かつて私が、プロフィールで「詩の邪道 小説の悪鬼」と名乗っていたことを、一体どれくらいの人が覚えてくれているだろうか。私の創作の原動力となっているものの中には、敬愛や感動とともに、怒りや悪意もたしかにあって、それらは一つの車の両輪のように、私の作品を前に進めている。 今、私が自分の小説についてあれこれ語ろうとするのも、そのような悪意の現れである。昨今の風潮として、作者が自分の作品について語るのを嫌う向きがあるし、私も補足として語られるそれは激しく嫌悪する。その一方で、理由もわからずとりあえず風潮に乗って否を唱えているだけの人もいるように感じていて、この文章はある点で、そのような人々に対する挑戦でさえある。 私が書いてきた「Ishkar」は、疑うべくもなくひっでぇ小説である。描写は回りくどく、起承転結はなく、ストーリーは平坦で、登場人物は少ない。その上、作者がコメント欄でこれ見よがしに「つらいつらい」と言い募る。洗練された読者たる皆様におかれましては、こんなヘボい文章を小説と呼ぶこと自体、許しがたいことであるだろう。 特に、scene 8以降、コメント欄で作者が後半と呼んだ部分に入ってくると、「Ishkar」はその酷さをより顕わにする。前半はまだ、ヌーボーロマンとかある種の実験を意識させる部分もあったりして、なんとなく雰囲気があったのだが、後半はもう、何もないのだ。scene 13に至り、確実にバランスは崩れ始め、scene 12までが原稿用紙約110枚なのに対し、scene 13の途中までで、すでに60枚以上を使っている。どう考えても、無計画的な浪費である。 大体から、「Ishkar」は長すぎる。主人公が北海道をほっつき歩いているだけの小説で、ここまで長くなる必要はないだろう。そもそも、起承転結もはっきりしていなくて、主人公の旅の動機すらよく分かってなくて、読者は何を読まされているのかわからない。その上、scene 13では中心的なシーンであるはずのライブが始まるまでに、膨大な量の描写をしていて、その上ライブは22曲全部書くつもりなのだ。この作者は、何がしたいのだろうか。 実際、自分としても、scene 13は自分の首を絞める結果になったと思っている。後半に入って俄然厳しさを増してきたこの小説を書きながら、私はいつも、このシーンを書けば次は楽になるはずだ、ここが峠で、これを越えれば次からは楽に行けるはずだ、と念じていた。しかし、先に進めば進むほど、山は下ることなく登りつづけ、そればかりか、ますます傾斜はキツクなってきた。特に、scene 13は、依然その頂上さえ見えていない。現在の位置も先の様子も見えないほどの濃霧に覆われた山裾(しかし、もうずいぶん高い所まで上ってきたはずなのだ)で、途方に暮れているのが現状である。 そもそもこうなったのは、私が高校時代から得意としてきた一番の技法を、scene 13で自分に禁じたからである。それは、カットバックといわれる手法で、互いに離れた複数のシーンを交互に登場させることで、ストーリーに往還運動を生むものである。16歳の頃に書いた「White Tears」では、主人公を二人立ててこの技法を使ったし、17歳の時の「Smile Several Smiles」では、問答無用でよみがえる思い出を、この手法を使って割り込ませた。最近では、「空走距離」がこれをよりソリッドに発展させて使っているし、「celebrate」なんかも、話者の感傷と工場の無機質との間でカットバックを行っているともいえる。 実際、この手法さえ使えば、私はいつでも小説を書けた。困ったときはカットバック。しかし、そんな自分の手馴れた作業に、自分で飽きてきたと言うか、それなしでどうなるかが見てみたくなったのだ。読んでくれた人はわかるだろう。scene 13は、回想すらほとんど挟むことなく、ひたすら前から順番に書いている。それも、ほとんど省略なしで。 小説を書いてみたことのある人は、この書き方を一度やって見るがいい。