その風、その春、きみよ、きみよ、 いま、ぼくは、どこに、いますか? 第一楽章 服を脱ぐのが上手になりました。と僕は書いた。そして、自分の文字を見つめた。その後はつづけられなかった。空の色をした便箋の上の文字を、僕は二重線で掻き消した。掻き消した後で、それはたぶん、こんな手紙を送られてもあの人は困るだろう、と思ったからだと考えた。たしかに、僕は服を脱ぐのが上手になった。その日、お風呂に入ろうと服を脱いだ時にふと実感して、だから僕は、手紙を書こうと思った。そして、お風呂から上がってから、実際に書き始めた。けれど、たぶん、服を脱いだ時に僕が感じたことは、それではなかった。僕は便箋を丸めて捨てた。しばらくたった。それから、またペンを手に取って、手紙を書き始めた。服を脱ぐのが上手になりました。その後はやはりつづかなかった。空の色をした二枚目の便箋の上、並んでいる文字を見つめていた。その文字は消さなかったし、便箋を丸めて捨てることもしなかった。 ホテルの自動ドアをくぐって外に出ると、雪が渦を巻いていた。道路を挟んで小さな月極め駐車場があり、その向こうと横とにベージュ色のビルの壁が見えていた。雪はその手前もその向こうも関係なく広がる夜を覆い、覆いながら、隠すことはできなかった。細かな粒は生き物のようにしずかにうねっていた。けれど隙間だらけで、そこでいつまでも踊りつづけている。小山のように積み上げられた雪の上、一粒一粒がさらになだらかに降りつもっていく――いつまでもつづくその景色を、駐車場の白すぎる電灯が斜めに照らし出していた。 足元に敷かれた薄茶色のタイルのところにも、雪は吹き込んで、積もっていた。すでに凍てつき始めているその固まりを踏みしめて、僕は道の上に歩み出て行った。ホテルの軒下から身体が出るとたちまち、一面の白く厚い壁の中で僕が掻き乱されてしまう。その中で僕は歩いていた。僕に雪が降りかかっているのか、それとも、目の前の白い乱舞と向こうに見えている建物や道などが僕なのか、僕が歩いているのか、誰が乱れ舞っているのか、わからない。道を渡って駐車場の角を左に曲がり、進んでいった。視界の左側には身の丈を越える雪の山が連なり、その傾斜や脈絡は不規則で、険しく、それでいてなめらかな曲線を描いていた。 すぐ近くに店を閉めた後の弁当屋があった。庇の下に取り付けられた蛍光灯が、暗くなった店の窓とその前の道の一部とを明々と照らしていた。そこには誰もいなかった。夜の闇を挟んでそのはるか先では、パチンコ屋のオレンジの照明が、取り残された夕焼けのように淡く宛てもない光を投げていた。雪を避けるためなのか、それともパチンコを終えて出てきたところなのか、そこにはスーツ姿の男が四、五人、まばらに立っていた。その向こうには大きな交差店があって、信号と小さな街灯と、その先にまだつづいている建物の白い明かりとがそれぞれに瞬いている。僕は歩いていた。途中、こちらへと歩いてくる二人の男の姿が見えて、分厚いコートを着込んで膨れた二人の全身は、自動販売機の前を通る時に明瞭に見えるようになり、そこを過ぎるとまた、曖昧になった。僕と二人はすれ違った。自動販売機の光の前で見てみると、僕の上着は雪で真っ白になっていた。しかしそれが見えたのも一瞬だけのことで、すぐにまた、僕には自分の手も顔も服さえも見えなくなった。目の前の雪と、その向こうの建物と道だけがあった。それが僕なのかもしれなかった。僕は歩いていた。交差点を真横に横切っていく路面電車の、鉄のレールが長々とつづき、つづきながら、そこで冷たく沈黙していた。 |