2005年7月16日土曜日

小説 「Ishkar」 冒頭部


 クツニサ、クトンクトン。

 流れていく水に始まりなどなく、始まりを考えることはいつも、流れる水が曲がり、土を削り、真っ直ぐになって速くなる、あるいは浅い川底に阻まれて滞る、泥を含んで渦を巻く、そして澄み切ってしずかに流れつづける、――それら各所各所に、流れのただ中にありながら杭を打っていくことでしかない。
 川はいつも、僕らの誕生よりも先から流れてきていて、決して止まることなく流れつづけ、そのスピードで、僕らの死を越えてさらに向うへと流れ去っていく。僕らは杭を打つ。川とともに流れた流域に、アドレスを与えるために。それはささやかだが懸命な行為であり、そこには、止まない流れにあえて掉さすことも辞さない、という覚悟が秘められている。波紋。また波紋。

 クツニサ、クトンクトン。

 中には、流れそのものを変えてしまおうと、あるいは川を塞き止めて魚を独り占めにしようと、自分勝手な杭を何本も打ちこむ連中がいて、そんな時、傷つけられた川底からは汚い水が巻き起こり、幾多の魚を悲しませる。
 しかし、すべての杭はやがて、川辺を歩いていく音のない足跡とともに、一本一本全身全霊をかけた力で引き抜いていかれるのだ。そして、川はまた澄んだ流れを取り戻し、シャケは水面に銀の鱗を光らせながら、よろこびながら、帰っていく。杭を抜いた後から湧き出した清い水、清い風もまた、涙を流して帰っていく。しかし、――どこへ?




{引用=知里幸惠編訳 『アイヌ神謡集』(岩波書店 1978年)より。
「小オキキリムイが自ら歌った謡 「クツニサ クトンクトン」」を引用・アレンジしました。}