけそびれたことを気だるく後悔するのだった。
 着うたを聞いているのに飽きると、僕はケータイで自分の部屋の写真を何枚も撮った。洗面所や、窓や、冷蔵庫。それにガラス越しの物干し台など。一度、それらの写真を妹背に見せたことがあったが、彼は一言「怖いな」と言っただけだった。単純な、本当に単純なあの部屋の写真の、何が怖かったのか。僕には今でもよくわからない。
 僕はそのあと、着ムービーなるものを知っていくつかダウンロードした。着信画面に設定すると、電話やメールがあった時に僕の好きな人たちが小さな画面の上で躍動し、歌を歌う。唐突に始まるその短い時間が、僕にとっては一日で一番幸せだった。映像は、いまいち良くない画質のせいでどこかノスタルジックで、15秒間で断ち切られては何回も繰り返された。ふと気づくと、着信をほったらかしにして映像に見とれている自分が何回もいた。そんな時の僕はまるで、フラグメンツ化されたデジタルデータみたいだった。
 「ふーん」着ムービーを見せると、妹背はディスプレイを眺めながら無感動な声をもらした。そして、僕の方に睫毛の長い目を向けて、不意に笑いかける。「俺には正直、便利かどうかわからんなあ」
 妹背の歯並びは悪かった。唇の形は野蛮で、その声はいつも大きかった。けれども彼がカモシカのような目で笑う時、その口元はどんな原生林よりも暗くてしずかだった。僕はいつも深夜に歩き回る大通りの、さびしく澄んだ建物の沈黙を思い出した。僕が毎晩探しているものは、たとえばこの動物的に暗い口の中にこそあるのかもしれない。
 僕は目を逸らした。ちょうど初めて参加した握手会で、痛々しいほどに透き通ったあの人の肌に生傷を見た気がした時のように。
 「俺なら彼女たちに会いに行くよ。このケータイで電話かけてさ」妹背はそう言った。
 僕はそれからも着ムービーを愛しつづけている。ディスプレイの中で躍動するあの人たちのリピートと、僕の喜び。ケータイショップが真っ白な立体に戻り毀れ落ちた今でも、僕が撮る自分の部屋の写真は、どんどん増えていくばっかりだ。