2006年6月25日日曜日

新しい(?)日本語文学のために


 言うまでもなく、日本の自由詩と小説とは、海外から移植されたものだ。それは、多くの者にとっては、翻訳された形で受け容れられた。ここに、現在までつづく日本語文学のしょうもなさの、重要な一因がある。

 例えば、英詩と言うものは、当然ながら、英語の中で書かれたものだ。そこには、英語の発音が生む音韻はもちろん、英語独特の文の構造から生まれる言葉の展開法、さらには、これまで積み重ねられてきたものに支えられて息づく一語一語の確かさ、などがある。しかし、翻訳された詩の中には、それがない。翻訳されてきたものは、大体においては意味の側面だけなのだ。いや、それを意味と言ってしまっては語弊があるかもしれない。本当の意味とは、それら言葉のリズムや言葉が宿す世界観、さらにはそのリズムや世界観に支えられた言葉の脈動、そのようなものとともにあるからだ。少なくとも言語の次元においては、形態と意味とは不即不離の関係にあり、形態を伴わない意味はただの薄っぺらな情報にしかすぎず、意味を孕まない形態は言葉の死骸にしか過ぎない。
 海外文学の受容において、大抵のものはこの薄っぺらな情報か言葉の死骸ばかりを受け取ってきた。海外から文学を学び取ろうとして、ガラクタばかりをつかんできた。そして、その掴み取ったガラクタを文学と思い込み、海外文学の形態から離れたその作品の意味が文学のテーマとされ、海外の言語の持つ世界から離れて、日本語に訳し移された際の形態ばかりが文学的手法だとされてきた。

 祖国の心からなる感謝の念に包まれ、
 斃れし勇者、今、静かに眠る!
 露に濡れて冷たき指もてる春の女神、
 花を捧げんとて勇者らの聖なる墓地に帰りきたりし今、
 勇者らの眠る台地は、乱れ咲く百合のため、
 「想像」の及びがたき美しき大地へと変貌す。

 (平井正穂訳 ウィリアム・コリンズ 「述懐――一七四六年の初めの頃に」)

 これを読んで、「ああ、詩的だわ」と思う方もいらっしゃると思う。たしかに、日本の詩などは、きっとこのようなものを手本にして出来上がってきたものだろう。しかし、

 How sleep the Brave who sink to rest
 By all their Country's wishes blest!
 When Spring, with dewy fingers cold,
 Returns to deck their hallow'd mould,
 She there shall dress a sweeter sod
 Than Fancy's feet have ever trod.

 (William Collins "Ode, Written in the Beginning of the Year 1746")

 この本文にある音韻は、どこにいったのか。「cold」と「mould」の響き合い、そこに現れる空間は? 感嘆文が持つ強烈さとその奥に宿る屈折した情感は、英語的な感嘆文を持たない我々にはなかなか現しがたいものだ。文頭に「How sleep」がきてしまうことの効果も消えてしまう。「sink to」という言葉がしずかに引き込まれていくような移動や、それが向かっていくある方向を感じさせるのは、どこにいったのだろうか。その先に待っている「rest」という言葉の持つ切ない安らぎは? それを受け止める「blest」の広大さとやさしさは?
 「hallow'd」という言葉が内に孕む空虚も、「sod」という言葉が持つ、死骸が積もってできた、雨に流されることもある、しかし人々はそこに種をまき、そこから様々な収穫も得られる、そんな土壌の多面性もそれと結びついた人間的感情も、「trod」という言葉の持つ独特の歩行のリズムも、すべて、英語とともにあるもので、この詩では、それら空虚さや多面性や人間的感情や歩行のリズムなどが入り混じって、響くみたいに、世界を空間として広げていく。しかし、邦訳では、そこに広がる空間のことは書けず、その手前の字面、ディスプレイみたいな表面をなぞることしかできないのだ。
 そして、恐らく、最も日本語文学にとって有害だったと思われるのは、「Spring」や「Fancy」の受け取り方だ。春も想像力も、日本人にとっては、抽象的なものでしかない。それをこのように動作主として書くことに、日本人は「これこそ文学だ」と思ったのだろう。しかし、少なくとも英語の歴史において、このようなものを大文字にして、動作主として書くことは不自然なことでもなんでもなかった。そこには、彼らの世界観と結びついた不思議なリアリティーがあり、「Spring」は、抽象的で形のないものでありながら、同時に動作主として大地に手を伸ばすこともできた。この、目に見えない、輪郭を括れないものが動作主でもありうる、という感覚は、日本人にとっては割合理解しにくいものであっただろう。偶像化されえない者を、心の中でも偶像化することなく、祈る。神を思い描くことも理解することもせず、しかし、この世界の様々な事象の裏に我々の思惟も超えた神の意思を、ただ感じる。そのような思考法になれた西欧と、現世的で理解可能な思考になれた我々の違いが、そこにはあるのかもしれない。
 ともかく、「春の女神」などと言ってしまうと、たちまちそれは人間的な姿をした何者かになってしまう。そして、そのように人間にすることを、我々は詩の技法のひとつとして学び取ったのではないか。「Spring」は実際は、そんな人間的な次元を超えたものであったものにもかかわらず。
 「Spring」や「Fancy」が動作するというのは、日本人にとっては、というか日本語にとっては、不自然なことだった。そもそも、「春の女神」や「想像」という言葉自体、日本語の中では、「Spring」や「Fancy」が英語に対して持っていたようなリアリティーを持ち得ない。しかし、日本人はそれを詩だと思ってしまった。このようなものを書くのが、詩なのだ、と。そして、日本語の中では何のリアリティーも持ち得ない「妖精」やら「時」やらが活躍しまくる、なんとも滑稽な世界が描かれることになった。

 これは、小説においても起こってきた現象だ。例えば、Hawthorneの小説には、日本語にしたら何ともキザな言い回しが多用されている。抽象語も連発されている。さらには、一文一文が異様に長く、その構造も入り組んでいる。
 しかし、原文で読んでみた時、その印象は一変する。キザな言い回しだと思っていたものは、英語の歴史とその文章の持つ詩的なリズムとに支えられ、不思議と地に足の着いた、たしかな質量を秘めた言葉へと変わる。抽象語もそうだ。それは抽象語ではなく、それは英語にとって自然な言葉として、文章全体の脈動の中で息づき始める。さらには、長い一文でさえ、すごくするする読めてしまう。日本語にしたら入り組んでいるように見えても、それは関係代名詞などの、英語にとっては基本的な文法を基に生み出されたものでしかなくて、英語の順番で前から後へと読んでいくと、文章の中に入る挿入句も、関係代名詞による転換も、そこにある確かな言葉として、そこまでの文と結びつきあう。結びつき合いながら、心地よく、場面を切り返す。そして、それら挿入句からの回帰なども含めて、文章全体で、世界を広げていくのだ。そこには、変転し、移動し、また回帰し、それらを抱えながらさらにすすんでいく、言葉と人間の生命がある。
 果たして、日本語文学は、それらを自らのものにできただろうか。テーマとか文学的手法ではなく、その中に生きる生命を、そのリズムを、感じ取り、そのリズムにまた、生きた日本語の形で応えることが、できただろうか。ただ、抽象語の連発や入り組んだ文章や、さらには言葉のリズムと離れた表面的な「テーマ」なるものなどに、「文学らしさ」を感じるばかりで、何も生命のないガラクタを生み出してきたのではないだろうか。

 日本人は意匠ばかりを真似る、ということは、入沢康夫さんも言ってられた。それは、何も海外文学の受容に限ったものではなく、日本内の文学の受容にしてもそうだ。たとえば、これまで、入沢康夫さんの詩の形だけを真似した、つまらん作品がどれほど生み出されてきただろう。彼の『詩の構造についての覚え書』に対して、それの全体像を無視して「詩は表現ではない」や「構造」などに引っ張られただけの解釈が、どれほどされてきただろう。それらのキーワード抜き出し方の解釈は、結局、「詩は表現ではない」や「構造」という言葉自体に対しても、全然触れられないものでしかない、というのに。

 言語芸術は、言葉を離れてはありえない。そして言葉とは、テーマでも手法でもなくて、一つの生命体なのだ。テーマだけを取り出すことは、その身体から顔の皮を剥がすことでしかなく、手法を愛することは、バラバラに砕かれた死体の一部を(その一部分から、かつてその一部分が組み込まれ、全体の中の一部として活動していたような、一つの生命体を思い返すこともなく)愛することでしかない。
 引き剥がされた顔の皮。あるいはバラバラに砕かれた死体。そこにある空疎さは、現代社会の持つ空疎さとも通じるものであり、それゆえにこそ、そこに自覚的なものは、真に現代社会を映し取る文学を作り出せるだろう。それもそれで、一つの方向性だと思う。問題は、その空疎さを自覚することもなく、漫然と愛しているだけの人たちなのだ。そんな愛は、相手のことを厳しく見つめることも、それによって残酷なまでに身を引き離すこともなく、ただ中途半端に幻想に入り浸っているだけで、いわば部屋にこもっての自慰行為にしかすぎず、実際のところ、身を引き剥がせる人ほど相手のことを愛してもいないのだろう。
 話が横道に逸れた。とにかく、言語芸術は、言葉を離れてはありえない。そして、世界を語りえる唯一の言語などはなく、英語も、日本語も、それぞれに別々であり、それぞれに固有の傾向性をもった、一つの個体にしか過ぎない。それぞれに一つの個体であるからこそ、それらはつながっていける。しかし、それはテーマや文学的手法を通じてではなく、個体としての、言葉と人間の生命を通してなのだ。自分とは別の個体が、自分とは別の輪郭の中に宿している生命。その生命を、そのリズムを、自分の身体の中で息づかせること。それに対して、別の個体にしか過ぎない自分の身体から、別の言葉で、応えていくこと。我々は、それができたのだろうか。我々の文学は彼らの生命を引き継ぐことができたのだろうか。我々の文学は彼らの文学から、何を受け取ってきたのだろう。そして、我々の文学は、果たして日本語の文学だったのだろうか。そこに、日本語はあったのか。

 我々は、日本語で書く者である。日本語の生命、そのリズムの中で書くものである。そして我々は、テーマやいわゆる文学的手法などに「文学」を見ない。我々の文学は、自分が持っている言葉の中で、その言葉を通して行われる営みとして、ある。それは、もはや「文学」などではなく、ただ、「書くこと/読むこと」とのみ呼べるものかもしれない。それでもいい。我々にとって、「文学」なんて、どうだっていいのだ。問題は、我々が他者の身体を、一個の塊として受け取れるか、ということにある。それに対して、自分の身体から応えられるか、ということにある。それができた時、我々は、そこに確かに、日本語の文学があることを目の当たりにするだろう。
 その日本語の文学は、ひょっとすると「新しい日本語文学」と呼ばれるかもしれない。しかし、それは新しいものでもなんでもない。そもそも、文学に新しいものも古いものもあるだろうか。あるのは、ただ、それぞれの特異性を抱えつつ、そこで個々に生きている一つ一つの生命なのだろう。それらは個々に生きながら、「叫ぶように耳を澄ます」(海賊のHP「siren」のトップページの言葉)ことで、つながっていく。それらがつながっていったところで見えるもの、その、「私たちの場所」(増田考志「みどり」中の、中島みどりの言葉)に還るために、そこを一つの身体として歩んでいくために、歩むことを通してその場所を感じ、引き受け、そして応えていくために、我々は書き、読んでいる。


2006年6月23日金曜日

「その気」


   (ZONEの「mind」に)



「もうこれ以上、
 どんな青空もいらない。」

そう思える朝を、
なお、君は目を覚まし、
駆け出していく。

まぶしい始まり。
腰を下ろして、
大好きなTVを見ている。

「その気」がある。
ハミングする君のすぐそばで、
君の「その気」が、笑っている。
草のように。

しずかな日だまり。
糸のない穂や幹を、
君のその手に、掴み取って。
ドアを押し開けて。

「さあ 出かけよう」
分厚い音の聞こえる外へと。
どんなにかなわない空の下でも、
君の背中に重なっていく、
あの「歌」があるから。
無数の葉があるから。

大好きな「その気」は、
いつも君のそばにいる。
駆け抜けるための大地はあって、
君に風を吹かせない、
とどまるためだけの空なんて、ない。

 (言葉もなく 育っていく時間)

そして自分の名前を叫ぶ。



   (二〇〇三年十一月三、四、五日)


殉教


世界よわたしを忘れなさい。
海までつづく踏み切りが、
一斉に鳴り始める朝に。

世界よわたしを忘れなさい。
叶わなかった鳥たちが、
木の陰でうそぶきだす前に。

すべての悪臭はわたしから発する。
すべての毛と肉はわたしによって汚れる。
割り箸が割れる。世界中で。
思春期の魚が串刺しになる。

わたしの手と歯を洗い流すのだ。
うごめく網の目の間から。
その時、水面(みなも)は空(そら)になるだろう。
線路沿いのコンビニに、朝が来るだろう。



   (二〇〇三年十月二十四、二十五、二十六日)


2006年6月18日日曜日

「あをの過程」という作者名について


「名前の理由、聞かせてもらっていいですか?」スレに応えて


1.「あ」から「を」まで、日本語の中を巡り、辿っていく。決して言葉には出来ない「ん」、その、すべてを綴じる音、言葉の中心に残された沈黙/空白(よく、一対の仁王像に阿像と吽像がありますが、あの「吽」って、「ん」らしいですね。「あ」で開いたものを、「ん」で綴じる。でも、「ん」だけでは言えないから、「う」という音を足して、「ぅん」と発音するしかなかった。高野山で、聞きました)まで、言葉の中で歩いていく。言葉の中で歩いていく中で、その中心に、決して辿り着けないはずの「ん」が浮かび上がればいい。

2.何かに感動した時に、発音される「あ」という言葉。そこに開かれる、我も彼もない世界。そこから、「~を…する」という風な、能動的/作用的な「を」を持つ作品が、そういう力を持った言葉が、生み出されていく。そこまでの過程そのものを、作者にしたい。

3.私の作品は、すべて、この世界のあらゆるものや、他人の作品と自分が出会い、それに言葉を自分の身体から返すことで、なりたっている。私が様々なものと出会い、それによって変わっていく、そこに残された足跡であり、今伸びつつある植物の蔓でもある、言葉たち。自分の作品がそのようなものであったらいいな、という願いも込めて、作品一つ一つを作り上げたもののことを、(いち作者の個人名ではなく)「過程」と呼ぶことにした。(その意味で、「あを」は、「また逢おう」なのかもしれない。出会いから、初めて/何度でも出会い直す、そのことによって自分と相手とを生み直し、生まれ直していく。その過程なのかもしれない。(ただし、「逢おう」の「あお」は、旧字体で書くと、「あを」ではなくて、「あほ」となるのよね。その点で、「あを」を「逢おう」と読み換えるのは、ちょっと曲解がすぎる気もしますけど))

 とか何とか言いつつ、実際は、もっと簡単でアホらしいことがきっかけで、この作者名にしたんですよね。もともと、僕はネットに出始めた時から、「月と海」と名乗ってて。それは、まあ、わかるかもだけど、LUNA SEAの大ファンだったから、そういう名前にしたのさ。正直、ネットでの創作をこんなに長く続ける気もなかったし、真面目にやるとも思ってなかったから、ま、適当に決めました。LUNA SEAがかつてやった、ライブ会場でファンのリクエストを募り、そのリクエストにその場で応えてその曲を演奏する、というライブ、「月と海」、そのあり方になぜかすごく惹かれていたので、ああ、これでいいや、と。
 んで、その大ファンだったLUNA SEAが2000年に終幕し、彼らと同じようなバンドを探しているうちに、なぜかZONEが好きになってきて。やってることは全然違うように見えても、どこか、つながっている部分がある気がした。CDもちらほら買って、それを聞き込む時間とともに、少しずつ、惹かれていくようになった。
 そんな時ですよ。ZONEが「true blue」という曲を出したのは。実は、LUNA SEAが初めてオリコン初登場一位を取った曲も、「TRUE BLUE」という曲名だったんですね。このことは、彼らと彼女らに通じるものを感じていた自分としては、言いようもなくうれしかった。
 そして、実際に「true blue」を聴いてみて、ひっくり返った。もう、自分の中で「TRUE BLUE」もLUNA SEAもなくなってしまうくらい、心の底から感動し、遮二無二突き動かされた。その時、僕はZONEのファンクラブに入ろう、と決心しました。そして、そんな自分がなお「月と海」と名乗っていることが、LUNA SEAのファンたちに対して、とても申し訳ないような気がしたのです。改名を決意したのは、この時でした。

 ただし、改名と言っても、個人名みたいなものは嫌でした。それこそ「月と海」みたいに、別々に在りながら引き合う力でどこか繋がっている、みたいなもの、そういう二つがともに(離れながら)ある、と言う風な名前にしたい、と思いました。それで色々考えたけど、なかなかピンと来るものがなくて、思いつくのはダサいものばかりでした。
 そんな時に、ふと、「TRUE BLUE」と「true blue」のことを思い出したんです。思えば、LUNA SEAがまだあった頃、僕はバンド原理主義者で、それこそ、ZONEのような人たちのことを心の底から憎悪していたんですね。そんな自分が、ZONEを好きになったこと。また、「TRUE BLUE」が出されてから、「true blue」が出されるまでに流れた時間、一つのものが世に放たれ、それに対して、全然違う時間・場所で、全然違う人たちが、自分たちの形で応える、ということ。そこにある、祝祭の巡りのような、リズム。そういうものが、自分にとってはとても貴いもののように思えたのです。僕が書きたいもの、というか、僕を書かせているもの、名義上は僕の作品となっている一つ一つの作品を、本当に生み出しているものは、それなんじゃないか、と。

 「TRUE BLUE」から「true blue」へ。そこから、「青の過程」という名前を思いつきました。でも、これでは何か、ピカソの「青の時代」みたいで、ちょっと変な色がつきすぎる気がした。そこで色々悩んだところで、以下の自分の詩の一節が、思い出されてきたのです。「あをの過程」という、これまでもあり、これからもありつづけるだろう作者名は、その時初めて、言葉のもとに見出されたのでした。

 あざやかに、
 空一面にひろがつた、
 “ほ”の“ほ”(火(“ほ”)の穂(“ほ”)?)
 あをを生み、
 あるいはあをから生まれながら、
 ひとつひとつ燃え、
 ひとつひとつ消えてゆく。
 

2006年6月4日日曜日

小説 「きみよ きみよ」 (3)の2


 丘はなだらかに下りに向かった。左右に広がる雪原を眺めながら、無いかもしれない道を僕は降りていった。下り坂は徐々に急になっていて、大きくカーブを描いていた。カーブの入り口付近まで来た時、僕の左手に壁が剥がれ落ち、窓も割れたままになっている廃屋が見えた。廃屋の横には、タイヤのないバスの残骸が置かれてあった。何のために残っているのかわからない状態で、しかしその錆びも暗い内側も白い雪に穏やかに埋められていた。そこを過ぎると道の右側に、木のような電信柱が並んで立っていた。細い電線は重く垂れ込めた空の下、何本も長く横に走りながら、風に揺らされてびょうびょうとうなり声をあげていた。
 カーブを曲がりきると、そこには傾斜の終わりが見えていた。大きな雪道が積もった雪を割って左右に伸びていて、その向こう岸にごたごたした雪が一連なりになって隆起していた。雪の一部が抉られていて、僕の歩いている細道は、どうやらそこへとつづいているようだった。道のゆったりとした上り下りから見て、雪の下にはもう一つ丘があるらしい。その手前、左右に走る大きな道の上には、タイヤの跡がいくつか押し付けられて、残っていた。
 足元の雪を大股でまたぎ越して、僕はその車道の上に立った。左を向くと、道はどこまでもまっすぐつづいていて、どこまで伸びているのか、その先は雪にかすんで消えていた。そのさらに向こうに、青紫色にけぶった山脈が遠い幻のように浮かんでいる。山脈よりはずっと手前、しかし僕からは十分離れた道の片側に、黒い壁と黒い屋根をした大きな建物が鎮まっていて、要塞みたいだった。その要塞も、ここから見ると小さく見えた。タイヤの跡の残る大きな道。その片側に、ところどころ土色に汚れた雪の固まりが、むき出しの岩石のように積み上げられている。
 僕は途中で立ち止まっていた道を渡りきった。「石狩あそびーち」と書かれた色褪せた看板に雪が積もっていて、白い壁を持つ海の家も寂れるがままになっていた。その右手、雪の壁が崩れて口を開いている所まで来て、僕は足元の雪を大股でまたぎ越し、もう一つの丘へと足を踏み入れていった。そこはたしかに道のはずなのに、踏み出した足がまた、膝下まで雪に沈んでしまう。足を取られながら、重いその足で雪を蹴立てて、僕は歩きつづけた。道は上り坂になっていた。僕の左右には相変わらず雪原のなだらかな起伏と、その中に立つ枯れた植物の一本一本とがあって、広がっていた。
 意外にも、この上り坂はすぐに終わった。そこでは少し先の頭上を電線が横切っていて、その向こうに、黒々と海があった。僕は下り坂を無我夢中で降りていった。僕の左側にはまた廃屋が建っていて、その隣で畑が雪を被っていたけれど、それらの景色もすぐに通り過ぎた。雪は浅くなり、そこに黒い砂が混じっていた。両側の雪の壁も低くなってきて、僕の足元とゆるやかにつながっていく。流れ出すように雪と砂とが扇状に広がって、そこが海岸だった。海が、重々しく波打っていた。濁った波が白く崩れ落ちながら、黒く濡らされた砂浜に何回も何回も打ち寄せていた。打ち寄せては引いていくその辺り、真っ白な曲線が幾重にも交わって見えているのは、波が凍ってできたものだろうか。海は暗く、仄かに緑色がかっていて、あるいはどこまでも深い青紫色だった。鉄の色をした空では、粉のように小さな雪が圧倒的な広がりを埋めることもできないまま、風に巻かれてちらちら乱れ舞っていた。僕の身体を風が打ちつけ、吹き抜けていった。その度に、積もった粉雪が僕の足元から、海の方へとささあっと駆け出していく。白い風紋が濡れた砂浜に描かれて、細かい一粒一粒は動きつづけ崩れつづけ、そのうちのいくつもが駆け出したままのスピードで暗い海の中に消えた。海は重々しく波を打つ。また波を打つ。またまた波を打つ。何回でもずっと波打ちつづける。
 振り返ると、自分の降りてきたなだらかな丘があり、その頂上付近で、さきほどの廃屋が見えていた。等間隔に並んで立つ電信柱が、あてどなく横へ横へとつづいていく。丘を降りてきた所には、何のためにあるのかわからない、骨組みだけの粗末な観測台が建っていた。無人の観測台からは紐が垂れていて、逆巻く風にあおられて、大きく揺れたり小さく揺れたりを繰り返していた。時々、静止して力なく垂れ下がった。観測台は一つだけではなく、海と平行に点々と建っている。それを追って視線を横に移動させると、電信柱も丘も砂浜も果ててしまった彼方に、凍った山脈が鎮座していた。先ほどと同じように青くかすんでいたけれど、さっきとはまったく違う存在感で、恐ろしいまでに確かで、しずかだった。反対側を向いても、黒く伸びる砂浜の彼方で、山々は海へとせり出しながら鎮まっていた。かすみながら見えている山と、濡らされながら平らにつづく砂浜とが、別々のものに思われた。どれほど歩いても、あの山には辿り着かないだろう。そう、僕は考えた。この砂浜を、舞い散る雪と繰り返す波音の中で、僕は一人でどこまでも歩いていける。ここで死にたい。ここでいつまでも歩きながら、死にたい、死んでいたい。山を遠くに眺めながら、僕は歩き始めていた。砂と雪とが入り混じった海辺には、白々とした流木が、何年も前に焼かれた骨のように転がっていた。その横を通り過ぎて、僕は立ち止まることもなく歩いていった。凍った山脈は近づいてくることもなく、黒い砂浜も暗い海も歩く僕とは無関係に、いつまでもそこで見えつづけていた。


2006年6月1日木曜日

小説 「きみよ きみよ」 (3)の1


 石狩には二回行ったことがある。去年の一月と十二月、どちらも冬のことだ。僕はそのことを、これまで何回も小説に書いてきた。
 初めて石狩に着いた時、バスの中には僕と運転手しかいなかった。他の乗客は、終点である「石狩」の一つ手前、「石狩温泉前」のバス停でみな降りていた。自分の席から立ち上がり、暗いバスの中を前まで歩いていって、お金を払ってバスを降りた。僕の前には木の屋根と緑のネットで囲われたゴミステーションが、半分以上雪に隠された状態でただそこにあった。ゴミステーションの背中側には、ひどく古びた木造の壁が見えていた。深々と雪が降り積んだその家はしずかで、人が住んでいるのかどうかもわからなかった。
 僕を降ろしたバスは、そのまま道の向こうへ走り去っていった。あとにはただ、雪によってその平らさを増した道と、その両脇で何十年も前から置き去りにされているような、古くて暗い民家が見えるばかりだった。空は果てもなく鈍色に曇っていた。バスの見えなくなった道の先には、もう民家もなく、どこからが道でどこからがそうじゃないのか、わからなかった。どこに行ったらいいのかもわからないまま、僕はしばらくそこで立ち尽くしていた。
 僕はお腹が空いていた。歩き出せそうもない景色の中を、それでも僕は歩いていた。左側に進んでいくと、赤い甍を波のように戴いた寺院が、雪に埋もれていた。やがて郷土歴史館に辿り着いたけれど、この建物も庭に当たる部分も雪に埋められるがままになっていた。看板に積もった雪を手で払って、案内を読んだ。読んでいくうちに興味を惹かれた。しかし、建物はやはり暗く、雪に降り込められていた。入り口で確かめたところ、冬の間は営業を停止しているようだった。その外壁沿いに飲み物の自動販売機が置かれている。とにかく腹を膨らまそうと歩いていったけれど、ディスプレイに並んでいるのはどれもつめたい飲み物ばかりだった。
 そこを離れて何回も曲がり、宛てもなく歩いていく途中で、「石狩鍋」と書かれた色褪せた看板があった。矢印が向いている方を見てみたけれど、僕の背よりも高い雪の壁が見えただけだった。近くに、交番があった。交番の前にはどうやら地図があるようで、ぼくは自分のみぞおちくらいまである雪の小山を踏み越え、その白い板の前に危うく立った。道や商店の名前、施設の名前などが黒や赤の線で手書きされていた。そのひとつひとつが、今のこの時間・場所とは遠く隔たったものであるように思えた。どこに何があると言うのだろう。僕は振り返り、また雪の小山を踏み越えて、だだっ広い道へと歩き出していった。
 建物は、古びた木造家屋から、建売住宅風の一軒家に変わっていた。自家用の駐車場などを備えた家もあり、その前を僕は通り過ぎた。家の敷地も駐車場も、画たる境界を持ってはいなくて、雪によって外の地平へ一面につながっていた。そこにガレージが建ち、車が見えていた。角を曲がって真っ直ぐ先を見晴るかすと、住宅が幾分密集しながら並んでいた。そのうちの一軒から中年女性が出てきて、ママさんダンプで雪を跳ね始めるところだった。女性は帽子を被り、紫色のウィンドブレーカーを着込んで、もこもこしていた。外に出ている人は、その女性と僕だけだった。空から降ってくる雪と、風によって舞い上げられた雪とが入り混じり、激しく吹き荒れながら家々を閉じ込めていた。景色一帯が細かい粉雪に覆われていて、何もかもが見えにくかった。見えにくいまま、いつまでもそこにあった。
 しばらく立ち止まって見た後、僕は後ろに曲がり、寺院のある方へと戻っていった。寺院へとつづく分かれ道に来た所で、案内板が立てられてあることに気づいた。そこには寺院の名前や、先ほどの郷土博物館の名前、さらには海水浴場の名前などが矢印と一緒に書かれていた。海を見てみたい、と僕は思った。石狩に来て初めて、たとえ仮初のものであっても、僕にはしたいことが出てきたのだ。僕は矢印の方に曲がり、道を歩き始めた。道はゆるやかな傾斜になっていて、その傾斜は次第に厳しく、雪も深くなってきた。人家は絶え、道の両脇には葉を落とした茶色の灌木が、枝を複雑に広げて居並んでいた。僕の前には、どうやら雪かきされていないらしく、積もったままになった雪のかたまりが野性的な曲線を見せていた。雪は僕の胸辺りまであって、道を完全に塞いでいる。そこまで来て立ち止まり、ここで引き返した方がいいかもしれない、と僕は考えた。この先に本当に海があるのかわからないし、たとえあるとしても、それはとても遠くのことかもしれなかった。もしそうなら、海に辿り着く前にきっと死んでしまうだろう。そこまで考えて、しかし僕はその雪のかたまりに足をかけた。思ったとおり足は深く沈み込んだけれど、次の一歩を大きく踏み出して、その反動で引っこ抜く。支えにしている足も深く沈んで、あやふやな足場に身体全体が他愛なくふらついた。それでも、とにかく次の一歩を。そしてまた、もう一歩を。ふらつきながら繰り返すうちに、どうにか身体は雪の上の方へと昇っていて、そして、頂上を越えた。駆け降りるようにして、と言うか転げ落ちるようにして、僕は雪の向こう側へ息せき切ってこの身を運んだ。そこにはまた道があった。僕は歩いていた。傾斜は幾分ゆるやかになり、しかしなだらかに昇りつづけていた。大きくも小さくもない一歩一歩を、自分の力で踏みしめがら進んだ。雪と風とは僕を激しく打ちつけていたけれど、もう、寒くはなかった。息が弾み、頬があたたかく汗ばんでいる。やがて、背丈の揃った灌木の群生は絶えていき、おおらかな起伏をもった一面の雪原が僕の両側に果てしなく広がった。葦のような枯れた植物が、あちらこちらで何本も見えていた。雪の中でか細い姿を現していて、生えていて、まるで、どこまでもつづく宛てもない杭のようだった。


