言うまでもなく、日本の自由詩と小説とは、海外から移植されたものだ。それは、多くの者にとっては、翻訳された形で受け容れられた。ここに、現在までつづく日本語文学のしょうもなさの、重要な一因がある。 例えば、英詩と言うものは、当然ながら、英語の中で書かれたものだ。そこには、英語の発音が生む音韻はもちろん、英語独特の文の構造から生まれる言葉の展開法、さらには、これまで積み重ねられてきたものに支えられて息づく一語一語の確かさ、などがある。しかし、翻訳された詩の中には、それがない。翻訳されてきたものは、大体においては意味の側面だけなのだ。いや、それを意味と言ってしまっては語弊があるかもしれない。本当の意味とは、それら言葉のリズムや言葉が宿す世界観、さらにはそのリズムや世界観に支えられた言葉の脈動、そのようなものとともにあるからだ。少なくとも言語の次元においては、形態と意味とは不即不離の関係にあり、形態を伴わない意味はただの薄っぺらな情報にしかすぎず、意味を孕まない形態は言葉の死骸にしか過ぎない。 海外文学の受容において、大抵のものはこの薄っぺらな情報か言葉の死骸ばかりを受け取ってきた。海外から文学を学び取ろうとして、ガラクタばかりをつかんできた。そして、その掴み取ったガラクタを文学と思い込み、海外文学の形態から離れたその作品の意味が文学のテーマとされ、海外の言語の持つ世界から離れて、日本語に訳し移された際の形態ばかりが文学的手法だとされてきた。 祖国の心からなる感謝の念に包まれ、 斃れし勇者、今、静かに眠る! 露に濡れて冷たき指もてる春の女神、 花を捧げんとて勇者らの聖なる墓地に帰りきたりし今、 勇者らの眠る台地は、乱れ咲く百合のため、 「想像」の及びがたき美しき大地へと変貌す。 (平井正穂訳 ウィリアム・コリンズ 「述懐――一七四六年の初めの頃に」) これを読んで、「ああ、詩的だわ」と思う方もいらっしゃると思う。たしかに、日本の詩などは、きっとこのようなものを手本にして出来上がってきたものだろう。しかし、 How sleep the Brave who sink to rest By all their Country's wishes blest! When Spring, with dewy fingers cold, Returns to deck their hallow'd mould, She there shall dress a sweeter sod Than Fancy's feet have ever trod. (William Collins "Ode, Written in the Beginning of the Year 1746") この本文にある音韻は、どこにいったのか。「cold」と「mould」の響き合い、そこに現れる空間は? 感嘆文が持つ強烈さとその奥に宿る屈折した情感は、英語的な感嘆文を持たない我々にはなかなか現しがたいものだ。文頭に「How sleep」がきてしまうことの効果も消えてしまう。「sink to」という言葉がしずかに引き込まれていくような移動や、それが向かっていくある方向を感じさせるのは、どこにいったのだろうか。その先に待っている「rest」という言葉の持つ切ない安らぎは? それを受け止める「blest」の広大さとやさしさは? 「hallow'd」という言葉が内に孕む空虚も、「sod」という言葉が持つ、死骸が積もってできた、雨に流されることもある、しかし人々はそこに種をまき、そこから様々な収穫も得られる、そんな土壌の多面性もそれと結びついた人間的感情も、「trod」という言葉の持つ独特の歩行のリズムも、すべて、英語とともにあるもので、この詩では、それら空虚さや多面性や人間的感情や歩行のリズムなどが入り混じって、響くみたいに、世界を空間として広げていく。しかし、邦訳では、そこに広がる空間のことは書けず、その手前の字面、ディスプレイみたいな表面をなぞることしかできないのだ。 そして、恐らく、最も日本語文学にとって有害だったと思われるのは、「Spring」や「Fancy」の受け取り方だ。春も想像力も、日本人にとっては、抽象的なものでしかない。それをこのように動作主として書くことに、日本人は「これこそ文学だ」と思ったのだろう。しかし、少なくとも英語の歴史において、このようなものを大文字にして、動作主として書くことは不自然なことでもなんでもなかった。そこには、彼らの世界観と結びついた不思議なリアリティーがあり、「Spring」は、抽象的で形のないものでありながら、同時に動作主として大地に手を伸ばすこともできた。この、目に見えない、輪郭を括れないものが動作主でもありうる、という感覚は、日本人にとっては割合理解しにくいものであっただろう。偶像化されえない者を、心の中でも偶像化することなく、祈る。神を思い描くことも理解することもせず、しかし、この世界の様々な事象の裏に我々の思惟も超えた神の意思を、ただ感じる。そのような思考法になれた西欧と、現世的で理解可能な思考になれた我々の違いが、そこにはあるのかもしれない。 ともかく、「春の女神」などと言ってしまうと、たちまちそれは人間的な姿をした何者かになってしまう。そして、そのように人間にすることを、我々は詩の技法のひとつとして学び取ったのではないか。「Spring」は実際は、そんな人間的な次元を超えたものであったものにもかかわらず。 「Spring」や「Fancy」が動作するというのは、日本人にとっては、というか日本語にとっては、不自然なことだった。そもそも、「春の女神」や「想像」という言葉自体、日本語の中では、「Spring」や「Fancy」が英語に対して持っていたようなリアリティーを持ち得ない。しかし、日本人はそれを詩だと思ってしまった。このようなものを書くのが、詩なのだ、と。そして、日本語の中では何のリアリティーも持ち得ない「妖精」やら「時」やらが活躍しまくる、なんとも滑稽な世界が描かれることになった。 