自分でもびっくりしたのだが、前から順番に書いているつもりでも、主人公がトイレに行っていないとか、昼食をとっていないとか、色々とヌケが出てきた。それは、小説を書く者が、いかに自分勝手に現実を切り刻んでいるか、話にならないところをいかにあっさり切り捨てているか、というかむしろ、そもそもそれを見ることさえいかに完璧に忘れているか、ということを思い出させるだろう。 私が抵抗してきたのは、このような書き手の怠慢である。たしかに、何でもかんでも書けばいい、というわけでもない。一日を分刻みに分解して、実際の行為にかかる時間に応じて文字数も分配する、という書き方もできるにはできるが、それはそれで時間の一般性をあまりにも信じている点で、考えることに対する書き手の怠慢である。何でもかんでも書くことと、省略をしないことは互いに違うのであって、その違いはまた、だらだらとした身辺雑記と小説を分かつものでもある。 とにかく、省略をせずに現実を直視する、というこのスタンスは、私に余りにも大きなものを課した。それが、後半になって一気に調べものの量が増えたことにも関係する。前半は、自分の記憶を基に、わからないところは適当にごまかして書けた。そういう手法を使っていた。しかし、その手法を前半で決算してしまったため、後半はそうは行かなくなったのだ。なけなしの手法で、私は現実と素手で戦わなくてはならなくなった。 この部分は本当のウラ話で、全然余興の域を出ないのであるが、私が後半をここまで書くために参照したものは、膨大な量にのぼる。北十八条の駅からさっぽろまで何分かかるのか、さっぽろ駅から出た後である地下街はどういう構造になっているのか、その地下街に入っている商店街(?)は、本当に主人公の進むルートに沿って存在しているのか、そして、その商店街のロゴの色は何色か。色が画像でわかったとして、それを何色と呼べばいいのか。JR札幌駅はどのような外観、内装をしていたか。快速エアポートに乗るホームの頭上にかかっているカードには、様々な急行車両の名称が書かれていた気がするが、では千歳線で走っている急行車両にはどのようなものがあったのか。エアポートが停車する駅は何か。駅から駅の間は何分ずつかかるのか。千歳駅の前にあったあの連絡通路は、一体なんだったのか。そして、その連絡通路を持っている店舗の色は、何と呼べばいいのだろうか。千歳川は、どこからどこへ流れているのか。私が見たと思った川沿いの景色は本当にあるのか、あるとしたらそれはどの橋の上から、どのように見えるものなのだろうか。その時、川はどちらからどちらに流れているか。 無論、小説は地図を見ながら書くものではない。そのように取材して得た知識を寄せ集めても、それはいわば死体をつぎはぎしただけであって、それらは個体として生き返りはしない。生きている時間はよみがえらない。そして、つまらないボロを出すのだ。頭でっかちのインテリ派小説家がやってしまいがちなミスだ。 私の場合は、記憶や欲求と、現実との戦いであった。自分としてはこういうものを見た、という記憶があって、あるいはそういう幻視があって、しかし、現実の場所を舞台としている以上、それが本当にあるものでなければ話にならない。右から流れる川を左から流すわけには行かないのだ。では、どうするか。私は、自分の記憶や幻視を信じ、それと重なり合うものをひたすら探していった。千歳川にしても、自分の記憶とぴったりくる一地点をついに見つけたし、そこで自分が幻視したのと、果たして川は同じ方向に流れていたのだった。 なお、この現実と向かい合うという姿勢が、否応なしに私に重荷を課した例として、もう一つ、「無煙浜」のことが挙げられるだろう。この小説が「無煙浜まで」という文書グループに加えられていて、未完の小説「無煙浜まで」と重なる部分を持つことなどから明白だと思うが、この小説の最終目的地は、はなっから厚田村の無煙海岸であった。そこにある見張り台は、私にとっていわばまだ見ぬ憧れの場所で、今年の一月石狩まで行ったときも、本当は厚田村まで行きたかったのだ。バスの都合でいけなかったが。 