2006年5月28日日曜日

小説 「きみよ きみよ」 (2)


 仕事から帰って来るなり眠ってしまう。そんな毎日になっていた。一日の仕事の終わりが見え始めると、もう、家に帰ることしか考えられなくなる。しかし、実際に家に帰って来てみると、することは何もなく、何かをしようという気さえ起こらなかった。部屋に入って、ベッドに横になり、煙草を吸った。二本目の煙草を吸い終わる頃には、眠りに落ちていた。目覚めると身体のあちこちが痒く、足首や腹、二の腕と肩の境界、それに一日中電石帽を被っていた頭がひどかった。ベッドの上に横になったまま、顔をしかめて自分の身体を掻きむしり、煙草を吸った。窓際かベッド脇の床に置いてある灰皿に手を伸ばして、灰を落とした。灰は時々外れたりこぼれ落ちたりして、窓辺や床を汚した。僕の部屋は灰だらけになっていた。
 休日になっても、やはりすることはなかった。外では雨が降っていた。僕はCDケースや本やスプレー缶やリモコンやプリント類などでごった返した机の上に、いつかの便箋があることに気がついた。空の色をした便箋には、一文だけ僕の文字が書かれてあって、その下の大きな空白部分に煙草の灰が落ちていた。脆く白々として、しかしまだらに崩れて黒い部分も見せているその円筒形を、僕は執拗に手で払った。灰は形としてはなくなったけれど、便箋の上で、今はほの暗い帯となって残っていた。
 春になろうとしていた。まだ肌寒い日がつづいていたけれど、それでも時々、思い出したようにあたたかい(と言うか、むしろ暑いくらいの)日がやって来て、僕を驚かせた。工場でぽたぽた汗を垂らしながら、明日からはもっと薄着で仕事に来なくちゃいけないな、とか思っていると、次の日また急に冷え込んだりする。暑さと寒さとがちぐはぐだった。札幌では昨日雪が降ったらしい。風が吹き荒れて、真冬を思わせる一日だったそうだ。僕はそのことを、ある人のブログを読んで知っていた。僕はその人のことが好きだった。もっと正確に言うと、その人の言葉と、そこから窺い知れると僕が思っているその人のことが、好きだった。そして、その人はあの人とは違っていた。僕の好きなその人の言葉を通して僕が感じた札幌の街中で、あの人はそんな言葉とは無関係に、けれど同じ寒さの中で、生きている。そんなことを考えると、何か不思議な感じがした。
 僕はそのことを手紙に書こうか、とも思った。しかし、やはり無理だった。ブログの言葉とそれを書いている人に感じる愛着も、冬に舞い戻ってしまったかのような札幌の街に感じる愛着も、さらには、そこで生きているだろうあの人に感じている愛着でさえも、僕が書きたいこととは違っていた。服を脱ぐのが上手になりました。かつて書いて、一度捨て、それからまた書いてそのままになっている言葉を、僕は繰り返した。本当に書きたい愛着は、そこにあった。僕の肌が服と離れてしまう、離れてしまうその一瞬にとても大切な、けれどどこにもない何かに肌が触れる、離れてしまいながら、離れてしまうまさにその合い間を通して一瞬触れている、そんな感覚の中にあった。服を脱ぐのが上手になりました。脱ぎ捨ててしまえば、その感覚はいつもすでに終わってしまっていた。服を脱ぐのが上手になりました。それより他にどうすることもできなくて、僕はその言葉をむなしく繰り返していた。服を脱ぐのが上手になりました。春になろうとしていた。外では雨が降っていた。

 交差点をわたる手前で、赤紫色の看板のある小さな建物があった。交差点の向こうには、黄色やらピンクやらの看板が入り乱れていて、ちかちかと回るネオンサインが建物の余白を彩っていた。すでにして、僕はすすきのの中心に含み込まれていた。信号が青になる。僕や何人かの人が一緒に歩き出し、雪が平らに踏み固められた広い道の向こう岸から、足を滑らさないように、同じように何人もの人が渡ってくる。夜とそれを映し出す照明の中で、僕らはすれ違った。交差点を渡った所で右折していく人たちもいて、真っ直ぐ歩く僕と別れていった。僕は一人で(しかし、他の何人かの人と同じように)街中を大股で歩いていった。
 道の脇には焼き鳥屋や風俗店などが立ち並んでいた。奥に引っ込んだ建物もあったけれど、ほとんどの建物は道の上に一直線に壁を連ねている。それぞれに外壁を変え、照明を変え、そうすることで表情を変えながら、どこまでも横に並んでいた。一軒一軒に視線を投げかけながら、その前の道を僕は歩き過ぎていった。次の交差点の角には風俗の無料案内所が赤い看板を出していた。信号待ちをしていると、茶髪でスーツを着た若い男が話しかけてきて、僕は「いや、とにかく今はご飯が食べたいので」と断った。嘘だった。僕のお腹はホテルに帰る前に食べたラーメンで満たされていた。その上、ラーメンと一緒にジョッキで飲んだビールのおかげで、僕は酔ってさえいた。「飲み屋の案内もしてますよ」と男は言ったが、僕はその言葉を後ろに置いたまま、交差点を渡った。
 道を挟んで左側には、巨大なビルが見えていた。大衆居酒屋の名前が緑のネオンで書かれてあって、その隣には、「北海の味」と白抜きになった青い看板が出ていた。ビル自体は夜の中で黒々としていて、四角く聳えていて、たぶん、八階分くらいの高さがあった。右手には、焼肉屋の赤い看板。その隣に、ラーメン屋の木造の壁がつづいている。少し先の方では、青いベンチコートを長々と身にまとった若い男女が、雪の中で談笑していた。僕は前だけを向いて、その男女の脇を通り過ぎた。何か言葉をかけられたが、無視した。僕が通り過ぎた後、再び、男女の談笑する声が背中越しに聞こえてきた。
 その次の交差点を左に渡り、雪に埋もれた車道の端まで足を踏み出して、そこで信号が変わるのを一度待った。僕の隣に、白いコートを着た若い女性が進み出てきて、僕と並んだ。信号が変わると、僕と女性は同じ速度で歩み始めた。すれ違う人々を間に挟んで、僕らの歩みはいつしか離れていた。気がついて振り返ると、女性はもうどこにもいなかった。雪は激しく降りつづいていた。僕の服の上の雪はすでに分厚く、平らになっていた。
 そちらの道沿いには、キャバクラがたくさん看板を出していた。淡くまぶしい背景色の上、キラキラした女性が何人も写真になっていた。僕は、プリクラで撮られた様々な顔のことを思い出した。しかしもちろん、目の前の写真はプリクラのように小さくはなかった。個々に切り離されることもなく、一面につながって、淡くまぶしい背景色の中にうつろに広がっていた。「五十分九〇〇〇円(飲み放題)」の文字が見えた。蛍光灯の白い光が歩道上まで越え出してきている案内所の前で、普段着の若者の集団がどうやら相当酔っているらしくて、もっと若い客引きたちと上機嫌で盛り上がっていた。その背中側、腰の辺りの高さの所で、香港式マッサージの店が小さな看板を出していた。
 「すすきのの優良店は、客引き行為等を一切行っていません。話しかけられてもついて行かないように、ご注意下さい」
 立ち止まらないことが重要だった。次の交差点では、右の斜向かいに落ち着いた雰囲気のカフェが見え、その隣に蛍光イエローの看板が出ていて、ソープランドだった。向かいの筋には、ジンギスカン屋が薄暗い電球を吊り下げていた。小さな街灯が僕の頭上で孤独な星みたいに光っていた。僕はその角を左折した。立ち止まらないことが重要だった。思いつくままに交差点を渡り、思いつくままに区画の角を曲がった。全部込みで一五〇〇〇円。ナースステーション。元祖札幌ラーメン。信じる者は救われる。まりこ。会員制パブ。路肩の雪。必死でビラを配るカラオケ屋の店員(あるいはただのバイト)。本場の蟹料理。ライラック通り入り口と、その向こうのピンク地に青色の文字。街灯。街灯。炭火焼肉。パチンコ屋。ロビンソン。大衆居酒屋。北海の味。キャバクラ。五十分九〇〇〇円(飲み放題)。すすきの無料案内所。香港式マッサージ。夢のようなひと時を……。本日オープン、創作中華料理。交差点の角でタクシーに乗る上司と部下。すすきの観光ビル。真っ赤なバーの灯り。ビデオ販売。地下の飲み屋街の暗い看板。湧き出す湯気。客引きたち。中年男性の一群。アンティークショップ。炉辺串焼き。談笑しながら雪の上を歩いていく若い女性の三人連れ。ビールと一緒に餃子はいかがですか。インターネット、マンガ、カフェ。ライラック通り入り口で客引きと話す一人の男性。僕とすれ違う二人のサラリーマン。
 僕は立ち止まっていた。僕の前には、一棟のビルがあった。そこは暗い裏通りで、客引きもいず、歩いている人も少なかった。広い道幅いっぱいに、雪が白く延べられている。ビルの横には、奥に引っ込んだ所にゲームセンターがあるだけで、その入り口の前にも、客と思しき男が二、三人見えるだけだった。他の建物と同じで、そのビルにも窓がなかった。外壁には真っ黒な札が整然と並び、各階の店の名前とコピーが白い文字で書かれあった。そこにあるのは下世話なくらいに扇情的な文句ばかりで、そのことが逆にしずかに、清潔に思われた。痴漢だとかヌキ処だとかヘルスだとかの文字を眺めながら、僕はそれらの言葉をすすきのに来てから初めて目にしたことに、気がついた。ビルの一階は殺風景で、灯りも暗かった。本当に営業しているのかどうかもわからなかった。僕はそのビルの前でしばらく立ち尽くした後、また歩き出した。ゲームセンターのオレンジの照明に照らされながら通り過ぎ、また暗い路地を、白く輝く街灯と先の雪とに向かって進んでいった。雪は激しく降りつづいていた。区画の角まで来て、左に曲がると、入り乱れながら光るいくつもの看板と建物とが見えた。たくさんの人がそこで歩いていた。


2006年5月25日木曜日

小説 「きみよ きみよ」 (1)


   その風、その春、きみよ、きみよ、
   いま、ぼくは、どこに、いますか?


   第一楽章


 服を脱ぐのが上手になりました。と僕は書いた。そして、自分の文字を見つめた。その後はつづけられなかった。空の色をした便箋の上の文字を、僕は二重線で掻き消した。掻き消した後で、それはたぶん、こんな手紙を送られてもあの人は困るだろう、と思ったからだと考えた。たしかに、僕は服を脱ぐのが上手になった。その日、お風呂に入ろうと服を脱いだ時にふと実感して、だから僕は、手紙を書こうと思った。そして、お風呂から上がってから、実際に書き始めた。けれど、たぶん、服を脱いだ時に僕が感じたことは、それではなかった。僕は便箋を丸めて捨てた。しばらくたった。それから、またペンを手に取って、手紙を書き始めた。服を脱ぐのが上手になりました。その後はやはりつづかなかった。空の色をした二枚目の便箋の上、並んでいる文字を見つめていた。その文字は消さなかったし、便箋を丸めて捨てることもしなかった。

 ホテルの自動ドアをくぐって外に出ると、雪が渦を巻いていた。道路を挟んで小さな月極め駐車場があり、その向こうと横とにベージュ色のビルの壁が見えていた。雪はその手前もその向こうも関係なく広がる夜を覆い、覆いながら、隠すことはできなかった。細かな粒は生き物のようにしずかにうねっていた。けれど隙間だらけで、そこでいつまでも踊りつづけている。小山のように積み上げられた雪の上、一粒一粒がさらになだらかに降りつもっていく――いつまでもつづくその景色を、駐車場の白すぎる電灯が斜めに照らし出していた。
 足元に敷かれた薄茶色のタイルのところにも、雪は吹き込んで、積もっていた。すでに凍てつき始めているその固まりを踏みしめて、僕は道の上に歩み出て行った。ホテルの軒下から身体が出るとたちまち、一面の白く厚い壁の中で僕が掻き乱されてしまう。その中で僕は歩いていた。僕に雪が降りかかっているのか、それとも、目の前の白い乱舞と向こうに見えている建物や道などが僕なのか、僕が歩いているのか、誰が乱れ舞っているのか、わからない。道を渡って駐車場の角を左に曲がり、進んでいった。視界の左側には身の丈を越える雪の山が連なり、その傾斜や脈絡は不規則で、険しく、それでいてなめらかな曲線を描いていた。
 すぐ近くに店を閉めた後の弁当屋があった。庇の下に取り付けられた蛍光灯が、暗くなった店の窓とその前の道の一部とを明々と照らしていた。そこには誰もいなかった。夜の闇を挟んでそのはるか先では、パチンコ屋のオレンジの照明が、取り残された夕焼けのように淡く宛てもない光を投げていた。雪を避けるためなのか、それともパチンコを終えて出てきたところなのか、そこにはスーツ姿の男が四、五人、まばらに立っていた。その向こうには大きな交差店があって、信号と小さな街灯と、その先にまだつづいている建物の白い明かりとがそれぞれに瞬いている。僕は歩いていた。途中、こちらへと歩いてくる二人の男の姿が見えて、分厚いコートを着込んで膨れた二人の全身は、自動販売機の前を通る時に明瞭に見えるようになり、そこを過ぎるとまた、曖昧になった。僕と二人はすれ違った。自動販売機の光の前で見てみると、僕の上着は雪で真っ白になっていた。しかしそれが見えたのも一瞬だけのことで、すぐにまた、僕には自分の手も顔も服さえも見えなくなった。目の前の雪と、その向こうの建物と道だけがあった。それが僕なのかもしれなかった。僕は歩いていた。交差点を真横に横切っていく路面電車の、鉄のレールが長々とつづき、つづきながら、そこで冷たく沈黙していた。


2006年5月22日月曜日

報告と告白と次回予告 (2006年5月20日、21日のこと)


 2006年5月20日、21日、私は四回目の北海道を経験しました。
 一回目は、2004年の8月終わり頃。二回目は、2005年1月終わり頃。三回目は、同じく2005年の12月終わり頃。これまで、夏(初秋)、冬、冬と経験してきて、初めて春(初夏)の北海道に降り立ちました。
 北海道に行くこと(往くこと、あるいは還ること)が私の創作に与える影響は、計り知れないものがあります。これまでの三回も、その度ごとに、とても大きなものを得て内地に帰ってきました。今回もそうでした。

 今回の目的でありきっかけでもあった、ZAQ初のワンマンライブ。これが私に大きな力でもって迫ってきたことは、そしてその力を糧にまた私が書いていくことは、語るまでもないでしょう。
 今回のライブでは、ZAQ自身にとってもライブで演奏するのは初めて(か二度目)の曲、「ゆう」も聴くことができましたし、特に大好きと言うわけでもないのに、なぜかこの曲が無性に大切に思える私としても、このことは限りなく幸せなことでした。初めて演奏された新曲群もそれぞれに素敵で、特に「離さないで」は胸の暗く深いところに突き刺さりましたし、今年三月のベッシーホール以来、ZAQ自身二度目となるバンドサウンド(通常のボーカル、アコギ、ピアノに加えて、サポートメンバーとしてドラムとベースが入った形態)で演奏された「淋雨」も圧倒的で、同じくバンドサウンドでの「Box」「Krokos」などのハイスピードナンバーでは、ヘドバンのしすぎで意識が白く焼ききれました。本編最後の「君へ・・・」に打たれ、さらにアンコールの新曲「日曜日」は、もんのすごく楽しかった。

 しかし、私にとって北海道に行くことは、いつだって、このような目的に関したことだけには留まりません。初めて見る(歩く)春(初夏)の北海道の風景、建物、そして人々。それらから得たものは、今回もまた、大きかった。
 それに加えて、今回の滞在で、私はこれまでにないくらいに、話しました。これまでだって、むこうで見つけた同年代の若者や、売店などのおばさん、それに冬の石狩ですれ違った人などと、それなりに話してきたつもりです。でも、今回は、それにも増して、いっぱい話しました。

 まず、今回私は、初めてすすきのの飲み屋に入りました。これは、実は前の旅の時から目標にしていたことでしたが、前回はすっかり忘れていて、無理でした。ですから、旅に出る前から、今回こそはという思いがあったのです(とはいえ、今回もなんだかんだで忘れていて、ようやくその目標を思い出したのは、新千歳空港からバスに乗っている最中のことでしたが)。すすきの中を歩き廻って選びに選んだ末、ようやく決めた店だったにも関わらず、地下に下っていってドアを開けるとお客さんはいなくて、ご主人がカウンターに座って新聞を読んでいました。
 最初はご主人も奥さんも私もぎこちなく、無言の飲食がつづきましたが、お料理のまぎれもなく確かな味わいと、お酒の美味しさにやられて、いつしか私から話しかけていました。最初は店の手作りミックスピザにイカを乗せてくれ、という私のわがままでしたが、そこからいつしか話はふくらんでいき、釣りのこと、音楽のことや芸術のこと、北海道のこと、私のふるさとである東海地方のこと、さらには親と子のことまで、三人で語り明かしました。ご主人もビールを持ってカウンターに座り、笑ったり興奮したり、しんみりしたり、とにかく、いろんなことを話しつづけた。ご主人の奢りでビールをいっぱいサービスしてもらったり、さらには「お酒だけじゃあれだから」と奥さんも一品料理をサービスで付けてくれたり、そんな優しさと和やかさに包まれた、三時間でした。たくさんの味と一緒に、たくさんの言葉を、そしてたくさんの表情と感情と呼吸とを、この身に頂きました。

 私にとって旅行の目的は、ひとつには、風景や建物や人々を見ること(歩くこと、感じること)にあります。そして、もうひとつ、人と話すこと、そこに生きている人の言葉や表情や呼吸をこの身に頂くこと(あるいは盗むこと)。これが、本当に大事だった。ですから、これまでだって、バスに乗っていても人々の仕草や会話に耳を澄ましていたし、店などに行ったら必ず、何でもいいからそこの人と話そうとしてきました。
 その点で、今回の滞在は、この飲み屋での三時間だけで、すでに大きすぎるくらいの成功を収めていたといっても過言ではありません。しかし、私は良くも悪くも愚かな人間です。「これでもう満足だ」と思う自分を振り切って、もうひとつの目標に向かって、私は夜のすすきのをさまよい始めました。
 そうです。夜のすすきのを歩くこと四回目にして、私は初めて、そこの風俗店に足を運んだのです。実際の話、私は風俗店に行ったことは、それまで一回しかありませんでした。それも、京都にいた時分、cさんやIさんと作る予定だった同人誌の第一号の企画に「ピンサロに言った後で鼎談して詩を書こう」というものがあって(当時、私もまだ詩人の一人でした)、その兼ね合いで行ったものです。むろん、それは京都のお店でした。ですから、私にとってはすすきのの風俗店に入るのも初めてなら、自発的にそういうお店に足を運んだのも初めてのことだったのです。
 ぼられたり無駄に終わったりすることのないように、いろいろ歩き廻って探した挙句、私は香港式マッサージのお店に入りました。お店の様子とか、そういうことは書かないことにしておきます。とにかく、私は普通に普通のマッサージを受け始めました。話しかけたのは、私が先だったのか、あの人が先だったのか。とにかく、飲み屋の時のように、いつしかまた、話は広がっていました。拙い日本語に時々中国語も交えつつ、私たちは会話をつづけました。故郷のことや仕事のことなど、話しに来たのか何しに来たのかわからないくらい、二人の話はつながっていき、その途中で、あの人が涙ぐんでいたこともあったのだと思います。
 商売の上のことだったのかどうだったのかわかりませんが、とにかく、帰る時にはいっぱい頭を撫でられて、キスまでしてもらい、この後もつづく仕事のこと(これから外に出てお客さんを呼ぶのだということ)を言ってもらったり、「ホテル帰って寝る」「また仕事頑張る」「彼女ツクル」「あなたはイイ子。おとなしくて、心配」「私はあなたのお母さん」(そこまで年も離れてなかったし、赤ちゃんプレイとかは断じてしてないし、それどころか甘える言葉のひとつもかけなかったのですけど)などいっぱい応援もいただいたりしながら、私は店を出ました。

 その後、言われたとおり、私はホテルに帰って寝ようとしました。しかし、やはり私はイイ子ではなかったようです。良くも悪くも、やはり愚かなのです。私はまた、夜のすすきのに出かけていきました。そして、(私にとって)二軒目の店に入りました。そこでは、最初の間はイメプレと言うか、ロールプレイングというか、とにかく相手もこちらも役に入り込んでしまわなければならなかったのですが、それが終わると、唐突に、相手もこちらも普段着の自分になりました。その人がまた、とてもさっぱりした性格の人で(少なくとも、とてもさっぱりしたリズムで話をしてくれる人だったので)、私は助けられました。かつてここでも書いたように、私は風俗で働いている人などに自分の幻想を重ねるのがとても嫌なのですから。
 何の飾り気もないシャワー室で、あるいは白のタオルケットがかぶせられた平たいベッド(というか、敷布団)の上で、私たちが話したことはとても他愛ないことばかりで、実際、その人にとっても、商売上のありふれたトークがほとんどだったかもしれません。けれど、そのところどころに、なんともいえず大切なものがよぎることがあって、それを見てしまった(見た気がしてしまった)私はもう、そこにあったそれについて、この散文で書くことはできません。私にとってはそれは小説でしか書けず、もっと言えば、それこそが小説であり、詩でした。
 そこでの時間が終わった後、私は冷たいお茶をもらってから、やっぱり最後にキスしてもらい、店を出ました。それからはもう、他の店には行きませんでした。ホテルに帰って、眠りました。

 翌日、私は石狩に行きました。三度目にして、初めての春(初夏)の石狩。そこでのことも、また、ここに書くことはできません。言語を絶するとは、あのようなことを言うのでしょう。何気ない景色の、ものの、風の、空の、そして人の、どうしようもないくらいのまぶしさと尊さ。「ここで死にたい」と、私は思いました。冬に来た時も思ったことでしたが、それと同じことを、それでいてまったく違うことを、私は心の底からもう一度経験したのでした。「ここで死にたい」と思い、そして私は歩き、ただ歩きながら、いつしか泣いてしまっていたのでした。

 私は、今回のことを、また小説にするでしょう。たぶんそれは、「無煙浜まで」「Ishkar」につづく、三回目の挑戦になると思います。いつ書けるのか、果たしてそれが書けるのか、自分でもわかりませんし、もしかしたらそれを完成させる前に、この私が死んでしまうかもしれません。しかし、願うならば、この小説を書いてから、私は死にたい。いや、この小説を「ここで死にたい」と思えるような小説にして、そこからまた、歩いていきたい。
 今日は月曜日なので、二軒目の風俗店で会ったあの人は仕事をしているのでしょう。あの人とまた夜のすすきので会い、他愛のない言葉を交わしたい。今回の言葉を、今回のわたしたちを、あの人(あの人たち)が覚えていてくれるなら、どれだけ幸せなことか。そして、春(初夏)の石狩を、二人で(一人で/パレードみたいに)歩きたい。そんな夢を春のように見晴るかしながら、今はここで、筆を置こうと思います。
 お読みくださった皆さん、ありがとうございました。



   (2006年5月22日 あをの過程 増田考志)


