2004年12月8日水曜日

無煙浜まで(3)


 「清田新栄」。たしかそのようなバス停の名前がアナウンスされていたような気がするが、それが目覚めてすぐのことだか、それとも目覚める前のことだか、いまいち記憶がない。誰も、ボタンを押さなかった。穏やかでさびしげな夕焼けの中、バスはしずかに走り続けていた。かすかな振動が、ずっと身体に伝わっている。
 外の景色は、まばらな町並みになっていた。遠くの方になだらかな丘があり、そこに何軒かの家が見える。大きな木が、丘のそこここに二、三本だけ立っていた。車道の近くには、大型のホームセンターやガソリンスタンド、釣具店などが並んでいて、どの店も駐車場が広かった。そして、丘と店との間に、何軒もの住宅が集まって建っている。
 それは、僕が生まれた本州とあまり変わりのない景色だった。たしかに、駐車場の広さなどから、ある種の拠り所のなさを感じることはある。けれど、そのむこうに見える住宅地、あるいはそこへと伸びていく曲がりくねった細道などは、そこにたしかに生活が息づいていることを感じさせて余りあるものだった。
 「屈従の繁栄」。僕は、さっき思いついた自分の言葉が、この町の景色から少しずつずれていくのを認めざるを得なかった。窓に額を押しつけるようにして、流れていく町並みをじっと見つめる。やがて、バスは赤信号で止まった。
 止まったバスからじっと見ていると、やはりそこは本州ではなかった。外は寒そうだった。何本かの木々は大きく、けれど夕映えの中で、今にも拡散してしまいそうだった。熱もない夕焼けにしずかに燃やされている、あるいは燃やされる時を待っている木々、町並み。そしてそれらを燃やす空もまた、わびしささえかき消えてしまうほどのわびしさで満たされている。やはりそれが北海道なんだと、僕は思おうとした。その時だった。
 窓の向こう側を、一人の女子高生が自転車に乗って通り過ぎていった。寒そうな風を受けて長い髪をなびかせながら、それでも彼女は、一こぎ一こぎ力強くペダルを踏みこんで進んでいった。僕は、その姿をじっと見つめていた。千歳で見た時には紙細工だとさえ思った町の中で。ゆるやかな傾斜を上っていく彼女は、いつまでも消えなかった。
 信号が青に変わったのか、バスは再び走り出した。僕は今さっき見たものが一体なんだったのか、整理できないままでいた。いや、自転車に乗った女子高生だってことぐらいはわかっている。問題は、それになぜ僕がこれほどまでに驚いているのか、ということだ。それはちょうど、空港で「……べさ」を聞いた時の驚きと似ていた。あの女子高生の姿に、僕はきっと何かを見たのだ。自分でもよくわからない、何かを。それが何なのかわからないまま、バスに運ばれて僕は今日の目的地へと近づいていく。

 外の建物は、いつしか巨大なビルがほとんどになっていた。今年の夏、名古屋で見たのと少し似ていると思った。けれど、名古屋のそれが道路に沿って統一された景観を作っていたのに対し、ここのビル群はそれぞれ形が不揃いで、その輪郭は洗練されているというより、大味だった。ビルとビルとの間の空間に目が行って、空はやっぱり寒々としていた。そこから目を戻すと、車道沿いの比較的新しいビルの一階に、錆だらけの古い商店が見える。北海道には、様々な土地から来た人々の文化がモザイク状に生きているらしくて、そのことなら大学でレポートを書いている時に本で読んで知っていたけれど、実際には時間までもが、ここではモザイク状になっているのかもしれない。北海道と言う巨大な平面の上で、どの文化もどの時代も、確たる根を晴れないまま併行に存在し、せめぎあっている。そしてそれぞれがそれぞれのまま、この厖大な空の下で震えているのだ。
 やがて、僕は「すすきの 南3西3」でバスを降りた。今晩泊まるのは、南5条西7丁目にあるビジネスホテルだった。区画に名前がついているのでわかりやすい。けれど、バスを降りた途端どこを向いたらいいのかわからなくなって、その場で360度回転して辺りを見回してしまった。交差点が見えたので、とりあえずそちらに進んでみることにした。
 バスから降りて見てみると、やはり建物は圧倒的に大きかった。赤いネオンサインなども光っていて、大阪梅田のがんこ寿司を思い出した。けれど、そこはやはり大阪ではなくて、通りの彼方へ目を移すと、たちまち薄ら寒い気分がよみがえってくる。空は平坦で、果てしなく伸びていた。ビルは統一されてどこかに昇りつめていく、という風ではなく、広大すぎる大地の上に、ごろり、ごろりと転がっているみたいだった。まっすぐに伸びる通りをどこまでも歩いて行けそうで、けれどそうやってたどり着くのは、ただ何もない地の果てでしかないことが感じられた。そこから先には、何もない。
 沖縄の海も、平らに伸びていた。けれどもそれは、周囲に対してどこまでも開かれていた。その外にまだ見ぬ世界があること、そこから何かが海を渡ってうちなーにやってくること。各地に残るニライカナイの拝所から見ると、海を通じて世界に開かれていることの希望と不安がともに感じられた。鏡のように平らで、青くうつくしい海。その彼方に明るいものを見晴るかしたからこそ、琉球びとは海を渡って世界をかけめぐり、また、海を渡ってくる客人をどこまでももてなしたのだろう。めんそーれ、くゎっちぃーさびたん、いちゃりばちょーでー。実際にそのむこうからやってきたものが、やまとゆー、あめりかゆー、望まざる戦乱と蹂躙と支配であったとしても、なお、拝所から眺める海はうつくしくてしずかなまま、外の世界へ開かれていた。
 北海道の空と大地に感じたのは、それとは反対のものだった。そこには、外がなかった。どこかへ渡っていこうとしても、否応なしに地の果てとぶち当たってしまう場所。果てがあるということで、広大な大地はその広大さを増していた。
 どこかにつながっていると感じられるからこそ、僕らはあらゆる広さに耐えられる。どんなに大きな大陸であっても、それが世界とつながりその中で位置を持っているとわかった瞬間、その広大さは相対化され、僕らは自分の立っている場所がたしかにある、と実感できるのだ。しかし、どこにもつながっていない、この場所より他にないと知らされると、そこがどんなに小さい場所であっても、たちまち広大無辺なものになってしまう。自分がどこにいるのかわからなくなって、僕らは居場所を見失う。僕が札幌の街中で感じたのは、生きていくことのそんな途方もなさだった。
 本州でもよく見かけるような、若い人たちが通りを何人も何人も歩いていく。沖縄のように顔立ちに特色が見えないからこそ、却ってその光景は異様に思えた。陽が落ちてきて、がんこ寿司みたいなネオンサインはいよいよその赤さを鮮やかにしている。ここはどこなんだ。僕のその問いも、もはや明確な形をとどめることが出来なかった。ここはどこなんだ。漫然と問いが繰り返されてはたちまちのうちに消える。自分が日本の北にいることはわかっている。わかっているけど、ここはどこなんだ。ここはどこで、僕は一体、一体どこにいるんだ。ここにいるのは、そもそも僕なのか。誰なんだ。
 まだ明るい夕闇の空へと、輪郭もろともかき消えてしまいそうだった。