2004年12月8日水曜日

無煙浜まで(4)


 どれだけ立ち止まっていただろう。空はいつの間にか、深くて暗い青紫色に変わっていた。僕は、とにかく歩き出すことにした。横断歩道を渡って、曲がり、真っ直ぐ歩いてはまた曲がって横断歩道を渡った。そうするうちに、コンビニが通りの向かい、横断歩道の少し右手に見えてきた。伊丹空港で昼食を摂って以来何も食べていないことを思い出し、僕はその横断歩道を渡ることにした。信号はすぐに変わった。通りを渡りきり、コンビニに向かって右折した。その時だった。僕が「それ」を見たのは。
 黒々とした重さだった。「それ」は、黒々とした重さだった。その重さにしばらく魅入られていた僕がいた。目を下に移していくと、「それ」はほとんど同じ太さのままで、けれど地面近くでぐっと広がってアスファルトに根――そうだ、これは根だ――を張っていた。少し離れると、視界の上の方に、大きく広がった枝と緑の葉らしきものが辛うじて入ってくる。首を上に向けても、全貌はつかめなかった。また、何歩か後ろ向きに下がって、僕はやっと、それが大きな針葉樹であることを理解した。
 その木は、車道側、つまり僕の右手に立っていて、左側にあるビルと比べてみると、三階をぶち抜いて四階の床から頭を出しそうなくらいの高さがあった。幹が太く、黒々としていて、枝葉の部分は美しい二等辺三角形を描いている。他には木など見えないその通りにおいて、その木は一本だけ、何ものにも揺るがされない姿で立っていた。その黒々とした樹皮のむこう、太い幹の内奥には、生きているものの底知れぬ深さがあって、たしかにあって、僕は伝わってくる重量感にただもう沈黙することしかできなかった。
 僕はこの時、一気に思い知らされた。自分が、なんと失礼なことを考えていたのだろう、と。屈従の繁栄? どこでもない場所? かき消えていく輪郭? たしかに旅行客としての目からは、そのようにも見える。しかし、ここにあるのは他でもない、命だ。重さと深さと傷と歓びとを抱き合わせた、何ものもゆるがせにできない確かな命だ。自転車を漕いでいた女子高生のあの力。誰が忘れたとしても、誰が見なかったとしても、あの力はあり、たしかに存在した。そして、その力の中に現れているのもまた、厳しい自然条件の中で泥の汗を流しながら、この土地を切り拓いて来た人々のたしかな命であり、彼らがここに来る前からこの場所に住み、この場所に「Sapporo」と名をつけたアイヌの人々の、命でもあるのだ。それを見たからこそ、僕はあれほど驚いたのだろう。
 あの時、じっと見つめていても彼女は消えなかった。当たり前だ。もし彼女が消えたとしても、そこに見えてくるものは観念的に語られるばかりの「無」なんかではない。そこにあるのは、ここにあるものすべての輪郭の中へと流れ込み、あるいはそこから流れ出し、さまざまに交わり変形し結節点を描く、止まらない流れ、その、風のような百年だ。そしてその百年が宿るのは、今目の前にあるような、たしかな重さの中においてだけなのだ。
 何歩か前に進み出て、黒々とした重さに手を伸ばす。硬い樹皮に触れていると、北海道に着いてから初めて、名前を知りたい、と思った。この木の名前を知りたい。今こそ、この木の名前を発音できる。そう思った。
 「おおきに」何に気を遣うこともなく、伊賀弁でお礼を言った。沖縄で陥った失語は、もはやどこにもなかった。僕はもう、旅行者ではないのだから。ただ、伊賀の百年を背負って、この島の百年に向かい合う――僕はただそれだけの、それだけの一人の人間だった。「おおきに。あんたに会えてほんまうれしいわ」
 その瞬間、僕の脳裏で、いつからかずっと忘れていたあの真っ白な頭の少女が振り返って、消えた。


 誠に勝手ながら、「無煙ヶ浜まで」はここで一旦中断とさせていただきます。
 もともと、この小説は、僕が自分の小説を見つけ直すために始めたものでした。目指すべきゴールも従うべき設定も決めず、ただこの文章の旅を旅として持続することで、その先に見えてくるものを見てみたい、という思いがあったのです。
 けれど、別のところで小説を書いたことや、卒論の執筆などを通して、この旅で見つけ直したかったものが先に見えてきてしまった。もう、旅をつづけることはできません。この旅を書き続けていくためには、もう一度この文章の地点に戻らなければならず、それは今の自分にとっては、逆戻りになってしまいそうな気がするのです。
 コメントをいただいた方へのお返事などもあり、なんとか前半部分だけは書ききりましたが、ここまでとさせていただきたく思います。旅の動機の種明かしすら終わっていない状態での誠に半端な終わり方ですが、ご深慮いただけると幸いです。
 読んで下さったみなさま、本当にすみません。そして、ありがとうございました。