2005年11月12日土曜日

「Ishkar」 scene 13 (5) ライブ四曲目の途中まで


 「えー、……それでは。次の曲、聴いて下さい」
 椅子に腰かけたまま、照れ笑いのような表情で真ん中のギターが、言う。つづいてその顔が少し引き締まり、まるで両手で大切に置くように、次の曲のタイトルが告げられて照明が暗くなった。静かな拍手が、野を渡る風のように自然に湧き上がる。そのさざめきはやがて会場をいっぱいに埋め尽くし、けれど、その上をさらにおおらかに覆っていくように、広々としていながら星空のように切ない、ピアノとシンセサイザーの音が鳴り響いていた。
 真ん中の女性の声が、伸びていく。誰も楽器を弾かず、録音された音だけが鳴っている会場を、一人の女性の生きている声がひたむきに進んでいく。水橋はその曲が、彼女たちを有名にしたあのドラマの主題歌であることに、ようやく気がついた。さっきの拍手のあたたかさが、今さらのように胸に沁み入ってくる。真ん中のギターだけを残して、後は真っ暗になった会場の客席で、曲に合わせて赤いペンライトが揺れていた。平らに切り取られたステージは海岸みたいで、そこへと下っていく草深い野原では、金色の穂が――何百本もの光と腕とが――ゆったり左右に呼吸している。
 Aメロが始まって、金属的にささやかなアコギの音が、淡々と鳴っていく。真ん中の女性の歌声は、今は歌の主人公たちの出会いを綴っていた。言葉は感傷的になることもなく、一つ一つ、景色とともに見出されていく。シャッフルビートで弾んでいるドラムは、静かだった。ハイハットの音はほとんど聞き取れないくらいに小さく、バスに時折スネアが混じるだけのように聞こえる。ベースが通奏低音のようにいつしか響いていて、歌の主人公の気持ちが、今は遠い懐かしい喜びが、女性の声を借りて夕べの涼しさのように象られて、佇む。

   (中断)



 長らくこの場を借りて進めさせてもらってきた「Ishkar」ですが、やはり、どうしたってこれ以上前には進めなくなりました。正直、中断だけは、自分としては何としても避けたかったのですが、どうしたって無理な以上、もはやどうしようもありません。
 辞めるべきタイミングはこれまでにも何回もありました。これさえ辞めればどれだけ楽になるか、ということも何回となく考えました。けれど、自分が今探しているもの、自分が書こうとしているもののことを信じていましたので、その度ごとに気力を振り絞って乗り越えてきました。けれど、今回の敵は、やはり大きすぎた。強すぎた。いつかの作者コメントで書いたように、書き手としての自分が、完膚なきまでにぶっ潰されてしまったのです。いや、既にぶっ潰された状態で、それでも最後の最後まで力を搾り出して進みつづけてきたのですが、しかし、ここで本当に、力尽きてしまいました。
 読者のみなさまに対して、そしてこの小説自体に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいです。自分としても、ひどく悲しい。けれどいつか、この小説のことを掬い上げるようなものが書けること(あるいは、知らないうちに誰かの手で書かれてしまっていること)を宛てもなく期待して、今は、仮初の眠りにつきたいと思います。ありがとうございました。そして、すみませんでした。