2005年7月20日水曜日

「Ishkar」 scene 2


 ……いや、違う。違うんだ。
 水橋は突然、自分の記憶に首を振った。彼はバスの座席に腰を落ち着けていた。バスの中はさっきからずっと、小さくカタカタ揺れていて、窓から射し込む八月の夕暮れは、水のように透明だった。
 たしかに彼は、今年の二月、石狩市に行った。そこで石狩灯台を目指して道に行き迷い、結局、自分の足跡を辿って戻って来ざるをえなくなった。郵便局に行ったのは、戻って来てからのことだ。そこで彼はトイレを借りて、お金を降ろした。親切そうな目をした局長は、ほほ笑みながら「旅行で来られたんですか?」と訊いた。
 「はい」水橋は正直に答えた。「今ちょうど、北海道を旅してまして」
 「そうですか。失礼ですが、どちらから?」
 「京都からです」
 「へえ、京都ですか」局長は少し驚いたようだった。紳士的だった目が、丸く広がって途端に子どもじみた。「それはまた、遠いですね」
 水橋は笑いながら説明する。
 「この時期、大学が暇なんですよ。それで、ちょっと思い切って足を伸ばそうか、と」
 「なるほど。学生さんなんですね。学生時代の一人旅、いいですねえ」
 その後も会話は続いたように思うが、大体のところ、これがことのあらましだった。二月のあの吹雪の日について、もし人に尋ねられたとしたら水橋もこのように説明しただろう。しかし、このように全体的で順序だった説明は、どこかしら彼の実感から遠いところがあった。まるで、他人の見た映像について語っているようなのだ。そして、彼の骨身に沁み込んでいる出来事としてそれを語ろうとすると、たちまち記憶は混沌とした歪みを生じ、彼はいまだに雪の石狩を歩きつづけているのだった。
 歩いていた。雪はどこまで行っても止むことはなくて、灯台を失ってもなお進む他はない情景ばかりが、無限につづいていく。歩いていた。どうやって郵便局のある所まで戻ったのか、その部分の記憶は欠落していた。もしかしたら、そこで何か大事なことが起こったのかもしれない。そう思うと、不意に、今ここにいること自体が、自分の知らない真っ暗な雲の中で起きた出来事の結果であるような気がして、水橋はいわれのない不安に襲われた。歩いていた。郵便局の中では自分がしきりに嘆いている。「住所と名前がわからないと、どうしようもないですね」水橋はその過去が、後から捏造されたものであることを知っている。あの封筒が着いたことが、このような言葉を過去の彼に言わせているのだ。しかし、それを知っても、どうなるものではない。歩いていた。歩いている。歩いている。歩いている。
 水橋は、手元に取り出した封筒を眺めていた。まだ知らぬ封筒の中身は、バスの振動に合わせてカタカタと小さな音を立てていた。「清田新栄」という停留所の名がアナウンスされた。しかし、誰もボタンを押さなかった。しずかに前を向いたままの人々は、スピードをゆるめることもなく、「清田新栄」を通り過ぎていく。肌寒いと言うよりも、むしろ温度がないほどのわびしい夕陽に照らされて、バスは八月末の札幌の市街地へと、今、入って行った。