2006年5月14日日曜日

小説 「ゆう」


 夕暮れの砂浜を、パレードが歩いていく。波に打たれてはまた現れる平らな砂の上、音もなく、けれど楽しそうに、見えないパレードが歩いていく。海のむこうで、陽は赤く濡れながら燃え盛り、今も大きく揺れながら、穏やかに沈んでいる。黒々とした巨大な水の表面を、結ばれては掻き消える神経みたいな泡の波打ちを、夕焼け色の光が薄く果てもなく照らしている。
 タカシは何も言わなかった。私の隣で、しずかに海を見ていた。中学時代とはうって変わって長くなった髪が、透明な陽の光の中へと、今にも溶け出していきそうだった。けれど、髪も頭もやっぱりそこにあり、いつまでもありつづけていた。ひょろっと伸びた身体のてっぺんで、顔は海の方を向きつづけていた。
 わたしも、海の方へと目を戻した。風は吹いていなかった。風は吹いていなかったけれど、どこか、(どこまでも、)わたしはすずしかった。深呼吸をしても、何も吸い込んでないみたいだった。そのことが、不思議とうれしくって仕方なかった。
 (ほら、何もない。何もない。)
 何もない夕暮れの海辺に、夕日があって、海があって、砂浜があって、タカシがいて、(けれど今は見えなくて、)砂浜の上を、音もなくパレードが歩いていく。これが見せたかったの?とわたしはタカシに訊きかけたけど、パレードはわたしにも見えていないのだし、今、わたしの横にしずかに立ちながら、タカシが何を見ているのかわたしにはわからないのだから、訊いても仕方がなかった。
 海へと向かう車の中で、タカシはずっと無口だった。ハンドルを握ったまま、目の前に伸びる細長い道や、その両側の民家や商店、歩道や山なんかを黙って見ていた。ラジオからは最近流行っているらしい音楽が流れていて、中ごろまで開いた窓から風がごうごうと吹き込んでくる。わたしはシートを少し倒していた。ときどき脚を組み換えた。そんな時、自分の履いてきたお気に入りのスニーカーが目に入り、わたしはなにか、不思議な気分になった。
 「見せたいものがあるんだ」タカシからわたしの家に電話がかかってきたのは、三日前のことだった。家の電話で友だちの声を聞くなんて、何年ぶりのことだっただろう。「大崎の墓参りに一緒に行って、その後、車で海を見に行かないか?」タカシは楽しそうでも悲しそうでもない声で、淡々とそう言った。
 「うん。いいよ」
 タカシとわたしとは、中学二年生の頃、同じクラスだった。みんなはわたしを名字で呼んだり「ひろこちゃん」と呼んだりしたけれど、タカシだけは、「ゆう」と呼んだ。最初はただの漢字の読み間違いだったんだと思う。裕子を「ゆうこ」と読み間違えて、それをさらに略して「ゆう」と呼んでしまった――たぶん、そんなことだったんだろう。目の前で呼びかけられながら、わたしは最初、それが誰のことだかわからなかった。わたしの方を見ながら、タカシがここにはいない誰かを呼んでいるようだった。
 ようやく自分のことだとわかった時は、わたしは笑ってしまった。「なんだよ、俺がどう呼んだって、それがゆうのことだったらいいじゃないか」タカシは真っ赤になりながら、そう意地を張った。その時以来、タカシはずっと、わたしのことを「ゆう」と呼びつづけている。ただの読み間違いが意固地になって、いつしか空気みたいに習慣になった。
 お互いのことを「タカシ」「ゆう」と呼びつづけながら、わたしたちは中学三年生になった。クラスはもう、離れ離れだった。それでもときどき、一緒に遊びに行ったりした。周りからは付き合っているとか何とか噂されていたけれど、わたしには、タカシとは別に好きな人がいた。タカシにもそのことは言ってあった。相談もした。タカシはその人を誘い出してくれて、わたしが連れてきた優と四人で、遊びに行くことが何回かあった。わたしが「タカシ」と呼ぶとタカシもその人も一緒に返事して、(その人は、大崎貴志という名前だった、)タカシが「ゆう」と呼ぶと、わたしも優も一緒にそちらを振り向いた。
 優は、タカシのことが好きだった。わたしは、貴志くんのことが好きだった。貴志くんとタカシが、それぞれどう思っていたのか、わたしは知らない。やがて、高校入学とともにわたしたちはばらばらになり、それ以来、四人で会うこともなくなった。
 車の中で、わたしは組んでいた脚を揃えて伸ばした。大学に入ってから買ったスニーカーの、蛍光グリーンの紐が落ち着いている。もう、三年もこれを履いてきたのだ、と思った。つま先や底の近く、それに踵の部分などは、履いてきた時間相応に傷ついていて、ところどころ、うっすらと黒い汚れがついている。
 貴志くんが来るとタカシから聞くと、わたしは居ても立ってもいられなくなった。デートの当日はいつも早起きで、すぐにでも出て行きたい自分をどうすることもできなかった。赤く入ったラインとピンクの紐がかわいい、お気に入りのスニーカーを履いて外に出た。そのスニーカーを履いて出かけるのは、一人で買い物に行く時か、貴志くんが一緒に来る時だけだった。タカシと二人の時は、履いたことがなかった。玄関のドアを開けて外に出ると、まだ朝早い陽の光はやわらかで、やさしかった。
 地元の友だちが作った掲示板やミクシィなんかで、貴志くんの消息についてはときどき聞いていた。東京の大学に行ったことは知っていた。体調を崩して地元に戻ったということも、何ヶ月か遅れでわたしの耳に入った。そして、二年前、実家からケータイに入った電話で、貴志くんが死んだことを知らされた。赤く入ったラインとピンクの紐がかわいい、中学時代のお気に入りのスニーカーは、大学受験の頃にすでに捨ててしまっていた。
 わたしは、また脚を組み直した。ラジオからは、今年の六月末に発売されてヒットしたサマーソングが、まだ流れていた。タカシの方を見てみると、タカシはやっぱり前を向いたままで、楽しくも悲しくもないような顔をしている。車の中には、風が吹き込んでいた。
 やがて車はカーブを曲がり、盛夏の光にまぶしく照り返っている緑の木々が、ゆるやかに視界から消えていった。タカシとわたしの前にあるフロントガラスを越えて、下り坂がまっすぐ伸びていて、その両側から、背の低い民家が沁み出すみたいに広がっていた。きらきら光る屋根と道のむこうに、海が、見えた。「もうすぐだな」と、タカシは言った。
 海の近くの喫茶店の前で、タカシは車を止めた。タカシとわたしは、そこでかき氷を食べた。店を出てからはもう、車には乗らず、わたしたちは海まで歩いていった。白っぽいセメントで塗り固められた堤防の階段を昇り、昇りきって、降りると、そこに夕暮れの海があった。足跡の見えない砂の上に、わたしのお気に入りのスニーカーが軽く沈んで、砂を蹴立てた。
 一体、誰のために履いてきたのだろう、とわたしは思った。蛍光グリーンの紐が通ったスニーカーを、わたしはタカシのために履いてきたのではないし、ましてや貴志くんのためでもない。かと言って、わたし自身のために履いてきたわけでもなかった。誰のためでもなく、三年間履いてきたお気に入りのスニーカーで、今、砂浜の上に立っている。
 あれから二年になる、三年になる、十年になる。
 十年前、関西地方で起きた大きな地震で、たくさんの人が亡くなった。北海道で住んでいたわたしは、当時十一歳で、その時亡くなった人の多さや、ひとりひとりの大きさのことを、よく理解できなかった。学年が変わって小学校六年生になった頃、児童会活動の一環として、被災者のための募金をした。これで何かが終わるわけではない。わたしはまだ十一歳だったけど、そのことだけは漠然と知っていた。
 胸が大きくなり始めたばかりだった。男子のことがすごくうとましく感じられた。男子を見下すようでもあったわたしたちの態度は、男子からも嫌われていて、ある男子に運動靴を遠くに放り投げられたこともあった。拾いに行くこともできず、(靴下が汚れるのがいやだった、)わたしが下駄箱で困っていると、貴志くんが何も言わずに歩いていって、靴を拾って帰ってきた。貴志くんはわたしの前に靴を揃えて置いた後、そのままわたしに背を向けて、グラウンドの男子の輪の中に駆け戻った。あの時のことを覚えていたのかどうか。タカシや優と一緒に何回も会いながら、わたしは結局、貴志くんに訊くことができなかった。
 あれから十年になる、三年になる、二年になる。
 「なあ、ゆう」久しぶりにそう呼びかけられたので、わたしにはそれが、誰のことだかわからなかった。「一年後も、また、ここに来ないか?」
 「うん。いいよ」
 タカシに「ゆう」と呼ばれるのが、わたしは好きだった。タカシのことを「タカシ」と呼ぶのも、わたしは好きだった。わたしたちがわたしたちじゃないみたいで、かと言って優や貴志くんでもないみたいで、どこにもいない誰かみたいで、だからこそ、どこにでもいる、いつまでもいる、見えない誰かみたいで。わたしたちみたいで、好きだった。
 夕暮れの砂浜を、パレードが歩いていく。波に打たれてはまた現れる平らな砂の上、音もなく、けれど楽しそうに、見えないパレードが歩いていく。海のむこうで、陽は赤く濡れながら燃え盛り、今も大きく揺れながら、穏やかに沈んでいる。黒々とした巨大な水の表面を、結ばれては掻き消える神経みたいな泡の波打ちを、夕焼け色の光が薄く果てもなく照らしている。
 パレードの列に加わることもできず、けれど拒まれることもないままに、わたしたちは砂浜に立っていた。砂浜に立って、海を見ていた。やがて、日は沈み、わたしたちは海に背を向けて、帰って行った。車に乗せてもらうことは遠慮した。海の近くの喫茶店の前で、わたしとタカシは手を振って別れた。タカシの車にエンジンがかかる音が、背中越しに聞こえた。タカシの車はわたしを追い越して走っていった。
 わたしとタカシの、そして見えないわたしたちの日々は、背中合わせでつづいていく。夏の夕空は夜へと向かい、しずかですずしい薄墨色が、地面まで一面に降りていた。わたしのスニーカーの蛍光グリーンの紐は、一歩踏み出すたびに他愛なく揺れた。足が地面につく瞬間、紐は靴の脇腹に当たって、軽い音を立てた。


2006年5月12日金曜日

詩はロックだ! かかって来い!


初出『BIRDMAN』http://birdman.serio.jp/内の特集
「詩を初めて読む人に捧げる詩」。かれこれ、三年くらい前の
文章になりますし、阿呆な大学生の若書きにしか過ぎませんが、
改めて、現代詩を難解だと感じておられる人々に捧げます。


詩を普段お読みにならない方、はじめまして。増田考志と申します。
もう、かれこれ三年以上詩を書いています。今の僕は、詩なしでは
語れません。しかし、ここで告白しておきたいことがあります。
それは、高校のある時期まで、僕は詩が大っっ嫌いだった、
ということです。それこそ、吐き気がするくらいに嫌いでした。
どうして嫌いだったかというと、理由は二つ思い出せます。

1.「比喩って何やねん。 言いたいことがあったら正直に言えさ。」
2.「言いたいことはわかった。で? だから何やって言うの?」

一点目について言うと、僕には、比喩を使う意味がわからなかった
のです。なんかもったいぶったような、見た目すごそうな言葉が
使われていて、みんなでそのすごさを競い合っている風なのが、
気色悪かった。「「緑の髭の生え初めた平野」やと? それで何か
すごいことを言ったつもりなんかい? センス自慢なぞいらんわ」
といった感じでしたね。

二点目について言うと、これはもう詩が書かれるということ、
そのものの意味を否定していて。たとえば、有名な「山のあなた」
なら、「山のあなたの空遠く/「幸」(さいはひ)住むと人のいふ」
に対して「で? だから?」となるわけですね。「山のむこうに
幸せが住んでいるらしくて、あなたたちはそれを尋ねていったけど、
泣きながら帰ってきたのね。で? それがどうかしたの?」と。
こんなこと言われたら、詩人はブチ切れるしかないですよ(笑)。
しかし、それが僕の本心だった。

学校の授業でも、詩はとことん面白くなかった。
比喩が何を指しているか、とか、作者は何を言おうとしているか、
とか、そういうのは教えてもらえるのです。でも、それを知っても
「ふ~ん、そうだったの」という納得以外、特に得るものはない。
結局、すべては「だから何やねん」に行き着くばかりでした。

そんな僕を変えたもの。それは、次の言葉でした。

 象徴の効用は、象徴の助けをかりて詩人の観想に類似した一つの
 感情を読者に与えることにあって、必ずしも同一の概念を伝えよ
 うと勉めているのではない。だから、静かに象徴詩を味わう者は、
 自己の感興に応じて、詩人もいまだ説くに至っていない言葉にな
 らない妙趣を楽しみ、めで、手に入れるべきである。 (上田敏
 『海潮音』 の序文(?) ただし、増田が勝手に現代語訳した)

「なるほど!」と思いました。つまり、詩に言われているのは、
なんらかの「概念」ではなくて、何ともいえない「妙趣」であり、
それを感じ取ればいいのか、と。そう納得したのです。
こうなってくると、「で、何やねん」(この文であなたはどういう
「概念」を我々に主張しているか)は大事ではなくなって、
むしろ、その手前にあるもの(この言葉から、我々がどのような
情感を受け取ることができるか)が大事になってきますよね。
けれど、その「妙趣」を、どのように感じればいいのか?
それが、僕の次の問題として出てきました。

結局、僕がとった方策は、「何でやねん」を極力留保して、
作者の言葉どおりに思いをはせることでした。「山のあなた」なら、
山のむこうの空遠くに、何かよくわからへんけど「幸」がある、と、
とりあえず思い描いてみるのです。そうすると、不思議なことに、
それが気持ちよかったのですね。「山のあなたの空遠く」っていう
のが、すでに広々とした景色を僕の胸のうちに広げてくれますし、
そこに住んでいるが「幸」ですから、その広がりが何とも言えず
美しいものに感じられる。とてつもなく広い青空と、その向うの、
なにか透明で水玉みたいにきらきらしているような「幸」が、
僕の心を満たしました。「なんだこれは!?」と思いましたね。
小説でストーリーにジンと来てるのとは、全然違う魂の充実感。
それが、僕が詩にはまり出すきっかけでした。

ちなみに、比喩の問題も、上の方策によって解決されました。
「緑の髭の生え初めた平野」なら、実際の風景、すなわち
芝かなんかが生え始めた平野を想像しつつ、その芝が髭だと
想像してみる。すると、芝が何かすごく生々しいものに思えて
きますよね。しかも、髭を生やしている人のあごなり何なりが
あるはずで、それが「平野」なのです。なんと広大なあご(笑)。
普通ならば曲面を描くはずのあごが、平野なのですよ。その、
言い知れぬ広大さ。それならば、その平野は神様のあごみたいな
ものとして、永遠に広がっているのかもしれない。そして、
そこに生えたばかりの髭のか弱さ、やわらかさ、さらには
希望に満ちた若さなども、「生え初めた」から感じられる
(実際に髭が生え始めた頃のことを思い出していました)。
それらを、自分が今その平野にいるようにして、時にはそこに
寝転がっているみたいにして、五感全部を使って感じること。
それが、詩の言葉が僕に与えてくれる独特の心地よさでした。

たとえば、音楽を聴く時に、誰も音に「で、何やねん?」とは
言いませんよね。イングヴェイの壮絶な速弾きを聴いた後で、
「それで、何が言いたいの?」とは誰も聞かないわけです。
「「Ace Of Spades」の出だしの恐ろしいエネルギーはわかった。
レミーもすごい勢いでベースを掻き鳴らしてるね。で、何?」
なんて言ったら、逆にその人が聞き返されるわけです。
「何って、何? あんたは一体何を期待しているの?」

ロックを聴くことは、そういうことじゃない。ごつい音に包まれ、
身体中の血が騒ぎ肉が踊り出すような、そういう感覚に浸ること。
それが、ロックの楽しみであるのです。詩も、これに近いのです。
向うから飛んできた言葉を、ノートに整理して他人事のように
眺めているのではなくて、自分の身体ひとつで受け止めること。
その言葉の世界の中に身体全体で巻き込まれていくこと。
詩で想像するとは、そういうことではないでしょうか。

結局我々は、トニー・アイオミのリフを聴いて「おお! 渋い!」
と叫ぶのと、同じことをすればいいのです。音に頭を振るように、
言葉に魂を打たれればいいのです。もちろん、これは極論です。
戦後詩がそもそも思想と対峙できるような詩を目指して築かれた、
ということを考えれば、上の主張は詩を野蛮さの中に戻すことに
他なりません。けれど、詩の思想性も何もかも、結局最後は
この「おお、すげえ!」に行き着くものであり、あるいは
そこから出発するものであるのではないでしょうか。

いわば、詩の当然の前提として、この「おお、すげえ!」があった
わけです。その前提の上で、思想による統御や詩法の洗練などが
行われた。今の我々は、その当然の前提を教えてもらえないし、
詩を見ても「おお、すげえ!」を生む装置が複雑化しているから、
今日では詩がそもそもそうやって楽しめるものだってこと自体、
わかりにくくなってきている。結局はそういうことだと思います。

言葉はえげつない相手です。我々の想像力がどんなに頑張っても、
言葉が言おうとしたことに追いつくことはできないのでないか。
そう思います。その、不可能なギリギリのところまで、自分の
想像力を広げていく試み。そして、単に想像しているだけでなく、
自分の身体全体でその想像した世界、言葉の世界を感じること、
巻き込まれていくこと。それこそが、詩の何よりの楽しみであり、
その楽しみを知ることで、あなたはもう詩なしではいられなくなる。
僕は、そう期待しています。なんていったって、この感覚の解放は、
想像力の充溢は、他のジャンルではなかなかないことですから。


 7 庭園

 館の前庭に茂りに茂った人工の植物の一本一本の茎に、海緑色のバッタがとまって、みな一様に館の戸口をうかがっている。だが、その茂みの一ばん奥には、体長二メートルあまりの、ひとの顔した肉食のバッタがひそんでいて、月の出時に、その顔が館の窓からほの白く見えることがある。(それから、そのひときわ長い脛も)

   (入沢康夫 「『マルピギー氏の館』のための素描」より)

この詩にぞくっとしたなら、なにかおどろおどろしいものを
感じたら、それがすなわち詩のヘビーメタルの一撃ですよ。
その一撃の強烈さ・ガツンと来る感じをいま感じられたこと、
これからも、きっと大事にしてくださいね。

2006年5月7日日曜日

自由詩 「メモ帳 2」


   二〇〇五年七月?日


 虫を見ながら、元AV女優が言う(生まれた時から虫。こせこせ動き回って、生き、そして死ぬ)。
 「生き物って、どうして生きてるんだろ?」
 生き物が誕生したわけとは何か。なぜ、最初の生き物は生きようなんて思ったのか。生き物でないものから生き物になった最初の生き物にとって生きるとは、一体なんだったのか。生きないこととどのように異なっていたのか(「Ishkar」=「神様の作った河」にテーマ的につながる?)



   二〇〇五年八月十一日


 scene 10 千歳市
・栄さんからのメール(九月づけ)
・(暮れゆく時間、刻一刻、
・過去と今とをつなぐ風(飛行機の中の、甲子園帰りの高校球児(?))
 (作者に作られてある自分に対する「怒り」を感じながらも、「風」に可能性を見つけつつある)
・鮮やかな色に変わりゆく
・封筒の鳴らない現在を、受け止められるように。
・耳を、澄ます



   二〇〇六年四月?日


そして、手紙はいなくなる。
長びいた春は終わらないまま、
つづいていくあしたの花びらばかりが、
窓枠に吹きだまり、

そして、手紙はいなくなる。



   二〇〇六年五月七日


 贖罪? 我々は罪を負わされているのか? もしそうだとしたら、その負債はどこで、どういうものとして、誰に返せばいいのか。晴れ上がった大通り。重くもない空を仰いで、一人で歩いていくしかない私、また私。

 「神様、神様」

 わたしはわたしがどうしてそんな言葉をつぶやいていたんだろう。英美と一時に待ち合わせをして、アーケードの下で座って待っている間も日向はよく晴れていて気持ちよさそうで、陽の色に満たされた街並みがあたたかくふくらんだ風に吹かれて穏やかに渦を巻いているように思えたその風は、さっぱりとした肌触りで時々吹き抜けた、何筋にも枝分かれしていくうちの幾筋かが見えない曲線を気まぐれに描いては、座っているわたしの所に届いたり届かなかったりした。





今回の「メモ帳 2」は、「メモ帳」と同じように実際のメモ帳からの抜粋・引用を基本としたが、一部、あまりにも意味不明になる部分には言葉を補った。また、二〇〇六年四月のものは、ノートとしてのメモ帳ではなくケータイの「メモ帳」に記録されていたものを使った。
 二〇〇五年八月十一日のメモにおける「鮮やかな色に変わりゆく」は、ZONE「glory colors ~風のトビラ~」からの引用

2006年4月27日木曜日

わたしはひとり








この舟にひとりひとりと菜種梅雨




2006年4月17日月曜日

「私」という技術


 ええ~っと。何だかむずかしそうなタイトルですけど、今回は、くだけた感じで書いてみますね。まず、何で書くかと言うとですね、よく、詩を書いている方で、技術のことをすごく嫌いな方がいますよね。そういう人にとっては、たぶん、詩の技術って言うのは、「詩を綺麗にまとめるためのもの」「詩をかっこよく見せるためのもの」って感じだと思うんです。で、そういう技術が嫌で、「自分はありのままの気持ちを書くんだ!」みたいなことを主張していらっしゃる。いらっしゃるわけです。
 でも、私にとっては、技術ってそう言うものじゃないんじゃないかな、って思うんです。じゃあ、どういうものなんだ?と言われると、なんか、「「私」という技術」としか言えないんですけどね。でも、それじゃあ意味不明でしょ?(笑) だから、何とかその「「私」という技術」のことを書こうかな、と思ったわけです。

 いきなり話はトビますけど、みなさん、「正座」にどんなイメージを持ってますか? 窮屈? 足がしびれる? 体罰のひとつ? 束縛されていた古い日本の遺物?
 たしかに、私もそのように考えてました。足もしびれるし、こんな姿勢を強要されてた昔の人って不幸だったんだな、なんて思ってました。でもね、大学に入って合気道をやるようになって、そこで、膝行(しっこう)っていうのを教えてもらったんですね。これは、正座した姿勢から立ち上がらずに移動するってものなんですけど、むずかしいんです、これがまた。でも、これができなきゃ話にならないってことで、頑張って稽古しました。膝が破れて胴着の腰下(こした)が血だらけになるくらいに稽古しましたよ、ええ(笑)。
 そしたらね、どんどん楽になってきたんです。正座でいることも、そこから動くことも。なんにも無理しなくても、正座の姿勢から自然に前に進めるし、後ろにも下がれるし、くるりん、と180度回転することもできる。た~のしいんだな、これが。いちいち立ち上がらなくても、何でも出来ちゃうんですから(笑)。
 これが楽だってことは、うちのおじいちゃんが亡くなった時のご葬儀で実感しました。ご焼香とかの時に、「よっこいしょ」って立ち上がって前に行って、戻って来て、また座って、なんてことしなくてもいいんですよ。正座している所からさっと前に出て、そのままご焼香を済ましてさっと後ろに下がって、はい、おしまい(笑)。

 そもそもね、正座っていう姿勢は、今のように椅子やテーブルのある時代に生まれたわけではないわけです。腰かけるところもなくって畳に直に座らなければならなかった時代、それにくぐり戸とかの背の低い戸とかが普通にあった時代に生まれたわけですよ。足を伸ばしていてそこから「よっこいしょ」と移動したりするんじゃなく、いちいち腰を曲げてくぐり戸をくぐったりするんじゃなく、正座を基本にしてそのままで移動できたら、動きもスムーズだったろうし、何より、そういう建築の条件に束縛されなくて自由だったと思うんですね。逆に言うと、正座と言う一つの姿勢の中に、日本の建築が生み出す空間が現されていたんだと思うし、そのような建築空間を生んだこの日本の風土とか精神性とかも全部現されていたと思うんだわ。正座は、そういう日本の世界観と言うか宇宙観みたいなもの、そういうものが形になったものの一つだったんじゃないかな。それも、ただその環境の中で束縛されてるって言うんじゃなくて、その環境の中にいながら、同時にその環境を超えて自由であるってことだったんじゃないかな。そう思うんですね。

 こういうことを書く時、いつも思い出すんですけど、みなさん、『千と千尋の神隠し』は観ました? あの映画の中で、主人公の千尋は最初、引越しで小学校の友だちと離れることが嫌で、駄々をこねているんですね。それこそ、手足をばたばたさせて。で、そういう千尋が古い日本みたいな別世界に紛れ込んじゃうわけです。その時、千尋はずっこけまくっているわけです。くぐり戸では頭を打ち(たしか)、雑巾がけをしては滑ってぺしゃんこになって。
 そんな千尋が、たしか映画の後半になった辺りで、くぐり戸をくぐるシーンがあるんです。その時、千尋が正座の姿勢のままですっと戸をくぐって、戸をぴしゃっと立て切るんですね。ここ、私にとっては、「わー」としか言えないシーンなんですよ。そして、千尋はその別世界から帰ってくる時には、自分の身体の扱い方も心得ていて、友だちと離れる悲しさに向かい合うやり方も知っている。そして、自分の気持ちに引っ張られて駄々をこねるんじゃなくて、その気持ち全体を抱えることも見つめることも誰かに伝えることも出来るようになっている(少なくとも、観客である私には伝わっちゃった)。それが、すごいなあ、と思ってしまったんです。
 もちろん、こんなことを書いているからと言って、私は「今の若者に正座を教えるべきだ」なんてことを考えているわけではないですよ(笑)。だって、私たちは椅子とテーブルのある時代に生まれたわけだし、正座は日本の建築空間や宇宙観と結びついてこその正座であるわけで、結びついているからこそ、そこから自由にもなれる姿勢だったわけでしょ? そういうものから切り離されたただの正座、正座のための正座を練習したって、そんなの、意味ないっしょ。だべ?(笑)

 んでね、ここから詩と技術の話に戻りますよ。やっとだわ(笑)。
 私たちってね、どこにいても、その環境から自由ではないんだと思うんです。例えば、「自分の気持ちを自由に書きます!」って言っても、それは私たちが持ってる日本語を使って書かなきゃいけないでしょ? それに、私たちが「自分の気持ちを正直に」って言っても、それは結局は、「自分の気持ちを正直に表現する文章」を真似ることになっちゃうかもしれないわけです。
 悲しいから「悲しい」って書いたとしても、それは、元々は言葉で書かれていない感情と言うか、もっと大きいもののことを、ただ「悲しい」っていう言葉にしただけで、その感情の中にあるもっと大きいもの、悲しいと感じている私の全体とか、そもそもその何かを悲しいと思う自分のこととか、その自分と関わってくるこの世界の色々なこととか、それと自分が関わっている関わり合い方とか、……そういうものは、書けないことになっちゃうよね。
 しかも、そういうのって結局、「あなたが今直面していることは「悲しい」って言う感情なんですよ。それを「悲しい」と書くことが、あなたの気持ちを正直に表現したことになるんですよ」っていう誰かのささやき(笑)にそそのかされただけだべ? 騙されてるよ(笑)。それって、本当に自分をありのままに表現したことになるのかなあ?

