この小説は、私です。 私もかつては、起承転結がしっかりとあり、構想もよく練られ、巧みな伏線が意外なラストを導き出す、という小説を書いていました。高校の時に地方の某文学賞を受賞し、その小説は朝日新聞三重県版で見出しで紹介され、読んだ同級生や教師はおろか、同級生の保護者も数多く泣いた。まったくの見ず知らずの人から、ファンレターまでいただきました。 けれど、そのような反応に触れるにつれて、何か、私は空しさを感じ始めました。人を泣かせられたことはたしかに満足でしたが、そのような満足が、そのような満足を得ることばかりを目的にした小説が、自分にとって何になるのだろう。そして私は、自分の小説では書けないものがあることに、次第に気づいていったのです。 それ以降は、詩の方に行ったりもして、自分の書きたいものをどうやって書けるのか、自分の見たいものを見せてくれる文章とは何か、自分と言葉は一体どこまでいけるのか。どこに辿り着けるのか。それをずっと探ってきました。 たしかに、起承転結や伏線は、小説を面白くします。しかし、それに従うばかりで、本当にあなたは満足なのでしょうか。あなたは、それらに従って「いい小説」(と世間が呼んでいるもの)を書くだけで満足なのでしょうか。それが、あなたが小説を書き始めたそもそもの目的だったのでしょうか。 小説を書く時には起承転結を作って伏線を張って、ということをどうしても私たちは考えてしまいますが、そのように条件反射的に「小説=こういうもの」と考えてしまう私たちは、じつは、何かに騙されているだけなのではないのでしょうか。 来月9日から、緑雨さんの主催で実験小説「新しい文学のために」というイベントが始まります。詳細は企画・意見板でたしかめてほしいのですが、私としては、このイベントが皆様にとって、「この小説が、私だ」といえるような「自分の小説」を探すためのきっかけになれば、と思っております。起承転結も伏線も、比喩も回想シーンも過去→現在→未来という時間把握も何もかも、所詮誰かによって作られた約束事に過ぎません。そういうのはもう、なんと言うか適当にうっちゃっておいて、自由になって、もう一度あれやこれやを新鮮な気持ちで見つめ直してみて、あなたが本当に見たいと思っている(あるいは本当に見ている)世界を、そしてそういう世界を見せてくれる小説を、探してみてはいかがですか? 私自身は、主催者とのスタンスが違うために参加しません(単に私が頑固なだけです)。けれど、今回のイベントに多くの方が参加されて、自分の小説の書き方をいろいろと試したり見つけたりする機会にしていただければ、と思います。 さあ、Let's play!(遊ぼうぜ!=鳴らそうぜ!) |