2005年7月18日月曜日

「Ishkar」 scene 1


 歩いていた。踏み出す足はその度に雪の中に埋まり、引き抜いた跡には時折、凍った緑の草が覗く時もあった。歩いていた。ずっと前から、粉のような積雪と吹き上げる地吹雪とで、ズボンの裾は白くうすく凍てついている。歩いていた。見上げる空は一面の鉄色で、そのあまりに重々しい平坦さは、どこまで行っても開けて来そうに思えなかった。というより、その鉄色がどこかで果てると考えることは、空が果てると考えることと同じくらい無理なことに思われた。歩いていた。歩いている。右手には雪に覆われた堤防が遠ざかるように見え、ゆるくカーブを描いて左前方へと曲がっていっていた。目の前にただある、そのなだらかな曲線の向こうに川はあったのか。雪と雲とで薄く紫がかった中空を眺めながら、水橋孝司は、うまく思い出せないでいた。
 しばらく雪かきがされていなかったのだろう。道は既に埋もれ、周囲と同じ高さになってしまっていた。その上を水橋は歩いていく。おそらく、道は堤防にあわせて、左にゆるやかに曲がっている。ここが道だ、と思う雪の上に足を踏み込んで、三歩に一歩は雪の中深くまで嵌まり込み、冷や冷やしながらその足を引き抜いて、水橋は先へ先へと進んでいった。道の左側は広く平らになっていて、葦のような茶色の茎が、雪の上にか細く顔を覗かせていた。
 その平地のずっと向こうには、海があるはずだった。しかし、どれだけ首をひねっても、そこにはただ果てもなく雪が見えるばかりで、海らしき気配を感じとることさえできなかった。道の先には、灯台があるはずだった。水橋は、それを目指していたのだ。実際、「石狩灯台→」と書かれた案内標識にそって歩き出した当初は、その目的地もちゃんと見えていた。しかし、彼が歩む道は一向に灯台へと近づく様子はなく、近づこうとするほどにどこまでも遠回りをして、遠ざかりつづけ、いつしか灯台は彼の視界から消えていた。視界を遮るものは何もないはずなのに、たしかにさっきまで雪景色のどこかにぽつんと立っていた灯台が、今はない。それでも、水橋は歩きつづけていた。ただ、吹き荒れる風の音と自分の息の音だけが聞こえる。鉄色の空を、いやに白い雲が吹き飛ばされるように通り過ぎていった。
 疑問に思いながら手をかけた引き戸がカラカラと軽く開いた時、水橋は自分がひどく疲れきっているのを感じていた。郵便局の前に彼が来たのは午後〇時三十分のことだった。自動ドアの前に立ったが、ドアは開かなかった。郵便局の壁は暗い色調で塗られていて、ドアとその近辺はずっと前から日が暮れてしまっているように見えた。
 「申し訳ございませんが、両脇の引き戸からお入り下さい」そう書いてある張り紙にしたがって、水橋は正面入り口の左の方へと回っていった。そこには取っ手のついたガラス張りの引き戸があり、その手前に六十歳くらいの背の低い男性が立っていた。男性は黒いジャケットを着て黒い帽子をかぶり、壁にもたれかかることもなく真っ直ぐに立っている。水橋のことを見ているとも見ていないともつかない目をしていて、多分、その目は雪を見ていた。ずっと。
 水橋はその景色の中に自分が入っていくことに強い違和感を覚えた。男性の立ち姿が、そのように思わせたのかもしれない。引き戸も自動ドアと同じように薄暗く、手をかけてもまた立ち尽くすことになるだけのような気がした。しかし、戸は意外なほどあっけなく開いた。戸をくぐっても中にもう一枚自動ドアがあり、戸からドアまでの間は室内とはいえひんやりしていた。その空間を横切りながら、水橋はここに来てから初めて、自分の身体が重く疲れていることを実感した。
 郵便局の中は、暖かだった。二枚の自動ドアと正対する形で、長い木のカウンターが置かれていて、その向こうに受付の女性が一人、さらに少し左奥に局長らしい男性が座っていた。それだけだった。受付の女性は、こちらを向いていた。男性も、机の上から軽く目を上げて、水橋の方へと親しげにほほ笑みかけている。水橋は、カウンターの前に立った。しかし、彼は何を言うこともできなかった。
 「こんにちは。何の御用でしょうか?」
 苦笑いを浮かべる水橋に、女性が鈴のような声で問いかける。
 「いえ……。すみません、わからないのです」
 「はい?」
 「何かを探していたんです。それが何かわからなくて……、でも、だからこそずっと探していたんです。ここでなら、その何かについての手がかりが得られるかな、とか、そうでなくても、ここからなら、その何かに手紙を送れるかな、とか思って入ってきてしまったんですけど。……でも、やっぱりどうしようもないですね。住所と名前がわからないと、どうしようもないですね」

2005年7月16日土曜日

小説 「Ishkar」 冒頭部


 クツニサ、クトンクトン。

 流れていく水に始まりなどなく、始まりを考えることはいつも、流れる水が曲がり、土を削り、真っ直ぐになって速くなる、あるいは浅い川底に阻まれて滞る、泥を含んで渦を巻く、そして澄み切ってしずかに流れつづける、――それら各所各所に、流れのただ中にありながら杭を打っていくことでしかない。
 川はいつも、僕らの誕生よりも先から流れてきていて、決して止まることなく流れつづけ、そのスピードで、僕らの死を越えてさらに向うへと流れ去っていく。僕らは杭を打つ。川とともに流れた流域に、アドレスを与えるために。それはささやかだが懸命な行為であり、そこには、止まない流れにあえて掉さすことも辞さない、という覚悟が秘められている。波紋。また波紋。

 クツニサ、クトンクトン。

 中には、流れそのものを変えてしまおうと、あるいは川を塞き止めて魚を独り占めにしようと、自分勝手な杭を何本も打ちこむ連中がいて、そんな時、傷つけられた川底からは汚い水が巻き起こり、幾多の魚を悲しませる。
 しかし、すべての杭はやがて、川辺を歩いていく音のない足跡とともに、一本一本全身全霊をかけた力で引き抜いていかれるのだ。そして、川はまた澄んだ流れを取り戻し、シャケは水面に銀の鱗を光らせながら、よろこびながら、帰っていく。杭を抜いた後から湧き出した清い水、清い風もまた、涙を流して帰っていく。しかし、――どこへ?