これは、小説においても起こってきた現象だ。例えば、Hawthorneの小説には、日本語にしたら何ともキザな言い回しが多用されている。抽象語も連発されている。さらには、一文一文が異様に長く、その構造も入り組んでいる。 しかし、原文で読んでみた時、その印象は一変する。キザな言い回しだと思っていたものは、英語の歴史とその文章の持つ詩的なリズムとに支えられ、不思議と地に足の着いた、たしかな質量を秘めた言葉へと変わる。抽象語もそうだ。それは抽象語ではなく、それは英語にとって自然な言葉として、文章全体の脈動の中で息づき始める。さらには、長い一文でさえ、すごくするする読めてしまう。日本語にしたら入り組んでいるように見えても、それは関係代名詞などの、英語にとっては基本的な文法を基に生み出されたものでしかなくて、英語の順番で前から後へと読んでいくと、文章の中に入る挿入句も、関係代名詞による転換も、そこにある確かな言葉として、そこまでの文と結びつきあう。結びつき合いながら、心地よく、場面を切り返す。そして、それら挿入句からの回帰なども含めて、文章全体で、世界を広げていくのだ。そこには、変転し、移動し、また回帰し、それらを抱えながらさらにすすんでいく、言葉と人間の生命がある。 果たして、日本語文学は、それらを自らのものにできただろうか。テーマとか文学的手法ではなく、その中に生きる生命を、そのリズムを、感じ取り、そのリズムにまた、生きた日本語の形で応えることが、できただろうか。ただ、抽象語の連発や入り組んだ文章や、さらには言葉のリズムと離れた表面的な「テーマ」なるものなどに、「文学らしさ」を感じるばかりで、何も生命のないガラクタを生み出してきたのではないだろうか。 日本人は意匠ばかりを真似る、ということは、入沢康夫さんも言ってられた。それは、何も海外文学の受容に限ったものではなく、日本内の文学の受容にしてもそうだ。たとえば、これまで、入沢康夫さんの詩の形だけを真似した、つまらん作品がどれほど生み出されてきただろう。彼の『詩の構造についての覚え書』に対して、それの全体像を無視して「詩は表現ではない」や「構造」などに引っ張られただけの解釈が、どれほどされてきただろう。それらのキーワード抜き出し方の解釈は、結局、「詩は表現ではない」や「構造」という言葉自体に対しても、全然触れられないものでしかない、というのに。 言語芸術は、言葉を離れてはありえない。そして言葉とは、テーマでも手法でもなくて、一つの生命体なのだ。テーマだけを取り出すことは、その身体から顔の皮を剥がすことでしかなく、手法を愛することは、バラバラに砕かれた死体の一部を(その一部分から、かつてその一部分が組み込まれ、全体の中の一部として活動していたような、一つの生命体を思い返すこともなく)愛することでしかない。 引き剥がされた顔の皮。あるいはバラバラに砕かれた死体。そこにある空疎さは、現代社会の持つ空疎さとも通じるものであり、それゆえにこそ、そこに自覚的なものは、真に現代社会を映し取る文学を作り出せるだろう。それもそれで、一つの方向性だと思う。問題は、その空疎さを自覚することもなく、漫然と愛しているだけの人たちなのだ。そんな愛は、相手のことを厳しく見つめることも、それによって残酷なまでに身を引き離すこともなく、ただ中途半端に幻想に入り浸っているだけで、いわば部屋にこもっての自慰行為にしかすぎず、実際のところ、身を引き剥がせる人ほど相手のことを愛してもいないのだろう。 話が横道に逸れた。とにかく、言語芸術は、言葉を離れてはありえない。そして、世界を語りえる唯一の言語などはなく、英語も、日本語も、それぞれに別々であり、それぞれに固有の傾向性をもった、一つの個体にしか過ぎない。それぞれに一つの個体であるからこそ、それらはつながっていける。しかし、それはテーマや文学的手法を通じてではなく、個体としての、言葉と人間の生命を通してなのだ。自分とは別の個体が、自分とは別の輪郭の中に宿している生命。その生命を、そのリズムを、自分の身体の中で息づかせること。それに対して、別の個体にしか過ぎない自分の身体から、別の言葉で、応えていくこと。我々は、それができたのだろうか。我々の文学は彼らの生命を引き継ぐことができたのだろうか。我々の文学は彼らの文学から、何を受け取ってきたのだろう。そして、我々の文学は、果たして日本語の文学だったのだろうか。そこに、日本語はあったのか。 我々は、日本語で書く者である。日本語の生命、そのリズムの中で書くものである。そして我々は、テーマやいわゆる文学的手法などに「文学」を見ない。我々の文学は、自分が持っている言葉の中で、その言葉を通して行われる営みとして、ある。それは、もはや「文学」などではなく、ただ、「書くこと/読むこと」とのみ呼べるものかもしれない。それでもいい。我々にとって、「文学」なんて、どうだっていいのだ。問題は、我々が他者の身体を、一個の塊として受け取れるか、ということにある。それに対して、自分の身体から応えられるか、ということにある。それができた時、我々は、そこに確かに、日本語の文学があることを目の当たりにするだろう。 その日本語の文学は、ひょっとすると「新しい日本語文学」と呼ばれるかもしれない。しかし、それは新しいものでもなんでもない。そもそも、文学に新しいものも古いものもあるだろうか。あるのは、ただ、それぞれの特異性を抱えつつ、そこで個々に生きている一つ一つの生命なのだろう。それらは個々に生きながら、「叫ぶように耳を澄ます」(海賊のHP「siren」のトップページの言葉)ことで、つながっていく。それらがつながっていったところで見えるもの、その、「私たちの場所」(増田考志「みどり」中の、中島みどりの言葉)に還るために、そこを一つの身体として歩んでいくために、歩むことを通してその場所を感じ、引き受け、そして応えていくために、我々は書き、読んでいる。 |