2005年2月13日日曜日

小説 「空走距離」 (2)


(1)http://awono-katei.blogspot.com/2005/02/blog-post.html

 開けたままの窓から風が吹き込んでくる。ベージュ色のカーテンが、まぶしい夏の光に透かされている。カーテンはひっきりなしにはためいていて、部屋は仄暗く、涼しかった。僕らは椅子を鳴らして起立すると、みな一斉に礼をする。頭を上げると、更衣期間を終えた僕らの背中が、うろこみたいに白く光っている。
 軽すぎるドアを開けて廊下に出た。真っ白な壁と、群青に白い斑のある床が見える。その中を僕は歩いていく。左手に口を開けた連絡通路から、騒々しい足音が聞こえてきて、たちまち五六人の女子がそこから飛び出した。僕の前を横切っていくその下級生たちの中に、夏服を着たあの背の高い少女はいて、彼女は屋上にいる四人のうちの一人だった。身体の内側から、隠すところも残すところもなく湧き出てくる、彼女の笑顔。僕はたしかにその笑顔を見た気がしたのだが、すでに下級生たちは僕の前から消えていた。真っ白な壁と、群青に白い斑のある床だけが見える。その中を僕は歩いていく。
 地吹雪が過ぎていった。逆巻く雪に飲み込まれた木々は、すでに輪郭があやふやになっていた。互いを隔てる夜の闇を、隙間なく覆い、覆いながら掻き回していく、白い幻。その渦の中で、木々は寡黙に耐えていた。暗い沈黙を抱いて、一本一本じっと立ちつづける。

 屋上の四人は、今は空を見つめている。いくじなくつづく家並が、嘘のように儚い青空と交わっているあたりの、さらに先の方を、四人ともバラバラの格好で見つめている。視線は交わらない。少女たちは身動きせず、言葉も交わさないまま、ずっと前を向きつづけている。
 不意に、背の低い少女が空を見上げ、目をつむって深呼吸した。そして、穏やかな顔でもう一度前を向く。
 「ブレーキ、踏まなかったね。うちら」
 愉快そうな表情で三人の方を振り返る。語調はしずかで、言葉はそよ風のようにたしかだった。
 「壁があっても気づかなくてさ、ブレーキを踏もうなんて思うことも全然なくて、そのまま……」
 そこまで言って、彼女は再び前を向いた。その目は、さっきよりさらに先の空を見つめている。しずかなため息をひとつ、ゆっくりとつく。そして、それまでの言葉を忘れたかのように、言う。
 「きれいな空だねえ」
 「……ふふ」
 彼女の隣に立っていた、真っ直ぐな髪をした少女が、笑った。
 「そんな、踏む必要なんてなかったっしょ。この七年間」
 背の低い少女の方を向いたその顔は、うっすらと悪戯っぽいほほ笑みを浮かべている。なだらかな頬と、真っ直ぐなまなざし。背の低い少女が、それに応えて、小さく笑い返した。
 「うちらだけだったじゃん、結局」
 さっきまで黙っていた髪の短い少女が、二人の横から唐突に言った。
 「壁とかなくて、ブレーキとかも多分なくて、……疲れたり、声が出なかったり、楽器もなかなか弾けない時とかがあったり、……そういう悔しいことも、うれしいことも、うちらだったんだよ。壁とかじゃなくて」
 「タイヤだけって感じ?」
 明るい顔で、背の低い少女が訊いた。髪の短い少女は笑いながら「そうそう」と答え、髪の真っ直ぐな少女も「何を運んでるんだ」と笑いながらつっこむ。
 「ほんとだね。久しぶりに踊った時は、腰がめちゃくちゃ痛かったあ」
 背の高い少女が急に話に乗ってきて、そののびのびとした喋り方に、残りの三人が声を立てて笑った。
 「でも、……」
 風が吹いてうまく聞こえない。三人は、今話している一人の方を、いつくしむような表情で見つめている。いくつかの会話が重ねられ、風のあい間に「うんうん」とか「そうだよね」とかの同意の声、さらには「いやいや、それは違うよー」などの異議の声が時々聞こえた。そして四人で、また前を向く。姿勢はやはりバラバラだった。表情はみな穏やかで、しかし、その底に流れつづける厳しい決意が、水音のように鳴っている。背の低い少女が、残っている鉄柵の断面を指でなぞろうとして、やめた。
 僕の部屋には誰もいなかった。CDケースは口を開けたまま散らばっていて、かつてはその中にあった銀色の円皿が、今はどこにもみつからない。窓から風が時折吹き込んでくる。そしてそのままどこかに消えてしまう。膨らんだカーテンはたちまち元の位置に戻り、しかし、かすかに揺れつづけている。



「題名だけのスレ3」に、自分で書き込んだタイトルより。
全3~4回を予定しています。ちなみに、同じタイトルで
最果タヒさんが書いて下さった詩は、http://www.eonet.ne.jp/~luara/writting/006/0001.htmlにあります。必見。