{引用=知里幸惠編訳 『アイヌ神謡集』(岩波書店 1978年)より。
「小オキキリムイが自ら歌った謡 「クツニサ クトンクトン」」を引用・アレンジしました。}


古島さん「補足その4」への個人的なお返事(2)


{引用=承前(「古島さん「補足その4」への個人的なお返事(1)」http://awono-katei.blogspot.com/2005/07/blog-post_14.html
なお、古島さん「補足その4」はhttp://po-m.com/forum/showdoc.php?did=42702です)}


>いつの時代であれ、どのような人であれ、「私」を通して時代を語るのであり、

 これは、私もそうだよなあ、と思うところでした。
 この部分で何が面白いって、「私」ってものはよく、個人的なものだと思われがちですよね。で、「時代」っていうものは、公的なもの、と言って変なら、個人を超越した大きなものである、と思われがち。
 でも、「時代」はそれだけで存在しているわけではなく、「私」を通して現れる。それも、個々の「私」を通して極めて個人的な次元で現れる。それをある手法によって世の風潮だの時代の特色だのいって抽出して見るから、まるで時代がまずそれだけで存在していてその中にいる人々がそれに影響を受けている、とかいう図式が頭に浮かんでしまうのですが、実際は、時代は時代だけでは存在しないも同じなのではないでしょうか。
 逆に「私」の側から言うと、我々は自分である「私」のことを当然のものだと思っていますが、それは確実に時代によって影響を受けているのです。たとえば、ロマンチックラブと呼ばれる我々の「恋愛」も、もともとは騎士と貴婦人の恋を祖先として西欧で発明され、日本に輸入されてきたものですし、我々が普段感情だの内面だの言っているものも、たとえば「人間の内面」などとして名づけ呼ばれる対象となったのは、日本では『当世書生気質』等の近代小説の誕生(移入? キメラ化?)の後のことだということです。
 だからこそ、「私」を通して「時代」を語ることも出来るのでしょう。というか、「私」よりも大きな「時代」を語るためには、「私」の限界を排していく方法のほかに、徹底的に「私」を掘り下げていって、時代の地層に掘り当たる、というのも立派な方法なのではないか、と思うのです。また、「私」を書くにせよ、中途半端なことをするとそれが単に「時代」に押し着せられた「私」を描くだけで留まる、すなわち「私を表現」することもできず「時代」の真相も暴けず、たんに「時代」によって前もって与えられていた答えをお利口に繰り返すだけになってしまうのです。それよりか、「私を表現」なんて考えずにただ自分の書きたいものをじっと見つめていくことで、その見つめるまなざし、見つめざるを得ないまなざしの力として、「私」が作品の中に強烈に立ち現れてくることもあるのです。

>「私」という人間によって言葉は意味を与えられ、その意味の真価を問われるのは、「私」自身の生き方であり、「私」という人間が、如何にこの時代の深部を理解し、それを表現し得たかという事実にこそある。ニュアンスもイメージも、「私」によって意味を与えられてこそ、「詩」となる。

 作者としての「私」を知らなくても、詩は読めると私は思います。作者のことを知らなくても感動できる詩があることは、実際ここにいるならば何度でも思い知らされます。
 さらに言えば、読者が読み取る「私」なんて、最終的に、その作品を通して浮かび上がってくるものでしかなく、それは現実の作者とは異なっている。だからこそ、作者の人生とかは究極的には作品の価値や意味の担保になるものではないと思うのです。作者の人生として自分が知っているものを、読者は作品から浮かび上がる「私」に重ねるだけ、あるいは「この作品にはこういう「私」が表現されているんだから」、って感じで前もって了解して読むだけ、そのようなものではないでしょうか。
 むろん、そのような読み方をすることで最も感動を味わえることができる作品と言うものもあります。また、そのような読み方を求めてくる作品や作者もいます。ただ、それだけが詩ではない、と私は思うのです。