 それってね、私にとっては、なんだか駄々をこねてる千尋みたいに思えるのさ。自分の気持ちを全身で表現しているように見えても、実際は自分の気持ちとか、気持ちを超えてもっと大きいもの、えーっと、世界って言うか「私」? その「私」全体のことを見られていないし、見るための術も持ってないし、その全体を伝える術も持っていなくて、ただ、不自由さの中でもがいているだけ。そういう風に見えてしまうんです。
 でもね、そんな千尋も、その術を手に入れるわけなんです。ちょうど正座と言う一つの姿勢がね、一つの姿勢の形をとって日本の建築空間や宇宙観を現していたように、表情だとか言葉だとか歩き方だとか、あー……生き様って言うのかな、何かそういうものなんですけど(笑)、そういうものを通して、千尋全体を現すことができるようになってしまうのですよ。この時、千尋は一人の「私」として存在したな、なんて私は思うわけです。映画っていうフィクションの中でですよ、一人の「私」として立ち、座り、歩いていくことが出来るようになった。その動作とか静止とかの一つ一つの形が、すべて千尋の「私」と結びつきあって、形にはならないような大きなその「私」を形一つ一つの中に表現している、そんな一人の「私」としてゆるぎなく存在できるようになった。……う~ん、うまく言えてるのかな……。まあ、そんな風に感じちゃったわけです、はい(笑)。

 ちょっと前の部分で、私は悲しいことを「悲しい」って書くことを非難するみたいなことを書いちゃいましたけどね、実際は、それもそれでいいんだと思ってるんです。その「悲しい」って言う言葉の中に、「悲しい」っていう一言では現しきれないような「私」全体が込められているんだったら、それはそれですごい言葉なんじゃないでしょうかしら。
 って、こんなことを書くと、何て言うんだろ、詩の技術ってものが、Aっていうものをどれだけ正確にAとして読者さんに届けるか、っていうものになっちゃう気がして、それだったら最初に書いた「詩の技術」と何にも変わりなくて堂々巡りになっちゃうんだけど。違います!(笑) ええ~っと、……詩の技術ってそういうものじゃなくて、そもそもAである「私」を見つけられるようになるための技術って言うか、本当にありのままに見られるようになるための技術って言うか、そう言うものだと思うんですよね。自分でも見られるようになって、それが文章になるから、読者さんにも届く、と言うか。これって、逆に言うと、ありのままに書けるようになることで、自分のありのままの見方が初めてそれとして見つかるって言うことだとも思うんです。再発見みたいに思えるかもしれないけれどね。でも、形になったものと出会うってことは、やっぱり初めての出会いでもあるんじゃないのかな。何度でも見つけて、何度でも初めて会う(笑)。
 して、そこで見つかるAである「私」っていうのもね、Bである「私」とかCである「私」とか、そういうものと結びつきあって、「私」全体になっちゃう。そんな「私」全体を、見られるようになる技術。そんな「私」全体が見えてしまうような形や、それを現す形としての技術。詩の技術って、結局そう言うものだと思うんです。それはもっと言っちゃうと、詩なら詩、小説なら小説、音楽なら音楽って言う形を通して、っていうかそういう形を通ることで、そこには収まり切らない自分を、一人の「私」を存在させる技術でもあるんですよ、たぶん。一つの形を取りながらね、その形から自由になっていく。あらゆる形から自由になっていく。昔の日本人が、正座をすることで、日本の建築空間の中で自由になっていったように、ね。

 したっけ、そうやって自由になった「私」ってのは、今ここにいるしかない私って言う個人からも、やっぱり自由になれるんですよね。「私」全体を見つけることで、「私」を通して色んな「私」と結びついていくって感じかなあ。逆に言うと、一つの形を取ることで、それを通して、その形の中に「私」と関わる世界や時代とか、もっと言うと時代も何もかも超えた様々な「私」の全体を、現してしまう。よく、芸術の意味みたいなものを、感情移入に求める人がいるっしょ? でも、私にとっては、その感情移入みたいなものも、上に書いたようなところとつながってくるものに思われるんです。
 んで、神話とか、非人称の芸術みたいなものもね、これと同じことに、逆の方向からライトを当てているだけなんだと思う(と言ったら、言いすぎかな)。そういうものって、いち個人としての「私」の側から書かれたものなんじゃなくて、それらが結びついていって世界全体になって、いち個人が見えなくなったような側から書かれたものなんじゃないでしょうか。でも、その誰も見えないような世界の中には、やっぱりいち個人としての「私」も含まれていくんですよ。でなきゃ、そもそも神話が人の手によって書かれる必要はなかったと思うし、それが人々の口から口へ伝えられてくることもなかったと思うのね。っていうか、神話の話に限っちゃうと、神話は基本的には口承文芸であるわけで、そこにはそれを謡う人の声や、その人なりの表現とか改作とか、それを聞く人たちの声とかも宿っているはずなんです。して、その人たちの死も越えて、神話はその人たちの声を含みこみつつつづいていく。それはちょうど、「私」が死んでも世界はつづいていくっていうことを言ってくれているみたいで、それだからこそ、神話の口承に関わった人たちやそれを聞く人たちは、「私」の声っていう形を通して、いずれ死ぬしかない私から自由になれたんじゃないかな、なんて思うわけですよ。
 現代の非人称芸術になったら、ちょっと話は変わっちゃうんだけどね。口承文芸でもないわけですし。でも、それも結局は、「私が死んでも世界はつづいていく」っていうことを言おうとしているようにも思えるし、映画の中に取り込まれちゃって駄々をこねるしかなくなった私を、私を超えた「私」全体として存在させるために、世界全体を存在させようとしているようにも思うんです。それは別の言い方をすると、個々の映画の世界を一旦更地に返す芸術、個々の映画を超えて広がるスクリーンの白へと還元していく芸術、個々の映画の色に紛れて見えなくなっている白い根底を剥き出しにする芸術、なんじゃないかな。してそれって、やっぱり、世界全体という方向から「私」全体へとつながって、最終的には「私」を存在させる、「私」全体を取り戻させつつ自由にする、そういう芸術だと思うんです。って、やっぱ、いつもの思い込みかな?(笑)

 なんか、すごいところまで行き着いちゃいましたね。はい、勉強になりました(笑)。このままだと収拾がつかないので、ちゃんとおさらいしておきますね。詩の技術って言うのは、「詩を綺麗にまとめるためのもの」「詩をかっこよく見せるためのもの」なんかじゃなくって、ありのままに見られるようになる形、ありのままに見られるようになることを通してありのままに書けるようになる形、逆に言うと、ありのままに書けるようになることを通してありのままの自分の見方を発見する形、ありのままの自分の見方を何度でも見つけて、それと何度でも初めて出会う形、一つの世界の中でそれに収まり切らない「私」全体を存在させる形、そうすることで「私」を自由にしていく形、世界全体を存在させる形、……なんか、「ありのまま」と「形」ばかりになっちゃいましたけど!(笑)そういうものだと思うのです。一言で言って、詩の技術とは、「私」と世界を存在させる技術、「私」という技術です。まとまりましたね、うわーやったー!(笑)


2006年4月15日土曜日

小説 「明日のない今日」 (後半)


 「何してるの? さっきから」
 不思議そうな顔をして、朋子が僕の顔を覗きこんでいる。僕は、自分の右手が胸の前で奇妙な動きを繰り返していることに、その時唐突に気がついた。
 「ああ、これね、トリプル・ストラムっていうんだ。ウクレレの弾き方」そう言って、僕はゆっくりやってみせる。「四つの弦を人差し指で弾いて、――あ、ウクレレはギターと違って四弦しかないからね、――その四つの弦を人差し指でこう、下向きに弾いて、次は親指で上向きに弾く、で、最後はこうやって人差し指で上向きに弾く。これがトリプル・ストラム」
 「へえ、すごいね」そう言って、朋子はミルク・ティーを飲む。コーヒーは苦手なのだそうだ。店の引き戸の前で、積もった雪を払っている時に、独り言のようにぽそりとそう言っていた。カップを置いて、彼女がいたずらっぽく笑いながら僕をたしなめる。「どうでもいいけど、コーヒーこぼさないでね」
 僕は小さく笑って応えると、いつからか自動的につづいていた動きをやめて、コーヒーカップを手に取った。
 「でも……」と朋子が急にさびしそうな顔になって、口を開く。「やっぱり、違うね」
 「何が?」僕は、変に不安になる自分を感じながらも、できるだけ自然にそう聞いた。
 しばらく黙ってから、朋子はしずかに話し始める。「さっきのトリプルなんとかだけどさ」
 「うん」
 「いや、……波」
 「波?」
 「うん、波」
 そう言って、それきり朋子は黙ってしまった。僕は、再び辛抱強く待たなければならなかった。
 「右手の動きとか、それが作るリズムとかが、わたしたちのギターとは違うなあ、と思って」彼女がまた口を開いた時には、僕のコーヒーはぬるく、残り少なくなっていた。「手首のふわふわした動き、バネみたいに弾ける指の動き、わたしたちには、きっと無理だから」
 そう言って、彼女は笑ってみせる。それは特別かなしそうな笑顔ではなく、むしろ朗らかなくらいだったのだが、そのために却って、彼女の表情は僕の心にまっすぐ入り込んできた。テーブルの向かいの奥まったところ、僕の手も届かないほど遠いところで、白い顔がさばさばとした表情で笑っている、ずっと笑っているのだ、今でも。
 この時、僕は彼女を慰めるべきだったのだろうか。「いや、やってみたら意外とできるようになるもんだよ。気にしないで」とか軽々しく言うべきだったのだろうか。しかし、その言葉は何か、根本的に間違っている気がした。朋子が言っているのは、努力とか身につける能力とか、そういうことでは多分ないのだろう。では、いったい彼女は何のことを言っていたのか。そして僕は、この時彼女にどう答えればよかったのか。

 「ねえ、ちょっとお願いがあるんだけど」と朋子は言った。「ウクレレのコード、やって見せてよ。エア・ギター、――いや、エア・レレって言うのかな、――まあ、とにかく、エアでいいからさ」
 「え? ……うん、いいよ」さっきまで言うべき言葉について悩んでいた僕は、突然の申し出に不意をつかれ、少々戸惑った。けれど、この言葉で彼女の中の何かが切り替わったような気がしたので、僕も気持ちを切り替えて、いくつかのコードをやって見せた。できるだけ、明るいコードが多くなるように。
 ほの暗い店内の何もない中空に、僕の指が、いくつもの形を一瞬固定させては、たちまち崩れていく。それをずっと見つめていた朋子が、「同じだ」と言って、笑った。その目は涙で濡れているようにも見えたが、本当に彼女が泣いていたのかはわからないし、今となっては聞くこともできない。「わたしたちと、同じだ」
 彼女は笑いながら、テーブルの上に左手を置いた。すぐ近くにあるキャンドルの光で、手の甲がより一層なめらかに見える。小刻みにゆらめく光に照らし出された彼女の指先は、一見してわかるほど皮が分厚くなっていた。おそらく、これまで相当ギターを弾いてきたのだろう。僕は不意に、すぐ近くにあるその手を握りしめたくなった。けれど、それはいくらなんでも唐突だろうと、あと少しのところで我慢した。自分の指先に集中している僕の視線に気がついて、彼女は恥ずかしそうに左手を引っ込める。
 「手を見られると、照れるよね」そう言って、照れ笑いを浮かべた。「わたしの父さんや母さん、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんの手は、きっと他の人にも誇れるんだろうけど。わたしの手は、まだまだきれい過ぎる。だから、汚い」
 それから、朋子はしずかにミルク・ティーを飲み干した。そして、こんな言葉を最後に残して、彼女は席を立った。「ああ、あったかくなった。これでやっと歌えるべさ」

 コートを脱いでニットだけになった背中は、雪でできたあたたかい壁みたいだった。右手には、ギターケースを提げている。喫茶店の奥の方に、小さなステージのような所があり、そこにはマイクもおかれていた。彼女はそこに立ち、ギターをケースから取り出して、コードをアンプにつないだ。スピーカーのヴォリュームを調整し、ピックを持って軽くコードをひとつ弾いた。その時だった。小刻みに揺れていた僕のテーブルのキャンドルが、消えた。
 彼女の歌は、淡々としていて、それでいて切実に胸の中に染み入ってきた。札幌の夜気のようだと思った。ギターのストロークは、特別うまくも激しくもなかったが、ひとつひとつ、まさに今ここで刻まれている音で、今ここでふるえ、そして消えていく音で、僕はその音の流れにいつしかいっぱいに満たされてしまっていた。他のお客さんは、何人かは彼女の方を見ていて、何人かはそこで何も起こっていないかのようにコーヒーを飲みつづけている。それが、マイクの前でただギターをストロークしているだけの彼女の姿、本当にただそれだけなのに、他の何ものにも変えがたくかっこいいその立ち姿を、しずかに引き立てていた。彼女のピックが独特の曲線を描きながら六つの弦を撫でるたび、僕は彼女が言った「波」という言葉が、どんどん僕の内部へと差し込まれてくるのを感じていた。
 キャンドルは消えている。彼女はギターを弾きつづけている。僕は暗いテーブルから、やや明るいステージの上の彼女を見ている。僕から彼女は限りなく遠い。誰も、僕の方を見ない。彼女はこちらを向いているが、きっと、僕のことなど見えてはいないし、僕のことなど知りはしないだろう。朋子は歌いつづけている。彼女の左手が、六つの弦の上にいくつもの形を一瞬固定しては、たちまち崩れていく。僕は、その店内にもいない。僕は、どこからも引っ込んだ場所にいて、結局のところどこにもいない。そこは暗く、こちらからは色々なものが見えるけど、むこうからこちらのことは、一切見ることができない。逆に言えば、僕はどこにもいないからこそ、さまざまなものを絶望的に見つめつづけているほかないのだ。そして、どこにもいない僕のことは、僕自身からも見ることができない。僕は、この席から立ち上がることすらできない!
 しかし、朋子は歌を歌い終わってしまった。彼女は片づけを終えると、ギターケースを提げてステージからこちらへと戻ってきた。僕は、ポケットの中を必死に探した。火を灯さなければならなかったからだ。僕はキャンドルに火を灯し、このテーブルをもう一度照らし出さなければならない。しかし、ポケットの中にマッチはなかった。どれだけ探してもマッチはなく、それはホテルの部屋のテーブルの上にある。僕はそれを、目の前に見つめつづけている。

 部屋はしずかだった。橙色の照明に、どこからともなく照らされて、木製のテーブルが薄暗さの中で四角く縁取られている。その上に小さなマッチ箱がひとつだけ乗っていた。マッチ箱は薄っぺらだったが、しかし、あまりにも濃い紺色をしているせいか、持ち上げることができないくらいに重く見えた。いや、むしろ、手を触れることさえできないみたいだ。それは影のように実体がなく、目にはたしかに見えるのだけれど、光によって見えているのではなく暗さによって見えている感じで、奥行きがない。奥行きがないのだけれど、それが薄っぺらさや軽さを感じさせるかといえば、必ずしもそうとばかりは言えず、軽いことでどこまでも重く、薄っぺらなことでどこまでも深くて、けれど、鉄をもった時のように重いわけでも谷底を見つめた時のように深いわけでも当然ないのだから、結局のところ、何を言ってもそれはやはり影のようだった。
 もちろん、こうやって語っている間にも、こんな言葉とは無関係にマッチ箱はテーブルの上にあって、僕の目から離れない。僕は夜の札幌で立ち止まり、生き物みたいに渦を巻く雪を見つめているのだ。僕の方へと、朋子が何回でもすうっと背中を向けて、滑るように闇の中へと歩き出していく。狸小路を二度通り過ぎる。足元に僕が倒れていて、「オンガクですよ」と朋子が言う。声がしたのは左の方だったけど、誰もいない。朋子がすうっと背中を向ける。「僕はヤドカリですかいな」「遠くから来たの?」震える帽子、あるいは吐きそうな帽子だ。朋子がすうっと背中を向ける。「あなたが朋子なら、わたしは紀浩でいいでしょう」
 そして、ステージから戻ってきた朋子が、僕の向かいに腰かける。この時、一斉に闇が轟音を立てた。ピアノのすべての鍵盤を一斉に叩いたような不協和音が響き、それは不思議ときれいな和音のようにも聞こえ、あるいはそもそも音など何も聞こえなかった。いつまでも消えないその残響の中に腰を落ち着けて、朋子がこちらへと親しげに笑いかけている。そして僕には、もはや答えるべき言葉も伸ばすべき手もない。

 海岸にいた。海を見ていた。空は鈍色で、小さな粉雪を狂ったように舞い躍らせている。振り返ると、雪に埋もれたなだらかな丘が見え、雪かきもされていないその丘には、たった一つの足跡もない。丘の斜面に棒杭が何本か並んで立っていて、雪の下から、蓬の穂が顔を覗かせているのがかすかに見える。丘の上の方に、民家が一軒だけ見えている。丘のむこうには、きっと人が住んでいるのだ。電信柱が等間隔に何本も立っていて、そこから繋がっている電線が横様に空を切り分けている。しかし、空は圧倒的に大きく、重い。
 丘を降りてきた所には、何のためにあるのかわからない、骨組みだけの粗末な観測台がぽつんと建っていて、もちろんそこには誰も乗っていない。観測台は一つだけではなく、海と平行に点々と建っていて、それを追って視線を横に移動させると、視界の彼方で雪をかぶった巨大な山脈が、凍った高波のように鎮座している。かすかにのぞく砂浜の砂は、溶けた雪に濡れて黒々と硬く、その上で打ち寄せた波のいくつかが凍りついていた。積もった粉雪が、風に吹かれて海の方へとささあっと駆け出していく。そしてそのまま暗く重たい海の中に消えてしまう。
 真っ白な貝殻が、粉々に砕けて、黒い砂浜に陶器の破片のように埋もれていた。それは、白く凍りついて砕けた、ウクレレの欠片なのかもしれなかった。弾くべき楽器も、借りるための宿も、この海岸にあるはずがない。明日はなく、夜も朝もなく、ただ途方もない今日だけが、影のようにありつづける。重々しい波音。また波音。
 ここには誰もいない。「あなた」も、「僕」さえも。鈍色の空に投げるためのマッチは、丘のむこうの民家の中にだけ、あるのだろう。つららの垂れ下がる、要塞のような遠くの小学校から、子どもたちの嬌声が海鳴りのように聞こえつづけている。


小説 「明日のない今日」 (前半)


 部屋はしずかだった。橙色の照明に、どこからともなく照らされて、木製のテーブルが薄暗さの中で四角く縁取られている。その上に小さなマッチ箱が一つだけ乗っていた。マッチ箱は薄っぺらだったが、しかし、あまりにも濃い紺色をしているせいか、持ち上げることができないくらいに重く見えた。いや、むしろ、手を触れることさえできないみたいだ。それは影のように実体がなく、目にはたしかに見えるのだけれど、光によって見えているのではなく暗さによって見えている感じで、奥行きがない。奥行きがないのだけれど、それが薄っぺらさや軽さを感じさせるかといえば、必ずしもそうとばかりは言えず、軽いことでどこまでも重く、薄っぺらなことでどこまでも深くて、けれど、鉄をもった時のように重いわけでも谷底を見つめた時のように深いわけでも当然ないのだから、結局のところ、何を言ってもそれはやはり影のようだった。
 もちろん、こうやって語っている間にも、こんな言葉とは無関係にマッチ箱はテーブルの上にあって、僕の目から離れない。それを手に取ったかどうかは覚えていない。僕はマッチ箱を手に取ると、振り返って鏡の前を通り過ぎ、自動ロックのドアを開けて外に出た。廊下には赤の敷物が敷き詰められていて、同じような外観ではありながら、実際のところ一枚一枚違う表情をしたドアが、白い壁にふたつずつセットになって並んでいる。僕の後ろで重い音をたててドアが閉まった時、僕は不安になってポケットを布地の上から触ってみたけれど、部屋の鍵はちゃんとあるようだった。少し安心した。僕は廊下を歩きながら二度ほど曲がり、エレベーターを使って一階まで降りた。そして、フロントに鍵を預け、「いってらっしゃいませ」との声にわりと自然な笑顔で応えてから、一枚の自動ドアと一枚の引き戸をくぐり、雪が舞い狂う夜の札幌へと踏み出していった。
 しかし、こう言ってみても、やはりマッチ箱はテーブルの上にある。それは僕の目を離れず、僕はしずかな部屋の中で、じっとそれを見つめつづけている。

 外は、ひどく吹雪いていた。粉のように小さくてあたたかい雪が、夜の闇をほとんど隙間もないくらいに覆っている。薄く赤紫がかった街灯の下、積もった雪も風に巻き上げられて再び舞い上がり、降る雪と混ざり合いながら自由自在に大きな渦を巻く。それは、何か巨大な、それでいて塊でも有機体でもない生き物だった。それは僕の前にカーテンのようにかかっていて、けれどその中をほとんど抵抗もなく進んでいくことができる。僕の歩みによってあまりにも簡単にかき分けられていく波立ち。しかし、それでいて僕の頬に冷たく触れ、いつの間にか僕の上着を真っ白に変えてしまっている小さな粉粒。
 雪はしずかだった。風はびゅうびゅう鳴っていたのかもしれないし、そう思うとたしかに聞こえていたような気もしてくるのだが、僕が覚えているのは、夜闇の中で悠々としかし激しく巻き上げられている粉雪のしずけさだけなのだ。道も建物も駐車場の車も、みんな厚い雪に覆われている。なだらかに曲線を描くそのやわらかな面は、わびしくなるほど穏やかに止まっている街灯の光によって、白く照らし出されていた。
 どこをどう歩いたのか。街灯の灯りから灯りへと、僕は雪に足を埋めながら進み、僕の肩を越える積雪をあたたかく思いながら進み、曲がり角で曲がり、進んでまた曲がり、夜闇のむこう、葉を落とした高木の幾多の枝先が白骨化した指のように絡み合うのを感じておびえ、そして除雪車と乗用車によって均された道を横切ってまた曲がり、気がつけば、自分がどこにいるのかわからなくなっていた。
 一度、狸小路を左手に見ながら歩いていたのは覚えている。商店街のアーケードの上に雪が積もっていて、サラリーマンが二人ほど、その下で服の雪を払いながら騒いでいた。それを横目に見ながら通り過ぎ、それから何回か曲がって、もう一度狸小路の近くを通ったのだろうか。わけのわからないアーケードがあって、やはりその上でも雪が崩れ落ちそうに隆起している。震える帽子、あるいは吐きそうな帽子だ。アーケードの下に人はいない。何か棒切れみたいなものが二本落ちていて、その上にも少し雪が積もっていた。灯りが消えて薄暗い商店街は、ずっと奥へとつづいていて、果ては見えなかった。僕はその光景を右手に見ながら進むと、道路を渡って向かい側の街灯の下へと歩いていった。
 いい加減、ホテルに帰りたいと思い始めていた。第一、何をしに出てきたのかすら定かではない。コンビニで明日の朝食を買うためだったかもしれないし、夜中に急にラーメンを食べたくなったからかもしれない。とにかく、僕は道に迷っていた。唯一たしかなことはそれだけで、僕にはもはや時間感覚はおろか、自分が歩いている感覚さえもなくなっていた。寒さも空腹もまったく感じない。あるのはただ、降り続く雪のしずけさと、代わり映えのしない景色、そして碁盤目状に規則正しく現れてくる道また道なのだ。本当に帰られるという気はとうに失せ、それによって支障を来たすであろう明日の予定についても、何一つ具体的に思い描くことが出来なかった。第一、明日とは本当にあるのだろうか。僕はいつしか立ち止まり、舞い狂う雪をしずかに眺めていた。

 道を渡り、しばらくまっすぐ進んでいく。そうすると、道の長さや幅などから、どうやら自分が東西に走る道の上を歩いているらしいことがわかってきた。奥へ奥へと突き進んでいたはずの自分の歩みが、実は横に移動していたのだとわかるのは奇妙な気分だ。僕は急いでいた。僕は帰らなければならなかったからだ。僕は帰って、明日迎えることになる明日に備えなければならない。誰がそんなことを決めたのかわからないが、とにかく僕はホテルに帰って明日を迎えなければならないし、そのことで明日は明日として僕とともに明日にならなければならない。
 札幌の交差点は、僕が生まれ育った京都の交差点よりも親切で、そこからの区画が何条何丁目になるのか、四つの信号の脇にそれぞれ案内を出してくれている。しかし、白地に青のその文字も、今晩は積もった雪にところどころ隠されていて、うまく読むことができない。バス停があると助かるのだが、と思いながら僕は歩きつづける。何となく、北に行くと帰られる気がしていたのだが、どちらが北かわからない状態で適当に曲がっても、それで南に進んでしまう危険性が非常に高い。そう考えていると、不意に雪に足を取られてふらついた。僕の脇、雪かきで積み上げられた雪の山は僕の身長を越え、その上の方から、風にあおられた粉雪がひっきりなしに逆巻いて、僕の頬を打つ。
 足元に倒れていた。本州のような形に積もり、なだらかな稜線を描いている分厚い雪の下で、足元に倒れていた。雪の下からのぞく細長いもの――それは、僕だった。そして、これまでずっと歩きつづけてきた誰かが、倒れたままで顔も上げない僕を、すぐ近くから茫然と見おろしている。
 いや、違う。それは、バス停の標識だった。それを茫然と見下ろしている、僕がいた。バス停に書かれた文字はやはり読めない。しゃがんで雪をぬぐう気にもなれなかった。第一、これは本当にバス停なのだろうか。「オンガクですよ」と朋子が言った。
 「え?」
 僕は不意をつかれ、声のした方を見る。声は左から聞こえてきたが、そちらには誰もいなかった。紺色に塗られた自動販売機が、雪の上にいやに白々しい光を広げている。
 「だから、これはオンガクなんです」
 もう一度声がした。バス停を見つめていた僕は不意をつかれ、声のした方を見る。声は左から聞こえてきて、そちらには背の低い女性が立っていた。彼女の肩越しに、紺色の自動販売機が放つ、いやに白々しい光が見える。
 女性は、黒いコートを着ていた。髪は短く、ゆるやかにウェーブがかかっていた。黒目がちの目はつぶらで、やや幼さを残す白い頬の上に二つ、濡れたサファイアのようにちょこんと並んでいる。僕と同じで、二十一歳頃だろうか。あるいは、彼女の方が二つか三つ年上なのかもしれない。黒い袖の下にのぞく手の甲は、透き通るように白く、なめらかで、かなしくなるほど小さく見えた。
 「音楽……ですか」
 僕は、彼女からバス停(らしきもの)に目を戻しながら、言う。
 「ええ、オンガクです」
 女性が、のびのびした声で答える。「オンガク」というのが、僕が思うとおり音楽なのか、それとも何か別の漢字で書かれるものなのか、そしてそれが、このバス停の名前なのか、それとも今ここで倒れているものそれ自体の名前なのか、僕には一向にわからない。
 「遠くから来たの?」と朋子が聞く。僕は、「うん、京都から」と正直に答える。「その割には、寒さに強いんだね」と言って、朋子が人懐っこい笑顔で笑う。テーブルの上で組んだ彼女の両手の、すぐこちら側で、一本のキャンドルの火が、小刻みにゆらめいている。
 いや、違う。それはもっと後の話だ。僕らは、札幌の街をさらに歩いた。彼女が僕をあたたかい店に連れて行くと言ってくれたからだ。というのも、僕が帰るべきホテルの名前さえ忘れていたからで、その上彼女がちょうどその店に行く途中だったからだ。彼女は、自分の名前を朋子と言った。僕は、自分の名前を紀浩と言った。彼女は僕にすうっと背を向けると、夜闇の中へと滑るように歩き出した。僕も彼女の背中を追ってたどたどしく歩き出した……かどうか、いまいち定かではない。

 「その、背負っているもの、何なんですか?」
 不意に、朋子が僕に聞いた。
 「あ、……これですか?」言われて初めて、僕は自分が何かを背負っていることに気づく。赤紫の街灯に照らされた雪の中で、背中の荷物を肩越しに確かめながら、僕は答える。「これ、ウクレレです」
 「へえ、貝殻かと思った」
 そう言って、朋子が愉快そうに笑い出した。その様子に、僕もつられて笑ってしまう。「そうそう、貝殻背負ってはるばる北海道までね……って、僕はヤドカリですかいな」
 人がいることの安心からだろうか。一旦吹き出た笑いはなかなか止まらなかった。倒れているオンガクのそばで、僕らは声を立てて笑い合う。その後、彼女は僕にすうっと背を向けると、夜闇の中へと滑るように歩き出した。彼女の背中に、エレキギターの黒いケースが背負われていて、それが彼女の見えない足取りに合わせてかすかに左右に揺れている。それを見つめながら、僕はたどたどしく彼女の後を追った。しかし、彼女との距離は一向に縮まらず、むしろ、僕が追えば追うほどその背中はどんどん遠くなっていくようだった。
 とはいえ、気が遠くなるほどに彼女が離れていったとしても、よく見ると彼女はいつも追いつけるくらいの距離にいた。そして、滑るように歩きつづけている。ギターケースはかすかに左右に揺れていて、僕は、目に飛び込んでくる細かい雪を払いのけながら、その背中を追いつづけていた。しずかだった。自分の足音すら聞こえなかった。もしかしたら、僕は立ち止まっているのかもしれない。いや、それは多分違うだろう。もしそうなら、彼女はすぐに見えなくなるはずだ。しかし、彼女の背中はいつも目の前にあり、僕の前を今まさに遠ざかっていく最中なのだ。そして、僕はその背中をいつからか追いつづけていて、いまだに立ち止まることもできないままでいる。あるいは、最初から立ち止まりつづけていて、目の前を歩いていく彼女のことを、闇の中からずっと見つめつづけている。
 「僕はヤドカリですかいな」
 「へえ、貝殻かと思った」


2006年4月4日火曜日

【批評ギルド】 「放牧」 ティラノサウルス


 気がつけば、3月度批評を4月に持ち越してしまっています。真に申し訳ありません。しかし、正直な所、今は自分の小説「みどり」で全力を使い果たしてしまっている上、仕事の方も大変で全然バイタリティーのない状態です。とても、これまでのような重厚なものは書けそうにありません。そんな私の批評でもよろしければ、目を通し、適当に参考にして下さいませ。
 では、参ります。

ティラノサウルス 「放牧」 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=62303

 一読すれば、恐らく誰でも、米国産牛肉再禁輸のことが思い出されるでしょう。確かに、この詩はそれをモチーフにしています。しかし、この詩が見せてくれる景色は、例えばその問題に賛成とか反対とかを唱える次元のものではありません。
 この詩には、少なく見積もっても4人の話者が出てきます。一人は、詩の話者。第一連、第二連、第三連、そして「小山のような生物が群れ」の連も、彼が語っていると思われます。二人目は、アメリカの農場の男の人。「俺」という一人称で出てくる人ですね。この人は、後でも歌を歌ってます。三人目は、抗議しようとしている人。おそらくは日本人でしょう。そして四人目は、CIA。CIAの癖に、やたらと陽気に天気予報をしています。
 しかし、実際、この四人の区別は明確なものではなく、そこには揺らぎが見えます。たとえば、第七連では詩の話者の言葉と見えた1、2行目から、「<テキサス・>と形容される」あれこれ(日本人である我々には実体は持たなくても、なんとなくピンときちゃうあれこれ)が並び、そこから牧場主の言葉が出てくる。さらに顕著な例では、

>抗議します、断固
>お願いしますほんとうに
>ところであなた誰ですか?
>毎日窓口が変わるので
>不便でしかたがありません
>リピートします
>抗議します、断固
>お願いしますほんとうに
>ところであなたこそ誰ですか?

