2005年8月1日月曜日

「Ishkar」 scene 3


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差出人:   増田考志
送信日時:  二〇〇四年八月二十七日 二十二時十六分三十二秒
宛先:    栄安津子
件名:    お久しぶりです。
 栄さん、お久しぶりです。増田考志です。暑い日が続きますが、お元気でお過ごしでしょうか。
 私はいま、人生で初めて、北海道の大地の上にいます。今日の夕方ごろに新千歳空港に着き、そこからは空港バスで、ここ、札幌まで来ました。このメールは、すすきのの外れにあるインターネット喫茶から打ってます。ホテルをうろつき出て、人に道を訊き訊きこの店まで歩いてきました。すすきのと聞いて、決して変な想像をしないように(爆)。
 私が北海道に並々ならぬ愛着を持っていることは、栄さんもご存知でしょう。あれほど、ゼミでも発表しましたしね(笑)。けれど、私が初めて北海道に来てみて感じたのは、憧れの地に対する感激ではありませんでした。
 かといって、無論、幻滅したわけではありません(笑)。そうではなくて、何と言ったらいいのだろう、私は、言葉を失ってしまったのです。ここ北海道は、あまりにもすき間が大きすぎるのです。そして、ちょうどそのすき間にはまり込んでしまったかのように、というか、そのすき間の中で佇んでいる自分にはっと気づいてしまったかのように、言葉が寄りかかる対象を見失って、途方に暮れてしまうのです。
 すき間、と言っても、よくわからないと思います。と言っても、私が説明しても、余計にわかりにくくなるだけかもしれませんが(苦笑)。たとえば、建物と建物との間には、不思議な隔たりがあって、そこに口を開けた空間は、埋められることがありません。たしかに、札幌市のビル群は巨大です。けれど、それらは街並みとして統一された景観を作っていると言うよりも、むしろそれぞれに大味な輪郭を持ち、空の下にごろり、ごろりと転がっている感じに近いです。
 民家についても同じことが言えます。家が庭を持っていると言うよりは、あてどない風土の上にかろうじて家が乗っている、と言った感じなのです(恵庭市では、その広すぎる庭にイトススキがさわさわと生え、しずかな風に揺られながら、今にも、夕焼けの中にかき消えてしまいそうでした)。ただし、これは私が夏に訪れたからかもしれません。冬、雪のある状態で見ると、また印象は大きく変わるでしょう。
 もちろん、すき間があったのは建物だけではありません。空と木々との間にもまた、とても大きな隔たりがある気がしました。北海道の空は、私の予想とは違い、決して高くはありませんでした(今が八月の終わりだからかもしれませんが)。むしろ、どう言ったらいいのか、高さがない感じがしました。色も淡く、空虚で、寒々としていて、その空の下で、いやに白い木々が骨のように生えているのです。
 もちろん、木々の一本一本は太いですし、本州のそれよりもずっと高くまで届いているのでしょう。けれど、それらの木々は、まるで押さえつけられてでもいるように、ある一定の高さで生長を止めているのです。空があまりに拡散してしまっているせいでしょうか。その、あまりに広すぎる平坦さに、木々は我知らず屈服してしまうのでしょうか。空を覆う夕焼けは、「夕焼け」と言っても何も焼き尽さないように見えました。かえって、そのわびしささえかき消えてしまうほどのわびしさによって、木々や下草を一面に満たしているようでした。あらゆるものが、焼き尽される時を永遠に待っているようでした。
 そして、ここを歩く人々の姿にもまた、どこかしらすき間があるのではないかと私は感じました。けれど、こういうことはそもそも、旅行客が軽々しく言うべきではないでしょう(そのことは、栄さんも同意してくれるはずです)。それに、私は実は、このすき間が単に寒々しいだけのものだとはどうも思えなくて、そこに何か、どうしようもなく私を引き寄せていくものがあると感じているのですが、今の私には、そこにあるものをうまく言い表す自信がまだ、ないのです。ですから、今回は、中途半端ですがこの辺で止めておくことにします。
 毎度ながら、長々と失礼しました。しかも、例によって、自分のことばっかりになってしまった(苦笑)。このことの仕返しに(?)、また、栄さんのふるさとの、熊本の話とかを聞かせてもらえたら、と思います。
 京都に戻ったら、ぜひぜひお酒を飲みましょう。思えば、ここ一ヶ月ほど一緒に飲んでませんしね。それでは。おいしいワインとかをきっと買っていきますので、楽しみにしてて下さい(笑)。

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