 作者の人生と何でも重ねあわせる読み方の辛い所は、書かれてあるのがいきなり直接的な問題につながって、一気に芸術が不自由な所に押し込められる、という部分にあります。たとえば、オジー・オズボーンの曲に「Mama, I'm coming home」という名曲があるのですが、母との仲違いで家を出、しかし自分ひとりの苦悩を経て母をその醜さも込みで受け止められるようになり、いま穏やかに家に帰る者の歌であるこの曲が、「へえ、オジーはもう故郷に帰っちゃうのか?」とか、「オジーってマザコン?」とかの読まれ方をして(いや、作詞は実はレミー・キルミスターですが)、この曲を満たしている美しく優しい空気の広がりに耳をふさぐことがあれば、単純にもったいないと思うのです。
 さらに言えば、書かれてある「私」と作者を短絡的につなげて考えることは、実際の人間である作者に対する無理解を導くことにもなります。よく、この前の詩で言っていたことと今の詩で言っていたこととが違うじゃないか、という感じの意見が出てきますよね。先にちょっと書いたレミーなら、自分のバンドでは「We are the Killers!」とか叫んでいるくせして、「Mama, I'm coming home」かよ、裏切られた!とかいう人も出てくる人が出てくるかもしれない。けれど、レミーの中には「the Killers」の部分しかないのではない。そこには、「Mama, I'm coming home」の部分もあるのです。人間とは、それだけの振れ幅を、それだけの立体感を、それだけの不合理性や偶然性を、必然性や規則性とともに分かちがたく併せ持ったものである、すなわち、肉体を持ったものである。「私」と作者をつなげることは、人間の一側面をもってひとりの人間をキャラクタライズしてしまう、そんなことを私は考えてしまうのです。

 (むろん、実生活では、ひとりの人間としての自分に目をつぶってでも、自分の一側面を主張しなければならないときがあります。意見表明ってやつですね。しかし、その意見表明がその人の全てではない、その意見表明は0:100で出てきているのではなく、その意見の下にもう一つの可能性が埋もれていて49:51で出てきていることが往々にしてある、ということも忘れてはいけないと思うのです(河合隼雄『こころの処方箋』)。
 たとえば、光学理論において粒子放射学の創始者となったニュートンが、自らのその理論では説明しきれない現象を発見していて、補完の必要性を感じていた、そしてそれは二世紀後に波動力学が実現した波動説と粒子説の総合を予示するものであった、ということがカンギレムの『生命の認識』に書かれてあります。粒子説ばかりを光学に関する彼の考えの全てだと思いこみ、ニュートンの名の下に粒子説の完璧さを誇っていたのは、彼の後継者たちの浅薄さだと言えるでしょう)

>それは、「私」という存在が、時代そのものと等価となることであり、そういう高みにまで「私」という存在を追求することこそ、「私」という人間が詩を書くという根拠となる。

 ここで仰っている「私」は、もはや個人を越えたものであるように思います。「時代そのもの」と等価なわけですからね。できれば、私は時代を突き抜けて「宇宙」と等価になりたいな、なんて思います。それはもはや個人ではどうしようもなく、作品を書いていくことを通してしか無理なことであり、逆に言えば、そのような等価の瞬間の中に掻き消えていき、その中で生きつづけていくために、私は作品を書いているのかもしれません。書かざるをえないのかもしれません。
 さきに、私は作者の多面性を言いましたが、そのような作者の多面性を越えてより肉体を持ったもの、作品がそのようなものになればいいな、と思っています。私を越えて、より私そのものであるような作品。そのようなものを探している点において、私は古島さんが仰った「「私」を読者に読み取られることが問題ではなく、そういう読み方をされてその価値を減じるような作品であることが問題なのである」の後半部分に、同意しています。簡単に読み取られないくらいに肉体を持った「私」そのものを作品の中に宿したいな、なんて思っています。
 あと、「「私」自身の生き方」が大事という部分にも、実は賛同しています。ただそれが、作品の中にこもる「私」が、作者の書くという行為の継続と断絶によって形を変えていき、それが作者の人生を流れる時間を感じさせる、という点で。要するに、作者と言う人間は、その作品がどれだけ自分とは違う人の話でも、本当に書きたい、これは自分が書かなければならない、という気持ちに従い作品を書くことで、その気持ちに現れている「私」の真実を原動力にし、そして言葉を一歩一歩の足にして、本当の自分自身の人生を歩いていくのでしょう。作者とは、書く行為を通して自らを生み直していき、それによって生きていく者――。作品を通してそのような作者の生が見える時、作者は作品を書くことを通して、自分の人生それ自体を最高の、そしてかけがえのない作品にした、といえるのではないでしょうか。