scene 13で無煙浜の話を出すことに応じて、一応その命名についてもう一度確かめておこう、と思って厚田村のホームページを訪れた。そこで私は知った。無煙浜の見張り台は、今年(すなわち、小説の舞台にもなっている2005年)、既に取り壊されてしまっていた。無煙浜海水浴場自体、昨年から営業していなくて再開の目処も立っていないらしい。 小説は、ここまで来て最後の目的地を失ってしまった。どうすればいいか、まだ決まっていない。とりあえず、何もない無煙浜に、主人公には行ってもらいたいと思っている。そこで何かが起こるだろう。ここにこそ、現実やらなにやらと向き合う小説の醍醐味、すなわち現実をごまかさずにそれと対峙して、激烈に見ることによって幻視に至り、作品を完成させる、という禊修行にも似た道行きのたのくるしさがあると思っている。 しかし、最もつらいのは、そのような自分の記憶と記憶外の現実との戦いではない。むしろ一番私を苦しめているのは、自分の記憶の中にある光景から目を反らさず、それを書いていく、という作業である。すなわち、記憶の中の現実との戦いである。自分の内側にあるだけに、この敵は非常に厄介だ。 たとえば、scene 13の、物販待ちの列。あそこを簡潔にまとめることなど、私にとっては造作もないことだ。たとえば、同じようなシーンを、次のように書いたことがある。 > 去年の夏、Zepp Tokyoでのライブに行った時にも見た光景だ。しかし、去年のは正直おぞましかった。物販開始のたしか二時間前、下見がてらに寄ったのに、くねくねと曲がりくねった長蛇の列が既に出来ていたのだ。ほとんどが男の方で、大半が何人組みかでにたにたしながら(いや、にこにこしながら、というべきなのか)話していた。残りの男の方は一人で来たみたいで、みな一様にせっぱ詰った顔をしている。女性はせいぜい一割弱だろうか。真上から照りつける夏の日と、行き場のない男たちの熱気で、彼女たちは今にも押し潰されてしまいそうに見えた。 > その時の物販では、写真入りミニうちわ(メンバーの顔写真が裏表に一人ずつ、計二名分入っているやつ)が飛ぶように売れていた。購入したばっかりのライブTシャツに着替え、しかもショッキングピンクとネイビーの二本セットになっていた派手なリストバンドを両腕にはめて(その着こなしは絶対に間違っている!)、その出で立ちで近くのハンバーガー屋に入っている人たちが多くいた。 ファンの醜悪さを感じさせてあまりある名文(!)である。しかし、これを今読むと、私はそのピックアップの仕方が気に食わない。この文章の後には、次のような文章が続くのだが、これもまた、同じ理由で気に食わない。 >大阪の物販待ちの人々は、会場がホールだったこともあってか、かなりまともに見えた。待っている様子も、公園に多めに人がいる、というだけで、少なくとも異様な空気は漂っていない。スタッフが出てきて物販のための列を作った時にも、駆け出す人とかも特にいず、大人しくきれいな列が出来た。よく見ると、見た目にも美しいカップルや、男前なバンドマン、男女問わず中高生多数、小さな女の子と母親の二人連れなどがいた。京都・大阪・神戸のアイドルショップについて、その博識を語り合っている人たちもいるにはいたが、その表情には周りに配慮する余裕が見えた。そして僕が見た限り、誰もモーニング娘。の雑誌は持っていなかった。 ここには、去年のファン=醜悪→今年のファン=いい感じという印象を与えようとする意図が見え見えで、読んでいて吐き気がする。実際は、もっと色んな人がいたと思うのだ。それを、自分がこう見せたい、こう見たい、という願いに沿って、いとも簡単に捨象してしまう。scene 13で私が自分に禁じたのは、これであった。その結果、自分としては目を反らしたいようなものも、じっと見つめて、書いていかなければならなくなった。 > 戸惑う水橋と、黙ったままの野坂は、列を左手に見ながら建物の横の空間を進んでいく。奥へと進むにつれて道は狭くなり、列を成す人々とほとんどすれ違うような格好になったが、それでも列の終わりはなかなか見えなかった。