突然の電話に夢から引き離されて、仕方なく目を開くと、バスの中は暗くものさびしかった。 「もしもし、水橋孝司くんですか。野坂夕香です。元気?」 電話口から聞こえる野坂の声は、トーンも低くどこかしら元気がなかった。しかし、その声でさえ、バスのさびしさにはまだまだそぐわないように感じられた。まるで、何かの手違いで、まったく別の世界から言葉だけが届いたみたいだ。僕は、そう思った。 「うん、元気」 寝起き独特の定まらない声で、とにかくそう答える。僕の席は後ろから二列目だったが、そこから見ても、人の頭は四つしか見当たらない。まだ山の中を抜け出られていないのか、窓の外も、フロントガラスの向こうも、灯り一つなくて真っ暗な夜だった。ただ、バスの中だけが、今にも消えそうな蛍光灯の光にかろうじて照らし出されている。 光は、小さな明滅を頻りに繰り返した。あまりに暗いためだろうか、バスの中が一面、かすかに緑がかって見える。 「そう? それならいいんだけど。実は、明日のことなんだけどさ、……」 そこまで言われて、僕はようやく、約束の日が明日に迫っていたことを思い出した。「うん、うん」と慌てて相槌を打つと、野坂はそれに気づいたのか気づかなかったのか、遠慮がちな声で、待ち合わせの場所と時間とを指定した。――午後一時、地下鉄大通駅を出て北に行ったところにある、カフェで。 「わかった。……ところで、何を見に行くの?」 簡単に返事が返ってくると思ったのに、野坂はなぜか、少し戸惑ったようだった。 「や、……それはまだ、秘密、……にしておかせて。だめ?」 「ううん。別にかまわないけど」 特に何の拘りもなかった僕は、軽い口ぶりでそう答える。電話の向こうで、野坂がほっと息をついた。その息が、聞こえた。 「ありがとう。明日は、ちゃんと言うよ。それから、……そうそう! 危ない、言い忘れるところだった。さっき言ったビルの二階、カフェがあるフロアーね、実はそこ、もう一軒カフェがあって、しかも二軒が並んでいてさ、紛らわしいんだ。でも、わたしたちが会うのは、手前のお店だからね。間違えないでね。階段の途中にある、手前の方のお店だから」 「オッケー。大丈夫……だと思う。まあ、もし、万が一迷ったら、また電話するよ」 「ははは。そうだね。電話くれるの、待ってる。……って言うのも変なのか。あはは」 受話器から聞こえる野坂の声が、急に元気になった。そして、思い出したように、僕に訊いてくる。 「ところで、コージくん。今、どこにいるの?」 バスの中は依然暗くて、かすかに緑がかっている。 「わからない」僕には、そう答えることしかできなかった。「わからないけど、ちょっと前までは支笏湖にいた。今朝、千歳市に着いたんだ。今、バスに乗っていて、湖の畔から帰る途中」 ――帰るって、どこへ? ――僕にもわからない。実際、帰るところなんてないもんな。僕のふるさとも、なで斬りにされて焼き払われ、滅ぼされた後の、贋物なんだし。 (伊賀に忍者ってもういないんだね。) ――みんな、見えるようになってしまった。格好だけが残ってて、 (ほら。誰もいない、誰もいない) 明日の約束を何回も確かめると、野坂は電話を切った。しばらくして、水橋はまた眠った。森の中にいる夢を見た。 次に目が覚めた時、窓の外には荒れ果てた野原がつづいていた。時々、寂れた民家が沿道に現れて、消える。雨が降っていた。 |