 逐一、といいましたが、もう十分すぎるほど個人的な考えを述べてしまい、これ以上つづけなくてもな、と思います。この辺で失礼します。
 大覚さんのお心遣いもありますし、しずかにしなければ、と思いましたが、どうしても性分ゆえ、続けるといったものをそのまま放棄することはできませんでした。すみませんでした。

2005年7月14日木曜日

古島さん「補足その4」への個人的なお返事(1)


 古島さんの「補足その4」http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=42702に、逐一お返事を書いてみます。

>先ず、「私小説というものがほぼ死に絶え」という現状認識自体が疑問である。ボクには、今の小説は、「私小説」そのものに思える。それが当たり前となり、そうであるからこそ、それは「私小説」ではなくなったというだけのことにしか思えない。敢えて言うなら、エンターテインメント的私小説と名付けるのが妥当である。

 わたしも、大覚さんのこの部分には疑問を感じました。むしろ、いまほど私小説的なものが求められている時代はないような気がします。たしかに、エンターテイメント系の隆盛は、ファンタジーやベタな耽溺型フィクションのブームに支えられ、なかなかすごいものがありますが、その一方で、実際の人間の話に対する興味は弱まっていない。むしろ、互いに結びつき合いながら強くなっている気がします。
 しかし、その欲求が私小説には向いていかない。それは、たぶん、実際の人間に対する興味が、単に自分の知っている(あるいは、共感できる)ような身近な人間の話への興味に終止しているからでしょう。ちゃんとした私小説を読むのは、ドエライ体力が要ります。自分とは異質の人間の生と向き合うことになるのですから。そうではなくて、自分が「そうだよね、あるある」と納得できるような話ばかりを求めている。そういうものを通して、リアルを手に入れようとしている。そんな気がします。
 あと、私小説は小説家が書いているからいけない、というのもあるのかもしれません。作家は所詮、作家なんだって感じで見られてしまっている。どこかにフィクションの色がついている気がして、そういうのがうそ臭く思える。そんな気がします。それとは逆に、たとえば各界ですごいことをした人とかの物語や告白物などは、それだけで「この人の言うことは本物だ。リアルだ」って感じで読まれているのではないでしょうか。

>「人はどうしてもより具体的な物語を求めたがる」を正しく言い換えれば、具体的な物語に依存するような表現を、作者自身が試みているということが問題であって、読者にその責を転嫁するのは間違いである。

 そうでしょうか。たとえば、アンデルセンの「マッチ売りの少女」を読んで、「この人は、自分が貧しい思いをしたから、そのことを思い出してこんなことを書いたんだ」とか、「アンデルセンは、ロリコンだ」とかいうのは、果たしてアンデルセンの責任になるのでしょうか。
 これは極論ですが、しかし、詩を作者にひきつけて読むことは、このような極端なことと根を同じくする問題だと思います。

>「作者である“私”そのものではない」と言うのなら、あなたが詩を書く理由はどこにもないし、あなたである必要はどこにもない。

 そうでしょうか。たとえば、Zという女性バンドがあったとしましょう。その人たちが歌うために、Nさんと言う男性が歌を書いたとしましょう。無論、その曲はZが歌うためのものであるため、その曲はNさんが自分の気持ちを表現したものではありません。ここで、わかりやすいように、Nさんが、自分の知っている20代後半の女性の実体験に胸打たれた経験をもっていて、今回Zに曲を提供するにあたり、その人の実体験を用いて歌詞を書いたとします。それならば、その歌詞はNさんが書く意味がなかったと言えるでしょうか。
 私は、違うと思います。たしかに、書かれてあることはNさん自身のことではない。しかし、(その歌詞のできばえにも寄りますが)そこには間違いなく、Nさんの声が宿っている。知り合いの女性の体験をいかに歌詞にするか、どのような作品として完成させるか。Nさんが書いた意味は、作品の中に現れているのです(その意味で、どれだけ自分のことが書かれていなくても、その曲はNさん自身だ、ということもできるかもしれません。逆に言えば、どれだけ自分のことを必死に書いても、その作品がその人自身にならないこともある、ということです)。
 これは、その曲を演奏するZについても同じです。Zが(当時)17、16、15、14歳からなる四人組で、しかもその曲を歌うのが14歳の人だとしたら、彼女は歌詞を書いたNさんとも、歌詞のモデルになった女性とも違うわけです。それでも、彼女がその曲に感動し、なんとか自分のものにしたいと思い、結果、その歌を感動的に歌ったとしたら、その時、わたしたちは一体誰の「私」を聞いているのでしょうか?
 そこには、モデルとなった女性の生があり、その人の体験に感動し曲に変えたNさんの生があり、さらにその作品に感動し自分のものにして歌い上げたその人の生がある。そして、その個々のあれこれは、皆それぞれに名もない感動から生まれ、そこに我々を運んでいく。そういうものではないでしょうか。曲を聴くとき、我々はいちいちそれを誰それの「“私”の表現」として聴いていないはずなのです。