 ここですね。五行目までは、たしかに日本人(?)が喋ってます。断固抗議してられます。けれど、その断固としてなされた抗議は、リピートされる。リピートされることで、その断固とした存在感、あるいは深刻さを失ってしまう。そしてリピートするその声(誰の?)に、逆に問いかけられる。「あなたこそ誰ですか?」
 ここにおいて、断固としてなされた抗議も、その抗議主も、リピートされる音声の中で根づいている“自分”みたいなものを見失わされている。そこに見えてくるのは、リピートされる音声の、異様な軽さと朗らかさです。それは、パロディーの持つ軽さともつながってくるもので、そこでは人は、深刻さを持ち得ない一種のキャラクター、人のパロディーに変えられてしまう。

 パロディーの手法というのは、旧来、権威を持つものから権威を奪ってしまう、という点で非常に反権力的な手法でした。しかし、この詩の場合はどうでしょうか。CIAが陽気に天気予報をしている様、アメリカの牧場主が歌っている様などは、たしかに小気味いいものですが、その小気味よさは、決してこの詩がこれらの権威を茶化しているからではありません。むしろ、この小気味よさにこそ、我々は注意しなければならないのでしょう。なぜならば、この小気味よさは詩が彼らを脱権力化しているからのものではなくて、むしろ、彼らが自ら選び取っているものだからです。
 繰り返される映画俳優の名前、リーバイスなどの商品名、そして、牧場主やCIAのまるで古き良きアメリカのラジオ放送のような陽気さ、うそ臭さ。それらが我々を包囲し、小気味よく詩を読ませていく。そのこと自体が、私には恐ろしくてたまりません。この軽さは、パロディーのそれではなくて、むしろコマーシャルのそれではないでしょうか。彼らが生み出す軽さの中で、我々はそこにあるものの権威性について見失わされてしまう。恐怖心をどこかになくしてしまう。そして、その軽さを媒体として、商業的なもの、消費社会的なもの、どこかに根ざすのではなく生み出されては消費されていくもの、そのようなものが流通していく。我々の根底を知らず知らずのうちに掻き消えさせていく。
 そして、実際、彼らは彼らでその軽さの奥に、ちゃんとした「質感」を持っているのです。軽く、陽気で、のどかなように見えても、「俺の鼻はいつでも/濡れているんだぜ」なわけです。この、濡れている鼻の存在感。この二行の持つ「質感」の確かさ。それが、コマーシャルの中で希薄化した我々を打ち、我々は最終的には「絆されて」しまう。そんな我々に、これまた素晴らしい質感を持った言葉が(具体的には誰から誰宛のものか明確ではないがゆえに(詩の中でそうなるようになっているゆえに)、余計に力を持った言葉が)届けられます。「君たちはまるで羊だ」と。

 牛は、偶像崇拝の象徴。その偶像崇拝を否定するところからユダヤ教は始まり、それがキリスト教へとつながっていった。キリスト教において人々は迷える羊であるわけで、そんな自覚を持つキリスト教をニーチェなんかは「奴隷道徳」と呼んだわけですが。ここでは、無宗教であると言われているジャパニーズが羊になっていて、キリスト教が支配的であるはずのアメリカンが牛になっている。無宗教な我々は何も信じていないように見えて、その実コマーシャルとか情とかの形ないものを信じるともなく信じることで、彷徨える群れた奴隷となり、形ない偶像を流通させながら彼らは(奴隷道徳から脱け出て放牧され、肥えていき、)確かに濡れつづけている。牛をその質感ごと灰に変えても同じことで、それが逆に、彼らの濡れっぷり(アンジェリーナ・ジョリーの唇のような)の恐ろしく強かな影響力(灰になっても、というか灰になることで、余計に我々を絆してしまう)の証左になる。繰り返される「moo」という鳴き声は、どこか間延びしていてのどかなのですが、それゆえ余計に、したたかなのです。
 この鳴き声に、この軽さと濡れっぷりの両立に、我々はどうやって立ち向かうことができるのでしょうか。

>抗議しましたわ
>ええ、もちろん、断固として
>止めてやりましたわ
>水際でがっちり
>でもそろそろ潮時かなって
>あたしの無念を
>同郷のあの方は
>晴らしてくれるかしら

 なんて、ふらふらしたことを言っていてはならないのでしょう。無論、この日本人像もかなり誇張されたもの、キャラクター化されたもの、もっと言って“嘘”です。でも、この“嘘”を越える自分を、我々は見せることが出来ているのでしょうか。あらゆるものが実体を失って流通するこの時代に生きている我々は、そこでの違和感を抱いていて、ちゃんと根ざした自分を見つけようとしている。それが昨今の詩の流行(あるいは、小説の言葉ではなく詩の言葉に対する我々の欲求)でしょうし、あるいは方言のプチブームなども、そういう点から理解できる面はあります。しかし、そうやって見つけ出されたものは、いわば小さなもの、囲い込むコマーシャルの中でかろうじて自分の部屋に引きこもって身を守り震えているにすぎないものであって、この包括的な“嘘”を越える強度がそこにあるのか、少々疑問です。やっぱり最後は、絆されてしまうんでしょう?と。
 この時代や状況の中で、我々はどうすればいいのか。この詩は、そこに対しての答えは提示しません。それは、我々個々が見出していくものなのかもしれません。ただ、一つ考えられることは、彼らがコマーシャルという“嘘”を通して我々を囲いつつ濡れつづけているのなら、我々もそれを逆手に取ることはできないか、ということです。つまり、“嘘”に“嘘”で立ち向かうのです。騙まし討ちを騙まし討ちにしてしまうのです。キャラクター化した時代をさらにキャラクター化することで、それを通してそこにある地金のような根っこを、そして自分を見つけ出す。あるいは権威ならざる権威を暴き出す。つまり、この詩(「放牧」)を書くことです。この詩では、たしかに、彼らのものとしてそれ(騙まし討ち)は書かれました。しかし、この詩がやったこと(この詩のスタンス、この詩のリズム、この詩の展開、この詩の言葉の軽さと確かな質感)を、(彼らのものではなく)我々のものとしてすることできるなら、それはこの時代に対抗する(我々の)方法になるのではないでしょうか。つまり、――たしかにこの詩は答えを提示していませんが、――この詩自体が、答えなのかもしれません。

 珍しく、技術的なことは何も言いませんでした。正直、俺ごときがどうこう言えるものではない、と思います。だって、これはこれで出来上がってますもん。詩として自律して生きてますもん。ただ、ただ一つだけそれでも言わせてもらうなら、ジュリア・ロバーツが可哀想、ということです。と言っても、別にガムテープで口を塞がれそうだからではなく、この詩は明らかに、アンジェリーナ・ジョリーが出てきたところから出発しているんですね。第一連はその点で、行き場がない。逆に言うと、この第一連はこの詩の中には収まり切らない部分を持っているわけで。それはこの詩にとって失敗といえば失敗なのですけれど、ある意味可能性でもあると思います。この第一連が持つ暴力的なパワー、その確かさから、またもう一つの詩が生まれるかもしれない。そしてその力こそが、もしかしたら上で書いた「答え」ともつながってくるかもしれない。
 でも、これは所詮夢想ですし、それに、そっちの方(暴力的なパワーを詩にしていく方)に進んだ方がよかった、とは口が裂けても言えません。これはこれで、とても素敵な詩なのですから。ただ、作者さん(ティラノサウルスさん)には、そっちの方とこっちの方の二つの方向性があることは覚えておいてもらいたいな、とは思います。どちらの方向性も、それだけだと思って進むと、おそらく道は狭くなってきて行き着く所は袋小路でしょう。この二つの方向性を往還することを通して、あなたの詩はらせん状に深まっていくでしょうし、その果てで(あるいはその最深部で)、離れていたと思った二つのスタンスの、いわば裂け目の奥でつながっているものが、きっと見つかると思いますので(無論、これはティラノサウルスさんに限ったことではないのですが)。

 それでは。長くなりましたが、この辺で。適当に参考にしていただければ幸いです。
 
  

2006年3月22日水曜日

小説 「みどり」 (9)


 白い部屋の中で、目を覚ました。時計を見ると十二時を過ぎていて、僕はこの休日もまた寝て過ごしてしまったことを、後悔するともなく後悔した。だらしなく乱れたベッドの上から、パジャマを履いた両脚を下ろす。この冬、毎日履きつづけてきたこげ茶色のスリッパは、ファーの部分がぺしゃんこになってテカっていた。昨晩脱ぎ捨てたままの状態で散らばっているのを足先で引き寄せてきて、履きながら立ち上がる。振り返ると、半開きになったカーテンの向こうで陽の光が午後の色になっていた。向かいの家の洗濯物がいくつも(白いシャツや下着、靴下、それにチェック柄の冬物のシャツ、)風を受けてはためいていた。
 ドアを開けて部屋から出る。灯りがついていなくても、どこからか差し込む光で廊下は明るかった。その中を僕は一階の方へ降りていった。ボアつきのベンチコートを羽織っていないことに気がついたのは、たぶん、その途中だったと思う。少し寒かったけれど、コートを着忘れても大丈夫なだけ、やはりあたたかくなってきたのだろう。一階にも誰もいなかった。リビングルームでは、テーブルの上にガラスのコップが一つ置いたままになっていて、テレビの電源がリモコンで消しただけの状態で点いていた。
 父さんはまだ寝ているのだろうか。それとも、もうどこかに出かけた後なのだろうか。僕はテレビの電源を消すと、木でできた椅子に腰を下ろした。するべきことは何もなかった。椅子に座ったまま、天井を見上げた。土だか鳥の糞だかで、明かり取りの天窓が薄く汚れている。そろそろ掃除しなきゃあな、と僕は思った。けれど、誰が掃除をすると言うのだろう。父さんはいてもいなくてもわからなくて、午後のリビングルームは仄暗く、しずかだった。
 くもりガラスになった窓の外が明るかった。そのことに気づいた僕は椅子から立ち上がり、窓の所まで歩いていって、黒塗りのアルミに縁取られた窓を開けた(スルスルと、頼りない音がした)。網戸越しに見える裏の畑は、葉の大きな作物が光を受けてまぶしかった。畑の向こうは雑草が生えるままになった堤防で、その上に、深くも浅くもない青空がたなびいている。ここからどこに行けるのだろうか。窓際に力なく立ったままで、僕はそのようなことを考えていた。何もないここから、僕は一体、どこに行けると言うのだろうか。とりあえず、玄関先に置いたプランターの中で冬眠させたままになっているカメは、そろそろ起こしてやるべきなのかもしれない。その後は、……何をしよう。僕は二階の方を見上げてみた。二階からも物音は聞こえてこなかった。ドアがずっと閉め切られたままの部屋の中で、父さんは今、起きているのだろうか。それとも、もう出かけた後なのだろうか。五年前に買ってからずっと使いつづけている冷蔵庫が、遠慮の少なくなってきた声でうめき始めた。テレビの上には、うっすらと埃が積もっていた。この家に母はいない。ただそのことだけが、確かだった。
 「誰も振り返らないね」
 残念がるわけでもなく、かと言って楽しんでいるわけでもない口調で、みどりは言った。僕はどう答えたらいいかわからず、小さく「うん」とうなづいた。
 「でも、まあ、……何て言うか、ここってそういう所だから」
 「ああ、なるほど。たしかにそうかもしれないね」
 みどりは僕の横を歩いている。僕とみどりは並んで歩いている。夜の街はビルの灯りや街灯や車のライトなどに照らされてひっきりなしに明るく、すれ違っては通り過ぎていく無数の人々の顔が一つ一つ見えるくらいだった。けれど、その顔たちはどこか、人工的な光の上澄みにとりあえず漂っているだけのようにも感じられた。覗き込むことも、覚えておくこともできない。そんな中で、僕の横を歩くみどりの小さな身体だけが僕には心強くて、恐ろしかった。ギターケースを背負っていないみどりはいつも以上に小さく見えた。けれど、黒いTシャツを着たその背中は、石狩で見た時よりもずっとしなやかに伸びていた。僕は、前の日の夕方に見たインストアライブの感想を、どんな言葉で伝えたらいいかわからないまま、みどりと並んで歩いている。みどりも黙っていた。黙って歩きながら、道沿いに並ぶビルや店舗の灯りを一つ一つ目で追っていた。
 「昨日は楽しかったね。みんな、楽しそうな顔をしていた。ありがとう」
 不意にみどりがそう言って、僕は、何だかいたたまれない思いがした。他の観客と同じように、僕も楽しそうな顔をしていたんだろう、それは間違いない。実際、昨日のライブは本当に楽しかったのだ。そこで、僕はみどりを見た。みどりとそのバンドの音楽を通して、たしかに何かを見せてもらった。ありがとう。その言葉を言わなければならないのは僕の方だったのに、それをみどりが言ってしまった。
 「こちらこそ、本当に楽しかった」
 そこまで言って、後がつづかない。街の灯りに照らされて、何人もの人々が僕らとすれ違っていく。誰も振り返らないまま、通り過ぎていった。
 「そう言えば、失踪――、どうなったの?」
 僕が言うと、みどりは少し意外そうな顔をした。しばらくこちらを見つめて、それから(ようやく思い出したのだろうか)、笑った。
 「ああ、あれね。……どう言えばいいのかな、わたしもいつの間にかね、自分の場所を見つけたのさぁ。どこにいても大丈夫って言うか、それがあるからこそどこにでも行ける、って言うか……」
 みどりは歩きながら目を伏せた。その横顔がとてもうれしそうだった。その横顔を見つめながら、僕はこの人と自分とが別の景色の中を歩んでいるんだと、今さらのように思い知らされた。
 そして、みどりが目を上げた。
 「だってほら、ね? 昨日見たっしょ」
 そこでまた笑う。
 「また来てよ、孝司くん。わたしたちの場所に。絶対。そこでまた、みんなと一緒に会いたいのさ」
 ――ありがとう。
 その言葉は、やっぱり言葉にならなかった。僕は手を差し出した。その手を、みどりの手が、握った。みどりの手のひらは小さく、少し冷たかった。けれど、この手のひらと指とから、あの音楽たちは生まれたのだ。この手につながる身体から、あの音楽たちは鳴り響き、今でも鳴り響いている、海鳴りのように、巡りつづけ流れつづける川のように、この命(みどりの命、僕の命、そして誰のものでもない二人の命)が終わるまで、そこでいつまでも脈打ちつづけている。
 やわらかな手のひらだった。やわらかで、底知れないほどに深かった。
 「もう、起きたんだね」
 僕の顔を覗きこみながら、みどりが訊いた。顎までするっと落ちていく、すっきりした両頬の線。思いつくとおりに切り散らかしたような、雑草みたいな短い金髪。深みのある光沢をさらに深く沈めているために、どことなく緑色がかって見える黒くて細い眉。目も細く、白目がちだけどどこかやさしくて、笑うとその目がもっと細くなる。僕はそれを知っていた。そして、みどりは今ここにはいない。僕はそのことも、知っている。
 「うん。起きた。……ありがとう」
 白い部屋の中で、僕は目を覚ました。窓の向こうはまだ夜が明け切っていなくて、空は淡く青紫色に透き通っている。僕は布団から起き上がると、自分の形に馴染んでいるその布団を、たたんだ。ユニットバスに行き、歯を磨いて顔を洗う。洗顔用石鹸を洗い流して顔を上げると、鏡に他でもない僕の顔が映っていた。髪を梳かし、顔を拭きながら部屋の中に戻る。ワイシャツを着込んでネクタイを締めた。早朝の空気は、部屋の中にいてもまだ肌寒く感じられたけれど、そうは言ってもコートが必要なほどではない。スーツを着込み終えてから、僕はヘッドフォンをかけた。これまで何回も聴いてきたCDをまた、再生する。それが終わるとヘッドフォンを外して、僕は出入り口の方に歩いていった。
 「生きていますよー(笑)。おかげさまで(ほんとにおかげさまですね・笑)色々と親孝行もできて、心からうれしく思ってます。やっぱり、お母さんには何だかんだで心配もいっぱいかけてるからね。その分、これまでの恩返しとかできるのが本当にうれしい。そして、何より、今のわたしたちのことを楽しみにしてくれてるっていうのが、本当に本当にうれしい」
 先日届いたばかりのみどりからのメールを、僕は扉の前で読み返していた。メジャーで二枚目のアルバムを出した後も、みどりは時々メールを送ってくれている。けれど、中島の消息については、ずっと聞けないままだった。「働かなければ、生きていけないだろう?」かつて彼が言ったあの言葉に対して(それに背中から支えられながら)、今では自分なりの答えを見せられているような気がする。僕も、みどりも。それぞれのあり方で、僕らは生きていた。
 僕はケータイを閉じると、重い鉄の扉を開けて外に出た。今日の講義に、学生たちはどんな顔をしてやって来るのだろう。新入生たちは一体どんな顔をして、講師になりたての僕が綴る言葉を、聞くのだろう。外の空気は一層澄み切っていて寒かった。振り返ると、今は閉まった扉の向こうで、みどりのギターが鳴りつづいているような気がした。白い部屋は白い部屋のまま――家が一つの楽器のようだった。



   (終)


2006年3月19日日曜日

小説 「みどり」 (8)


 言葉は何も聞こえなかった。見渡しても、見回しても、空は鈍色で平らだった。風の生む音の高い沈黙が、その空を一面に満たしている。あとはただ、雪が見えるばかりだった。雪の中からは、ところどころで葦のような枯れ草が顔を覗かせていた。僕の右手のずっと遠くの方に、建て直しの途中で忘れられてしまったような大きな家が一軒(旅客用のログハウスか何かだろうか)、置き去りにされている。その家を横目に見ながら、僕は歩いていた。道らしきものはなく、既になくなっていて、たぶん植物の見えない辺りがそうなんだろうけれど、そうだと思って足を踏み出してもその度に膝まで雪の下に埋まってしまう。僕は歩いていた。どこまでもなだらかにつづく雪の中を、とりあえず、あの壊されかけたままの家の方へ。けれど、本当に辿り着くのだろうか。辿り着いたとしてもその後のことはわからないし、雪と空しかないここでは、それらのことはどうしたって考えられるはずもなかった。
 昨日見たライブの光景がよぎる。真っ暗なライブハウス、顔の見えないたくさんの聴衆とそれを抱え込んだ箱型の空間、熱気、頭上で叩き合わされる無数の手のひら、あるいはじっと聴き入っている呼吸の川肌のようなさざめき、青を基調とした照明の中でステージは浮かび上がり、フットライトに明々と照らし出されたみどりは椅子に座って身体を前後にゆすりながら弾いて、弾いて、弾いて、子どもみたいな笑顔でギターを弾きつづけている。ステージの中央ではヴォーカルの女性が立っていて、マイクだけを持った身体を屈めたり、手を前に伸ばしたり、楽しそうに飛び跳ねたりしている。その歌声はのびやかな脈を打ちながらどこまでも姿を変えていき、そこからまた塞がれて巡る川のように大きく戻ってくるけれど、そこでどんな言葉が綴られていたのか、僕には思い出すことができなかった。引き裂いていくような風が吹きつづけていた。音の無いうなり声ばかりが僕の耳元を埋め尽くしていて、言葉は何も聞こえなかった。ステージ右手では、もう一人の女性が二人の方を時々笑顔で見遣りながら、ピアノに指を吸い込ませている。リズミカルでやわらかで、濡れながらきらめくような音がたしかに鳴っている。けれど、その音もやはり思い出すことはできなかった。重苦しく平面的につづいている空と、宛てもない雪原だけが見えていた。ズボンの膝下は真っ白で、ジャケットもその表面が薄く凍りついていた。昨日の音楽も昨日の熱気も、ライブハウスのあの暗さでさえ、ここからは切り離されてただ、遠くにあった。
 海から離れていくにつれて、雪はいつしか深くなくなってきたようだ。どこにも道は見えなかったけれど、植物と植物との間は拓かれたように広くなっていた。先ほどまで足を苦しめていたいびつで荒々しい傾斜も、ここからずっと、平坦に延べられている。足が雪に取られてバランスを崩すこともずいぶん少なくなった。大きな家は、さっきよりも少し近く、大きくなっていた。隙間の目立つ壁を覆うようにかけられた、緑色の網が見えていた。
 均されたような一面の雪の中で、目は自然と(なんとなく)道を見つけ出していく。ゆるやかなカーブを描いて家の脇を通り過ぎ、そのままずっと先まで進みつづける、まだつけられてもいない自分の(誰かの)足跡が見えた。それが本当に道である保証は誰もしてくれなかったけれど、僕は自分が見た足跡に沿って歩いた。歩くばかりだった。風と雪とが、僕の顔や上着を強弱をつけて打ちつけつづけている。
 やがて、家の前に着いた。僕は立ち止まり、今は使われていないその建物を見上げていた。窓ガラスの向こうは暗く、古ぼけた色をした壁板の何枚かは剥がれ落ちていた。屋根は多角錐(たぶん、十二角錐)の形をしていて、その上には厚く雪が積もっている。緑色の網は壁を覆うようにかけられていたけれど、壁の一部やドアなどはそのまま僕の目に(そして、外の白い光に)晒されていた。役目を果たしているのか果たしていないのかもわからない状態で、その網は風にもあおられずに垂れ下がっていた。
 僕はまた歩き出した。家の右手には、間隔を空けて真っ直ぐに列ぶ杭が見えていて、それがたぶん、道だった。けれど、杭はわずかに五、六本あるだけで、そこから先は雪の下に埋もれている。僕は、杭がなくなっている辺りから左に進むことにした。左に曲がって一歩踏み出した瞬間、また足が膝まで埋まってしまう。けれど、ここまで歩いてきたのだ。もう、雪の深さを恐れることもなかった。
 ずっと向こうに、赤と白に塗り分けられた小さな灯台が見えた。とりあえず、今度はあそこまで歩いてみよう、と僕は思った。中島の立ち姿、「働かなければ、生きていけないだろう?」という言葉、そしてギターを弾くみどりの笑顔がどこかに浮かんで、浮かんでは風に千切れていく。足がももの辺りまで埋まってしまい、次は死ぬかもしれない、という思いがごく身近なものとして感じられた。言葉は何も聞こえなかった。みどりの母親が、プリントやらノートやらがいっぱいに入ったカゴを片腕から提げて、立っている。ピンクと言うよりは淡い橙色と言った方がいいような色をした、あったかそうなベッドに腰かけて、部屋のドアを開け放したままでみどりが音楽を聴いている。身体を小さく揺らしている。「おい、みどり!」彼らは生きてきたのだ。この寒さの中で彼らは強く(そして弱く)生きてきて、――今も生きつづけていて、――ここでただつづけられていく彼らの暮らしとともに、労働も、音楽も、身体も生まれた。ここで何度でも生まれつづけている。「大学のサークルでもバンドはやってたんだけどね、もっと、……もっと、ね」
 僕は歩いていた。耳に貼りついた風の轟きと一緒になって、自分の呼吸がいつからかずっと聞こえていた。灯台の向こうに何があるのか、僕は知らなかった。帰ることができないかもしれない、いや、帰ることなどできるはずもないその一本道を歩きながら、僕は、あの家のあたたかさのことを思い出していた。テーブルの向こうから身を乗り出して、みどりは深い瞳で覗き込む。中島はまだ帰ってきそうになかった。壁にかけられた時計は、もう三時に届きそうだった。ペチカが焚かれたダイニングキッチンで、みどりの淹れてくれたコーヒーがしずかに湯気を立てていた。


2006年3月17日金曜日

雪捨て場



捨てられたものは
やがて消えてしまうだろう
春になれば
うず高く積まれたまま



 つららの垂れ下がる、要塞のような遠くの小学校から、
子どもたちの嬌声が凍った山並みのように聞えつづけている。

2006年3月7日火曜日

異稿と作品 3×2篇


   ふりかえることもせず


ふりかえることもせず
また あなたの素肌に出会えた
正午

繰り返さない朝を積もらせ
僕は目覚めつづけていたのだ
それまで

二人の約束は一瞬の川だった
赤紫色の星空の坩堝の
底の底で
それは音もなく流れつづけた

互いに放さなかった両端を
僕がいま ふと思い返すとき
あなたの素肌は透き通っていて
ここにはいないから

二人の石ころのような瞳で
また 約束を交わそうと思う
ほんとの名前で 二人して
こんどは未開の原野のように濡れよう




   信じることは


ふりかえることもせず
また あなたの素肌に出会えた
正午

繰り返さない朝を積もらせ
僕は目覚めつづけていたのだ
それまで

小石のような瞳を濡らした
約束とも呼べない
一瞬の川
その端を放さなかった掌が
砂を払って彼岸はここにある

信じることは
流れつづけるせせらぎの透明さだと知り
僕は 深く眠るだろう
目覚めたら
あなたはいないから

だからこそまた会える
残酷なくらいに
そう 信じている




   (大好きな町、町田を言葉にしようとする。そのための速記)


親子であるか、
援交であるか、

行き先を決めてしまわないと、
降りることさえできない、
巨大な歩道橋。
JR町田駅東出口直通の、
空中交差点を、
午後もまた、たくさんの人々が、
すれ違っていく。
楽しそうに。

この、一階のない二階では、
なつかしい友人をみつけて、
ふと立ち止まることも、
自由
だが、
夜を越えて宿泊することは、
できないらしい。
今日もホテルを探して歩く。

親子であるか、
援交であるか、

旅先ですれ違う女性はみな、
はかない。
旅先ですれ違うやさしさはみな、
はかない。
呼びとめたいけれど、
それも出来ぬまま、
くずれてゆく。黒いスカートの半透明の裾のように。
たえまなく散る陽の光だけを、
見つめつづけている。



   町田


行き先を決めてしまわないと、
降りることさえできない、
巨大な歩道橋。
JR町田駅東出口直通の、
空中交差点を、
午後もまた、たくさんの人々が、
すれ違っていく。
楽しそうに。

遠くまで伸びる視界。
道は百貨店にもつながり、
小田急の駅にもつながっている。
高く、なめらかに整列したビル群と、
均しく瞬かれている、
空。
その手前、歩道橋上で立ち止まり、
ひととき談笑する若者たちの上、
あるいは彼らの横を、
白く通りすぎる娘と母の上に、
穏やかな温度が、
崩れ落ちてきて、降る。

