2004年5月5日水曜日

詩集『名もないことりが飛んだあとに、色をつけようと僕は空に手をかざした。』前半


   湯屋


 (『千と千尋の神隠し』へのオマージュ 1)



No Time, No To-night.

彼女の小さなつぶやきが、
紅すぎる唇のあいだから、
夜に
二十一世紀トーキョーの夜に、
消える。

No Time, No To-night.

白くてぬめぬめと光る泡が、
彼女の小さな手の平から、
次から次へと生まれ落ちていく
、のを見た。
その時、裸の僕は震えていたけれど、
彼女は細い指の先まで、
落ち着いて、

No Time, No To-night.

疲れたようなため息をつく。
十八歳だった。


「湯屋」――
昔はそう呼ばれていたらしい。
湯女という職業の女性たちが、
湯船で入浴客の垢をこすり落とし、
その後広間で歌い、踊って、
求めに応じて身体を売った、と

「ゆ」――

「日本人ハ本当にお風呂が好きだから」と、
ジェニファーさん(仮名 ニュージーランド出身)は言うけれど、

「ゆ」――

日本人である僕は、
「ゆ」 という響きを、
忘れかけている。

「ゆ」――

立ち上る湯気も、
広々とした湯船のくつろぎも、
そして、
客の垢をこすり落とすために何度も何度も込められた、
湯女たちの全身の力も、
思い出せない、

「ゆ」――
「ゆ」屋――

「お客サマ、Soap landハ初めてですか?」

二十一世紀トーキョーの夜に、
白くてぬめぬめと光る泡は、今夜も、
ジェニファーさんの小さな手の平から、
とめどなく生まれ落ちつづけている。

No Time, No To-night.

疲れたようなため息をつく。
(ジェニファーさん――)
十八歳だった。


   (僕は彼女の名前を知らないから、
   (僕は彼女の名前を呼ぶことができないから、
   (僕が書き残すことができるのは、ただ、





   〝か〟〝ほ〟


 (『千と千尋の神隠し』へのオマージュ 2)



行進する国家。
行進する、
幾千の、
顔、顔、顔、顔、顔、……
〝か〟〝ほ〟

秋晴れの空に、
飛び散る種子のやうに、
〝ほ〟 という一(ひと)文字が、
分裂する。

あざやかに、
空一面にひろがつた、
〝ほ〟の〝ほ〟(火(〝ほ〟)の穂(〝ほ〟)?)
あをを生み、
あるいはあをから生まれながら、
ひとつひとつ燃え、
ひとつひとつ消えてゆく。

幾千の、
〝か〟〝ほ〟
その煌きを、
束ね押さえつけ刈り取つていつてしまう、
無骨な手が、
いつからかある。

かつて、
八百万の〝か〟みは、ぞろぞろと、
橋を渡つて川向こうへ、
あるいていき、
朝には帰つてきたけれど。

今朝の新聞の第一面、
カラー写真に切り取られた、
世界の片隅の一瞬には、
行進する国家。
幾千の、顔は見えるし、
数えることもカンタンだ。けれど、

(きみ、もう気づいているだらう?)

その写真には、
たつたひとつの〝か〟〝ほ〟がない。





   ※「『千と千尋の神隠し』へのオマージュ 3」は、
    ある人に捧げたため、非公開とします。





   にりぃーかぎぃー


 (『千と千尋の神隠し』へのオマージュ 4)


雨が降るから、
海ができます。
わたしたちの住む、
細長い高楼の垂直だけを残して、
はるか
どこまでもつづいている、海。
水平に、翼を開いた母のゆたかなまなざしが、
わたしたちを、
今日はしずかに見つめ返す。

青い空を映す、
平らな水鏡の上を、むこうへと、
古い電車が、
滑るように走っていきます。
かすかな音をたてて、
そのあとをついていった白い波も、
消えて、
電車はとうとう見えなくなった。
だからわたしは、部屋へと戻り、
今日の仕事に、手をつけるのです。

一冊の書物を読むように、
一日が、
終わっていきます。
白いページをめくる、
透明な指先の、たてる音。
わたしたちは、時折手を休めては、
海のむこうに、
耳をすますのです。


ほら、
電車がまた、走っていきましたよ。


いくつかの手荷物と、
幼かったわたしたちを乗せて、
今朝の電車は、
行ってしまった。
見えなくなった。
いつも走っていくばかりで、
電車は、一度も帰っては来ないから、
あれがいつごろのわたしたちだったか、
わたしはそれさえ、思い出せません。

窓ガラスの外に、
さびしい月の浮かぶころ、
わたしたちは、残された高楼の中で、
しずかに自分のふとんをしく。
帰りの電車がないのなら、
線路を歩いて帰っておいで、 と
そう、わたしに呼びかけていたのは、
わたしだったのでしょうか。
それとも、母だったのでしょうか。

 (夢の中で、
  うなずくわたし。
  いつまでも、
  うなずいているわたし。)

やがて今夜も、海のむこうから、
あるいは、この細長い高楼から、
雲が生まれ、
雨が降り、
雨が降るから、
海ができます。
そして、その海のむこうへと、
電車は明日も、誰かを乗せて、
滑るように、走っていくのでしょう。



   作者註)「にりぃーかぎぃー」とは、「ニライカナイ」のこと。
   沖縄では、海のむこうに「ニライカナイ」という楽園のような場
   所があって、神様が、そこから海を渡って島々にやってくる、と
   信じられていたらしい。「にりぃーかぎぃー」というのは、「ニ
   ライカナイ」の、ある時期、ある場所における呼び名であった、
   と、作者は曖昧にだが記憶している。