2005年7月9日土曜日

ある自殺死体についての習作(その冒頭)


 部屋の中は乱雑に散らかっていた。何回も着まわしてきた衣服が、いつ着たかの区別もなく一かたまりに積み上げられ、崩れかかったままで止まっていた。丈の長いカーテンがだらしなく半開きになっている。外は夜だ。摺りガラスの向こう、最近出来たばかりの四角い高層マンションの明かりが、点々と白い。
 部屋の真ん中、そのマンションからも見える位置に敷かれた布団は薄汚れていて、長く湿気を吸ってきたためか、生地も風合いも一切の内実を失ってしまった。布団の横には、空になったカップ麺の容器が一つ置かれてある。僅かにスープが残るその底の窪みへと、二本の割り箸が斜めに差し込まれていた。前触れもなく小さくバランスを崩したその瞬間のまま、発泡スチロール製の縁に身を凭せかけて、じっとしている。おそらく、この二日の間、ずっと。箸の先の方には、スープと二日前の彼の唾液とが、穏やかな染みとなって残っている。
 その部屋は、京都市の中心部を縦断する東大路から、路地を少し西へと入ったところにあった。そこは何年も前から新しい建物が建たず、寂れた店舗の閉店や古くなった住居の取り壊しばかりが行われている地区で、ある日、錆だらけになって放置されていた大きな工場を取り壊して高層マンションが建つまでは、その一帯はまるで、京都の中心部に広がる古い木と土と鉄の墓地だった。
 工場がなくなった。マンションが建った。数日の間、そこには何もなくて白っぽいだけの空き地が広がっていた。かつて工場をゆるやかに見下ろして、いつだったかよく見えない空き地を斜めから覗き込み、今では壁のような高層マンションから威圧的に見下ろされる。彼の住んでいた部屋はちょうどそのような場所にあり、それは五階建ての学生マンションの三階の一室だった。
 階段はマンションの外壁に取り付けられている。深夜バイトを終えて帰ってきた彼は、大体決まって、疲れた足取りでそこを昇っていった。三階にたどり着き、依然昇りつづけている階段からのっそりと外れ、濃緑に塗られた廊下を歩いて自分の部屋の前まで行く。鉄製の重い扉を開けるとその度ごとに、湿気に満ちた部屋の空気が彼の頬を親しげに打った。
 その部屋に彼はいない。十数分前まで彼が寝転んでいた布団の上には、今は一つの死体が転がっている。やせた胴体に淡い水色のパジャマを着、顔には半透明のポリエチレン製のビニール袋をかぶっていて、姿勢は真っ直ぐだった。仰向けになって、布団の上に転がっている。そのまま動かない。
 部屋の空気はずっと滞っている。しかし、それは完全に静止しているわけではなかった。よく見てみると、ついさっき生まれたばかりの小さな埃が、つけっぱなしの蛍光灯の光に照らされてかすかに上下している。様々な菌類を含んだ空気もしずかに渦を巻いていて、その渦がたどり着いた先、家具の裏側や流しの下など目に見えない片隅では、今この瞬間にも新たな命が花を開きつつあった。死体は現れて以来ずっと、この止むことのない腐食にさらされつづけている。いずれ、その皮膚や内臓からも花が咲くだろう。
 部屋の外は一面の雨だ。

   (以降中断)