町田。
通り過ぎていく人々の、
うつくしい歩行を誰も呼び止められない。
町田。
まつわりつくはかなさを、
スカートの裾が淡々と払う。
卵のように寡黙なひかり、

町田。
なじまない眼差しが、
影よりも伸びる。
宇多田ヒカルが聞こえている。
町田。
はかなさを払いつづけてはかない。
日の名残さえも冷めていき、
カン。 カン。 カン。 と、
それぞれの水平線のむこう、
暮れる。

誰のものでもない日没


町田。
あてもなく巡るうちに夜は来て、
一枚の地図を覗き込む、
少女と中年男性の姿を見た。



   17歳の夏


脱ぎ捨てた空
懐かしい傷さえ残さずに
肌はさらにやわらかく
おどる

まわっている風が
幾重にも剥がれていく
そのあい間に宿された
ひと夏

青にゆられていた
昼寝から醒めて全力でダッシュした
砂浜は
焼けた骨よりもまぶしくて

刻まれた名前さえ見えない
わたしたちはみな真っさらだ
白い痛みの中で赤ん坊のように笑う
生まれたままの、17歳の夏だ



   新生


脱ぎ捨てた空
懐かしい傷さえ残さずに
肌はさらにやわらかく
おどる

まわっている風が
幾重にも剥がれていく
そのあい間に宿された
ひと夏

わたしたちは笑っている
青くゆれているハンモックから
起き上がってダッシュする
海辺の砂の上

焼けた骨よりもまぶしい
真っさらな白い板を抱く
刻まれた名前は見えない
亡くした人さえいなくなるひと夏



本来、「信じることは」「町田」はそれぞれ縦書きなのですが、「新生」に合わせて横書きにしました。


2006年3月5日日曜日

小説 「みどり」 (7)


 家が一つの楽器のようだった。すでに夜の暗さへと傾ききった夕空は、一面に透き通り、いつまでも留まっている。その空を埋めることもしないまま、さっきからの粉雪が果てもなく降りつづいていた。家が建っている。それは頑丈そうな造りをした二階建ての一軒家で、近くから見ると(いや、遠くから見ていた時でさえ)、まるで空と雪の中に聳え立つようだった。屋根や窓枠には雪が分厚く積もっていた。窓から漏れる光は黄色がかっていてあたたかだった。その家が震えていた。音楽を内に篭もらせながら共鳴し、家はしずかに震えていた。
 家はまだ見えてこない。久しぶりに会う中島の顔はしずかな落ち着きを蓄えていて、体つきも一回り、がっしりしたように見えた。中島は僕の隣を歩いていた。学生時代と変わらない熱い口調で話しつづけているけれど、その声にはどこか、自信にも似たあきらめが影を落としている。僕は、僕らが過ごしてきた一年の遠さを思った。夕闇は暗くも深くもなくて、それだけに一層、すぐ近くを歩く中島の身体が底知れないものに感じられた。中島の両手は、モスグリーンの上着のポケットに固く突っ込まれている。バスから降りた僕を抱きとめようと、中島が腕を大きく広げた時(学生時代、彼はそんなことをしなかった)、その先に見えた両手は傷だらけで傷口まで黒く薄汚れていた。僕は、自分が何を見たのか、何を見て何を覚えておけばいいのかもわからないまま、中島と並んで粉雪の中を歩いている。
 「あいつらが何て言うかわからないけどさ、工場もすごいところだよ。労働者にも労働者としての必死の生き様があるんだし」
 僕の学部から工場に就職したのは、中島だけだった。就職が決まってから大学卒業までの間、同期はよくそのことを話の種にして笑っていた。時には中島自身にその話を振る者もいて、そんな時いつも、中島は頑固に言い張るのだった。人の生き方はめずらしい見世物なんかではなくてただその人の人生であり、それ以外の何ものでもない、と。
 「たとえば俺の機械の機長さんなんてさ、いつも物静かで知識も豊かな人なんだよ。どんなに機械がトラブっても慌てず、いろいろ考えて解決策を見出してくれて。そういう人の指が一本、なかったりする。普通に。働き始めて三ヶ月くらいの頃に、スリッターで落としたんだって。それでも働きつづけて、何十年と働きつづけて、物静かに笑ってたりするんだよ。まあ、怒る時は怒る時で、あの人に怒られるのがマジで一番怖いんだけど」
 両手をポケットに突っ込んだまま、親しみと尊敬のこもった口調で中島は話しつづけた。苦笑いにも似た、それでいて堪えようもない喜びにも似た笑顔を、時々浮かべながら。そして、ふと思い出したように付け加える。
 「それにあれだ。働かなければ、生きていけないだろう?」
 ベッドの上で、僕の隣にみどりはいなかった。階下の方から、冷蔵庫を開ける音が聞こえる。グラスの音が冷たく鳴って、消えた。見えないみどりに向かって伸ばそうと思った手は、いつまでも、伸ばそうと思った時のまま、僕の横にだらしなく横たわっている。
 みどりのアコースティックバンドが全国デビューする、という話を、僕は一人で思い返した。さっきまで見ていたみどりの肩は円く、二の腕はまぶしかった。裸になったおなかが引き締まっていて、どこか寒そうにも思われた。バンドは今年の春先、海を越えて東京へ行き、その後名古屋や大阪でもライブをするらしい。隆起した筋肉が二つの山を描きながら、みどりの背中を真っ直ぐ降りている。乳房は大きくもなく派手でもなくて、けれど、そのなだらかさの中に他に代えることのできない光を抱いていた。確かに色づいた乳首が二つ、部屋の空気の中で小さく孤立していた。
 インストアライブとその後のCD即売会(兼サイン会・握手会)。内地での活動の予定は、まだそれがほとんどだと言う。けれど、東京では、ライブハウスで対バンなどもするらしい。握手会という言葉に引っ張られたのだろうか、僕はベッドの上で、みどりの手のひらのことを思い出そうとしていた。何度でも。いくら試みてみてもそれだけは無理で、やがてドアが開き、みどりが戻ってきた。
 僕の眠っているベッドの端に、みどりは腰かけた。僕に背中を向けたままで、ため息をひとつ、大きくつく。みどりは(そして僕は)何を考えているのだろう。自分が目覚めているのかどうかもわからず、僕はただ、耳を澄まして、そこにいる一人の人間のことを感じ取ろうとしていた。それだけの部屋だった。手は伸ばせないし、たとえ今伸ばしたとしても、たぶん届かない。
 家が一つの楽器のようだった。オレンジ色した電球の光に照らされて、僕とみどりは階段を降りていた。前を歩くみどりの後ろ姿が、曲がった階段の向こうに見えなくなりそうになりながら、つづいていく。音楽はもう止んでいた。けれど、みどりの部屋で聞いたいくつもの曲が、僕の中で見えない渦を巻いていて、僕はふらつきそうになる視線をしっかりとみどりに据えながら、丸木の手すりに手を添えて後をついていく。階段を降りていく。
 降りきった所には壁があって、正面右手に扉が付けられていた。先に降りたみどりがその扉を開ける。すると、さっきまで二人でいたダイニングキッチンが、開いた扉の向こうにつながっていた。みどりはその中に入っていった。僕もみどりにつづいて入ろうとして、ふと、自分の左側に目が行った。短い廊下の突き当たりにトイレを区切っているらしい木の扉があり、その手前で、見慣れたスリッパが前向きに揃えて置かれてあった。
 ダイニングキッチンに入ると、僕はテーブルを挟んでみどりの向かいに腰かけた。
 「何か、飲む?」
 先に座っていたみどりが声をかけてくるけれど、僕は笑って首を横に振る。
 「ううん。別に喉、渇いてないから。ありがとう」
 「いいえいいえ。私もほんとは、そんなに飲みたくないんだ。何も」
 みどりはそう言って、時計の方を見る。壁にかけられた時計は、既に六時を回っていた。
 「兄さん、遅いね」
 「ほんとだ。いつもこんなに遅いの?」
 「うん。時々、すごく遅くなる。そう言えば、最近はそういう時の方が多いなあ」
 「仕事、大変なんだろうね」
 みどりは時計の方を見たまま、曖昧に「うん」とだけ答えた。それから、急に僕の方に向き直る。
 「孝司くん、帰りのバスとか、大丈夫?」
 不意をつかれて、僕は驚いた。たしかに、僕はここから帰らなければならないのだ。そして、一時間に一本しか走らないバスは(たぶん)夜の早い時刻になくなってしまう。
 「そうだね。そろそろ帰らないと」
 僕がそう言うか言わないかのうちに、玄関の引き戸が開く音がした。
 「ただいまー!」
 疲れを感じさせる声で(けれど大きな声で)、誰かが叫ぶ。廊下を渡る足音が聞こえ、それが近づいてきてすぐ扉が開き、そこからこちらを覗き込んだのは年配の女性だった。
 「あれ? お客さん?」
 女性はぼわぼわしたタータンチェックの上着を着ていた。プリントやらノートやらがいっぱいに入ったカゴを、片腕から重そうに提げている。
 「うん。兄さんの学生時代の友だち。兄さんに会いに来てくれたんだけど、最近兄さん帰りが遅いっしょ。だから二人で話してたのさ」
 みどりが早口で説明すると、女性はきょとんとした顔で「ふうん」とうなづいた。その顔のどこにも、化粧っぽさは見えない。頭には白髪が何本も走っている。
 「そうなんですか……。ごめんなさいね、待たせてしまって」
 「いえいえ。こちらこそ、先に確認してから来ればよかったんですし」
 「そうねえ……。まあ、何もない家ですけど、よかったらゆっくりしていって下さいね」
 そう言い残して、女性は扉の向こうに引っ込んだ。今は閉じられた扉に向かって、みどりが「お帰りい!」と声を張り上げる。ダイニングキッチンの裏手から(つまり、扉の方を向いた僕らの背中側から)、「ただいまあ!」と声が返ってきた。その後で、みどりはすっと小声になり、「あれが、私たちのお母さん。近くの小学校で教師をしてるんだ」と説明してくれた。僕は笑ってうなづくと、もう一度、時計の方を見る。六時十五分。
 「さて。そろそろ帰らないと」
 「そうだね。送っていくよ」
 僕の立ち上がるのに合わせて、みどりも立ち上がった。僕は遠慮したが、みどりは聞かなかった。
 「でも、せっかくお母さんが――」
 「大丈夫。あとで説明しておくし」
 強い口調で、みどりが言い切る。それから穏やかな表情に戻っていって、
 「それに、まだここに慣れてない人を一人で帰らしたら、逆に怒られるよ」
 「……そうかあ。じゃあ、よろしく」
 僕が折れると、みどりは笑顔になった。「ちょっと待ってて」と言ってダイニングキッチンを飛び出し、階段を小走りで駆け上がっていって(トントントン、とリズムよく二階へと昇っていく足音が聞こえた)、すぐにまた駆け下りてきて開けたままの扉をくぐり、僕の前に立った。頬は上気していて、口元はうれしそうに緩み、黒くてフードにファーのついたハーフコートを小脇に抱えている。
 「じゃあ、行こうか」
 玄関で靴を履き、二枚の引き戸をくぐって、外に出た。外は夜だった。降ったばかりではねられてもいない雪が、なだらかな曲線を描きながらぼうっと浮かび上がり、夜の闇の中へ果てもなく広がっていた。数歩歩いて、僕は振り返る。家が建っていた。今はもう音楽は鳴っていなくて、けれど、窓から見える灯りはますますあたたかそうだった。扉も窓も閉じきったまま、聳え立つように家が建っている。その内側で、(たとえ耳には聞こえなくても)音楽は今も鳴り響いているような気がする。一軒の家の形をとって。底のない夜に立ち尽くしながら。震えている。家が一つの楽器のようだった。
 「どうしたの?」
 「ううん。……何でもない」
 僕とみどりは、また歩き始めた。道は積もった雪のおかげで仄かに見えていて、いやに広い道幅を浮かび上がらせながらつづいていた。ところどころを街灯が照らしている。けれど、夜の寒さの中で熱も光も失って、自分の足元だけを照らす灯りの帯はただ薄く赤紫色に透き通るばかりだった。


2006年2月25日土曜日

小説 「みどり」 (6)


 自動ドアが開いた音がした。いつもと同じで、少し遅れてチャイムが鳴る。それを聞き届けてから、棚の商品を並べ直していた手を止めて、僕は立ち上がりながら笑顔で振り返った。
 「いらっしゃいませー!」
 お客さんは、半袖のシャツを着た男性だった。店内も外の通りも昼下がりで、ほんの少しだけ、光が色づいて見えている。お客さんは、僕には目もくれずにチョコレート菓子の棚に向かった。僕はまたしゃがみ込み、パック入り飲料の列を整え始める。賞味期限の早いものを前へ。空いているスペースを埋めて、中ごろで膨らんでいるパックを押して詰め、できるだけきれいに見えるように全体の形を直していく。気配を感じてまた立ち上がり振り返ると、やはり、お客さんがレジに立っていた。さっきまでずっと、おにぎりコーナーの前で立ち止まっていた方だ。シャツを着たお客さんが今はスナック菓子の方へと進んでいることを横目で確かめつつ、僕はレジへと走っていった。
 「お待たせしましたー! いらっしゃいませ!」
 笑顔を浮かべながら、カウンターの上の商品を手に取る。おにぎりが二個と五〇〇ミリリットルのペットボトル入りの緑茶。キーを打って値段を言いつつ、ビニール袋を取り出して広げ、商品をその中に並べていった。お客さんは、千円札を一枚だけ出した。
 「千円から、で、よろしかったですか?」
 うなづいたのを確かめてから、お札を磁石でレジに止めて、キーを押す。一、〇〇、〇、現金。レジの中身が飛び出してきて、そこから小銭を手のひらの上へと弾いていく。二回数え直してから「六二二円のお返しになります」笑顔でおつりを手渡した。お客さんはおつりを財布に入れると、僕が差し出した袋を片手で掴んで店を出て行った。まるで僕がいないかのように、その動作は自然で無愛想だったけれど、そんなことを気にしていたのはせいぜい半年くらいの間だけだ。僕もまた自然なスピードで棚の方へと走っていく。半袖シャツのお客さんは、まだスナック菓子の前で立ち止まり、僕が倉庫から出してきたばかりの足元の商品(パーティーサイズのポテトチップ)を手にとって眺めていた。自動ドアが開く音。少し遅れて、チャイムの音。出て行くお客さんだと知っていたので、僕は振り返らない。
 コンビニでバイトを始めてから、二度目の夏だった。その年の夏はあまり気温が上がらず、不慣れな上に猛暑だった前年に比べて、仕事もずいぶん楽だった。両手でパックを並べ直しながら、顔だけは時計の方に振り向いて、仕事の段取りをおおまかにイメージする。不足していた商品の補充は終わった。棚の整理も、ほとんど終わっている。この棚を済ませてしまったら、次は雑誌やマンガの棚を直し、その後は店内の掃除や窓拭きなどをして、そうこうしているうちにまた商品が不足するからそれを補充。その後また棚の整理などをして、そうするうちに夕刊が着くだろう。
 自動ドアが開いた音がした。今度は、チャイムが鳴るより前に立ち上がる。
 「いらっしゃいませー!」
 黒のギターケースを背負った、若い女性だった。小型のスーツケースを右手でガラガラ引っ張りながら入ってきて、僕の声に応えてこちらを向き、小さく会釈する。それから、驚いたような表情になって、もう一度。髪が黒くなっていたので誰だかわからなかった。みどりだった。どうしてなのだろう。東京の片隅のコンビニで、黒い髪をしたみどりが僕に向かって頭を下げて、笑った。
 ――どうしたの?
 ――いや、ちょっと……。失踪、しちゃった。
 歩み寄っていくわけにもいかず、かといってしゃがみ込んで棚の整理をつづけるわけにもいかない僕の元へ、みどりの方から近づいてくる。何を言ったらいいのかわからなくて、思わず口をついて出た言葉は「髪の色、変わったね」だった。
 「あ、……そうだね。少し、気分を変えてみた」
 そう言って笑う笑顔が、どことなくか細く弱って見える。
 「こんな所で会うとは思ってなかったなあ。いや、ほんとはね、東京にいるって聞いてたからもしかしたら、って期待はしてたんだけど。でも、びっくりした」
 「僕もびっくりした。っていうか、すごくびっくりしてる」
 「ははは。そうだよね。……うん、そりゃそうだ」
 みどりは何を思ったのか、目を伏せた。笑みを浮かべた口元が小さく引き縛られていて、それはたぶん、僕が初めて見る表情だった。
 「ここにはいつまでいるの?」
 「そうだなあ。わかんない。泊めてくれる友達しだい」
 「あ、こっちに知り合い、いるんだ?」
 「うん。まあ、いるといえばいる、って感じかな。まだ連絡とってないから、もしかしたら留守にしてるかも」
 そこでまた笑う。その笑顔が、僕には何だかどうすることもできなくて、たまらなかった。
 「すみませーん!」
 レジの方から、男の人が叫んだ。さっき入ってきたお客さんだった。カウンターの上には(いつの間に置かれていたのだろう)この店の買い物カゴがあって、シャツを着た背中越しに、ポテトチップの袋の片端が光って見えている。袋の下にも細々とした商品が詰められているようで、プラスチックでできたカゴのすき間から、円筒形やら平らな四角やらの様々な形が雑多な方向を向いているのが伺われた。
 「ごめん、ちょっと行ってくる」
 僕がレジに着くと、向かい合って立つお客さんは見るからに苛立っていた。カゴの中身は一五〇円前後のスナック菓子がほとんどで、レジを打つのも袋詰めするのも、普段に比べて少し手間取った。お客さんはお釣りを受け取ると、一緒に差し出したレシートを無視して袋だけを掴み取り、ドアの方へと歩いていった。「ありがとうございました! またお越しくださいませー!」
 次には、みどりが並んでいた。カウンターの上に牛乳パックとスナックパンが入ったカゴを置いて、「お願いします」と、笑う。自動ドアが開く音。少し遅れて、チャイムの音。そちらの方をふと見てみたけれど、さっきのお客さんの姿は、ガラスの向こうのどこにも見えなかった。
 「もし泊まる宛てがなかったら、僕の部屋でよかったら、泊まっていってよ」
 牛乳パックを手に取って(さっき僕が並べ直した商品だ)バーコードに読み取り機の赤い光を当てながら、僕は独り言のようにそう言った。
 「うん、……ありがとう。その時はまた、連絡するね」
 みどりの返事も、どこか独り言みたいだった。けれども笑いながら、千円札を出して、お釣りとレシートを自然に受け取った。
 「ええっと……。この前教えてもらった、あのメアドでいいんだよね?」
 「うん。あれから一度も変わってないし」
 牛乳パックとスナックパンが入った白いレジ袋を右手から提げて、みどりは店を出て行った。みどりの後ろ姿は、その左半分がギターケースに覆われていた。小型のスーツケースがガラガラ音を立てながらついていく。自動ドアが開き、少し遅れてチャイムの音が鳴る。ガラスの向こう、店の前の通りを右へと歩いていく横顔が見えて、そして見えなくなった。パック入り飲料の棚の整理が終わると、次は雑誌やマンガの棚を直し、その後は店内の掃除や窓拭きなどをして、そうこうしているうちにまた商品が不足するからそれを補充。その後また棚の整理などをして、そうするうちに夕刊が着くだろう。
 みどりからのメールは、僕がバイトを終えて店を出て(いつもと同じで、夏の夕方だった)、近くのショッピングセンターまで歩いていく途中に届いた。学生マンションで夕食を作っているとドアホンが鳴って、鍵を外しチェーンを外しドアを押し開けると、みどりが店を出た時のままの姿で立っていた。左の肩に黒のギターケースを背負い、右手からは牛乳パックとスナックパンと、他にもどこかで買ったらしい色々なものが入った、コンビニの白いレジ袋を提げている。小型のスーツケースが、左後ろでちょこんと控えていた。
 「ああ、いらっしゃい」
 僕が言うと、みどりが昼とは違って、少し生気の見える顔ではにかんだ。
 「ごめんね。お邪魔しますよ」
 その日から、僕の部屋にみどりがいるようになった。靴を脱いで上がり、狭苦しいキッチンの抜けて部屋に入ると、みどりは「ああ、疲れた」と言ってコタツ(夏なので、覆いを取り払ってあった)の向こうに腰を下ろした。
 「料理、作ったんだけど」
 「え? いいの?」
 くつろいだ姿勢のまま、みどりはとびきりうれしそうな笑顔で応えてくれた。
 「うん。ちょっと、頑張ってみた」
 僕も笑ってキッチンに戻り、できかけの料理に最後の味つけをして、皿に盛った。二人分の夕食を両手に持ちながら部屋に入ると、みどりはコタツの向こうで正座していて、悪戯っぽく笑いながら頭を下げる。
 「どうも。ごちそうになります」
 みどりが僕の部屋にいたのは、大体二週間くらいだっただろうか。もしかしたら、もっと短かったかもしれない。いつもは自分のための料理しか作らなかったから、その夜の食事もお世辞にも上出来とは言えなかったけれど、それでもみどりはもそもそと食べ、時々は「おいしい」とかつぶやきながら食べていってくれた。そして、何一つ残さずに平らげた。みどりがいた二週間、僕は大学の研究室に顔を出したり、バイトに行ったりした。僕が部屋に帰ってくると、時々みどりはそこにいて、時々みどりはそこにいなかった。
 「白い部屋だね」
 料理を食べ終わってしまった僕らは、空の皿を前にして、思い思いの姿勢で腰を落ち着けている。たしかに僕の部屋は白い。壁が白くて、天井も白く、その上ポスターなどを一切貼ってなかったからだろう。白いと言うか何と言うか、何もない部屋なのだ。いつでもいなくなれるような部屋――僕はそこにいつでも帰ってきて、布団を敷いて眠り、いつでもまた、その部屋の中で起きた。さすがに、最初のうちは、みどりがいることで不思議な緊張を感じていた。部屋に帰ってきた時も、部屋の片隅で座り込んでいる時も、僕はそこにいるみどりの息づきを意識していて、ちらっと見たり、互いに笑いかけたり、言葉を交わし合ったりした。しかし、それも最初のうちだけだった。いつしか、みどりがいることが当たり前になっていた。みどりがいないことも当たり前になっていた。僕の白い部屋の窓側の壁には、みどりの黒のギターケースが立てかけられていて、みどりが石狩に帰ってしまうまで、その中身を僕が見ることはなかった。
 「大学、中退したんだ」
 みどりがそう僕に打ち明けたのは、東京を出る前の晩のことだった。その時僕らはショットバーで飲んでいて、みどりはひとしきり笑った後で、少し泣いて、しばらく突っ伏した後で顔を上げ、僕に言ったのだ。
 「大学でいるうちにね、自分のやりたいこととかがわかってきて、それで、何だかわかんなくなってきたのさぁ……何で自分がここにいるんだろう、とか、大学から出てそれから私は何がしたいんだろう、とか……」
 その時、僕がみどりに何を言ったのか(何を言ってあげられたのか)、今でもわからない。ただ、テーブルの上に置かれたみどりの手の甲に、僕は自分の手のひらを重ねていた。みどりは何も言わずにグラスとテーブルの中間あたりを眺めていて、気がつけば僕の手の下で、こん、こん、こん、と小さくテーブルを打っていた。
 「ありがとう」
 店から出た後は、みどりはもう泣かなかった。むしろ、ずっとにこにこと笑いつづけていて、その晩の酔いを全身で楽しんでいるようだった。僕とつないだ手を支えにして、ぐうっと身体を傾けたり、その反動で僕の方に飛び込んできたり。その度にみどりは、様々な言葉を(僕に宛てて、だろうか)大事そうにつぶやいた。そのくせふと黙り込み、まったく酔っていないかのように真っ直ぐ歩いたりもする。僕の部屋まで、僕らは明るすぎる夜の東京を歩いて帰った。「私、札幌にある音楽スクールに通うことにしたんだ。大学のサークルでもバンドはやってたんだけどね、もっと、……もっと、ね」
 東京駅で振り返ったみどりの笑顔は、どこか悲しそうだった。いつもどおりの、夏の夕方だった。家路を急ぐたくさんの人々の中で、みどりの立ち姿は一人だけ浮き上がっているように見える。すき間だらけの白い森の上空を、ゆっくり横切っていく薄物のような夕暮れを、――北海道の短い夏の夕空を、――みどりの向こうに目の当たりにした気がして、そこに広がるあてどないもののことを、僕は今でも思いつづけている。


2006年2月22日水曜日

オマージュの作り方


0、「オマージュ」とは何か。
 この文章では、「オマージュ」というものを、一つの作品のあり方として扱います。それは、あえて定義すれば「何らかの作品に感銘を受け、そこで受けた感銘を自分の作品を通して形にしたもの」となるでしょうか。つまり、例えば僕がある映画に感動して、「ああ、こういうものを自分でも作りたいなあ」と思い、詩や小説で「こういうもの」を作ったとしたら、それがオマージュになります。イメージとしては、カバーやトリビュートなどと近いかもしれません。

1、オマージュは、元ネタを知らない人でも感動させられなければならない。
 オマージュを書いた時、読者の方からよく言われるのが、「私は元になった作品を知らないので何ともいえません」ということです。たしかに、オマージュはある作品を元にして出来上がる作品です。しかし、だからと言って、元ネタを知っている人だけにしか通じないのであれば、そのオマージュは作品として失敗でしょう。なぜならば、それは例えば、夕日に感動して作った詩に対して、「私はあなたと同じ場所から同じ夕日を見たことがないから、あなたの作品を味わうことはできない」と言われているのと同じだからです。
 もちろん、元ネタを知っている人には、知っていない人と違う楽しみ方ができるでしょう。「ああ、あの作品が、こういう別の作品に変わるのか」とか、「あ、このオマージュのこの部分に、あの作品のこの部分が活かされてるな」とか。たしかに、そういうのがわかれば読者はオマージュをより楽しむことができるでしょう。けれど、そういう楽しみ方は、本来副次的なものでしかないと思います。なぜならば、オマージュが伝えるべきものは、もっと別にあるからです。

2、オマージュは、何を伝えるか。
 オマージュは、元になった作品のことを詳しく伝えるものではありません。また、元になった作品の素晴らしさや悪い点などについて、詳しく記述するものでもありません。元になった作品が素晴らしかったとして、その素晴らしさそのものを伝える作品、それがオマージュです。
 夕日の例で言うと、その夕日の色合いや大きさや角度などについて、いかに詳細に書いても仕方がありません。なぜならば、夕日に感動した場合、そこであなたが見ているものは夕日であると同時に、夕日を超えた何かでもあるからです。その何かを「感動の中身」と仮に言っておきましょう。この「感動の中身」は、たしかに夕日と一緒にあなたのもとにやってきたものです。しかし、それと夕日とはイコールではないでしょう。その「感動の中身」は、いわば夕日を通してあなたが見たもの、夕日の形を取ってあなたのもとにやってきた何かです。この、「夕日の形を取ってあなたのもとにやってきた何か」に、別の形を与えること。別の形を通して、読者のもとに(あるいは、あなたのもとに)届けること。それが、オマージュという作品であって、逆に言うと、オマージュはこの「何か」を伝える「別の形」であるわけなのです。

3、オマージュは、元ネタと同じ形を取らなくてもいい。
 オマージュが、「何か」を伝える「別の形」である以上、元になった作品と同じ形を取る必要はありません。ここを間違えてはいけません。しつこく夕日の例で喋るなら、夕日の色合いや大きさや角度などは、元になった形と言えましょう。この形をそのまま真似しても、「何か」が伝わるかどうかは疑問が残ります。なぜなら、そこで伝わるのはあくまで形であって、そこに「何か」が宿るかは別の問題であるからです。また、あなた以外の誰が、あなたと同じ場所からあなたと同じタイミングで、あなたと同じ視点で、あなたと同じ過去と未来と現在を背負って、同じ夕日を見ることができるでしょうか。
 オマージュが伝えるものは、そこで見たものがその時取っていた形ではなく、そこにあった感動の中身です。その形を通して、あなたのもとにやってきた何かです。ですから、オマージュを作ると言うことは、それを通して何かに辿り着けるような、別の形を作ることになるわけです。たしかに、元の形を取ることが、その何かに辿り着くためには一番有効である、ということもあるでしょう。しかし、それ以外でも方法はいくらでもあるわけです。それに、そもそも、元の形を完全に踏襲することになるならば、それは単なるコピー&ペーストになってしまうでしょう。それでは、作品を作る意味がありません。そして、皮肉なことに、そのコピー&ペーストが、あなたが見た「感動の中身」を確かに伝えられるか、というと、そこには大きな疑問が残るわけです。

