生きることと死を分けて考えることがわたしは嫌いだ。生は、死を抱き合わせにして生きている。誰の身体の中にも内蔵があるように、内臓の奥にどうしても見ることができない闇があるように、われわれは死と抱き合わせであるのだ。それは、海があるから陸があり、宇宙があるから星があるようなもので、そういう自分の背景となる沈黙――あるいは常に語り続けているもの、語り終えることも語り始めることもない何か。それを時間の外の時間といってもいいのだが――があるからこそ、われわれは輪郭をもってそこから浮き上がって「存在」している。浮き上がっているけれども、浸されている。逆に言えば、そうやって島があるからこそ、われわれはそれを取り囲む海の存在を予感するように感じ取れる、ということもできるのだが(だって、光のない闇は、本当にもうなんと言い表すこともできない闇でしかないし(いうまでもなく、言葉はある方向から闇に光を当てるものだ)、見るもののない世界のことを、われわれはどのようにしても思考することができない)。 僕の祖父が亡くなったのは、2003年9月19日のことだった(ずっと18日だと思っていたが、どうやら覚え違いであったらしい)。僕と祖父とは、高校受験や政治的思想、文学・映画についての考え方など、様々な場面で熾烈な争いを続けてきていて、その関係はかなり悪かったと思う。 その祖父が亡くなった。ほとんど最後まで意識を失うこともなく、看護師さんや医者の言葉にはどれだけ苦しくても律儀に対応し、自分の病気の原因や解決法を自分なりにいろいろと考えては提言し、そして、自分の乱れた姿を人に見せることを最後まで嫌った。親戚が見舞いに来た時も面会を拒否したし、我々にも極限の苦しさの中で「もうほっといてんか」という言葉を言った。自分のことは自分でしたいと願い、誰にも迷惑をかけまいとし、そのことで結果として周りを遠ざけながら亡くなっていった。けれど、その奥で、故郷や家族を慕う気持ち、愛情や責任感をどうしようもなく滲ませていたし、何より、最後の最後まで彼は踏ん張ろうとした。 それは、僕の知っている祖父の姿が、極限まで突き詰められた姿だった。学校を出ていない身分から、厳しすぎるまでの己の頑張りだけで異例の昇格を果たし、わが一家を作り上げてきた。彼とさほど仲がよくなかったと思われた祖母であっても、僕が祖父を冒涜する時には激しく怒った。祖父の苦労と頑張りを知っていたから。僕は、正直言ってそのあたりのことを知らなかった。知ってはいても、身をもって理解してはいなかった。 けれど、その一生を、死の床のお世話をさせていただいて、僕は祖父から見せてもらったように思う。見せてもらったというよりも、身をもって理解させていただいた。「人は、その死において最大の教育を施す」。僕は、祖父の生きることを、自分の身にまるごといただいたような気がしていた。 祖父が亡くなる前後のことを、僕は詩に書いた。それは、単に自分の悲しみを克服するためとかではなく、まして悲しいから言葉があふれて、とかいういわゆる自己表現でもなくて、祖父から見せていただいた彼の一生を、自分の中で一度砕き、自分の土壌にしていくための作業であった。 死の間際に彼がつぶやいた言葉をもとにした「あおに、帰る」。祖父の臨終の瞬間まで続いた「踏ん張り」をじっと見つめた詩「モルヒネ」。そして、祖父の遺体を抱いて叔母の車に乗り、家に帰るまでの夜道のことを書いた「後部座席にて」。今読んでみても、感情の発露が多い第一作から、静かなまなざしに満ちた「モルヒネ」、そして、もはや祖父のことではなく死んだ恋人のこととして、フィクションを取り入れながら書いている「後部座席にて」まで、この制作過程は自分にとって、祖父の死を潜り抜けて、その死を背負いながら、なお生きたものとして自分の詩を生みなおし、自分としても生まれなおしていく過程だったと思う。 ところで、この一連の詩は、本当は四作立てになるはずだった。けれど、最後の詩はついに書くことができなかった。書けなかったのは、荼毘に付された祖父のお骨を見た時のことである。それは、かなしくなるくらいに骨だった。箸の先でもろく崩れたそれは、僕とあれほど熾烈な争いをした祖父にしてはあまりにも白い、骨だった。煙は立っていなかった。平板な平板な素焼きの台の上で、祖父の骨はかすかに原型を残しながら、しかしもはやあらわ過ぎるほどに物として、しずかにそこに置かれていた。 祖父の身体を支えていたものの静かさと小ささ、そして軽さ。どれだけ生きても、どれだけ高く上り詰めても、人は結局、平らな台の上に転がる白い骨となってしまうのであり、逆に言うと、生きているということは、結局、この台の平らさと骨の白さ、その静かで穏やかな沈黙の上に繰り広げられる、必死の夢でしかないのかもしれない。そう思った。 (つづく) ※編者注 『「あおに、帰る」ほか一篇及び散文』 http://awono-katei.blogspot.com/2003/12/blog-post_09.html |