>「言葉本来の持つ、イメージを想起させる力がそこに宿っている」とは、単なる幻想である。それが真実であれば、誰が表現しても同じ効果が発生するということになる。また、「言葉本来の持つ」という言い方、その根拠はどこにもないはずである。

 もちろん、読み手が作者のことを知っていたなら、事情は違うでしょう。谷川俊太郎が「詩人のふりをしているが/わたしは詩人ではない」というのと、秋元康が言うのはやはり感じるものが違うわけです。
 でも、まったく知らない人が言う場合だと、そこは関係ありません。今回、「補足その4」で書かれたことを、たとえば「古島」さんじゃなく「小島」さんが言おうと、僕は同じことをここに書いていたでしょう。詩もそうで、ジェニファーさんが「今日は曇っていて京都しか見えない」と言うのと、ロザンナさんがそういうのと、あなたにとってはどっちも変らないはずです。
 でも、もし上の言葉をジェニファーさんが言うのと庄兵衛さんがいうのでは、きっとあなたにとって意味は変わるでしょう。しかしそれは、それぞれの人生がそこに籠もっているからではなく、単にあなたが、「ジェニファー」「庄兵衛」という名前から受けるイメージによって、言葉にある方向付けを行い、その意味を違ったものとしてとろうとしているからに過ぎません。そして、作者がどんな人生を送ったか、とかそういう問題も、結局この名前のイメージと似たり寄ったりな所があるのです。要するに、それは作品の根幹ではなく、あくまでそれに味付けするもの、作品というステージを照らすスポットライトの一つにしか過ぎません。それはライトの一つであって、ぶっちゃけそれがなくても、作品は読めるのです。
 (私は、ジェニファーや庄兵衛と言う名前が、作品に影響することを責めるつもりはありません。また、作者の人生や、書かれた時代などが、大きな影響を持つ詩が存在することも、当然だと思っています。むしろ、そういう外的な情報も全て含めて、作品は作品として成り立っていると思っています。つまり、どうやら私はそういうあれこれを、全て、作者ではなく作品というもののもとに帰着させたいみたいです。すなわち、詩の言葉と、様々な人間(作者も含みます)との関係によって織り成される、ステージ(あるいは客席まで含む会場と言う空間)のもとに)

>さらに、万葉の歌が色褪せないのは、それが万葉という時代の「私」によって歌われたものであるからであり、たとえば、その歌のどれかを、現代の歌だとして、他の歌の中に紛れ込ませてみるといい。その歌を評価する人間など誰もいないはずだ。枕草子しかり。源氏物語しかり。それを現代語にして、今の作家の作品として出版してみるといい。そういうことが実行可能だとしたら、誰が、この平凡な文章を評価するだろう。

 「うらうらに照れる春日にひばり上がり心かなしも一人し思えば」。わたしはこれで泣きました。別に、これが万葉集に入ってなくても泣いていたと思います。現代の歌に入っていても泣いていたと思います。ついでに、これに他人の日記の引用を織り交ぜて詩にしてみました。好評でしたよ。
 あと、「枕草紙」については、桃色訳なんてものも出ましたね。平安時代もへったくれもないスゴイ訳でした。高橋源一郎が評価してました。

>つまり、「私」というのは、常にその時代を生きる「私」であり、その「私」を通して初めて、その言葉の意味が生まれるのであり、言葉そのものの意味などいうものはどこにも存在しない。

 意味という次元に限って言うと、それは正しいでしょう。ただし、「私」を書き手ではなく読み手と読み替えた場合に限り、ですが。その上で、意味から一旦離れると、「言葉本来の持つ」何らかの力というものは、やはりあるものだと思います。わけがわからんのだけどドキドキする言葉とかもありますし(今読んでいるアイヌ神謡集もそうです)、意味はそうでもないのにやけにぐっとくるフレーズとかがあったり。そういうのと出会うと、私は言葉の肉体とぶつかったなって気がします。

