2004年12月20日月曜日

エッセイ 「生と死と詩と小説と」 (中盤)


 祖父の死から生き直していく詩作の過程は、やがて生きることの不思議さへとつながっていき、「ナマナマしいはら」や「その気」などのバカっぽくもまぶしい詩も経て、「旅に病んで」(参考URL:http://awono-katei.blogspot.com/2003/12/blog-post_11.html)へとつながっていった。もともとはZONEの2003年夏のライブツアーにとっかかりを見つけて書き始めたこの詩は、自分では気がついていなかったのだけれど、如実に死の色を帯びていた。読んでいただいたオフラインの友人は皆「恐ろしい」と言ったし、祖父の死について話を聞いてもらったある人からは、次のようなことも教えてもらった。
 「この、「箱から箱へ」の連が好きなんだよ。「夜の車体」の、ガガガガガ……って音まで聞こえてきそうで。これって、お祖父さんを抱いて乗った車でしょ?」
 この言葉で、僕はこの詩の恐ろしさをはじめて知った。今読んでみても、この詩にはその底部で流れ続ける止まざるもの、その死の闇の深淵と、それに浸されながら駆け巡っていく「美しい」生の足が見えるような気がしている。そしてこの詩はさらに、2003年ライブツアーで僕を一番感動させた当時のZONEのリーダーが、この詩の中に書いてある言葉とほぼ同じ内容の言葉でもってZONE脱退を発表する、ということまでつながっていったのだった(むろん、この一致はただの偶然だろう。しかしもしかしたら、僕はライブツアーを見ながら、その時にはすでに固まっていたという彼女の意思をどこか感じ取ったのかもしれない)。

 当時のリーダーのZONEとしてのラストシングルが、「僕の手紙」。そのプロモーションビデオの撮影された場所が、北海道厚田村の無煙海岸だった。「無煙」……。不思議な名前だ。この名前にはいろいろ謂れがあり、沖合いで石油の湧き出るこの海岸では、石油の臭いはするけど煙はあがらない、ということで「無煙」と呼ばれた、という説もあれば、この近辺で座礁した船から、潮流の関係でこの海岸にたくさんの遺体が打ち上げられた、ということから「無縁海岸」と名づけられ、それがあまりにも不吉であるため「無煙」になった、という説もある。
 石油が、そもそも太古の植物の死体が地中で変質したものということまで考えれば、この海岸はひとつの死のイメージを僕らに思い描かせる。大きな時間を経て、光の元に湧き上がる真っ黒な奔流、あるいは、無名のものとしてある日浜に打ち上げられるいくつもの身体。この「無煙海岸」で撮られたプロモーションビデオでは、秋の儚い光の中で、酸欠状態で見る時みたいにまぶしい白い衣装を着て、メンバーは美しい夢、あるいは亡霊みたいだった。

 僕がある時期以降、映画の下のスクリーンの白を問題にしてきたことは、ここに発表させてもらったいくつもの文章の中に現れている(参考URL:http://awono-katei.blogspot.com/2003/12/blog-post_31.html, http://awono-katei.blogspot.com/2004/11/blog-post_03.html)。僕にとって、祖父のお骨の白さと、あの台の平らさは、その生きることのゼロ地点、闇としての死ではなく光としての生でもない、絶対的な沈黙と空白の地点だった。また、ゼロは「O(オー)」でもあり、それは円環と空白と空虚ゆえの充実と自由な変転(ゼロからオーへ、オーからゼロへ)と拡散とを感じさせるものだった。そして、本の中のページの空白のように、この空き地は言葉と言葉を、輪郭と輪郭を、そして存在と存在を隔てながらつなげているものなのだ(参考URL:http://awono-katei.blogspot.com/2004/08/blog-post_11.html)。
 僕はいつからか、この空白地点に、「無煙浜」へとたどり着こうとしていたのかもしれない。そして、その白さを通して、生きることのまぶしさと貴さ(とうとさ)とをもう一度照らし出してみたかったのかもしれない。しかし、それは言葉の果てる場所、言葉が散り散りになっていく場所、我々の存在が、真っ白な骨になり、砕かれて、砂浜の真っ白な砂の名もない一粒一粒へと帰っていく場所でもあったのだ。だから、それは映画の中からスクリーンの白にぶつかろうとする不可能な試みであり、それゆえ僕は、最終的にそのまぶしさを垣間見ることができたと思えた詩篇「新生」(参考URL:http://awono-katei.blogspot.com/2004/06/blog-post_25.html)のあとで(この詩について、今村知晃さんは「光を全反射する言葉」と言ってくれた)、神経がぼろぼろになって入院する羽目になってしまった。