2006年6月18日日曜日

「あをの過程」という作者名について


「名前の理由、聞かせてもらっていいですか?」スレに応えて


1.「あ」から「を」まで、日本語の中を巡り、辿っていく。決して言葉には出来ない「ん」、その、すべてを綴じる音、言葉の中心に残された沈黙/空白(よく、一対の仁王像に阿像と吽像がありますが、あの「吽」って、「ん」らしいですね。「あ」で開いたものを、「ん」で綴じる。でも、「ん」だけでは言えないから、「う」という音を足して、「ぅん」と発音するしかなかった。高野山で、聞きました)まで、言葉の中で歩いていく。言葉の中で歩いていく中で、その中心に、決して辿り着けないはずの「ん」が浮かび上がればいい。

2.何かに感動した時に、発音される「あ」という言葉。そこに開かれる、我も彼もない世界。そこから、「~を…する」という風な、能動的/作用的な「を」を持つ作品が、そういう力を持った言葉が、生み出されていく。そこまでの過程そのものを、作者にしたい。

3.私の作品は、すべて、この世界のあらゆるものや、他人の作品と自分が出会い、それに言葉を自分の身体から返すことで、なりたっている。私が様々なものと出会い、それによって変わっていく、そこに残された足跡であり、今伸びつつある植物の蔓でもある、言葉たち。自分の作品がそのようなものであったらいいな、という願いも込めて、作品一つ一つを作り上げたもののことを、(いち作者の個人名ではなく)「過程」と呼ぶことにした。(その意味で、「あを」は、「また逢おう」なのかもしれない。出会いから、初めて/何度でも出会い直す、そのことによって自分と相手とを生み直し、生まれ直していく。その過程なのかもしれない。(ただし、「逢おう」の「あお」は、旧字体で書くと、「あを」ではなくて、「あほ」となるのよね。その点で、「あを」を「逢おう」と読み換えるのは、ちょっと曲解がすぎる気もしますけど))

 とか何とか言いつつ、実際は、もっと簡単でアホらしいことがきっかけで、この作者名にしたんですよね。もともと、僕はネットに出始めた時から、「月と海」と名乗ってて。それは、まあ、わかるかもだけど、LUNA SEAの大ファンだったから、そういう名前にしたのさ。正直、ネットでの創作をこんなに長く続ける気もなかったし、真面目にやるとも思ってなかったから、ま、適当に決めました。LUNA SEAがかつてやった、ライブ会場でファンのリクエストを募り、そのリクエストにその場で応えてその曲を演奏する、というライブ、「月と海」、そのあり方になぜかすごく惹かれていたので、ああ、これでいいや、と。
 んで、その大ファンだったLUNA SEAが2000年に終幕し、彼らと同じようなバンドを探しているうちに、なぜかZONEが好きになってきて。やってることは全然違うように見えても、どこか、つながっている部分がある気がした。CDもちらほら買って、それを聞き込む時間とともに、少しずつ、惹かれていくようになった。
 そんな時ですよ。ZONEが「true blue」という曲を出したのは。実は、LUNA SEAが初めてオリコン初登場一位を取った曲も、「TRUE BLUE」という曲名だったんですね。このことは、彼らと彼女らに通じるものを感じていた自分としては、言いようもなくうれしかった。
 そして、実際に「true blue」を聴いてみて、ひっくり返った。もう、自分の中で「TRUE BLUE」もLUNA SEAもなくなってしまうくらい、心の底から感動し、遮二無二突き動かされた。その時、僕はZONEのファンクラブに入ろう、と決心しました。そして、そんな自分がなお「月と海」と名乗っていることが、LUNA SEAのファンたちに対して、とても申し訳ないような気がしたのです。改名を決意したのは、この時でした。

 ただし、改名と言っても、個人名みたいなものは嫌でした。それこそ「月と海」みたいに、別々に在りながら引き合う力でどこか繋がっている、みたいなもの、そういう二つがともに(離れながら)ある、と言う風な名前にしたい、と思いました。それで色々考えたけど、なかなかピンと来るものがなくて、思いつくのはダサいものばかりでした。
 そんな時に、ふと、「TRUE BLUE」と「true blue」のことを思い出したんです。思えば、LUNA SEAがまだあった頃、僕はバンド原理主義者で、それこそ、ZONEのような人たちのことを心の底から憎悪していたんですね。そんな自分が、ZONEを好きになったこと。また、「TRUE BLUE」が出されてから、「true blue」が出されるまでに流れた時間、一つのものが世に放たれ、それに対して、全然違う時間・場所で、全然違う人たちが、自分たちの形で応える、ということ。そこにある、祝祭の巡りのような、リズム。そういうものが、自分にとってはとても貴いもののように思えたのです。僕が書きたいもの、というか、僕を書かせているもの、名義上は僕の作品となっている一つ一つの作品を、本当に生み出しているものは、それなんじゃないか、と。

 「TRUE BLUE」から「true blue」へ。そこから、「青の過程」という名前を思いつきました。でも、これでは何か、ピカソの「青の時代」みたいで、ちょっと変な色がつきすぎる気がした。そこで色々悩んだところで、以下の自分の詩の一節が、思い出されてきたのです。「あをの過程」という、これまでもあり、これからもありつづけるだろう作者名は、その時初めて、言葉のもとに見出されたのでした。

 あざやかに、
 空一面にひろがつた、
 “ほ”の“ほ”(火(“ほ”)の穂(“ほ”)?)
 あをを生み、
 あるいはあをから生まれながら、
 ひとつひとつ燃え、
 ひとつひとつ消えてゆく。