>私的に言えば、言葉そのものに価値を認めるならば、スーパーコンピューターに詩を書かせればいいのである。それはちょうど、オランウータンに絵筆を持たせて描いた模様を、ピカソになぞらえるようなものだ。

 書いたのがオランウータンだと知らなければ、どっちでもいい問題です。問題は、その画が我々に触れてくるか、我々をどこかに誘うか、ですよ。スーパーコンピューターがどれだけすげえ詩を書けるかわかりませんが、そこにかかれたものが単なる言葉の寄せ集めではなくちゃんと我々に触れてくるのだとしたら、そこには詩があるのでしょう。それをわざわざ、「これはスーパーコンピューターが書いたんだから」と言って非難する気持ちは、少なくとも私には湧きません。

>要するに、「私」を読者に読み取られることが問題ではなく、そういう読み方をされてその価値を減じるような作品であることが問題なのである。そのことは、読者のせいではなく、正しくは、作者の力量の問題であり、作者自身の生き方の問題なのである。

 問題なのは、「「私」を読者に読み取られること」ではないでしょう。むしろ、「私」を読み取れる読者がどれほどいるのか、私には疑問です。「私」というのは、誰にとってもそれほどの謎であって、下手したらその謎はこの世界の謎と同じだけの質量を持っているのかも知れず、それを書こうと真正面から突っ込むとわけのわからないことになるし、逆にそれを避けて私を消していくように書いていても、その制作が真摯であれば必ずいつか「私」に帰ってきてしまう、そういう厄介な代物だと思います(詳細な論証は避けます)。
 問題は、そのような謎めいた「私」を、いかにも簡単に読者が決め付けてしまうことでしょう。「ああ、この人はロリコンだからこんなのを書くんだな」とか。無論、そんな決め付けを撥ね返せるようなすげえものが書けるのが一番なのですけど、でも、そう読みたいと思う読者はどこまでもそう読もうとするでしょう。で、そう読めなければ、いろいろと難癖をつけてその作品をその作者の名において貶めるでしょう。「この人は、なんでこんなにわけのわからないものを書くんだ」とか何とか言って。

>たとえば、詩を書こうとするような人間なら誰でも、愛する詩人や尊敬する詩人の一人や二人はいるだろう。そういう詩人に出会いながら、敢えて、「私」という人間が詩を書く意味をどこに見出そうとするのだろうか。それは、「私」という人間がその根拠になっているのではないか。それなのに、どうして、「詩」と「私」を切り離すなどと言い出すのか、ボクにはまったく理解できない。詩」と「私」が切り離されたとき、それは詩が自由になるのではなく、まったく意味を喪失した記号の羅列になるということだ。「詩の雰囲気」とは、意味を失った記号の模様に、無意味な価値を認めることではなくて、まさに、そこに歴然とした意味が存在するということであり、それは、紛れもない「私」という人間によって与えられた意味であり、「私」のみが創り出し得たニュアンスでありイメージなのである。そうであるからこそ、この「私」という人間が詩を書くという意味があるのだ。

 書かれ、読まれる「私」と、書く/読む「私」、すなわち作品を通して生きる何らかの生との混同が見られます。後者が存在しないとたしかに詩は存在しないでしょう。古島さんが仰るとおり、わざわざ自分で書く/読む意味がなくなるからです。
 しかし、前者がない詩があるのも事実です。たとえば、先の短歌などは、一体どんな「私」を現したものでしょうか。いや、まあ、大伴家持なんですけども、私はその人を知りません。しかし、私はこの短歌に感動した。それは、大伴家持が書いたからとか、私が他でもなく大伴家持が作り出したニュアンスに触れたから、とかいう理由によるものではありません。大体、大伴家持作ってことも知らずに読んで感動したのですから。結局、作品に感動したから。言葉に感動したから。そういうことしか出来ないと思います。そして、私が触れたとしたら、それは書く/読む「私」の謎に通じ、言葉の持つ本来の力にも通じる、“生きるということ”だったと、そう思います。

>たとえば、ある人が、半角数字だけの羅列を詩だと言って、このフォーラムに発表したことがある。そういうものを詩だと言って、それですべて埋め尽くされたとしたら、君は、その詩を一体、何日読み続けることが出来るだろうか。あれを詩と言うのなら、あれこそ、「私」がどこにも存在しない、一切の意味を拒否した、言葉そのもののイメージということになるのではないか。君が主張していることは、そういうことなのだ。