その代わり、入り口を目指して並び、入り口の方を向きながら止まっている人たちの、様々な顔が見える。満面の笑みで喋っている髪の黒い男子高校生三人組、赤いTシャツを着て腕組みをしている毛深い金髪男性、軽妙なトークをしていると思わしきカップル、やや子どもっぽくも元気なデザインの服を着た女子中学生と落ち着いた雰囲気のその母親、深刻そうな目で下の方を見つめている、三十代くらいの太ってメガネをかけた男性、なぜか女物の浴衣を着た髭の青い男性、ブランド物を身にまとったきらびやかな女子大生二人組、明らかにロックバンドをやっているような服装をして、涼しい表情で辺りを見回している若者二人組、などなど。それらの顔の一つ一つを、野坂と水橋は後ろへ後ろへ追い越していく。 たとえば、この中に、どれだけこの小説に書きたくない人たちがいただろう。しかし、書かねばならなかった。それがつらかった。しかも、どれだけ書いてもそれが全てではないことも私は知っている。それもまた、つらい。 そして、そのつらさは、ライブシーンに極まる。正直言って、ライブを書くなら、それだけで一つの完結した小説とするべきだった。カットバックとかリプライズとかの現代的手法を満載にして、感覚として伝える方向を目指すべきだった。しかし、先にも言ったとおり、scene 13はそのようなやり口を自分に禁じている(ちょっとつかっちゃったけど)。結果、ライブを真正面から見つめて書かなければならなくなった。真正面から見つめて、ライブを書けるものか。それも、自分が見た、大切な思い出であるライブのことが。 それは、自分の中で一番放っておきたい部分、美しい思い出としていつまでも持っているつもりでいたい光景や時間、手付かずのままで時々思い出しながら、実際はどこまでも目を反らしていたい曖昧な感触を、真正面から見ることであった。私は、身を切られるような苦痛を感じた。逃げることを禁じられ、見たくない真実を真正面から見つめなければならない状況なのだ。適当に書いてごまかすことはできないのだ。かといって下手なやり方をとると、書けば書くほどそれは実際のライブの感触から遠ざかっていく。 上に引用した小説中、私は今回の北海道とほぼ同じ分量を持つ大阪でのライブを、実に短くしかし印象的に書いている。こうすれば、自分は傷つかないし、ライブの感じもうまく伝えられる。これを禁じて、私はどこに向かおうと言うのか。 > その日のライブで、僕はヘビメタ曲「Bible」のブレイクで高々とジャンプをかまし、ハードコアパンクな「ROCKING」では、間奏中、喉が裂けるほどオイ・コールを続けた。そして、抜けのいいスネアの連打と絶妙なタイミングで入るまっすぐなバスドラムが利いたドラムソロでは、MIZUHOが拳を突き上げた瞬間に誰よりも早く彼女の名を叫んでいた。 > そのあと、ギーザー・バトラーのような勇壮なパフォーマンスも飛び出すベース&ドラムのセッション、さらにはギター隊二人がそれぞれ熱いソロをぶち上げる四人のセッションへとつながっていく中で、僕は何回メンバー個々の名を叫んだだろう。アンコールでは、かつてテレビで初めて見かけた時、嫌悪のあまりテレビを蹴っ飛ばした「大爆発No.1」を、完璧なフリで踊っている自分がいた。 「映画とは、いわば幻視に至るまで激烈に現実を見つめることだ」。私の敬愛する映画監督塩田明彦の言葉である。そして、私は文字通り自分を殺すつもりで、ここまで見つめ、進んできた。すでに、手持ちのカードは残っていない。残していない。なけなしのまなざしだけを持って、一体どこまで進んでいけるかわからない。曲はあと19曲もある。しかも、その後で野坂との会話があって、ホテルについて眠るまでがscene 13なのだ。私は、ベッドに辿り着けるのか。永遠の不眠の予感が私を苦しめている。 あなたたちは、どうぞ勝手にそれぞれのベッドで安楽な眠りをむさぼるがいい。素敵な小説が、簡潔で読みやすい描写が、あらかじめ加工済みの「人間の真実」が、そして楽しいお話が、あなたたちをより深くまで眠らせてくれるだろう。 |