4、オマージュを作る上で、気をつけたいこと。
 よく、あるミュージシャンの歌に感動したからそれを自分の詩で表現してみました、とかいう人がいます。あるいは、ある映画に感動したから、それを自分で小説化してみました、なんて人もいます。それはそれで、結構なことです。しかし、ここで気をつけなければならないことがあります。それは、ジャンルの違いです。
 例えば、歌にはいくつもの要素があります。歌詞、曲、楽器や歌い手の編成、演奏や歌のあり方、歌手(演奏家)のパーソナリティーや人生(聞き手がそれを知っている場合)。非常に大雑把に言っても、これだけのものが入り混じって歌はできています。ですから、歌を詩にする場合は、それらを全部ひっくるめて、言葉一本で形にしなければならないのです。
 よくここで陥りがちなミスがあって、それは、歌詞だけを真似て詩にしてしまう、というものです。しかし、先にも言ったように、歌は歌詞だけでできているわけじゃない。「このミュージシャンのこの歌詞に自分は感動したんだ」という人もいるでしょうが、しかし、その歌詞も、果たして歌としてあなたが聴かなければ、あなたは感動したでしょうか。曲や、そのミュージシャンに対するあなたのイメージなどが何もない状態で、その歌詞だけを歌詞とも知らずに読んだ場合、果たしてあなたは感動したでしょうか。また、曲を聴いた上で歌詞を読む場合、いくら歌詞だけを読んでいるつもりでも、そこには一度聴いたその曲の音や歌い方や歌手のスタンスなどなどで、どうしても方向付けが行われているのです。
ですから、歌に限らず他のジャンルに感動してそれをオマージュしてみようとする場合、どこまで自分が言葉として形にしなければならないか、それを考えなければなりません。

5、形にすること。あるいは生きること。
 私はここまで、「形にする」ということを、しつこく言ってきました。ここは、オマージュを書く上で絶対に忘れてはならない部分だと、私は思います。オマージュは、ある作品の形を取ってあなたのもとにやってきた何か、それ自体としては形にはならない「感動の中身」のようなものに、別の作品と言う別の形を与えるものです。それだからこそ、例えば歌を詩にする場合なら、音楽と言う形を取っているものに言葉としての形を与えることになるわけです。単に説明するだけではいけませんし、元の形を完全に真似てみようとしても、ジャンルの違いや作者の違いなどから(さらに言えば、視点やタイミングや読者/作者の背負っている過去・未来・現在の違いなどから)、完璧に真似ることなどできるはずもありません。
 オマージュは、説明でも、真似でもありません。元の作品と同じように「何か」を見せられるような、そんな別の作品を、あなたの手で作ることです。それはいわば、(抽象的な言い方になってしまいますが)元になった作品の世界を生きることです。例えば、平和の大切さや素晴らしさを説く文章が、それ自体としては非常に戦闘的で、全然平和でも何でもない、ということがあります。主張する分にはそれでもいいのかもしれませんが、しかし、少なくともその文章は、その平和さを形にできていない、その平和さの中で生きていないのではないでしょうか。本当に平和の大切さを形にできている文章、本当に平和の大切さを生きている文章は、「平和」という言葉を一度も使わなくても、それ自体として平和であり、平和の大切さを我々に感じさせてくれるでしょう。
 これこそが、オマージュが目指すべき境地です。元の作品と形は違っていても、そこにある感動の中身を生きられているような、そしてその感動の中身が確かに伝わるような、そういう作品にすること。オマージュを書く我々は、それを肝に銘じるべきではないでしょうか。

6、自分の声で、届くこと。
 「オマージュは、ある作品の形を取ってあなたのもとにやってきた何か、それ自体としては形にはならない「感動の中身」のようなものに、別の作品と言う別の形を与えるものです。」私は先に、そう書きました。オマージュである以上、それは元の作品とは別の物になるほかありません。ここで、先にも書いたように、ジャンルの違い、あるいは作者の違いなどが問題になってきます。
 カラオケのことを考えてみてください。たとえばあなたが、あるバンドの曲に非常に感動して、自分もこの歌を歌いたい、と思ったとしましょう。しかし、そのバンドのボーカルとあなたとは、別の人です。どれだけその人とそっくりに歌ったとしても、それはあなたが感動したその曲とは別の曲になってしまっているでしょう。それは、カラオケの機能の問題ではありません。たとえあなたがそのバンドのボーカルとして、バンドのメンバーの演奏と一緒に歌ったとしても、やはりそれは別の曲になってしまうはずです。
 では、どうするか。方法は二つあります。一つは、元の歌を真似することをやめて、あなたの声に合った歌い方を探すこと。そうすることで、あなたの声でありながら、あなたが元の歌から得た「感動の中身」を伝えられるような歌い方に出会うこと。そしてもう一つは、あなたの声を限界まで色々試して、その結果限界まで超えてしまって、自分のものとは思えないような別の声に出会うこと。
 二つに分けて書きましたが、実は、この二つは同じことを語っています。つまり、これらは、「憧れを原動力として、あなたの声で「何か」に届くこと」の、二つの側面を語っているに過ぎないのです。あなたの声でありながら、「感動の中身」を伝えられるような詠い方に出会ったとすれば、それはすなわち、それまでは知らなかったあなたの声と出会ったということでもあるでしょう。また逆に、あなたの声を限界まで色々試して、その結果限界まで超えてしまったのならば、それは何もあなたとは別の声になってしまったと言うわけではなくて、新しいあなたの声、新しいあなたの歌い方に出会った、ということでもあるわけです。

7、オマージュの喜び
 オマージュの喜び、あるいは(こう言ってよければ)可能性は、上に書いた出会いにこそあります。好きなものを、ただ今の自分の位置から説明しているだけでは、あなたはどこにも届きません(表現が伝わる、という意味ではなく、あなた自身が、どこにも辿り着かない、何とも出会わない、という意味です)。元の作品の世界に生きることを通して、あなたの身体で、これまでは知らなかった何かに届くこと。これが出来た時、オマージュはあなたにとって、自分を生きていくこと――自分の道を進んでいくこと――を支えてくれる、一本の杖になってくれるでしょう。
 「自分の道」。たしかに、それはあなたの道なのです。オマージュといえば、よく、人の真似ばかりしてオリジナリティーがない、と言われます。言われると思います。しかし、それは間違っているのでしょう。たしかに、他人の作品を支えにはします。しかし、それはいわば、アサガオの花に与える一本の支え木のようなものです。支え木は支え木として、一つの形を取っています。しかし、それに絡みついて伸びていくアサガオは、すなわちあなたという作品は、その支え木と同じ形を取るわけではない。あなたはあなた自身として伸び、支え木を足がかりにしながら、これまで自分の知らなかった世界へ、緊張と軋みとを孕みながら自分を踏み出していくのです。そして、支え木とはまた別の場所で(支え木の場所には支え木があるので、そこにアサガオが完全にはまり込んでしまうことは、幸か不幸か不可能です)、別の中空で、あなたはあなたとして自分の花を咲かせるのです。
 ただ真似ているだけでは、その道は進んではいけません。真似るのではなく、盗むこと。肉を自分の身体に移植してしまうのではなく、それを消化して、自分の身体の一部にしてしまうこと。それを通して成長すること。いままで、誰でもやってきたことだと思います。

8、見つめ直す努力。そして、技術のこと。
 ただし、ここでも気をつけなければならないことがあります。それは、ただ自分が今いる場所でいくら他の作品を取り込んでいたって、それは自分を先には進めてくれない、ということです。オマージュを書くためには、それなりの努力が必要になります。自分を見つめ直す努力。自分が盗もうとする相手のことを見つめ直す努力。そして何より、相手(相手のジャンル)とあなた(あなたのジャンル)との違いを厳しく意識すること。
 あなたが詩人ならば、詩をよく読みましょうとか、詩の技術を学びましょう、とか、そういう意見はよく聞くでしょう。たしかに、それらの勉強は必要です。ただし、やみくもに勉強していたって、仕方がありません。本当に技術が必要になるのは、上に書いたような文脈においてです。つまり、自分とは違うジャンルや、今の自分ではどうすることもできないくらいに違う相手のことを、自分の作品において形にする時にこそ、自分のジャンルにおいてこれまで他の人々が培ってきた色々な技術が役に立つのです。
 探してみれば、色々見つかるものです。自分の例で申し訳ないのですが、私には非常に尊敬する映像作家として、AV監督の藪光という人がいます。その人が『愛撫で○○○○○!』(主演伊東怜 なお、タイトルのアレな部分は一応伏字にしておきました)という作品で形にした世界に対して、私はずっと憧れを抱いていました。けれど、それをどうしても自分の詩では表現できなかった。形にできなかった。けれど、ロブ=グリエの小説『迷路の中で』を読んだ時に、「これだ!」と思ったわけです。実際は、ロブ=グリエらが切り拓いた現代文学の領域が、現代映画の領域と影響し合い、それが藪光につながっていったのだとは思いますが、とにかく、ロブ=グリエを読んで、その技術を盗むことで(真似たわけではありません。真似たわけではないと思います)、私はようやく、『愛撫で○○○○○!』の世界を書くことができるようになったのです。
 こういうことは、よくあります。ダーレン・アロノフスキーの『π』という映画を見て影響を受け、さらには入沢康夫の詩を読んで影響を受けた私が、それを小説にしようとした時に非常に助けてもらったのが、古井由吉の短編小説です。
 また、別のジャンル(別の人)から影響を受けることが、自分のジャンル(あなた自身)についての新しい見方を与えてくれる、ということもあります。これも藪光になるのですが、『妖鬼性伝説』(主演岡崎美女)で彼が使った手法や(私は仮に、それをフレームブレイキングと呼んでいますが)、そこで見えた何かについて憧れを抱くことで、私には小説が、これまでとはまったく違った見え方をしてきたのです。そして、そこで見えてきたものが、小説の(自分にとっての)新たな魅力となり、また、自分に新しい声を与えてくれることにもなったのです。
 こうなってくると、別のジャンルだけでなく自分のジャンルもまた色々な出会いの宝庫になってきます。そしてその出会いが、自分をさらに進ませていってくれるのです。詩を書く人にとっての詩の勉強、小説を書く人にとっての小説の勉強が大事なのは、こういう点においてでしょう。ただ、勉強をすればいい詩が書ける、というものでもないのです(たぶん)。

9、若い詩人たちへ、若い小説書きたちへ。
 ここまで私は、「オマージュの作り方」として、この文章を書いてきました。しかし、ここまで読んで下さったみなさんには分かると思いますが、ここで書いたことは、何もオマージュに限ったことではありません。夕日の例を出して時点で、気づかれた方もいるでしょう。私はここで、もっと一般的に、詩や小説を書く上で私が大事だと考えていることを書いてきたのでした。
 若い詩人たちへ、若い小説書きたちへ。あなた方がどのような来歴や希望を持って、あなたのジャンルで書いているか、私は知りません。ただ、そんな私が一つだけ言っておきたいことがあって、それは、何か本気で好きなものを持ってください、ということです。そして、それについて、文字通り総力を尽くして挑んでください、ということです。
 自分とは違うジャンルで大好きな相手が見つかるならば、それが一番分かりやすいでしょう。しかし、もちろん、自分のジャンル内でそれが見つかっても大いに結構です。ただし、その時に、その相手が自分とは違う人なのだ、ということを忘れてはいけません。なぜならば、自分にとって好きで好きでたまらない詩人がいるとして、その人のことをただ詩の世界の中で考えているだけでは、あなたの詩はどんどん詩の世界に閉じこもり、自家中毒に陥っていってしまうからです。好きな詩人がいるならばなおのこと、自分の気に入る音楽なり映画なり、哲学なり宗教なり、絵画なりファッションなり、ダンスなり武道なり、そのようなものを迂回して、自分の表現の可能性を色々探しながら、詩の面白さを再発見していって、それを通して、自分とは違うその詩人が形にした「何か」に自分の形で挑んでいくことが、肝要なのでしょう。

 以上、長々と書きすぎました。願わくば、この文章がみなさんの中で消化され、みなさんの中で見えない栄養素となって血管をかけめぐり、そこで脈打ちつづけますことを。ほんの少しでも、何かいい影響(響き)を与えられたなら、そしてその反響(響き)を見せていただけたなら、私はこの上なく幸せです。


2006年2月15日水曜日

小説 「みどり」 (5)


 海岸にいる。海を見ている。空は鈍色で、小さな粉雪を狂ったように舞い躍らせている。振り返ると、雪に埋もれたなだらかな丘が見え、雪かきもされていないその丘には、たった一つの足跡もない。丘の斜面に棒杭が何本か並んで立っていて、雪の下から、蓬の穂が顔を覗かせているのがかすかに見える。丘の上の方に、民家が一軒だけ見えている。丘の向こうには、きっと人が住んでいるのだ。電信柱が等間隔に何本も立っていて、そこから繋がっている電線が横様に空を切り分けている。しかし、空は圧倒的に大きく、重い。
 丘を降りてきた所には、何のためにあるのかわからない、骨組みだけの粗末な観測台がぽつんと建っていて、もちろんそこには誰も乗っていない。観測台は一つだけではなく、海と平行に点々と建っていて、それを追って視線を横に移動させると、視界の彼方で雪をかぶった巨大な山脈が、凍った高波のように鎮座している。かすかにのぞく砂浜の砂は、溶けた雪に濡れて黒々と硬く、その上で打ち寄せた波のいくつかが凍りついている。積もった粉雪が、風に吹かれて海の方へとささあっと駆け出していく。そしてそのまま暗く重たい海の中に消えてしまう。
 どこへ行きたかったのか。沈んだ海の向こうに宛先はない。丘を覆う雪は切れ目なくつながり、どこまでもつづいていて、民家は影絵みたいに黒い。一つだけ、置き忘れられた石。ぽつり、ぽつりと散らばったまま、消されもしないで耐えつづけているスポット。そのドアを叩くことはおろか、ここから丘を越えて戻ることさえできない。できるはずもない。それは誰かの感慨などではなく、今、目の前に明白な景色として、見えている。
 どこへ行きたかったのか。どこへ帰りたくなかったのか。それらの問いも真っ白に砕け、砕けたままで甲斐なく集まって、濡れた砂浜で埋もれている。一つ一つの破片の中には、鋭い角を見せているものもあるけれど、その角が散らすことのできる光が、ここにはない。尖端は自らの白さだけを抱いて、むしろ丸くなっているようにも見える。ただそこにあるばかりで、どこに届くこともない。
 「失踪」という言葉を思い出す。その言葉でさえすぐに見えなくなる。ここにいることはここにいることでしかないのだ。三六〇度どこを向こうとも、由来も目的も見出すことはできない。できるはずもない。雪はずっと前から止んでいる。それでも雲は垂れ込めたまま、彼方に見える山々の輪郭を、白く抉り出された複雑な山肌の脈絡を、閉じ込めながら際立たせている。風がまた吹いて、粉雪がささあっと砂の上を駆け出していく。そしてそのまま海の中に消えてしまう。重々しい波音。また波音。
 暖をとるための一本のマッチ。誰かと語り合うための温もりある言葉。火を囲う輪の中から生まれ、そこに集う人々を包み込んでいく音楽。それらは皆、丘のむこうの小さな民家の中にだけ、あるのだろう。ここには誰もいない。「あなた」も、「僕」さえも。誰から逃げ出すこともできず、誰へと帰ることもできない。できるはずもない。つららの垂れ下がる、要塞のような遠くの小学校から、子どもたちの嬌声が海鳴りのように聞こえつづけている。


2006年2月12日日曜日

小説 「みどり」 (4)


 まず最初に断っておきたいのですが、私はここでは、私と彼のことについて何一つごまかさずに書くつもりでいます。しかし、私の記憶違いから、結果として正しくないことを書いてしまうことはあるかもしれません。そのことについては、どうかご容赦とご理解を。私としてはできる限り正直に書いていきたいですし、嘘をつくのは嫌ですので、そこの所は変な詮索はせずに、信頼して読んでいただけたら幸いです。
 私が彼と出会ったのは、私が小学校六年生の時でした。当時、私の兄は高校に入学したばかりで、そこでできた友人として、彼を家に連れて来たのです。小六だった私にとって、兄やその同年代の男子は大人びて見え、脂ぎった顔や体つきがどこかおじさん臭くも感じられ、その癖変な所で子どもみたいに大騒ぎしたりもするため、何となく苦手で、正直言って少し軽蔑していた部分もあったのだと思います。しかし、兄について二階に上がってきた彼を見た時は、そんなことは感じませんでした。彼の目には、迷いと言うかためらいと言うか、いや、そんな暗いものではなくて、もっと無色の色合いがあり、それが特に印象的だったのを覚えています。
 「あ、どうも。お邪魔します」
 そう言って、彼は頭を下げました。その仕草も風と言うか、雲みたいでした。そして、彼は兄の部屋に入っていきました。ドアは閉められ、その後部屋でどんなことがあったのか、私は知りません。時々、部活でのことやクラスのことなど、脈絡もない話題を得意げに語る兄の声が聞こえてきました。しかし、彼の言葉はぼそぼそと伝わってくるばかりで、何を言っているのかはわかりませんでしたし、そこに時折混じる彼の笑い声は、それにも増してよくわからない感じでした。
 彼とはその時、もう一度会いました。私が一階のダイニングキッチンで冷蔵庫を開いてみていると、兄と彼とが二階から降りてきたのです。兄の後ろから、彼は「お邪魔しました」と言いました。笑っている彼の顔は、その立ち姿まで含めて影みたいでしたが、その体格が兄よりもずっとしっかりして見えることに、私は初めて気がつきました。兄と彼とはその足で、家を出て行きました。しばらくして、兄だけが家に入って来ました。その日はそれだけで終わりでしたが、それからも何回か、彼が家に来ていたことはあったのだと思います。
 しかし、去年の冬にまた家まで来た時、彼はこれらのことを否定しました。彼によると、兄と彼とは大学に入ってから知り合ったのだそうです。高校生の頃、彼はふるさとである三重県から出ることさえあまりなかったそうで、それが本当だとすると、同じく北海道から出ることがなかった兄とは出会うはずもありません。もちろん、家に来て私と出会うこともなかったのでしょう。
 しかし、それでは、私の記憶はどうなるのでしょうか。私はずっと、彼の話に納得がいきませんでした。今では、私には私の記憶があり、彼には彼の記憶がある、ということで一応気持ちを落ち着けています。それ以上の答えを求めた所で、きっと解決できない問題でしょうし、私には私の今が、彼にも彼の今があるのですから。遠く隔たっていながら、隔たったままで時に重なり合う。私と彼との関係はそのようなものですし、今の私にはむしろ、そんな私たちのあり方の方が大切に思えます。この距離を忘れさえしなければ、日々を懸命に過ごす中で、自然と、答えは見出されていくのでしょう。
 彼が再び――私にとっての再びですが、――石狩の家に来たのは、三年前、兄が地元の工場に就職してから初めての冬のことです。私はその時、大学一回生でした。兄と私とは、私が高校二年生になった辺りから次第に仲が悪くなってきていて、兄がたまに石狩に帰って来ても私は話をするのを避けるようになりました。それは兄の就職によって一層ひどくなり、この日も兄は帰ってくるなり私に文句を言っていました。部屋の入り口で兄は顔を強張らせて突っ立っていて、その肩の向こうに彼が見えたのです。昔と変わらない目の色合いに、私は何か、すごく助けられた気がしました。
 彼とはその時も、もう一度会いました。私がトイレかどこかに行こうと部屋を出ると、ちょうど兄と彼とも部屋を出たところで、短い廊下を挟んで私たちは鉢合わせしました。私が引き返すわけにもいかず立ち止まっていると、兄は「どうしようもないな」という顔をして、初めて、彼を私に紹介してくれたのです。彼の名前、彼が大学時代の友人であること、そして彼が今年、東京の大学に三年次編入して、そこで西洋思想史を勉強している、ということ。自信満々の兄の紹介に、彼はどこか居心地の悪そうな笑みを浮かべて、立っていました。それが終わると私も彼も「よろしく」と言って頭を下げ、「また、来るかもしれません」と彼は後から付け加えました。その「また」という言葉が、漠然としながらも動かしがたい確かさを持っていたのを、私は今でも覚えています。ただ私がそう感じただけかもしれませんが、この予感は漠然としたまま、翌年の冬に現実になりました。
 彼が一人で来た時、兄は留守でした。平日でしたから、当然のことです。最初は気がつきませんでしたが、私はすぐに彼だとわかって、家に招き入れました。どこをどう歩いて来たのか、彼はとても寒そうで、上着の至るところに雪が積もっていました。
 我が家のダイニングキッチンで、彼は私の淹れたコーヒーを美味しそうに飲み干します。私たちはゆっくりとお互いのことを話して、私は彼の専門にしているフランスの科学史家についてほんの少しだけ知りました。次は、私の番でした。兄も母もまだ帰ってきそうになくて、私は彼を部屋に連れて行きました。知らない男を部屋に入れることに、何の抵抗もなかったと言うと嘘になります。しかし彼は、私にとっては昔から知っている人でしたし、何より、話をしていてもどこにも下心を感じなかったので、――というか、自分を善く見せようと言う姿勢さえ彼にはなかったので、――私はただ、自分のことを伝えられるという思いでうきうきしながら、家の階段を上がっていきました。
 私の部屋で、彼は私の好きな音楽をいくつもいくつも聴くことになりました。コメントなどはほとんどなかったのですが、時々ふと真剣になったり、じんわりと上気してきたりする横顔が、彼がどれほど耳を澄ましてくれているか、私に何より感じさせてくれました。彼はまた、私がベッドの脇にいつも置いているギターに興味を持ったようでした。
 「これ、よく弾いてるんですか?」
 彼は訊きましたが、私は笑顔で応えただけで、ギターのことはそこまでにしておきました。まだ、ちゃんとした音を鳴らせる気がしなかったからです。彼といる自分の部屋というのは、それまでに経験したハコの中で一番難しく、大切な空間でした。そこにいる彼や私にかなうような音を鳴らすには、まだ時間と私の手とが熟する必要がある。たぶん、そう感じたのだと思います。
 彼はその後も、冬が来る度に家まで来てくれました。去年も来てくれたことはさっき書きましたし、今年も、来てくれるのでしょう。メールによると、彼は院に行かずに他の学部を見て回った後、今は修士一回生としてアメリカ文学の研究をしているそうです。フランスの科学史家についての研究もつづけていて、いずれその二つが結びつくのではないか、と思っているそうですが、どうなるかは彼にもわかっていない、とのことです。大学を中退してここに入ったことは、彼にも伝えました。と言うか、去年の夏、私が気持ちを固めた時点で既に彼には言ってあります。札幌でのライブのことも、先日電話して知らせておきました。絶対、聴きに来てくれるのだそうです。その時私に、どんな音が鳴らせるか。あのハコにどんな光景が広がるか。今から楽しみです。
 私と彼とのことについては、以上です。一応、実際に起こった順番に沿って書きました。しかし、――もちろん、言わなくてもわかってくれているとは思いますが、――こんな順番とは関係なく、私の目の前に広がっては消えていくいくつもの景色があります。いくつもの彼がいて、いくつもの私がいて、それらは空気みたいに入り混じり合いながら、今の私とともにここに佇んでいます。それを例えば、思い出と言ってしまってもいいのかもしれませんが、私にとっては、それもまた私たちの現在です。この現在を言葉にすることは、私にはできそうにありません。ただ、まだよくわかってもいないこの広がりを、私の全身で鳴らすことができるなら。そう思うばかりです。
 冒頭にも書いたように、私はここでは、私と彼とのことについて何一つごまかさずに書いてきたつもりです。しかし、私の記憶違いはあったかも知れませんし、そのことについては、ご理解とご容赦をいただけると幸いです。
 最後に一つだけ言えることは、私と彼との関係は、決して皆様にご迷惑をかけるようなものではない、ということです。それでは。長くなりましたが、この辺で。失礼いたします。

   美渡里 (中島 みどり)


2006年2月10日金曜日

小説 「みどり」 (3)


