君の名前が 道に消えてく 君の言葉も いま 風に消された 君の仕草を 海が忘れた 君の歌声だけ 空に涼しく満ちた 海面と同じ高さだけの この道の上 抱かれたまま 陽の光だけ 音もなく錆びてく二人の夢 水平な日々 つながれた海 つむがれてく意味 白すぎる糸 命を囲み 風だけを見て ひとり散歩する君 聴こえないその歌を繰り返す波 君の名前が 道に消えてく 君の言葉も いま 風に消された 君の仕草を 海が忘れた 君の歌声だけ 空に涼しく満ちた 「この町は海抜0メートルなんですよ」と、部屋に案内してくれた仲居さんが言 った。「だから、あの白い堤防が、わたしたちの命綱なんです。あの白い堤防が」 荷物を下ろしてしまうと、僕は外に出て、バスで来た道を自分の足で歩いてみた。 日の光がアスファルトの上で行き場を失っていた。堤防はたしかに他の海岸よりも 圧倒的に高く、そして、いやに白かった。僕は骨みたいだと思った。去年の九月、 祖父はあのセメントよりも幾分茶色がかった骨になって、長い箸の先でもろくもろく 崩れたのだった。 君のふるさとを訪ねているんだ。 君のふるさとを訪ねているんだ。 こうつぶやいているとき、僕は、 君って言うのが自分の祖父なのか、 もう会えないかもしれない愛しい あの女性のことなのか、知らない。 誰だっていいんだ。僕は君に会いたい。 誰だっていいんだ。僕は君に会いたい。 「海はどこですか?」そう尋ねた僕に、通りすがりの老婆は笑って指をさした。「ほ れ、そこにあるわして」 その指は黒くて、肌がしなやかで、海風に吹かれて生きていくことの厳しさとたくま しさを無言で語っていた。老婆は笑っている。指は、堤防よりも少し上空、入道雲が湧 き出しているあたりを指していた。 「あそこ……ですか?」問い直した時に、老婆は黙ってうなづいた。その顔が、誰か に似ていると僕は思った。しかしそれが誰だか、結局思い出せなかった。東からの雲が まぶしい。指差したままで、老婆は誰かのように笑っていた。 君の名前が 祖父が死んだ日のことを、僕はよく覚えていた。 道に消えてく あの女性と最後にあった日のことを、僕はよく覚えていた。 君の言葉も いま だからこそ、僕は探したかったのかもしれない。 風に消された ぜんぶ浜辺に打ち捨てて、もう一度、 自分の足で拾い集めてみたかったのだ。 君の仕草を 砂浜はきれいだった。波に何度も濡らされていた。 海が忘れた 宝石みたいな、白い貝殻が転々と、 君の歌声だけ 正確には、貝の死骸のきらめきが転々と、 空に涼しく満ちた 転々と、まるで足音のように落ちていた。 君のすべてを 僕は忘れた 君を探して いま 僕はこの道を行く 僕はこの道を行く 海抜0メートルの午後 海鳴りはどこからも聞こえない |