 まず、方法詩や純粋詩について少しは勉強してからものを言って下さい。あれを投稿しはった方にも失礼極まりない文面だと思います。「言葉そのもののイメージ」なんかではなく、イメージすら排除して言葉や言語芸術や世界そのものを突き詰めていくからこそ、あのような形になったのではないでしょうか。
 あと、大覚さんは別に、「私を排除する・意味を拒否する=言葉そのもののイメージ」なんて言ってません。彼が意味とニュアンスを簡単に分けてしまったのは(さらに言えば、作品の主張や世界観を一言で「意味」と言い、それを重視しないことを「意味など必要ない」と言ったのは)、確かに「乱暴」すぎたかな、なんて思いますが、そこから「意味を拒否=言葉そのもののイメージ」という等式を成り立たせるのは、明らかに行きすぎだと思われます。

 すみません。まだ、少し残っていますが。ここからの部分はとても興味深く拝読した部分であってもっと慎重に語りたいところでありますし、私も明日(今日?)仕事がありますので、今回はこの辺で失礼いたします。 
 

2005年7月9日土曜日

ある自殺死体についての習作(その冒頭)


 部屋の中は乱雑に散らかっていた。何回も着まわしてきた衣服が、いつ着たかの区別もなく一かたまりに積み上げられ、崩れかかったままで止まっていた。丈の長いカーテンがだらしなく半開きになっている。外は夜だ。摺りガラスの向こう、最近出来たばかりの四角い高層マンションの明かりが、点々と白い。
 部屋の真ん中、そのマンションからも見える位置に敷かれた布団は薄汚れていて、長く湿気を吸ってきたためか、生地も風合いも一切の内実を失ってしまった。布団の横には、空になったカップ麺の容器が一つ置かれてある。僅かにスープが残るその底の窪みへと、二本の割り箸が斜めに差し込まれていた。前触れもなく小さくバランスを崩したその瞬間のまま、発泡スチロール製の縁に身を凭せかけて、じっとしている。おそらく、この二日の間、ずっと。箸の先の方には、スープと二日前の彼の唾液とが、穏やかな染みとなって残っている。
 その部屋は、京都市の中心部を縦断する東大路から、路地を少し西へと入ったところにあった。そこは何年も前から新しい建物が建たず、寂れた店舗の閉店や古くなった住居の取り壊しばかりが行われている地区で、ある日、錆だらけになって放置されていた大きな工場を取り壊して高層マンションが建つまでは、その一帯はまるで、京都の中心部に広がる古い木と土と鉄の墓地だった。
 工場がなくなった。マンションが建った。数日の間、そこには何もなくて白っぽいだけの空き地が広がっていた。かつて工場をゆるやかに見下ろして、いつだったかよく見えない空き地を斜めから覗き込み、今では壁のような高層マンションから威圧的に見下ろされる。彼の住んでいた部屋はちょうどそのような場所にあり、それは五階建ての学生マンションの三階の一室だった。
 階段はマンションの外壁に取り付けられている。深夜バイトを終えて帰ってきた彼は、大体決まって、疲れた足取りでそこを昇っていった。三階にたどり着き、依然昇りつづけている階段からのっそりと外れ、濃緑に塗られた廊下を歩いて自分の部屋の前まで行く。鉄製の重い扉を開けるとその度ごとに、湿気に満ちた部屋の空気が彼の頬を親しげに打った。
 その部屋に彼はいない。十数分前まで彼が寝転んでいた布団の上には、今は一つの死体が転がっている。やせた胴体に淡い水色のパジャマを着、顔には半透明のポリエチレン製のビニール袋をかぶっていて、姿勢は真っ直ぐだった。仰向けになって、布団の上に転がっている。そのまま動かない。
 部屋の空気はずっと滞っている。しかし、それは完全に静止しているわけではなかった。よく見てみると、ついさっき生まれたばかりの小さな埃が、つけっぱなしの蛍光灯の光に照らされてかすかに上下している。様々な菌類を含んだ空気もしずかに渦を巻いていて、その渦がたどり着いた先、家具の裏側や流しの下など目に見えない片隅では、今この瞬間にも新たな命が花を開きつつあった。死体は現れて以来ずっと、この止むことのない腐食にさらされつづけている。いずれ、その皮膚や内臓からも花が咲くだろう。
 部屋の外は一面の雨だ。

   (以降中断)