 家が一つの楽器のようだった。目の前には黒い引き戸が閉められてあり、その右手にある呼び鈴は既にさっき押した。家の外壁はグレーだった。玄関先は(誰の手によってだろうか)きれいに雪がはねられていた。それでも残り、扉の足元で散らばっている雪が、厚い雲を通ってきた光で白く内側から光っている(ように見える)。音楽は鳴っていなくて、こっくりした臙脂色の屋根を乗せた家が一軒、しずかに、建っていた。
 引き戸は開いている。金髪頭の小さな顔がこちらを覗き込んでいる。
 「ええっと、……何か、ご用でしょうか」
 僕は戸惑いながら、悠一さんに会いに来た、ということを告げた。
 「ああ、申し訳ございませんが、今、兄は留守にしています。……って、あれ?」
 突然扉は大きく開き、小柄な身体が全身(乱雑に切り散らかされた頭のてっぺんからスニーカーを履いた丸く平らな足の先まで)僕のすぐ前にいる。故知らぬ客に驚いていたような顔は、やっぱり驚いたような表情のままで、僕の目を真っ直ぐに見つめている。
 「もしかして、この間、――って言ってもずいぶん前の、……去年? 去年あたりに来てくれた人じゃないですか?」
 「はい。そうです。去年お邪魔した、悠一さんの大学時代の友人です。水橋孝司と言います」
 「そうそう! 水橋さんですよね。思い出しました。あー。ごめんなさいね。兄はいないんですけど、どうぞどうぞ、上がって下さい」
 みどりについて入った引き戸と引き戸の間の空間は、去年来た時のままだった。ただ、まだ昼を少し周ったばかりだったので、去年よりはずっと明るく見えている。明るくて、その分薄暗い。ガラス戸の向こうから、やはりどんな音楽も聞こえてこない。僕は肩やら腕やらの雪を手で払い落とすけれど、ズボンの裾だけは凍てついてしまっていて、薄く張った氷はどれだけはたいても毀れ落ちてくれなかった。
 みどりがガラス戸を開けて家の中に入っていく。僕もつづいて入った。暖房は少し、抑え気味のように感じた。靴を脱いで廊下を渡る。黒のタートルネック・セーターを着たみどりの背中は小さくて細いけれど、筋肉がついてすらっと伸びていた。その背中の向こう、長くもない廊下の突き当たりにトイレを区切っているらしい木の扉が見えて、その手前で、見慣れたスリッパが前向きに揃えて置かれてあった。こげ茶色のファーがもこもこしたスリッパは、まだ自分の家(と、呼ぶべきだろうか。僕の中学校入学の少し前、父が祖父母の援助を受けて購入した、いやにがらんとした建て売り住宅)でうろうろしていた頃、冬になると僕がいつも履いていたものだ。
 「へえ。そうだったの」
 テーブルの上にコーヒーを二つ置きながら、みどりは歩いて、僕の向かいの椅子に座る。
 「じゃあ、やっぱり私の思い違い……なのかなあ? ほんとにさ、来てなかった? 見たことある気がずっとするんだけど」
 「うん。来てなかったはずだよ。来てなかった。大体、悠一さんが高校の頃って、僕も高校生だったわけで、その頃僕は三重県にいたんだから。むしろ、三重県から出ることさえ少なかったくらい」
 「そうかあ。おかしいなあ」
 釈然としない表情を浮かべて、みどりは自分が淹れたコーヒーをすすり込んだ。やっば、ちょっと苦いかも。思わず顔をしかめたのを見て、僕はちょっと笑ってしまった。
 「じゃあ、孝司くんと兄さんとは、大学で初めて会ったんだね」
 「そうそう。学部の入学式のもうちょっと前、健康診断の時に話したのが最初」
 「どんな印象だった?」
 テーブルの向こうから身を乗り出して、みどりは深い瞳で覗き込む。すっきりした頬は今は穏やかなほほ笑みを浮かべていて、僕はその時、どんな姿勢でみどりの顔を見つめ返したらいいかわからず、どぎまぎしてしまった。
 「んー。何と言うか、色々考えてるなあ、と。自分の信念を強く持っている感じで、話せば話すほど熱くなってくるし、あんまり反対すると無口になるし」
 「ああー、わかるわかる。がんこものなんだよね、要するに」
 みどりが笑う。僕もつられて笑いながら、うん、たぶんそんな感じ、と相槌を打った。
 「変わってないなあ。……そういう所、私と似ているでしょ?」
 みどりはまだ笑っていて、僕はその笑顔にどう応えたらいいのかやはりわからない。曖昧な笑みを返しただけで、手元に置かれたコーヒーに口をつけた。みどりが顔をしかめたほどには、苦くなかった。あたたかくて美味しい。それを伝えると、みどりの目が一段と黒く細くなった。
 中島はまだ帰って来そうになかった。壁にかけられた時計は、もう三時に届きそうだった。真っ直ぐ下に落ちているカーテンは白く、その向こうにはきっと、一面の雪景色が広がっているのだろう。その上空を渡っていく風の、音の高い沈黙が見える気がした。青紫色をしたきれぎれの雲が、立ち止まることを知らないように横に吹き流されていく。
 ペチカが焚かれたダイニングキッチンで、気がつくと僕もみどりも、それぞれ二階の方を見遣っていた。そこにはみどりの部屋があるのだ。そう思い出して、僕は急に恥ずかしくなってしまう。何だか気まずくなってちらっと見ると、みどりは「ん?」と言わんばかりに小首を傾げてみせた。普段はすっと締まっている口元が、少し緩んで震えていた。家が一つの楽器のようだった。
 家が一つの楽器のようだった。中島と僕は階段を昇り終えて、左右に走る廊下を左に進んだ。音楽は僕のすぐ前にあり、やはり壁みたいだった。圧倒的な厚みのただ中で、不思議な平温が沁みこんで来る。熱くもなく冷たくもないそれは、幸せとも呼べないようなしずかな何かだった。海の底みたいに身体の芯まで満たされて(あるいは浸されて)、僕は暗い二階を歩いていく(この時、中島は何を考えていたんだろう)。
 「ん、ちょっと待って。やっぱり一言言ってくる」
 ドアノブに手をかけようとした中島が思い出したようにそう言って、廊下を後ろに引き返していった。二階の廊下も長くなくて、階段と直角に交わっている部分の少し先には別の部屋があるようだった。部屋の入り口は開いていたけれど、その手前で廊下が曲がっているために(つまり、部屋は真っ直ぐな廊下の突き当たりなんかではなく、突き当たりで左に折れている廊下のさらに右側にあったのだが)、中の様子は詳しくは分からない。ただ、ピンクと言うよりは淡い橙色と言った方がいいような色をした、あったかそうなベッドが一部分見えていた。部屋の壁紙は真っ白に近いねずみ色で、床は廊下と同じフローリングになっている。スリッパを履いた足がそこへ下りている。ベッドの上に、誰か腰かけているのだろうか。
 「おい、みどり!」
 背中の右半分しか見えなくなった中島が、抑えた声でその誰かに声をかけた。
 「おぅ前、だから、曲を聴く時はドアを閉めろって――」
 「ごめん。つい癖で」
 中島の言葉を遮るように、そっけない口調で誰かが答えた。垂れ下がっていた脛に力が入り、立ち上がった小さな身体が開いたままの空間に現れて、みどりだった。つまらなさそうな表情で、みどりは内開きのドアにすぐ手をかける。それから僕の方を見て、笑った。まるで、ずっと前から僕らのことを知っていたかのような、落ち着いた笑顔だった。
 そしてドアが閉まった。


2006年2月6日月曜日

【批評ギルド】 「はじめての王国」 いとう


 ついに、いとうさんの詩に批評を書く日が来てしまった。と書くと、なんか、いとうさんがどう考えたって私より目上なので、それで遠慮しているように思われるかもしれない。しかし、そういう遠慮は実の所、あまりない。それよりもむしろ、自分がちゃんと批評が書けるのかが怖いのだ。他の読者はどう思うかわからないが、私にとってはいとうさんは、自分と多くにおいて重なる部分を持つ詩を書いてくれる詩人である。
 「名づけ」の手前で耐えようとする態度、そこに生まれる、まだ名づけられていない「もの」への畏敬にも似たまなざし。名づけを耐えることはさらに、この世のさまざまなものに執着しない旅人の(亡霊の?)視点をも呼び込み、そこに見える景色は不思議な透明さと見えないはずの影まで含み込む広さとを持っていて、特徴的な用語法を生み出しつつその用語をツールとして、存在しないことによって有りつづけるもの(そして、それによって存在せしめられている我々)を掬いとって行く。(そしてもちろん、これがすべてではないのだ、全然)
 自分と似た世界を書く人の詩について、果たして批評などが出来るだろうか。それは、自分の生きている世界、自分が生きている身体から身を削いで振りもぎっていくような作業になるのだ。それができなければ、この批評はただのメタメタな自分語りで終わってしまうだろう。いや、さすがに今の私なら、そこまで素人くさいことにはならないかもしれない。しかし、非常に表面的でうまくまとめただけの批評になる危険性は、否定しない。それは、読んだ人が一人一人で判断してくれたらいい。

いとう 「はじめての王国」 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=59515

 まず、この批評では、これまでの私のやり方とは逆に、気になる所を先に挙げていくことにしよう。なぜなら、この詩において、私は現れる世界に面白みを感じる一方で、小説書きとしてどうしても端々の言葉が気になってしまい、気になってしまう部分が邪魔をした結果、現れる世界のことを深く考える所までいきつかなかったからだ。まず、その気になってしまう部分について決着をつけておかない限りは、そこから先については考える気もしない、というのが正直な所だ。



1、気になってしまう部分
A:「空がまだ青かった頃」
 「はじめての王国」と名づけられたこの詩は、六連から成っている。第一連から第五連まで、それぞれの連の冒頭には空とはじめての王国との関係性が描かれていて、それが一種の背景の役目を担っている。抜き出してみよう。

>空がまだ青かった頃
>東の空から鳥たちがやってきて
>滑りのある雨が降って
>空が赤く生い茂ると
>新月は逃げ出そうとして

 第一連は晴天の様子、第二連は東の空からやってくる、というイメージから午後から夕方あたりにかけてのものだと思われる(太陽は東から西へ沈み、それゆえ私は、時間も東から西へと訪れていくものだと感じている)。第三連は雨、第四連は夕方、第五連は夜。
 こう読むと非常にすっきりした構成になっているように思えるのだが、しかし、事態はそう単純ではない。第一連で書かれた「空がまだ青かった頃」という一行、これが事態を複雑にしている。「空がまだ青かった頃」という規定がどこまで及ぶのかが、不明確になっているからだ。
 この一行が詩全体を覆うものである、という読み取り方も可能であろう。この詩は「空がまだ青かった頃」に「気づかれずに」「残り続けて」いた「はじめての王国」について述べたものだ、と。そうなってくると、空が青くなくなる時もあるわけで、上のように読んだ場合、その空が青くなくなる時期のことはこの詩には書かれてないことになるのだが、書かれていないことによりより一層、空が青くなくなった世界の空恐ろしさが黙示録的に伝わってくる。また、この読みの場合、「まだ青かった頃」という、失ったものへの回顧めいたスタンスが、「はじめての」という部分とも響き合って、印象深くなる。
 しかし、こう読むにしては、第四連がでしゃばりすぎてはいないだろうか。「空が赤く生い茂ると」と言う部分は、青い空が失われてそこに何か凄惨なものが生え荒んでいる印象を受ける。その生え荒ぶ感触は、どうしても「まだ青かった頃」という言葉の透明さを打ち消してしまうし、一般的に考えても「~すると」という已然形の言葉は、「まだ~だった頃」という未然を引き受け解消してしまうのではないだろうか。
 では、「空がまだ青かった頃」という冒頭は、あくまで第一連に限られた状況なのだろうか。もちろん、そういう読みも可能なのだ。第一連が昼における「はじめての王国」を表し、あとはそれと並列に、さまざまな時間帯や天候における「はじめての王国」が描かれている、という読み方。これもまた、自然な読みであろう。
 しかし、こう読むにしては、第一連が強すぎる。

>空がまだ青かった頃
>王国は細く
>鉄塔がその役目を終えてなお
>行くあてなく錆びていくように

 この第一連の文章が、第二連の内容に直接的に関わってくることは明白だろう。王国が細いから鳥たちはそれを見つけられないわけだし、そもそも「羽を休める場所」という言葉自体、「鉄塔」という比喩の影響をもろに受けている部分である。
 こうなってくると、第一連の内容がそのまま第二連までつながっているような気がしてしまう。連と連とは並列にはならず、第一連の強い影響下にあって、それは第三連以降を読んでみても同様だろう。第三連以降も、第一連で出てきた「鉄塔」のイメージを下地にした部分であって、結局上に引いた第一連を変奏しているパートに過ぎない。それ自体は別にかまわないのだが、ただそうなってしまうと、「空がまだ青かった頃」という一行の範囲はやっぱり詩全体になってしまう。この一行が詩全体にかかるとした際の問題点は、先に挙げたとおりだ。

 
 B:第六連
 Aで書いたような、一行目の及ぶ範囲の不明確さ。これはそのまま、この詩のスタンスの不明確さとなってくる。この詩は、「空がまだ青かった頃」の「はじめての王国」について書きたいのか。それとも、様々な空の下で残り続ける「はじめての王国」について書きたいのか。この不明確さの影響をモロに受けてしまうのが、第六連だ。
 第六連は、時間としては夜明け前が描かれた部分であろう。しかし、他の連と違って、この連はもっと普遍的な立場からものを言おうとしているように見える。

>こぼれ落ちる雫は
>受け止められるものよりも
>むしろ穿ち
>浸食し
>削り倒す
>玉座は死に
>消えるものさえ消え失せ
>明転する空の影に
>怯えながら
>朽ちていくように
>残り続けて
>生き続けて

 内容としては、これまでの展開をまとめた部分、もっと言えば、まとめただけの部分のように感じる。これまでの連で多かれ少なかれあった具体的な事物(鉄塔、鳥、針金、羽虫)は「こぼれ落ちる雫」といういまいちイメージ喚起力のない言葉に座を譲り、連発される動詞が、そのピンとこない感じに拍車をかける。話者は、ここで何かを言おうとしている。そして、それがこの詩のテーマであろう、ということはわかる。わかるのだが、見えてこない。まあ、それはともかく、ここで話者が他の連とは様相を変えて、何か核になることを言おうとしている以上、この連を他の連と同じように読むことはできない。
 この詩は、「空がまだ青かった頃」の「はじめての王国」について書きたいのか。それとも、様々な空の下で残り続ける「はじめての王国」について書きたいのか。前者の場合、第六連はこれまでの展開を受けた上で、「空がまだ青かった頃」のまとめに入った部分だといえよう。しかし、それにしては、発展がない。第一連で言われたこととは大して違いがなく、むしろそれを説明しようと躍起になっているだけのように感じる。それならば、これまでの連の役割はなんだったのか。「はじめての王国」を様々な角度から見て検証してきたのだろうか。検証した結果、何も変わらない、何も変わらないまま王国は削られていく、ということがわかったのだろうか。
 たしかに、このような読みは魅力的だ。しかし、こう読む際に問題になるのが、「空がまだ青かった頃」という一行を阻害するように見える様々な部分なのだ。先にも書いたように、この一行が詩全体を覆っているように読むには無理がある。また、「明転する空」という言葉が「空がまだ青かった頃」を受ける(「青かった頃」から、明転していく)のならまだしも、「新月」などを受けてしまう(夜が朝になる)ようにも見えて、そうなるとやはり「空がまだ青かった頃」についての詩として読むのは困難になる。なぜならば、その場合そこには青い空→夕空→夜→夜明けという流れができてしまうからだ。さらには、上では勢い余って書いてしまったけど、「様々な角度から見て検証してきた」という読みが可能になるのは、前者ではなくて後者、すなわち「様々な空の下で残り続ける「はじめての王国」」という読み方の方ではなかったか。
 しかし、この後者の読みもまた、困難なのだ。第一連と他の連との連続性の強さがその困難の原因であることは、先にも書いた。もちろん、その連続性は「様々な空」ではなくむしろ「残り続ける」の方にかかるのだ、という読みも可能だろう。しかし、第六連の語調の強さがそのような読みを阻害する。「検証した結果、何も変わらない、何も変わらないまま王国は削られていく」ということならば、これほど説明的な強い口調は必要ないのではないだろうか。
 この強い口調から印象付けられるのは、「何も変わらない」ということではなく、それを強く言おうとしている話者であって、そうなってくると、様々な空が本当に様々な空であったのか、疑問になってしまう。無論、ここが様々な空でなかったのならば、「様々な空の下で残り続ける「はじめての王国」」という読みはきれいごとになってしまうだろう。本当に検証は行われたのか。第一連で書いたことをそれなりに説明するために小手先だけの展開が行われたのではないか。もっと端的に言うと、「何も変わらない」のではなくて話者が「何も変えていない(何も変わらないように書いている)」のではないか。そう、思えるのだ。
 ところで、私は知っているのだ。この二つのスタンスを行ったり来たりしながら読むのが、この詩を一番楽しむ読み方だ、と。すなわち、「空がまだ青かった頃」という一行は詩全体にかかり(ここまでは前者)、その空の青さは(とりあえず、今の所は)不変のものとしてありがながら、天候や時間帯によって姿を変える(ここは後者)。その姿を変える空の中で、「はじめての王国」は気づかれずに残り続け、削られ続け、やせ細りながら生き続けている。また、それは目に見えないことであまねく影響力を及ぼし、そのまったく積極的でない影響力が、我々を錯覚やゆるしとして支配しつづける(この二文も後者)。彼がおびえる「明転する空」とは、それゆえただの夜明けではなく、空の青さ自体を暴くような明転であって(はい、さりげなく前者に戻ってますよ、気づきました?)、そこにおいて「はじめての王国」はその切ない生存者と胸をムカつかせる支配者という両義的なあり方から抜け出、白日のもとに晒されて救われる=ぶち殺されるのだろう。
 しかし、このように読むのは、いわば離れ業、もっと言って曲解なのかもしれない。「空がまだ青かった頃」という言葉の二重性がそれを可能にするのだ、という考え方もできるかもしれないが、残念ながらもはや詩から離れた私には、詩のためにそこまでしよう、してあげたい、という気分にはなれそうにもない。まあ、そう言いながら2以降ではそう読んでいこうと思うのですが。


 C:「消えるものさえ消え失せ」
 文学的過ぎる。



2、視覚化する言葉、削られながらあり続けていく音
 この詩の言葉は、非常に視覚的である。しかし、それは単に映像にしやすい、ということは意味しない。むしろ、この詩は映像にしにくいたぐいの詩であろう。私が言いたいのは、この詩の言葉が具体物の形をとって私たちにある感触を確かに届ける、と言うことだ。
 愛やら何やらについて詩を書く人がいる。しかし、往々にしてそれは、概念を右から左に移すだけの作業になってしまいがちだ。概念の中ではうまく書ききった気がしなくて、それをどうにかしようとやたらと難しげな言葉を使い、その難しげな言葉の無骨な手応えを“書いたという実感”とあえて取り違えることで、何かを語ったつもりになる人もいるだろう。しかし、この詩の言葉はそのようなものではない。
 
>空がまだ青かった頃
>王国は細く
>鉄塔がその役目を終えてなお
>行くあてなく錆びていくように
 
 空の青さは「まだ青かった頃」という言葉によって過去の情景に移しかえられ、「失われてしまったもの」、もっと言って「今は見えないもの」の映像として、そこで透明化する。その透明さは「はじめての王国」というタイトルとも響き合い、透明でありながら一つの残響として確かにそこにある。そしてそのような空の青さが、その青さのもとに立ち続けている王国の姿とも重なってくる。
 しかし、王国は空とは溶け合ったりはしない。「鉄塔」という言葉が感じさせるざらざらした手触りが輪郭となり、空から王国の身を引き離す。引き離された王国はしかし、やはり空と同じ色合いを抱えている。ただそれは、空とは別に立ち、立ち続けている。そのように立ち続けることで、王国は自らの時間を(自らの時間だけを)抱えて、空の透明さと同じような当て所なさの中で(空のそれと触れ合いながら、でも、やはり内には自分の時間だけを抱えて)「錆びていく」。
 (余談になるが、ここに見える態度が、私がこの作者を非常に好む理由であるのだ。空と王国との安易な同一化は、ここでは退けられている。空は空としてあり、鉄塔は鉄塔として立っている。ここには、書く者の清潔な倫理めいたものも感じられるのだが、さらにこの区別が、当て所なさを呼び込み、結果としてこの詩の時空間を広げていることにも注目すべきだろう。)
 これらの部分について、空の透明さとその中に立つ細い鉄塔、という映像が不可欠であることは分かるだろう。しかし、この映像を喚起するのは精密な描写などではなく、言葉の魔術なのだ。上の四行が見せる空の透明さと鉄塔のあてどなさ、さらにはその立ち姿に抱えられている透明な時間などを、一体どのようなカメラで撮ればいいと言うのだろうか。
 他の読者諸氏にとってどうであるかは知らないが、私にとって詩は、そのような言葉の魔術とともにある。概念的な詩も好きだが、概念を越えて“考えること”のぐらぐらした宇宙を見せてくれる詩を見てみたいと思うし、直情的な詩も好きだが、情を叫ぶものの腹の底の蠢きまで聞こえてくれる詩を見てみたいと思う。そして、何より、言葉がそのままで映像と音と豊かな手触りとを掴みとってくるような、それらを描写するのではなく立ち上げてしまうような、そのような言葉が好きなのだ。
 そして、この詩はそのような言葉の美味しさを十分に味わわせてくれる。けれど、それだけではない。というか、そう言ってしまうとたちまちこの詩の本当のよさを手放してしまうだろう。なぜなら、そこにある美味しさ、そこにある豊かさは、そのまま“削られていくもの”が持つ豊かさであって、それは非常に逆説的にしか存在していないからだ。そしてそれを読む我々も、さもしいもののさもしいという豊かさ、というなんとも解決できないものの中で、感動しつつ削り落とされていく。その働きに大きく寄与しているのが、この詩の音韻上の特徴であることは言うまでもない(以下で、もう少し詳しく述べよう)。

>東の空から鳥たちがやってきて
>羽を休める場所を見つけられない
>王国は
>気づかれずに
>そのように

 この連など、この詩の特徴が一番現れている部分ではないだろうか。具体的なイメージ(「東の空から鳥たちがやってきて/羽を休める」)を出した後で、否定の語法によってそれを宙吊りにしてしまう(「羽を休める場所を見つけられない」)。ここで宙吊りになるのは鳥たちばかりではなく、「羽を休める場所」として一度は言及された場所(後の行で、それが王国だと分かる)でもあるのだ。王国は、言及されながら、しかしない。見えないし、そこで休むこともできない。このようなものを描き出す独特の語法も印象的だが、より際立っているのが、この詩の響きだろう。

>王国は
>気づかれずに
>そのように

 正直、読んでいていらいらする部分である。「そのように」という一行は、実際は特にこれと言って何も言ってない。「気づかれずに」までの部分を発展させず、中空でむしろ色を薄めて消え入りそうにしてしまう。けれど、消えもしないのだ。「そのように」という当て所ない一行は、薄れながら、その言葉の持つ曖昧な透明さの中で残り続ける。実際に音読してみると、ここにある焦らされるような感触、結論もなく、明確な姿もなく、消え入りそうになりながら、けれどどこかで残り続ける言葉の(いわば)灰色の感触、灰色の響きが感じられるのではないだろうか。
 言うまでもなく、この灰色の感触(黒のようにくっきりともしてなくて、白のように何もないわけでもなくて、あるんだけれどけれどたしかにそこにあるものとして触れたり取り除いたりもできない、という幽霊のような感触)こそ、この詩の描く「はじめての王国」のあり方とも通じるものであって、この詩は概念としてそれを語る以上に、そして映像によってそれを立ち上げるのと同等に(あるいは、それ以上に)、響きによって、王国を我々の中にそれと気づかぬうちに吹き込んでいくのだ。
 (これもまた余談。詩の音声上の工夫とか言うと、韻をきれいに踏むこととか音節数をどうこうすることとか考えられがちだ。つまり、詩で音を工夫するということが、イコール、リズムよく聞こえるようにすること、耳に心地よいようにすること、みたいになっているように感じる。しかし、それはいわば、音が意味の手によって言葉から排除されて没落し、せいぜい感覚的に快楽を呼び起こす程度のものにされた、ということではないだろうか。本来、詩とは意味以上に音を使って、言葉から世界を切り拓くものではなかったか。「うらうらと照れる春日にひばり上がり心かなしも一人し思へば」。例えばこの和歌の中にあるさまざまな音声上の働きは、この詩の描き出す情景に、何よりも喚起力を与えているのではないだろうか)
 少し読んでみるとわかるのだが、この詩では第三連を除いて、すべて言い差しの形がとられている。そしてそれが、我々の中にあてどなくも苛立たしいものを広げていく。それこそがたぶん、意味として語られたこと以上にこの詩の伝えたいものであり、というかむしろこの詩であって、我々はこの感触を非難し「読みにくいです」とか「気持ち悪いです」とか批評(?)するのではなく、それと向き合わなければならないのだろう。なぜならば、その気持ち悪さこそが、我々が「はじめての王国」に騙されている(錯覚を与えられ、あるいはゆるされている)のではなく、かといってそれを知った風に批判しているのでもなくて、まさにそれに向かい合っていること、王国を内側から感じていること、王国の中にいる自分を感じていること、さらにいえば詩を通して王国それ自身になっていることの証左であるからだ。



3、はじめての王国
 「はじめての王国」とは何か、ということについて、ここでは書こうと思っていた。けれど、そのほとんどについては、これまでの部分で語ってしまった。そもそも、「~とは何か」式の批評と言うのは、実は詩を読むことに関しては(いや、間違いなく小説を読むことに関しても)副次的なものであって、詩も小説も、むしろさっきの2で書いたような言葉の働き(意味も音も含めた、喚起力)とともにしかないものだと思う。「小説は読んでいる行為の中にしかない」(保坂和志『小説の自由』)。ということで、ここでは、簡潔に行きたい。
 2でも書いたように、第一連で印象付けられるのは、あてどない透明さの中で切り離されて立ち、立ちながら錆びていく王国のしずかな姿である。それは過去のものであるようだが、未だに現在(「空がまだ青かった頃」における現在)もまだ残っている。残っていると言っても朽ちるだけだが、まさに朽ちることによって、今もなお存在し続ける。
 第三連でそれが、気づかれるものでもなく、余所から来たものを休ませることもできないものであることが書かれる。では、王国の住人はどうだろうか。おそらく、王国の住人もそこでは住めないだろう。なぜならば、「王国は狭く」などの行が、あとで見られるからだ。しかし、「気づかれず」などの言葉が示唆するように、それは誰にも気づかれなくてもあるのであり、あるということで(本当にない場合とは違って)確かに影響を与え続けるのだろう。
 第三連。「血肉がそぎ落とされた痕」としての「針金」。それを晒している王国は、やはり過去の遺物だろうか。それは我々とは無関係なものにも思われる。しかし、「鈍色の姿は角度によって/折れ曲がっているが/傷は見えない/傷はないように見える」――この部分の存在感は、そのような考えを否定する。決して一様ではなく、つまり、普遍的ではなく、しかしやはり切れ目のない自らの正統性を感じさせる「王国」。とは言え、そこからは血肉が削り落とされ、正当性を感じさせると同時に死に絶えているようにも見えるのだが。
 第四連。生い茂る赤、羽虫の群れ。これらは、王国を覆い尽くし消し去るものである一方で、それを隠しつつ守り、王国の骨組みを新たな雑多性の中で再生させるものなのかもしれない。ネットと散乱する多様性の中で生きる我々は、夕暮れの時代に生きているのだろうか。まあ、それはともかく、「王国の/切り取られた視界の未来と過去に/何か見えるような気配がするが/それは錯覚で」という部分は、痛烈であろう。「王国」の視界は切り取られている、ということ。我々が語る「未来と過去」もおそらく、この死に絶えたような王国によって切り取られた視界によるものであって、いまだにそうであって、そこに「何か見えるような気配」を感じているとしても、それ(大文字の歴史? 教養小説的な成長の物語? 進歩と言う近代の言説?)はやはり、王国が及ぼす影響、ひとつの錯覚なのだろう。
 第五連。「新月」は、新しい月。月は自ら光を放つことなく、何かの光によって照らされつつ照らすもの。それが一度光を失い、新しく生まれ変わるまでが新月だろう。しかし、王国の狭さはこの新月を逃さない。かと言って、それは新月を閉じ込めるのではなく、持ち前の狭さのなかでゆるすだけなのだ。学校教育において、作文などで「自由に書きなさい」という題目を出すことにより、近代が自らの教化の成功を二重に確認する(つまり、ひとつには「自由にするべきだ」という近代のお題目がうまく浸透していることを確認し、もうひとつには、そこで出てくる“自由な作文”が実は、近代が与えた独房の中にきっちり収まっていることにより、自らのコントロールの有効性を確認する)、という内容がキットラーの論文にあったものだが、この部分は、そんな消極的な(その実、じつに巧妙で狡猾な)支配を感じさせる。
 ここまでの部分は、1や2でも書いた王国のあり方とつながってくる部分である。というか、こういう読みを土台にして、私は1や2を書いてきた。しかし、第六連は、むしろ、このような王国に対する同情と言うか、憐れみが溢れている部分である。書き方は残酷であるが、それゆえ余計に、王国を削り倒す「侵食」の暴力性と、それでも生き続ける王国のさもしいあり方(あるしかない状況)が印象づけられる。ということはやはり、この詩の話者は王国の側に立ち、その現在の不能さや生き続けるしかない状況を嘆いているのだろうか、嘆きつつそれを書くことで、何らかの慰めを得ているのだろうか。そのようにも読めるし、そのように読むべきなのかもしれない。私は、間違っていたのだろうか(無論、作者の側のブレや揺らぎとして捉えることも可能なのだけれど)。
 ただ、そのような感傷的な態度で王国を扱うことは、さらにいえば感傷的な態度で扱いつつその不能をもきっちりと(残酷に)突き放して書いてしまうことは、かつての王かそれ以上の存在がやる意外にはどうも似つかわしくないような気がする。こう書いている時、私は詩の話者をいとうさん本人に重ね、「はじめての王国」をあれやこれやの詩のサイト(たとえば、私が初めて批評書きとしての仕事を頂いた掲示板も、「千年王国」という名前だった)あるいはネット自体に重ねて見てしまっている(のかもしれない)けれど、そのような下世話なことに足を突っ込むようになったら、詩の読みとしてはもう終わりなのだ。よって、この辺で、終わっておく。この詩を詩として読む自分の読みは、もう、2で書いてしまったのだから。